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16.揺らいでくれない現実。

「!」

 名前を呼ばれ、はっと我に返った。

 すぐ目の前に、〝今〟の実佳がいる。心底心配そうに、顔を覗き込んでくれている。

 周囲は、さっきまでいたはずの研究室でもなく、あの青い液体の中に浮かぶ、幼い実佳もいなかった。

 ここは自宅の、リビングだ。実佳の後ろには飛鳥が。自分の隣には祐と隆哉がいる。

 ……どうやら、自分が様々なものを〝視〟ている間に、部屋で休んでいたはずの実佳が起き出してしまっていたらしい。

 着ている服は寝間着のまま。きっと、リビングの変化を察して、着替えないまま降りてきたんだ。そして、様子のおかしな自分を見つけ、心配してくれたのだろう。

 すぐに現実へ覚醒出来た事も考えると、飛鳥が見せたかったものは、あそこでとりあえず終わりと見ていい……と、思う。

 そう考え、どっと力が抜けた。同時に、心から安心もした。あれ以上何か見せられていたら、正気が粉々に砕け散っていた。

「ひどい汗だ。一体、どうし──」

 言いかけた実佳の手を、

「……」

 なつめの手が、かなり強引に握る。握り締める。意識なんてしておらず、ただ、気がついたらそうしていた。そうせずにはいられなかった衝動は心の中で渦巻いたままだ。もし、ここに自分達二人だけだったなら、きっと実佳の身体をきつく抱きすくめていた。

「な、つめ?」

 返事は、形に出来ない。答えられない。

 ただこうする事で、実佳がここにいる事を確かめたかった。

「どう、したの? なつめ。また、何かあったの」

 不安の滲む声色に、顔を上げる。何とか、笑顔を取り繕ってみせた。

「……ごめん。学校で、少しな。でも、大丈夫だ」

「なーに。久々に行った学校で、学園長の呼び出しを食らったんだ。そのせいでちょっと疲れてるだけさね」

 あくまでもいつもの調子のまま、飛鳥が言う。

「学園長から? 何で?」

「実佳ちゃんも知ってるよね? なつくんも、私や父さんと同じように、陰陽寮の特別職員になるかも、って噂になってること。そのお話だよ」

 飛鳥と声の調子を合わせるように、祐が続いた。それに何らかの疑念を挟ませる前に、

「実佳ちゃん。起きてきてすぐでごめんなんだけど、ちょっとだけ頼めるかな?」

 そう続ける。

「うん、何?」

「一度、部屋に着替えに戻った後でいいんだ。なつくんに何か飲めるものを用意してあげて」

 祐に言われると、実佳はすぐに「分かった」と頷いてくれた。

「すぐ、戻ってくる」

「……ん。いきなり変な事して、悪かったな」

 何とかして、実佳の腕を握り締めている腕から、力を抜く。

「気にしてない。大丈夫」

 そっと離れていく実佳は、微かではあったが、微笑んでいた。

「ナイーブで手間のかかる兄貴持つと大変だな、実佳」

 隆哉が軽口を叩いてくる。その軽口も、今は、有り難かった。

「そんな事ないよ。……手間も一緒だから、みんなの分のお茶も入れてくる」

 そう断って、実佳はリビングを出て行った。その背を一瞥し、消えるところまで見送ってから、改めて飛鳥の方へと向き直った。

「飛鳥さん……その。今、俺が、見て、聞いたのは」

「あの子がこの家に来る前の、私が助け出す直前の実佳だ」

 飛鳥は、躊躇う事なく断言した。

 思い出すことも苦痛であったが、思考を止めるわけにはいかない。一つ一つ、見たもの、聞いたものを思い出して、それを確認しなければ。

「これ使って、視たものの中で……今まで知らないものが、沢山あった。だから、順番に確かめさせて欲しい」

「ああ。お前の気が済むまでそうしろ。私も、出来る限り答える」

 ……深呼吸を、一つ。

「……実佳は、【装神具】の核を埋め込まれてる、っていう認識で、合ってる?」

「半分正解。半分は間違い。あれはもう一体化してる。実佳の一部だ」

「取り外したりは、もう出来ないんだな」

「ああ」

「通常の【装神具】の核とは、違うものを使ったせいで?」

「いいや。最初から、時間経過と共に、徐々に一体化させる計画だった」

「だけど、【装神具】には核になる部分と、外装になる部分がある。俺の【装神具】がピアスだったり、隆哉の【装神具】が指輪だったりするみたいに。……その、こんな言い方、したくないんだけど。実佳は、いわば外装にあたるはずだ。取り外せないなら、万が一外装が壊れれば、一緒に核まで破壊される。それは、本末転倒じゃないか?」

