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20.開戦。

 空は既に、赤から紺に染まっている。

 そう遠くない内に、一面の黒に塗り潰されそうだ。窓から見える、丸い月。満月らしい。

 立ち並ぶ街灯に灯りが点きだし、街のビルやマンション、家から光が零れ、溢れて、夜へと向かっている街をほのかに照らす。

 忍び寄る闇に紛れ、月を背にしながら、地上にある街並みを冷ややかに見下ろす金と赤。

「──【絶て】」

 呟いたのは、金か、赤か。どちらだったか。

 その言の葉は、場を切り離す刃となり、隔離を為し得る楔となる。

 夜の闇の中を、切り裂くように翻る存在達が、確かにそこに在った。




 ──僅かな時間の邂逅ではあったけど、確かな価値があった。父との大切な約束をかわした日から、数日。

 時の流れは薬となる、とは言い得て妙。おかげでなつめも幾分か普段の調子を取り戻し、隆哉にせっつかれる事もなくなった。

 そして、飛鳥が来訪したあの日を皮切りに、祐もまた以前のように家を空ける事が多くなった。祐の手伝いをしてくれていた聖も一度自宅へ帰宅し、もうすっかり、以前と同じような生活を取り戻しつつある。

 ──その最たる例が、実佳の学校復帰だと思う。

「ただいま。なつめ、帰ってる?」

 制服に身を包んだ実佳が、リビングへの扉を開ける。ようやく本調子に戻り、今日、ついに登校する事が出来たのだ。

 片手に学校鞄。もう片方の手には何故か、ファンシーな薄桃色の紙袋。ワンポイントだろう、若葉色のリボンまで飾られている。

「おかえり。帰ってるよ」

「ついでに俺も邪魔してるぞー」

 自室ではなくリビングで、講義の課題に取りかかっていたなつめは、一度ペンから手を放して、肩越しに振り返った。そしてその隣で、別の講義のレポート相手に悪戦苦闘しているらしい隆哉もまた、ひらりひらりと、手を振って応える。

 この時間に帰ってきたという事は、今日一日、体調を崩すこともなく全ての授業を受けることが出来たと見ていいだろう。そう考えて、なつめはこっそりと胸を撫で下ろす。

「どうだった、久々の学校は。あと、もしかしてその袋はお見舞い品?」

「うん。二週間近く休んでたから、先生やクラスのみんなに凄く心配されてて」

 申し訳なさそうな、しかしどこかくすぐったそうな顔で、実佳は袋を抱え直す。

「まあ、だろうなぁ」

「でも、友達がノート取ってくれていて。お陰で何とか、授業の遅れは取り戻せると思う。あと、これはチョコレートのお菓子詰め合わせと、前から欲しかったフルート演奏のCD」

