04.積み重ねてきた日常。
学校から自宅まで、真っ直ぐ行こうとすればバスで約十五分、更にバス停から歩いて約五分の計二十分。
三人揃って、バスに揺られて、慣れた道を歩く。
小学校の頃から今日まで、ずっと歩いた馴染みの道だ。時間経過と共に風景が少しずつ変わっていっても、この足で踏み締めるアスファルトに変わりはなく。
家に帰って、なつめはひとまず自室に入り、鞄をベッドの上に投げた。
リビングに行けば、喉が渇いていたらしい実佳が、隆哉と一緒に麦茶で喉を潤していたところ。
この家に、家族が全員揃うことは滅多にない。
理由は、数年前に父の人事異動による転勤が決まった時、母と、なつめより五つ下の妹がそれに付いていく事になった為。
その当時、既になつめは霧ヶ崎学園高等部への入学が決定していたし、姉である祐が、なつめよりも随分年上だった事もあって、今のこの家にはなつめと祐、実佳の三人が。父の転勤先では、両親と妹が。それぞれ暮らすことになった。
勿論、家族とは定期的に連絡は取り合っているけれど、全員直接揃うのは、年に二、三度、あるかないかだ。
やがて祐もまた就職し、勤務地の関係から家を出て、現在残されているのは、なつめと実佳の二人だけ。
尤も、社員寮に入ったはずの祐も、仕事の合間に時折ふらりと顔を出して、自宅の自室で仮眠を取っていたりもするので、祐の部屋は定期的に掃除している。
そんな我が家のリビングの中心で、「さて」とばかりになつめは考える。
いつもは実佳と二人しかいない。けど、今日はもう一人分の手がある。それも、付き合いが十数年に上るやつ。遠慮なんて勿論必要ない。
ならば。
「夕飯は俺が作るとして。実佳は洗濯物。隆哉は風呂場の掃除、よろしく」
それを利用しない手はないだろう。
「え。まさか俺に働かせるつもり?」
それを聞いた隆哉は、まず、さも意外そうに声をあげる。実際は、全部分かっているくせに。
「おう、存分に働かせるつもりだぞ」
鸚鵡返しに応えると、実佳がくすくすと小さく笑った。そう、実佳にも分かっている。だから、笑ってこう続ける。
「隆哉、隆哉。『働かざる者』?」
「『食うべからず』。ですよねー! ちっ。夕飯を食べる身ゆえ、あえて受けてやろうではないか」
表面はふて腐れている風を装っている隆哉へ、実佳はとても楽しげに
「うん、うん」
と頷いた。
「でも風呂場掃除を引き受けてやるからには、夕飯だけでは足らんなぁ。泊まる権利も要求する!」
「最初からそのつもりだったくせに何を言いやがる」
「はっはっは」
「そこを否定しないのがお前なんだよなぁ」
「そこんとこを分かってるのがお前だよなー」
からからと、いっそ気持ちの良いほどの笑顔を浮かべた隆哉に、なつめは形ばかりに、肩をすくめてみせた。実佳はやっぱり楽しそうに、そして嬉しそうに笑って、その様子を眺めている。
……そうして、賑やかな帰宅風景が、それ以上に賑わう夕食に変わるまではあっという間だ。
炊飯器のスイッチを入れて、リクエストされた肉じゃがを作りつつ、その合間に卵とお麩のお吸い物。そして小鉢に、昨日からの残りであるサラダを取り分ければ、まあ、見た目にもそこそこ上等な食卓になる。
食事を共にする残る二人は、片や可愛い妹、片や何か遠慮するような仲でもない親友。てきぱきとリビングのテーブルに品物を並べてる間に、それぞれの仕事を終えたらしい実佳と隆哉も戻ってきて、時計が丁度十八時を指した頃、
「いただきます」
と、皆で手を合わせた。
食卓を囲む時、実佳はいつもなつめの隣に座る。だから自然と、隆哉はなつめの向かい側の椅子に腰を下ろしていた。
特に見たい番組があるわけでもないが、普段の習慣からなつめがテレビを付ける。
丁度、新しい【装神具】についてニュースで特集が組まれているところに出くわした。
