15.事実と真実──されど、それを受け入れろなどと。
「……え?」
何が起きたか分からなかった。
リビングも消えて、すぐ傍にいたはずの飛鳥と祐、隆哉の姿もない。
それどころか視界から一切の色彩が失われて、白黒になって、ぐにゃりと渦を描きながら歪んでいく。
上下左右の感覚も歪みと一緒に消え果てて、ただ、モノクロの奔流に飲み込まれるしか出来ないまま。
せめて、歯だけは食いしばった。自分の存在を確かにする感触が直に伝わってきて、ほんの少しだけだが安堵する。
そんな時……どこからともなく、声が、聞こえた。
「さあ、火を灯せ」
「無垢な空間にて。清められた穢れもなき木々に。我等が奉る、神々の現し身たる火を灯せ」
「我等の役目は祈ることのみ。神へ祈祷を捧げ、捧げ続け、捧げ尽くすのみ」
「さすれば神はお応え下さる。神の助力を、確かな形として現へもたらす」
「祈れ。祈れ。祈れ……」
様々な、声が、聞こえる。
「こんなものは有り得ません」
「ああ、そうだろうな」
「本来、祈祷場で造られる【装神具】の核は、無色透明の小さな球体です。ですが、今回のこれはあまりにも異質過ぎます。前例も情報もない」
「ふむ……見た目は八角の石。色も、まるで虫や樹液の入っていない琥珀。……いや、黄金と言うべきなのか?」
「再三確認しましたが、祈祷の手順は完璧でした。祈祷部屋にも、運び込んだ木にも、七日七晩かけて香を焚いて、清めの塩を撒いた。火に至っては、神体でもある種火は一つしかなく、そこから続く道も一つしかない。……前代未聞です。すぐに然るべき手順を踏んで、お還り頂くべきものですよ」
「そうしたいのは山々だ。……山々、だが……」
「『だが』、何です? これが、国外の上層部に知れたらどうなるか、分かるでしょう? 【装神具】の存在をよく思っていない諸外国も少なくない。下手を打てば、魔女狩りや宗教戦争に繋がりかねないと、ここで言葉にしなければ伝わりませんか?」
「落ち着け。それは分かっている。分かっているが……現に情報は既に、外のいくつかに知れている。前例のないものに、余計な興味を抱く輩は絶対に現れるはずだ。そいつらの目を誤魔化しながら、儀式の段取りを一から構築し直さねばならないとなると……骨が折れるぞ」
ばらばらで、繋がっているようで、途切れ途切れなような。
そんな声が。遠くに。近くに。上で。下で。右で。左で。
「では、件の【核】。確かに引き取った」
「はい。こちらも、料金はしっかりと頂きました。さすがは天津宮が名家、神宮司。全てキャッシュでお支払いとは、金払いが良い」
「現世の俗物に関する事で褒めそやしても意味はないぞ。貸しにもならん。あぁ、それから。この【核】に関しては、返還の儀を執り行なった上で返還したという方向で、きちんと進めておくように」
「勿論。それを含めての、今回の料金なのですから。……それにしても、素人意見ですが。その〝失敗作〟、これだけの大枚をはたく価値はあるのですかね?」
「価値を決めるのはこちらだ。そちらではない」
「これは失敬。……では、今後ともどうぞご贔屓に」
まるですぐ傍で囁かれているにも感じるし、耳元で叫ばれているようにも感じる。
音、声、そういった情報を、頭の中に直接叩き込まれている。
無意識に、手のひらへ食い込ませていた手の爪は、もうこれ以上肉に沈むことは出来ないところまで沈んでいる。
それでも、力を緩めず、更に深める。気を抜けば、自分というものが持って行かれてしまう、そんな嫌な確信があった。
「……このような、強力な【装神具】の核を、当主様はどこから手に入れたのでしょう。神宮司内の【装神具】開発部の実験品にしては、性能が桁違いのように思えますが?」
「開発部の面々曰く、偶然と幸運の産物らしいな」
「というと?」
「本部で作り上げた核達の中に、これが紛れていたらしい。それを主任が聞きつけて、裏で買い取ったのさ」
「なるほど。主任も耳が良いですからね」
「ああ、全く。……そして、これは核ではない。我らが悲願、大望を成就させる為の一歩。確かに刻みつける【刻印】だ」
「……ああ。それは、素晴らしい」
「さて、無駄話はここまでだ。検体の準備は整っている。はじめるぞ」
