10.まるで暗闇に差す一条の光のような。
──自宅前に、バイクが駐められる音がしたのは、深夜、しかも日付を優に越えた頃だった。
実佳のすぐ傍に留まりつつ、本を読む事で時間を無為に潰していたなつめは、バイクの音が聞こえると、途端に本から目を外し、栞も挟まずぱたんと閉じる。立ち上がって、玄関へと駆けた。
扉を開ける。
瞬間、目に入ったのは、フルヘルメットとライダースーツに身を包んだ一人の女性。バイクにまたがったまま、紅蓮の焔のようなナイフを指と指の合間で固定している。
腕がしなり、ナイフ達はまるで矢のような速度で放たれた。ナイフが突き刺したのは、バイクを取り巻くように蠢いている複数の影達。回避の動作を一切許さず、全ての切っ先が例外なく影のど真ん中を貫いている。それほどまでの、完璧な速度と精度。
影は貫かれるとしばし藻掻いたが、やがて消える。その動作が二度、三度、最終的には五度繰り返されるとついに影は全て消えて、同時に、役目を終えたらしい紅蓮のナイフも炎のようにうつろって、消える。
バイクの持ち主は愛車から降りる。フルヘルメットを外すと、途端に黒い長髪が溢れ、ふわりと揺れた。
「……おかえり」
おずおずと、なつめは姉……祐へ声をかける。
「ただいま、なつくん」
にこりと、ふんわりした笑みが向けられる。先ほどまでの出来事さえなければ、穏やかとしか言いようがない、見慣れた姉の笑顔。
「えっと……今のは、俺が見ても大丈夫なやつだった? それとも、見なかった事にした方がいい?」
「んー? ただの害虫駆除だし、なつくんが気にしてあげる必要もないものかなぁ」
祐はのんびりと答えた。自分の手でかき消した影のことなど、眼中にないと言わんばかりに。
「害虫って……」
「害虫だよ? 可愛い可愛い弟と妹の為に、大急いで家に帰って来ただけなのに。そんな事までご飯の種にしようとしたり、人の足を掬うきっかけにしちゃおうなんて考えるのは、害虫で充分。でも今、悪い虫はぜーんぶ木っ端微塵にしちゃったから、あとはもう何も出来ないよ」
「それは、その……大丈夫? 仕事の事……とか、色々」
思わず顔をしかめてなつめは問う。天津宮だから、という理由で、こんなにも簡単にプライベートに踏み込もうとする輩がいる。それを理由に人を貶めようとする存在がいる。行政機関の中にさえ例外ではないなんて、学校でなつめが受けている腫れ物扱いなど安いもののはずだ。
「うん、大丈夫」
けれど、姉はのんびりと笑う。
「私はなつくんのお姉ちゃんなんだから。虫の一匹二匹で、どうにかなってあげるほど、柔でも甘くもないんだよ。そんな事より」
とん、となつめの背を押した。玄関から、家の中へ入るように促す。促された通り、姉弟二人、家の中に入って玄関の扉を閉めた。
「もっと大事な話があるよね? なつくん」
「……うん。だけど、こんなに早く帰って来てくれるとは思わなかった」
「帰ってくるに決まってるよー。……あんな電話を、貰ったら」
浮かべていた笑みに苦みを含みながら、祐は靴を脱いで玄関を上がる。色々と、急いで準備を整え、来てくれたのだろう。持っている荷物も、明らかに少ない。
「実佳ちゃんと、隆くんはどうしてるの?」
「実佳はリビングで寝てる。隆哉は……あぁ、そうだ。隆哉の奴に、今、祐姉の部屋貸してるんだ。話は、俺の部屋でもいい?」
「うん」
短く返事をし、姉はなつめの自室へ向かう。すぐに、その背を追った。
「何時間ぐらいこっちにいれる? 明日も仕事なんだろ?」
「しばらくはこっちにいるつもりだよ」
「え? でも」
「私のお仕事のことは、私のことだもん。なつくんが気にすることはなんにもないよ」
そう言われてしまえば、返せる言葉があるはずもない。素直に口を噤み、自室への続く廊下を歩く。元々、祐には飛鳥と連絡が取れるか、それだけを尋ねるつもりだったのだ。だが、
「実佳の事で、ちょっと飛鳥さんに聞きたい事があって」
と言うと、電話口の祐の雰囲気が、明らかに変わった。
何かあったのかと、真剣極まりない声で尋ねてくる姉に、その場凌ぎの嘘を言う気にもなれず、結局、今日のあの出来事を、粗方説明した。
それに対しての祐の返答は、
「出来るだけすぐに帰るから。実佳ちゃんのこと、しっかり見てあげて」
という短く、強ばった一言。そうして、言葉通りに姉は帰ってきてくれた。きっと、仕事を始めとする何もかもを振り払うような全力で。
揃って部屋の中に入り、電気を付けた。今朝方、普通にこの部屋で実佳と共に起床して、一日の準備をしたのが、遠い昔のように思える。
「……さて、と」
扉が閉め切られた部屋の中で、くつろぐような事もせず。祐はベッドに浅く腰掛けて、真っ直ぐになつめの方を見た。険しい表情と、鋭い目。
今は、補足出来ることなど何もない。祐の言葉が紡がれるのを待つしか、なつめには出来ない。
「まず、ね。私も、多分父さんも、飛鳥にはそう簡単に連絡は付けられない。でも、捕まえるわ。無理矢理にでも」
「分かった。今は祐姉しか頼りに出来ないから、本当、申し訳ないんだけど」