映っているのは開発者らしい群青色の袴を着た初老の男。その片手に真新しい【装神具】を持って、小型化と軽量化を図りつつも、出力を大幅に上げることが出来たのだと、キャスター相手に説明している。
【装神具】に馴染み深い都市に住んでいるせいで、皆揃って、無意識にテレビへ視線を向ける。
《──これまでのモデルは、あくまでも古来より我が国に伝わる神々の恩恵に預かることで、その造形を作り上げてきました。しかし、最近になって、それ以外の可能性も見えてきたのです》
《アジアや欧米、欧州などの、様々な国家と陰陽寮との交流が、成果として今後目に見える形になる、という事でしょうか?》
《それもありますが。……現在、【装神具】に力をお貸し下さる神は、私達がこれまで知る事になった天津神や国津神とは、また別の一柱ではないかとの見方が出ています》
《新たな神……ですか? それはすごい!》
《その名の通り新しく生まれ出でた神かもしれないし、その名を残す事のなかった古の神やもしれません。その存在を裏付け、信仰を確かなものとして根付かせることが出来れば、【装神具】は更なる発展を遂げる事が期待され……──》
「……そろそろ新しいモデル出るかもな」
お吸い物をすすりつつ、隆哉がテレビから目を離して言った。
「んむ……。……【装神具】の?」
肉じゃがをきちんと飲み込んで、実佳が尋ねる。
「そうそう。学校での試験運用、最近数が多かったよな? なつめとか、ほぼ毎日【装神具】ありきの授業じゃなかったっけか?」
「選んだ単位が、たまたま向こうのテスト内容と合致してた、ってだけだよ。でもまあ、確かにここ一ヶ月ぐらいは、色々触ってる気がする」
実佳の目がテレビをちらりと見て、
「凄いなぁ……。今のクラス……ううん。中等部から選んだ学部じゃ、【装神具】を使う授業はほとんどないから。あるとしても、座学ばっかり」
感心している事がありありと分かる声で言った。
「何が新しくて、何が古いのか……。どこが凄いのか、そうじゃないのか。何だか全然ピンとこないや」
「実佳が選んだ学部も、俺の学部も、隆哉の学部も、三人それぞれ全く違うからな」
言って、なつめはサラダを一口分、口へ放り込む。
「だから俺となつめでも、授業内容、全然違うし」
そう隆哉は繋げて、なつめもうん、と頷いた。
「実佳の方は高等部でも、半年に二、三回使うかどうか、ってとこか? でも実佳も、大学部に上がれば嫌になるほど触る事になるさ」
「頭じゃ、そう分かってるんだけど」
「……例えば、俺のピアスとかは、結構古いモデル」
己の左耳を飾る、見た目はごく普通の小さなピアスを示すなつめ。
「元々中古で、それも片耳分しかなかったから格安。それでもまあ、今となっちゃこれで丁度良いんだけど。……そういえば隆哉、お前、今の【装神具】はチョーカー? ペンダントは壊れてたよな? 先月あたりに」
「そうなんだよなぁ。俺が取った単位、出力ギリギリまで粘って、その放出を持続させるやつがあるからさー。おかげでチョーカーも先週壊れて、今は指輪。ほれ」
隆哉が、左手をかかげて見せる。確かに左手中指に、見覚えのない銀の指輪が光っていた。
「うわ、マジかよ……。壊すスピードがどんどん速くなってないか? お前」
呆れを隠さないなつめの目が、隆哉の方へ流れた。
「んな事言われても。脆い外装で持って来る研究職の皆様が悪い」
「俺がその立場だったら、壊されるたびに、胃が軋んでそうだ」
「それが、向こうも向こうで変人揃い。壊したの手渡したら、明らかに連日徹夜してますって顔とテンションのままで『もっと改良の余地がある!』つって、嬉々としてその場で残骸調査してんの。正直、ちょっと怖い」
「……生きる世界が違う人達っているもんだな。うん」
なつめとしても、そんな人種を目の前にしたら、隆哉の言う通り、若干怯えるかもしれない。しかし幸い、今のところそういった方々との縁は結ばれていないので、他人のふりをしてさらりと流す事にした。