「そうですね。偶然でも、幸運でも、構いませんとも。もしかすると、これがあれば」
──我々の手で、真なる〝神〟を造り上げることが出来る。
「……っ!?」
ぞわりと悪寒を覚える声を認識した瞬間、またも突然、別世界に放り出された。
数度頭を振り、現状を確認する。
上下左右の感覚はしっかりと機能しているようだが、それでも、まだ終わりではないらしい。
目の前に広がっているのは、見知らぬ部屋の中だった。
部屋……というより、研究室か何かだろうか? そこら中に試験管やビーカー、注射器。少し奥には、何に使うか分からない実験器具の類がずらりと並んでいる。
研究机の上には無造作に散らばっている紙が山ほどある。
目を通せないかと思って手を伸ばしてみても、机ごと紙をすり抜けるだけで、触れることは出来ない。
──こぽり。
どこからか物音がした。気泡の、音。音がした方を見ると、青白い光が、奥の扉から漏れ出ている。ごくりと息を呑み込んで、そちらに足を向けた。
一見、扉には厳重なロックがかかっているように見えたが、すり抜けられる身である以上、そんなものは意味を成さない。精々、この奥で何が待っているのか、それを受け止める為に、僅かに立ち止まった程度だ。
深呼吸し、意を決して、扉を潜った。
こぽり、こぽり。
気泡の上がり続ける音が聞こえる。扉の向こうは、開けた実験場。様々な機器が立ち並び、研究員らしき白衣の男達が、実験対象なのだろう〝その存在〟に目を向けて、会話を繰り返している。
水族館ぐらいでしか見かけないだろう、水槽のような巨大な入れ物。中を満たす青く透明な液体。その中心で、長い髪が、液体の中で青い光を帯びながら無造作に揺れている。
青の真ん中に浮かぶのは、生まれたままの姿をした幼い肢体。
額に貼り付けられた電極。全身に直接繋がれている、数え切れないほどの細いチューブ。チューブの中は、薬品なのか何なのか分からない液体が、常時その体内へと流れ続けている。
呼吸機を宛がわれ、得体の知れない液体の中でただ佇む事しか許されず、虚ろな目で浅い呼吸だけを繰り返しているその子ども。その子は、彼女は……間違い、なく。
「……み、か」
見間違うはずがない。どれだけ頭の中で『嘘だ』と繰り返している自分がいるとしても、彼女を、見なかったことにするなど、出来るものか。
あれは、あの子は、はじめて会ったあの日の、幼い実佳だ。
無意識に名前を呼んだ。そしてそれが、感情の爆発、そのきっかけになった。
「実佳、おい実佳! 実佳ッ!!」
心のどこかでは、無駄だと分かっていたと思う。けれど叫ばずにはいられず、呼ばずにはいられなかった。咄嗟に手を伸ばしても、やはりすり抜け、すぐそばに見える小さな手にすら届かない。
目を背けたかった。こんな姿見たくなかった。けれど、見なければならないのも理解していた。受け止め、受け入れ、全てを知らなければならない。そうでなければ、飛鳥がこれを託した意味がなくなってしまう。
その場に仁王立ちになり、両手を強く握り締める。もう一度我を保つ為に、唇を噛み締めて、まだ続くだろうこの光景を見続ける。
「……ナンバー、01から023。投薬、全て完了ました」
チューブをはじめとする投薬機器の操作を担当していたらしい女研究員の、あまりにも無感情な声が聞こえる。
「よろしい。では、実験に移ろう」
別の研究員……胸を飾る鈍色のバッジを見るに、恐らく、今この場にいる者達を統括する者なのだろう……が、傍にいた助手らしき研究員を促す。
そいつは頷くと、傍の電子画面に指を滑らせ、画面を手早く操作した。天井が開かれて、上から、太いチェーン数本といくつかの鉄のフックで吊された檻が現れる。中には──。
「──!!」
……絶句した。言葉を無くした。失うしかなかった。その中にあるものが、信じられなかった。信じたくなかった。だって、檻の中にいたのは。
間違いなく、人だ。五、六人の人が、檻の中に閉じ込められている。
着ているのは恐らく囚人服。薬か何かを盛られているのか、檻の中でぐったりとして動かない。虚ろな目が、どことも知れない場所を見ている。
けれど、確かに生きている。今も息をして、心臓だって動いている。
