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前日譚2 ある島にて

 ぎぃこ、ぎぃこ、と自転車を漕ぐ。

潤滑油をあまり差していなかったのが、ここに来て弊害となっていた。

足には疲労がたまり、手の皮は擦り剝け始めている。

数時間前に家族と口喧嘩をして、再び家出をした僕は、自転車で南へと全速力で走っていた。

川沿いを走り始めたのが家を出て30分後の事。

そのまま数時間川沿いを延々と走っているのだ。

さらに言えば警察に発見される危険性を避けるために、時折裏路地に侵入して高速で通過するなどしていたため、疲労は相当溜まっている。

だがそれでも、時速20キロメートル近くで巡航できているのは奇跡だった。

 だが疲労のあまり、僕は漕いでいたペダルから足を踏み外してしまった。

走っていたのは川の両側にある堤防の頂点付近だったため、そのままバランスを崩して、河川敷に落ちてしまった。

打ち所が悪かったのだろうか、体が動かない。

指一本動かすこともできず、仰向けになった。

視界に入る鉛色の空からは雨がひたひたと降っている。

その雲を、僕はただ仰向けになって見ていた。

数分ほどして、漸く四肢の感覚が戻ってきた。

ゆっくりと立ち上がり、近くを見回した。

幸いにも故障の無い自転車を起こして、再びサドルにまたがった。

 それにしても、河川敷にしては随分路面がきれいだった。

舗装されていない道路ぐらいしかないはずの河川敷に、滑らかなアスファルト舗装である。

僕はそれに違和感を覚えながらも進んだ。

 可笑しい事を確信したのは、目の前に小屋の物が見えた時だった。網膜がその光景を映した後、慌てて振り返った。

「嘘だと言ってくれ。」

思わずそう呟いてしまった僕は悪くないと思う。

来た道はすべて茂みの中に消えていたのである。

前を見ると、相変わらず小屋だけは立っている。

 僕は腹を括り、その小屋の中に入った。扉を2度叩いた後、「お邪魔します。」と声をかけて入る。木製の引き戸は、特有の軋みを上げながら開かれる。開くと、中は意外にも明るかった。入口入ってすぐ、右手側には老婆が一人座っていた。

まるで商品を陳列するかのように、中には様々な小物の類が置かれていた。

僕はそれに吸い寄せられるように、一歩、また一歩と足が前に出ていく。

そして出入り口から僕の右手が離れたその時。

 破裂音のような音が部屋に響き渡った。

後ろを振り返ると、引き戸は固く閉じられている。

僕はすぐに取りついて開けようとしたが、扉に足を向けようとしても、あと一歩のところで中に戻ろうとしてしまう。

 僕は小屋の中を調べることにした。

まずは何か事情を知っていると思われる老婆に声をかけた。

「あの、すみません。ここから出る方法は。」

なるべく穏やかに声をかけたのだが、老婆からは睨まれた上に舌打ちされた。

 この老婆からはさして情報は得られないだろうと思い、小屋の中に置かれている物をじっくりと観察することにした。服、装身具、雑貨、とにかくものであふれている。

 それに目を奪われたのは、ただの偶然であったかもしれない。それは桜色に染められた、長さが50センチほどの平紐だった。僕はそれを手に取って、老婆の所へと向かった。

 老婆に紐を渡すと、五千と書かれた紙を突き出された。

僕はすぐに財布をポケットから取り出して、中にあった一万円札を渡す。老婆は渡された1万円札をじっくりと見た後、随分古びた五千円札と平紐を渡してきた。

 僕がそれを受け取ると、老婆は顎で引き戸を示した。

いつの間にか開け放たれていた戸から出ると、再び勢いよく戸は閉められた。

その音に驚いて振り返ると、先ほどまであったはずの小屋は無くなっていた。

その代わり、視界を埋め尽くすほどに群集した竹が見える。

 僕は慌てて手元を見る。しかし、そこにあったのは、あの小屋で買った平紐と、古びた五千円札のみだった。

近くに置いていた自転車は無事だった為、押して堤体上部にある自転車道に復帰させる。

 日の光が背中を温め始めたころに、僕は河口に到着した。

山々より顔をのぞかせた太陽に目を細めていると、後ろから汽笛の音が聞こえてきた。

自転車を再び漕ぎ、音のした方へと向かう。

 見ると、フェリーだろうか。大きな一隻の船が沖に出ようとしていた。

フェリーなら、遠くに行けるかもしれない。

そう考えた僕は、直にフェリーの乗船券乗り場に向かった。

 受付で自転車込みであることも伝えて停泊しているフェリー船に乗り込むと、可笑しな事に乗り込んだのは僕一人だけだった。車両を入れる所も、客室からも人の気配がしなかった。可笑しいなと思いつつも、このままでもいいかと思い、適当な椅子に座って過ごすことにした。