「どうして謝るの? 悪いのは全部飛鳥でしょう。自分の居場所もまともに知らせずにふらふらして。こういう状況を予想出来ていなかった無能だって言うなら、話は別だけど」
はっきりと眉をひそめながら、祐は改めてなつめを見る。
「……それと、改めて確認させて。片目が金色の男と、片目が赤の子ども。三人を襲ったのはこの二人組で、間違いないんだよね?」
「うん」
「つくづく、冗談にしても笑えない……」
「あいつらの事、知ってるの?」
「うーん……。同業っていうのが一番正解に近い、かな。噂だけは聞いたことがある、その程度なんだけど」
「その同業者に、何か問題でもあるってこと?」
「問題、問題というか……。えっとね。少しややこしい話になるから、順番に話そうか。いい?」
「分かった」
話し始める前に、祐は大きく息を吸って、もう一度吐き出した。ほんの数秒の無言を置いた後、改めて口を開く。
「結論から言うとね。実佳ちゃ……いえ。実佳が、狙われる理由は、あるの」
「陰陽寮勤務の祐姉がそれを知ってるって事は、その狙われる理由って、陰陽寮か、天津宮関係?」
「そうだね。その通り。ねえ、なつくん。私達の父さんと飛鳥って、真っ当な姉弟じゃないでしょう? 母親だけが同じで、父親は違う、異父姉弟」
「……? あ、うん」
いきなり予想もしていなかった話を切り出され困惑しつつも、首を縦に振る。祐の話は、勿論知っている。
いつからだったかは覚えていないが、自然と、父と、伯母の関係が普通より少し違う事を受け入れるようになっていたから。離婚と、再婚。この二つのキーワードを、時折聞いていたような気がする。
「実佳が、今名乗ってる苗字の〝神宮司〟は、飛鳥の父親の方の名前。この神宮司家は、私達〝神谷〟と同じ、天津宮なの。それも、代々陰陽寮の幹部を輩出してる名家。表面上は、実佳の実の両親が死亡して、神宮司の一族が全員、誰も引き取ろうとしなかったところを、一応の血縁である飛鳥が引き取った形になってる」
「表面上がそれなら、実際のところは?」
「誘拐してるのよ。あの無責任女は」
……祐の言葉を、すぐに飲み込めなかった。
「…………え?」
誘拐──と、本当に祐は、そう言ったか? ではつまり、自分達の伯母が、幼子をさらうような罪を犯したと? そう言っているのか、この姉は?
「ちょ……ちょっと、待って。じゃあ、実佳の両親や家族は、向こうにちゃんといるってことかよ!?」
「ううん。それも違うんだ。神宮司の本家は勿論、分家、親戚筋にも、実佳の両親はいない。そもそも、実佳自身があの家の人間じゃないの」
「……はあ!?」
「つまりね。先に実佳をさらっていたのは神宮司の方。そのまま、神宮司の一族として組み込むつもりだったところに、飛鳥が強引に横やりを入れたその結果が、今。向こうの家が、表立って騒げないのも、その辺りの事情が理由じゃないかな」
「いや、でも……!」
「なつくん、落ち着いて。深呼吸。……混乱するのは分かるけど、私も、一から十まで知ってるわけじゃないんだ。ひとまず今は、話を最後まで聞いてくれる?」
そう言われてしまっては、寸前まで出かかっていた言葉を呑み込むしか出来ない。ぐっと拳を握り締めて、唇を噛む。
「……続けるね。何で私が、これを知っているのかも説明しないとだから。理由は単純。今の仕事に就いてすぐ、実佳の件について、飛鳥に無理矢理協力させられたから」
「……祐姉、が? 父さんじゃなくて?」
「飛鳥も、父さんも、陰陽寮内部じゃどうしても名前が広まってるからね。その点私なら、立場と書類上だけで見れば、当時はただのひよこの新入り。周囲からの警戒が段違いに緩かった。勿論、父さんも父さんで、私の方に目が届かないように、表面を色々と掻き乱してくれてたみたい」
「そっか……。なるほど、納得いった」
「うん。それで……私の方で神宮司のことを調べたら、もう、信じられないぐらい真っ黒なの。おかげで私、神宮司の人間は、人間の形をした最低最悪の病原菌かウイルスだと思ってるから。そんなもの、当然放置するわけにはいかないよね? すぐにでも、何らかの対応を取る必要がある。それを行なう上で、神宮司に対して告発材料の筆頭格に成り得るのが……」
「それが、実佳……なのか」
本音を言えば、肯定して欲しくなかった。否定して欲しかった。
今の話を聞く限り、そんな事は有り得ないという事も、いくら願ったところで現実が覆らない事も、嫌になるほど分かったが、それでも。
「そうだね。実佳の存在以上の証拠は、今のところ見当たらない。神宮司が秘密裏にさらった人間ってだけでも大事だもの。おまけに、まだ追加で裏があるんだから」
「裏……? あ、もしかしてそれが」
「そう。コードC」
「実佳も知ってる風だったけど……それ、一体何の事?」
「……なつくんが聞いたら、間違いなく気分が悪くなるよ。覚悟は出来る?」
「……ああ」
祐の目を見据え頷くと、姉は一拍間を置いた。なつめの覚悟を確かめるように。
完結まで予約投稿済みです。
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