研究者達の目に、その檻の中身が見えていないはずがないなのに、彼らは顔色を一切変えない。電子画面を操作していた研究者の手は止まらない。無意識に、なつめの腕はそいつの腕を掴もうとしたが、掴めない。
そのまま、何の躊躇いもなくあの液体の中に沈められた。どぷん、と重たいものが沈む音がして、呼吸による水泡がぶくぶくと水の中に漂った。
「刻印発動」
統括者が極めて冷徹な声で指示する。
「刻印、発動します」
命令を復唱したのは、ワイヤー操作用の機器に配置された男研究員。その手が、無機質に動かされる。パチパチとパネルスイッチが入っていく音に、我が身を切り裂かれている心地になる。
途端に、ぴくりと実佳の身体が動いた。虚ろな目が、目の前を沈んでいく檻を映し出し、そして、次の瞬間には。
中に入っていた人達ごと、檻が、白い光になってするりと溶けた。
一瞬の出来事だった。何があったのか、どうやったのか、何も分からないほど。
檻の残骸はおろか、血も出なかった。肉のカケラも、骨の破片も。何も残らなかった。光となって溶けたものは、長く白い、光の帯になっていく。そうして檻が完全に消え去る頃には、光の帯は実佳の身体を、まるで衣のように取り巻いて、やがて、霧散した。
あの檻の中にいた人達は、何をされたのかも分からず、目に光を宿したまま、生きたいと願ったまま……この世から、消滅させられた。
そうして、残ったのは青い液体と、その中に浮かぶ実佳一人。今まで、確かに生きていた人達がいた事など、最初からなかった事のよう。
実験は繰り返された。同じように、何度も生きた人間が入った檻が水槽の中に投入されて、それを実佳が消していく。消し去られていく。
(…………ッ……!)
気が、狂うかと思った。あるいは、狂うその寸前だったかもしれない。
「……ふむ」
統括者が声を零したのは、その所業がどれほど繰り返された頃だっただろうか。
「よし、今日はこれぐらいでいいだろう。刻印を停止させろ」
「はい」
指示に従い、開かれていた天井が鈍い音を立てて締められていく。水槽の電気は落とされ、小さい身体は、もう影しか捉えることが出来ない。
「安定してきたな」
統括者は至極満足げに口を開いた。
「初期段階よりも、試行出来る回数が格段に増えている」
「ええ。やはり、刻印の【核】を心臓と同化させた事が良かったのでしょう」
傍の助手役が頷き、同意した。
「心臓部から、血液と共に刻印の力を全身に巡らせ、循環させる事が出来る。偏った能力になってしまうと、制御が難しくなりますから」
「それもありますが」
ワイヤー操作機器を担当していた男は言う。
「やはり、生来の【装神具】への適応力の高さが、安定している最大の要因であるのでは? これから先、全て桐生の人間を使うわけにはいかないと思われますが」
「そこは今後の課題だな」
統括者は肩をすくめる。
「そして、この刻印の目指すところは、〝罪を司る神〟……愚かな人類の罪を裁く、断罪の神だ。我々が造り上げる神ごとに、アプローチを変えてゆけばいい。焦らず、段階を踏んで、次に進んでいかねば。弛まぬ努力こそ、我ら人類が進化していく為、ひいては我等が神を生み出す為に、重要な事だとは思わんかね?」
「それは、ご尤もで」
研究員達は笑っている。満足そうに。目の前にいる幼い少女の事など、まるで気に留めていない様子で。
……口の中がからからに乾いて、気持ち悪い。怒りも憎しみも沸点をとうに通り過ぎていて、急速に冷却されているような心地になる。
ああ。
この悪夢は、確かな現実だったのか。
狂気に満たされたこんな過去を通り過ぎなければ、実佳は、今へ辿り着けなかったのか。
こんな事が一体、いつまで……いつまで、続いていたんだ。
(畜生。畜生……ッ!!)
何が。何が、おかしい。
何がそんなに笑える。
何が満足だ。何が努力だ。何が進化だ。
神、だと? ──笑わせるな。
未だ、虚ろな目のままそこに漂い続けている小さな実佳を、彼女を、こんな目に遭わせておいて。殺人の道具として扱っておいて。
一体、お前等は何様のつもりだというんだ──!!
「──なつめ!!」
完結まで予約投稿済みです。
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