「造り出そうと目指した〝もの〟が、そもそも違ったせいだな。【装神具】の名の由来は、お前も知ってるな?」

「……装着することで、神々の力を僅かに借り受けるもの……」

「そうだ。それが【装神具】本来の在り方。だが実佳は、核と一体化している。……いや、してしまった。そうやって、〝神の力を借り受けるもの〟ではなく、〝神の力を振るうもの〟……つまり、逆説的に神そのものに成り得るやもしれないものに、なってしまった」

「そんなの……! っ、いや。そうだ。そうだった。神を造れるかもしれないって、誰かが言いやがったのを聞いたんだ。……ああ、くそ。有り得てるから、こんな問いも、馬鹿げてるって分かってる。分かってるけど、だけどそんな事、有り得るのか? 人が、神を作るだなんて」

「事実だけを拾い上げるなら、確かに実佳は【装神具】を介さず、【装神具】の力を行使出来るようになってる。そこは言い切ろう。……なつめ、それに隆哉。お前達二人は、それに助けられただろう?」

「……」

「あー……」

 隆哉と二人、視線を交錯させながら、襲撃された時の事を思い出す。なつめはどんな顔をしていいのか分からないままで、隆哉はそんななつめを見て、ひどく苦い顔つきになった。

 あの時、蓮とアーゲルハイネの手から逃れられたのは、確かに実佳のおかげだ。彼女が無意識に能力を発現させていなければ、恐らく生きてはいなかった。

「ただ」

 飛鳥は厳しい顔で先の言葉を続ける。

「今の実佳の状態を指して、神と出来るかどうか、私は知らん。つーか誰も知らんだろ、そんなもの。神は何をして神たり得るのか、なんてのは哲学者連中が延々と考え続けて、未だ明確な答えは出てないんだ」

「……実佳は、人間だ」

 腹の底から吐き出すように、呟く。

「誰が何と言おうと、間違いなく。それを否定させるもんか」

「……それは、私への問いでも、確認でもなく?」

「ああ。誰かに確かめるまでもない。あいつは、人間なんだ」

「……そう」

 ……その瞬間だけ、微かに飛鳥の声が柔らかくなった……気が、した。確かめる前に、彼女は既に元の雰囲気を取り戻していたけど。

「それじゃあ、他に何か聞くことは?」

「…………」

 しばらく記憶を遡って、

「……〝桐生〟」

 行き当たった、一つの名前。

 視えた者達は何でもなさそうに口にしていたが、あれは。

「桐生って、名前が聞こえた。それ、もしかして」

「ああ」

 飛鳥に頷かれる。

「実佳の、本来の生家。名前も、桐生実佳……天津宮が一つ、桐生家の娘になる」

「祐姉は、神宮司の家に実佳はさらわれてきたって言ってた。それは、本当?」

「本当。桐生の家は、代々【装神具】への適正能力がずば抜けて高くてな。そこを神宮司に目を付けられた」

「じゃあ実佳の、本当の家族は」

「ちゃんといるよ。父親も、母親も。姉と兄だっている。姉の方は国立の音大でバイオリンをやってて、兄は、そこらの大人どもよりもよっぽど冷静で聡い、賢い子。ありゃあ大成するな。……みんな、実佳の無事を、生きて帰ってくる事を、あの子がさらわれた日から今日まで、ずっとずっと信じてる」

「──っ」

 咄嗟に、口元を抑え、嘔吐くように蹲る。そうでもしないと、感情の全部が溢れて出て、暴れ出しそうだった。

 実佳に、ちゃんと血が繋がった家族がいてくれた安心感も確かにあった。だけど、その安心感を簡単に上回って、飲み込んでしまうものがある。塗り潰して、ぐしゃぐしゃにして、嵐みたいに暴れ回る怒りと憎しみ。こんな激しい感情を抱いたことがない。どう扱えばいいか分からない。どこにぶつければいいのか分からない。

 ……不意に、横から頭を撫でられる。祐の手だと、すぐに気付いた。大丈夫、だから落ち着きなさいと、そう言っているように思えて、何とか息が出来る。

「……少し、私個人の昔話をしようか」

 飛鳥が、テーブルの上で指を組む。

「私があの子を助けたのは、桐生家当主である桐生(きりゅう)貴仁(たかひと)……あの子の、本当の父親からの依頼があったからだった」

 声は出せなかった。だから蹲ったまま、どうにか頷く。話の続きを促しているのだと、飛鳥はそれだけで察してくれた。

「神宮司家は、生まれたばかりの実佳と身寄りのない別の赤ん坊をすり替える事で、あの子を手に入れた。勿論、桐生貴仁はすぐに気が付いたさ。自分達夫婦の手元にいる赤ん坊が、我が子ではない事に」

完結まで予約投稿済みです。

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