12.薄氷の上に立って、歩く。
──あの襲撃事件から、一週間が経った。
テレビでは、不思議とあの廃ビルの事は一切流れていなかった。まるで何もなかったように、聞こえてくるのは芸能ニュースやスポーツニュース、何かしらの事故といったありふれた情報ばかり。不審に思ったものの、これもまた、深く考えても仕方ない。
何せ、あの二人は普通じゃないのだから。当然だ。
あの時感じた異質さははっきりと思い出せるし、祐の言葉もそれらを裏付けている。ならば、常識は通じないと思っていた方がいい。
そして、あの日を境に、我が家に訪れた最も大きな変化が、一点。
「──……祐。古文の資料はどこにある? 祐が持ってる中で、一番古いやつ。あったよね」
「んーと。それなら私の部屋かなぁ。ほら、一番高い本棚あるでしょう? あれの二段目に片付けてたはずだよ」
「了解、探してくる」
「あ。ちょっと待って、聖。私の部屋行くなら……えっと、すっごく分厚くて、背表紙が黒いファイルね。それも持ってきてくれる? 同じ棚にあるはずだから」
「はいはい。すぐ持って来るよ」
「お願いね」
聖が、祐に呼ばれて家にほぼ寝泊まりする勢いで、入り浸るようになった事だろうか。
理由は……祐の仕事の手伝い。だと、思う。断言出来ないのは、今日までで扱っているその内容が、なつめの目から見ると、仕事なのかそうでないのか分からないほどに、多岐に渡っている為。
聖も、霧ヶ崎学園大学部の講師である以上、暇ではないだろうに。そう思い、やって来たその日にそれとなく
「大丈夫なの? その、色々と……」
と、尋ねてみると、
「昔から、色々無理難題押し付けるのは、お互い様だからなぁ」
と笑った。それが答えの全てだったようで、結局それ以上、この事について何か聞いた事はない。
事実、物心付いた頃には、何だかんだ言い合いながら、受験勉強やテスト勉強、その他何に使うのか分からない参考書の解読などを、祐は聖をはじめとする友人達数人で、よく行なっていたので、これもその一環なのだろう。……多分。
実佳にとっても、聖は馴染みの人間だし、彼女への悪影響を考慮する必要がなかった……というか、むしろ実佳を気に懸けてくれる人が増えたのは、正直に言って、有り難かった。
対して、一見何も変わっていないと思われるのは、隆哉だろう。
祐の口から実佳に関する事実を聞き、やるせない心境のまま迎えた、あの朝。
隆哉は、なつめが起こしに行くよりも前に目覚めていたらしく、まだ少し眠そうな顔を出してそのまま簡単に挨拶し、自分の家に戻っていった。……勿論、晩の内に用意しておいた軽食を、いつの間にかしっかり平らげた上で。
隆哉自身には狙われる要因はないのだが、巻き込まれてしまった以上、何があるか分からない。定期的に連絡を入れろと別れの間際に言えば、
「お前は保護者か。や、うん。そうだよな。さすが御兄様」
と笑われた。
たった一晩で、いつものように振る舞えるまで立ち直ったあいつは、本当に凄いと思う。
……とはいえ、何だかんだで、毎日夕方頃に何でもない内容のメールが来る。その日の夕飯の画像や、インターネット上で見つけた動物の画像が添付されたりしている、いつも通りの日常を生きている証のメールだ。
そして、やはり、と言うべきなのだろう。なかなか普段の調子に戻れていないのは、実佳だ。
精神的なショックが強かったのか、食欲が激減し、何かを喉に通すのも苦しそうだった。何とか説得して水だけは飲んで貰った。けれど、それでも目に見えてやつれてしまい、とにかく部屋で安静にさせようと、今のところ、学校は全て欠席させている。
なつめは基本、常に実佳に付き添っていた……が、一週間目の今日。一人、家を出る準備をしている。勿論、大学へ行く為に。
実佳の調子が少しずつ戻ってきて、食べる量が増えてきたのと、何より祐が家にいてくれる事が大きい。祐が見ていてくれるのなら、なつめとしても安心出来る。実佳も、自分のせいでなつめまで学校を休んでいる事を気にしているようだったから、いい頃合いだったと言える。
「学校帰り、何か買って来るものある?」
出掛ける間際。
リビングのテーブルに、一体何に使うのか分からない紙や本をいっぱいに広げた祐と聖に、声をかける。
「私は大丈夫だよ。聖は?」
「祐に同じ。お気遣いだけありがたく貰うよ」
「だって。実佳ちゃんはちゃんと看ておくから、気にせずに行ってらっしゃい」
「……そうさせて貰うよ。ありがと、祐姉。聖姉」
少し笑ってみせて、リビングを後にする。姉と姉役の二人に見送られつつ、そのまま家を出た。
一週間ぶりに、学校への道を歩く。バス停まで徒歩、そこからバスに乗り、数十分揺られれば、やがて見覚えのある学舎が見える。
バスから下車し、懐かしいような、新鮮なような、そんな不思議な気分になっていると、
「よお、なつめ」
「ん」
背後から声がした。振り返ってみれば、鞄片手に隆哉が走ってくる。