……が、実佳はそうではなかったらしい。
何故か少し箸を止めて、何か考えている。
「……いい、なぁ」
ぽつりと零れた言葉は、きっと誰かに聞かせるつもりはなかった呟きだった。
「ん? いい、って何が?」
そして、それをつい拾ってしまったのも、なつめの癖だ。小さい頃の実佳は、滅多に自分から喋ろうとしなかったから、小さく何か言葉を落とした時はそれを出来る限り拾おうとした。子ども時代からの名残の一つ。
「あ、えっと……その」
聞き返された実佳は、最初に驚いて、その後少し目線を泳がせる。そしてほんの僅かに頬を赤く染めた。
「そうやって、夢中になれるものがある人が、羨ましいなぁ……って、思って」
「ん? 実佳にだってあるだろ? 歌がさ」
意外そうに隆哉が言う。
「コンクールにだって何度も出てるし、何かあると、音楽の教科書眺めてる。暇な時は色んな歌、口ずさんでること、俺もなつめも知ってるぜ?」
「や、あの……それは、うぅ……。う、歌、は……」
……歯切れが悪い。
大体隆哉と同じ意見だったなつめも、この反応には少し驚いた。
「実佳。歌、好きだろ?」
改めて、問いかける。
実佳は更に縮こまった。
「好き、なんだけど……。違うんだ。違う。こう、隆哉が言ってたような、研究者さん達みたいな向上心からの感情じゃ、ない、っていうか、コンクールも、結果的にそうなっちゃった、と、いうか……」
「……?」
「はて」
なつめは隆哉を見て、隆哉もなつめを見た。
目を合わせて、二人は揃って実佳を見つめ直す。
見つめられていることに当然実佳は気がついて、「あー」とか「うー」とか何度か繰り返した後、決意したように口を開く。
「……なつめの、笛があったから」
箸を手放して、顔を隠しながら実佳はぽつぽつと言う。
「昔、なつめが吹いてくれる笛の音が、すごく、綺麗だった、から。それと、一緒になれたらな……って、思って、て。だから、その、歌はあくまで、その延長……です」
実佳の言葉を最後に、静寂が……少々。
「……そう、か」
少なからず実佳の言葉が嬉しくて、
「そっか……うん、うん。俺の笛、か」
ついついそう呟くなつめは、少し頬の緩んだ表情になってしまった事に気付かない。
……が、幸か不幸か、その表情はすぐに変化を遂げる。
どこからともなく手を伸ばした隆哉が、なつめの額へど派手に一発、デコピンを入れたせいで。
「いっだ!?」
当然痛みによる叫びが上がるが、デコピンを入れた犯人はその叫びをろくに聞きもしない。
「はー。何ともはや。うんうん、ご馳走様ご馳走様。いや夕飯はまだ食べますけどね? まさかこんな場面に出くわすなんて、隆哉サン、ちっとも予想しておりませんでしたわ。あ、なつめ、食後の珈琲、俺ブラックでよろしく」
「……おい隆哉。今の唐突な一発についての謝罪は」
「あるわけねえだろ、このリアル充実人間、略してリア充め」
「どっからどう考えても、理不尽の極みだなおい!」
「自覚ないリア充は、今すぐ爆発すればいいと思いますぅ~」
「答えになってねえんだよなあ! もういい、お前分のこの皿、今から肉全部抜いてじゃがいもだけ山盛りにして放り込んでやる!」
「あー! ご無体な! 肉のない肉じゃがなんてただのじゃが! そんな無残な食卓なんて心底遠慮する! 断固拒否!」
食卓を全部ひっくり返すような愚かな真似はしないにしろ、なつめと隆哉、青年二人は揃ってああだこうだと、騒ぎ出す。
……そして、その騒ぎにすっかり飲まれてしまった実佳は、最初こそ目を丸くして呆気にとられていたものの、やがて、ふわりと肩の力が抜けたように、笑った。
勿論、今尚賑やかな二人は、実佳の微笑みには、気付かないまま。
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