 嬉しそうにはにかみながらそう言いつつ、鞄をソファの上に、友人達からのお見舞いをテーブルの隅っこに置く実佳。

 なつめの向かいに座り、ひょいと、こちらの手元にあるプリント達を覗き込んだ。

「レポート?」

「……みたいなもんかな。簡単なのでいいから、オリジナルで一曲作る課題だよ」

「へえ? フルートの曲?」

「そりゃあ、俺はあれしかまともに吹けないから。イメージのし易さのあるなしで、難易度が全然違う」

「出来たら、聴かせて欲しいな」

「んー……。課題で合格点貰ったら、な?」

「うん、それでいい。楽しみにしてる。……そっちの、隆哉のは?」

「俺は、何の変哲もない世界史のレポートだよ」

「そんなもん家でやれよ」

 と、なつめは悪態をついてみる。そうするだけの余力も、気付けばずいぶん取り戻せている。

「いいじゃねえか、別に。今日は祐さんからのあれ……ここに取りに来るものもあったし、レポートはついでだ、ついで。それに、世界史みたいな暗記系は、お前得意だろ」

「こっちだって課題が忙しいんだよ。自分でやれ」

「えー。神谷君のケチい」

「裏声使うな、気持ち悪いな」

「あはは。二人とも忙しいんだね。……じゃあ、今日の晩ご飯は代わりに作ろうか?」

「あ、ああ。悪い、そうしてくれると助かる。……あ、でも、冷蔵庫の中。何かあったっけか。俺、今日はまだ買い物行ってない」

「見て来ようか」

「着替えてからでいいぞ?」

「うんっ。着替えたら、そのままキッチンに行ってくる」

 立ち上がり、実佳はまず自室へと向かっていった。

 少しの、間。時間としては五分かかったか、かかってないか。

 彼女は私服を身に纏い、再び戻ってきた。残念ながら、表情はあまり明るくない。

「……うん。案の定というか、何もない。調味料と、お米ぐらい」

「あー……」

 やはりか、とペンの先で額を小突く。ここ最近のあれこれで、日常品を買い込むのを失念していたがゆえの失態だが、さすがに食料の類にまで影響を出したのは不覚だった。

 とはいえ、時間もそう遅くないのだし、今から近所のスーパーにでも行こう。そこから帰って夕飯を作ったとしても、そんなに遅い夕食にはならないはずだ。

「よし。じゃあ課題の休憩がてらに、適当に何か買って来るかね」

 ペンを机に置いて、なつめは立ち上がる。

「え? なつめのおごり?」

 隆哉もそれに続いた。どうでもいい軽口と一緒に。

「んなわけあるか。お前と俺で割り勘だ、割り勘。どうせ今日は食べていくんだろ」

「ですよねー」

 ようやく取り戻せるようになってきた、いつも通りの他愛もないやり取りで盛り上がっていた、その時──。



 フッ──と。

 突如、視界が暗転した。



「うわっ!」

「あン?」

「え、なに?」

 一瞬、全員に何が起きたか分からなかった。

 しかし頭の回転は思いの外早く、すぐに、リビングの電気がいきなり消えたのだと理解する。

 ブレイカーが落ちたのではないかと思ったが、

「停電……かな」

 窓から見える景色からして、どうもそうではないらしい。

 他の家やマンションの窓から見えるはずの灯りも、ない。どこもここも真っ暗な街並み。点いているのは非常灯ぐらいだ。

 ならば、この家だけの問題ではないだろう。

 ……だが。

「…………」

 なつめは、外の光景を見ながら顔をしかめる。ぴりぴりと、神経の表面を逆撫でされるような嫌な感覚を覚え、それを気のせいだとして拭えない。

 夜空に浮かぶ満月からこぼれる光は真白で、ひどく冷たい。

「実佳、隆哉。動けるか」

「う、うん」

「何とかな。……なつめ?」

「動けるなら、充分だ。……二人とも、外、出るぞ」

「え?」

 戸惑った声の主は、実佳。

「……俺の気のせいなら、それでいいんだけど」

 そう言って、声が聞こえた方……恐らく目の前にいるだろう実佳へ手を伸ばす。暗闇にまだ目が慣れておらず、彼女の姿を捉えることもまだ出来ていないが、何とか腕を捕まえることは出来た。

 ……さすがに、闇の中とはいえ、隆哉のものとは間違えない。あいつの腕と実佳の腕は、太さも硬さも、何もかもが違うのだから。

 そうして、実佳の腕を握り締めたまま、家を出るべく足を進める。後ろから、隆哉が付いてきている足音もする。胸中に過ぎった何とも言えない嫌な感覚は、まだ、なつめの中から消えておらず、どんどん増していくばかりだ。


 玄関を開けた途端、冷たい風が頬を撫でた。

 その冷たさに、嫌な感覚が更に重みを増して、腹の底へと落ちていく。実に不愉快なそれを、気にしている状況ではないのだろう。

「……」

 目を細めて、空を見上げた。黒い空だ。その空の真ん中で、月の光が星の光を呑み込むように、冷え冷えと輝いている。

 辺り一面を包む気配が、おかしい。周囲を見渡した。見慣れた家やマンションが道路に沿って並んでいる……が、それらは全て、点いているはずの灯りが点いていない。いかに停電だろうと、夜である以上、中に人がいるのなら、絶対に点く灯りなのに。

 耳を澄ましてみれば、物音一つ拾えない。しん、と静まり返っていて、その静寂が身体を軋ませる。

 世界に自分達だけ取り残されたような、そんな気がした。……いや、もしかしてそれは、間違いではないのかもしれない。

「なつめ……」

 実佳も異常に気付いたのだろう。不安げに名前を呼んでくる。

「今日、お前の家に来ておいたのはラッキーだったかもな。なつめ」

 隆哉は、平静を保つ為に、いつものように軽口を叩いた。

 一度実佳の腕を離し、代わりにその手を取って握り締める。

 隆哉の方に視線をやると、にやりとした視線が返ってきた。萎縮はしていないらしい。上等だ。

 空いているもう一方の手でピアスに触れ、あのペンダントトップをチェーンから外す。もう一度月を睨み上げた。白く光るそれは、つい舌打ちしたくなるほどの浪浪とした輝きを、相変わらず注ぎ続けている。