「隆哉」
「なんか久々に顔見たなー」
「だな。たかが一週間なんだが」
「てか、痩せたか?」
「どうだろ。一応、ちゃんと飯は食ってたぞ」
「いや、絶対痩せてる。……やつれてるってのが正解?」
「あぁ……それは否定出来んかも。色々ストレス溜まる状態だったし」
一つ息を落とすと、隆哉はぐるりと周囲を見回し、誰もいないことを確認した。僅かに声量を落とす。
「実佳は? 今、どうしてる」
「あんまり良くない」
合わせるように、こちらも声の大きさを抑えた。
「あれからしばらく、何も喉を通らなくなって。何とか水だけは飲ませてたけど、いくらなんでも、それだけじゃな……。だから、多分俺よりあいつの方がよっぽど……」
よっぽどやつれているはずだと言いかけた時、不意に背中に衝撃を感じた。隆哉の奴が、加減を考えずに叩いてきたのだ。
「っでえ!?」
喋っている途中で、いきなりの一撃だったので、危うく舌を噛むところだった。
尋ねてきたのはそっちのくせに一体何を、と思って向こうを見れば、あいつは何故か笑っている。
「良かった」
「は? いや、全然良くないって。今、そう言ったろうが」
「そういう意味じゃなくて。あんな常識外れなぶっ飛んだ事があっても、ちゃんとお前等、一緒にいるんだなって思ってさ」
「何だそりゃ?」
「さっきの質問、言い直すわ。『実佳は今、どこにいる』って尋ねたつもりだったんだよ。それをお前、即〝実佳の具合〟に置き換えるんだもんな」
「その質問こそ意味がわかんねえよ。うち以外に、あいつをどこに行かせろって言うんだ」
「そうだよな、お前はそう言い切る奴だよ。何が理由でも『お互いの為に離れる』とか、そういうしおらしい考え、持つわけねえよな」
隆哉は、それはもう愉快そうに……それでいて、どことなく嬉しそうに、笑っている。
何がそんなに笑える理由になるのだろう。なつめとしてはその理由が今一つ腑に落ちず、隆哉に不服そうな視線を投げてみるも、大した効果もなさそうだ。
そうこうする間に、何度も潜ってきたはずの、霧ヶ崎学園の門が見えてくる。
たった一週間。されど、一週間。そこにある門は、どこか別世界のものに見える。
……だが、その感覚もすぐに薄れた。門の傍に馴染みの人を見つけた為に。
「あれ、珍しい。加藤先生だ」
「へ? あぁ、お前の講義の先生?」
呟きが聞こえたらしい隆哉も、ようやく笑うのを止めて、門の方を見た。
見間違いなどでもなく、そこになつめが取っている講義担当講師が立っている。普段なら、この時間は職員室で講義の準備をしているはずなのに。まるで誰かを待っているように……というより、実際、待っているのか?
視線に、気付いたのだろうか。彼女はふいと顔をこちらに向け、そして、手を大きく挙げてくる。
「神谷くん!」
……どうやら、待っていたのは他ならぬ、自分だったらしい。
「お前に用事みたいだな。んじゃ俺、先行くわ」
と、隆哉。
「おう」
短く返す。言葉はこれだけで充分だ。
これ以上待たせては悪いと、隆哉と別れ、駆け足で向かう。
「おはようございます、先生」
「おはよう。もう身体は大丈夫? 一週間近く休んでるって聞いて、心配してたの」
「あ、はい。俺はもうすっかり平気で……って、え? もしかして、その為にわざわざ待ってた……ってわけじゃ、ないですよね?」
「うん、そうね。勿論心配してたのは本当なんだけど、用事はちゃんと別にあるの。今日は一限から私の講義だったし、神谷君の担任から、今日から出席するって聞いたから」
そして、微笑みが一つ投げかけられた。
「神谷君のこと、学園長先生がお呼びよ。登校し次第、すぐに学園長室に来て欲しいんですって。詳しい内容は知らないけど……もしかすると、例の適正試験に関する話かもね」
「うえっ……」
そういえば、そんな話もあったか。
それどころではなかったのですっかり忘れていた。……というか、まだ根本的な解決が成されていない以上、そんな話を持ち出され、説得なんぞされても、無意味というか、困るというか。
「学園長からの呼び出しなら、講義の遅刻も仕方ないから、その辺りは心配しないで大丈夫だからね」
「ん……ありがとうございます」
力なく笑い、ぺこりと頭を下げた後、いつもとは違う道を行くべく足の向きを変える。なつめの様子がおかしな事に、彼女は気付いていたようだが、どうも病み上がりのせいだと勘違いしたらしい。
「無理しちゃ駄目よ。きついのなら、きちんと保健室に行きなさい」
と一言添え、そして踵を返し去っていった。
その気遣いは、有り難いもの以外の何ものでもないが、何だってこう、こんな時に限って。
呪っても嘆いても、何も変わらない。早く学園長のところにいって、用事とやらを済ませよう。そう、固く誓った。
……誓って、いたのだが。
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