「実佳、俺の傍から離れるなよ」

「……ん」

 軽く頷いたのを見て、僅かに微笑み返した。

「隆哉は、祐姉から貰った【装神具】、いつでも発動出来るようにしとけ。ぶっつけ本番でも、お前なら何とかするだろ」

「神谷クンは、誰にものを言っているのやら、ってな」

 ちかりと、隆哉の腕を飾る新品の白銀のブレスレットが光る。

 なつめは、ピアスをもう一度、ゆっくりと撫でる。そこにある事を確認し、心の中で、笑む。

 ビルの一つ、地上を見渡せる高さを持つそれの頂上に、二つの黒い影がある事、恐らく皆、既に、気が付いていた。


《最終警告だ》


 どこからともなく聞き覚えのある声が聞こえる。並ぶ建物達に声は反響し、空気を震わせていくのが身体で分かる。

 ぎしぎしと筋肉と骨が痛んだ。まるで震える空気に、切り裂かれていくように。

《この場で、刻印を渡せ》

 感情のない冷たい声色。有無を言わさず相手を従えてもおかしくない威圧感。

 咄嗟に、びくりと実佳が身体をすくませた。己の身を守るように、自分の腕に縋り付く実佳の肩を、そっと抱き込む。

 目を伏せ、大きく深呼吸した。背筋を伸ばし、胸を張り、顎を引く。

 飛鳥と祐に、そして父に宣言した。実佳の傍にいると。どんな事があっても、実佳の事を守り抜くと。そうして、一緒に生きていくんだと。

 その為には数多の障害がある事も、様々な危険がある事も伝えられた。分かっていた。

 けれど。

 けれど、そんなもの……きっと、突き詰めてしまえば、誰だって、同じじゃあないか。

 たった一つしかない命を使った人生、その人生で、障害も危険も何もない生き方なんて、存在しない。

 だから、これは当たり前の生き方。

 他の皆と同じように、大切な場面では全力を出し、自らの命一つを懸ける。そうして障害を乗り越え、試練を突破して、生きていく。きっとそれは、ありふれた命の在り方だろう。

 今肩を並べてくれる親友も、実の姉も、伯母も、父も、皆──その在り方を良しとしてくれた。肯定してくれた。


 ならば。迷う理由など、何もない。


 なつめは目を開く。前を見た。真っ直ぐに、堂々と。

 ピアスが赤く煌めく。その赤に応えるように、なつめの手に三尺(90cm)近い太刀の、漆黒の柄が握られる。刃は炎をまとうように赤く輝き、切っ先は僅かに揺らぐこともなく〝あの二人〟へと突き付けられた。

 その隣では、ヴンという低い音と共に、隆哉の両腕に淡い緑の光が灯る。光はやがて、鋭利な刃物の形を取った。剣というよりも、手甲から伸びた戦爪。

 【装神具】の起動と同時に、なつめと隆哉を起点として荒々しい風が吹く。それだけの力が満ちている。

 力強い風に背を押されるように、なつめは躊躇なく口を開いた。

「断る」

 凛とした声が、周囲に響く。あの冷たい空気が僅かに揺れる。

「実佳は、刻印じゃない。ただの、〝神宮司実佳〟だ」

 実佳の身体を片腕で抱き締める。実佳もまた、なつめと共に在る事、その意思を示すように、抱き返してくる。

 それだけで、何て心強いだろう。奮い立たせて貰えるだろう。

 ──ああ、充分だ。たった、これだけで。


 闘える。


「そして、実佳は──俺が俺として生きていく為の、大切なたった一人だ!!」

 月から降り注ぐ、あの冷たい光が遮る影がある。

 あたかも、月そのものが男と少女の姿を取って地上へ具現したかのように、蓮とアーゲルハイネは、月を背に上空に浮かんでいる。


「な、なつめ!」

 ──実佳が、名前を呼んでくれた。懸命に。

「えとっ……」

 一瞬だけ、どう言うべきかと考え、そして。

「……〝ここ〟に、ここにいるよ! なつめのすぐそばに! だから、大丈夫! 頑張れ!」

 その言葉だけで、受け止めるべき想いは全て受け止めた。

「ああ」

 にやりと笑い、その髪をくしゃりと撫でる。

「そうだ、お前等はそれでいい」

 と、隆哉も笑った。

 実佳と隆哉、二人にもう一度微笑みかけた後、なつめは空を見上げ、前を見据える。

 二つの影が、凄まじいスピードを伴って上空から襲いかかってきたのと、なつめと隆哉が月へ向かって跳躍し、それを迎え撃ったのが、同時。

完結まで予約投稿済みです。

もし

「先が気になる」

「面白い」

と思って下さったら、

★★★★★

とお星様のポイントを入れて下さると幸いです。

また感想・誤字脱字報告などもお待ちしています。

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