 船内アナウンスによると、この船は、どうやら随分遠くまで行くらしい。出港時刻になると、汽笛の音が聞こえた。

窓から見ると、だんだんと船体が岸壁を離れている。

しかし、この体は想定以上に疲労がたまっていたらしい。僕は気絶するように、腰かけていた長椅子に横になった。

 頭を押さえ、呻きながら体を起こす。

僕はずきずきと痛む頭を押さえ、上体を起こした。

ぼやけた視界がはっきりとした像を結び、五感が正常に働き始めた。

 嗅覚、視覚、聴覚から得られた情報を理解するうちに、僕は目を見開いてあたりを見回した。

一度目を閉じて、再び開けても同じ景色が見えた。

僕がいたのは、砂浜だったのだ。眠る前まで、僕は船の中にいたはずだ。確りと立ち上がり、足元を見る。

素足で、黒い色の砂の上に立っていた。

眼前には黒々とした海が、白波を立てて吠えている。

 近くにトイレらしき建物があり、そこまで歩く。喉が異様に乾いている。ふらふらと歩き、時折砂に足を取られながらも、何とかたどり着いた。

蛇口をひねって、水を出す。手で受け飲み干すと、幾分かのどの痛みもマシになったような気がした。

本当にここはどこだろうか。

振り返ってみると、後ろには黒い山が左右それぞれにそびえたっている。

歩いて調べるしかないと思った僕は、ひとまず右側の山を目指すことにした。

 この島には幹線道路が通っているらしく、その道沿いに山を目指した。急峻な山を登る。山肌は崩れやすい砂状で、ただ歩くだけでも体力をどんどんと削られていった。

漸く山頂に到達したとき、僕はそこに建てられた石碑を見て絶句した。 

 「八…丈富士、だと。」僕は必死に考えた。

まず和歌山港から八丈島までの直通船便は存在しない。

そうなってくると、僕が和歌山で乗り込んだ船は何だ。

思い出してみると、船は行き先をはっきりと言わなかった。

 僕は全身に冷や水を浴びせられたような感覚を覚えた。

とりあえず下山して、砂浜に向かう。若しかしたら帰れるかもしれないという淡い希望をもって。

 だが、戻っても変わらない景色が広がっていた。

黒い砂浜と紺碧の大海が視界に映るだけだった。

 訳が分からなくなった。

なぜ僕がここまで理不尽な扱いを受けなければならないのか。その思いが生まれた途端、慟哭を放っていた。

砂浜に膝をつき、固く握り緊めた拳で砂浜を殴った。

 暫くして僕は、そのまま仰向けに寝転がった。

目に染みる青空には、僅かに白雲が千切れて漂っている。

暫くすると、急に黒い雲が空を覆い始めたことに気が付いた。

 僕は慌てて近くのトイレまで走る。

丁度屋根のある所まで走った時、雨が降り始めた。

その激しさは一気に増し、視界は白くかすんでいく。

それに呼応するように、海に立つ波は激しさを増していった。

一時間しても雨はやまず、むしろ激しさを増している。更に風は強く吹き始めた。時折、トタン板や漁業用の浮きが宙を舞っている。

僕は漸くというべきか、これが現実であると認識した。

昨日、いや一昨日あたりの天気予報を見た際、小笠原諸島に台風が接近するという予報があった。

進路上には、八丈島が存在しており、その上陸が今日だったはずである。

僕はただぼんやりと、外の景色を見るしかなかった。

この状況下で出歩く人間は絶対にいないだろう。

眼前では、家屋の一部が宙を舞っている様子も確認できた。

僕は一番安全だろうと考え、トイレの個室に入ってやり過ごすことにした。

 個室に籠り6時間、台風は東に移動し、雨は遠のき始めた。

だが未だに風は強く吹いている。

 それでも僕は、トイレの個室から出ることにした。

トイレの個室は狭く、その状態で6時間立ちっぱなしである。

足が痛くてかなわない。歩いて血流を良くしなければ。

とりあえず、適当に歩くことにした。北は既に見た為、南に向かう事にした。時折ではあるが、人とすれ違う事もあった。可笑しな事に、僕に気付く人は一人足りともいない。試しに漁船に忍び込んでみたりもしたが、誰一人として気が付いていないのだ。

 僕はふらふらと歩き続けた。酷く疲弊した体と脳は、限界を迎えていたのだろう。ふと気付くと、石碑の前にいた。その石碑に刻まれた文字を理解した僕は、膝を地面について手を合わせた。

この島には、忘れられるべきでないものもある。

その為に、この石碑は作られたのだろうか。

立ち上がって、僕はまたふらふらと歩きだした。

 しかし、一歩踏み出した場所がまずかったらしい。

ずるり、という靴が滑る音が足元から聞こえたと思うと、そのままズザァ―と下草をなぎ倒しながら坂を下り始めた。下り坂ではなく、崖から転落するといった表現が正しいのかもしれない。

 滑った時間は10秒にも満たなかったが、殆ど自由落下に近い角度だった。

更についていなかったのは、頭から滑ったことである。

 当然の結果として、突き出た岩に頭部をごつんとぶつける結果となった。当然気絶した。その時に木の枝か何かに引っ掛ったのか、それ以上僕の体は落ちることはなかった。

 意識を取り戻したのは数分後のことである。

頭頂部をさすりながら立ち上がろうとしたが、木の枝に引っ掛っていることに気付き、姿勢を元に戻した。

しかし、枝は荷重に耐えられずに折れる事は間違いない。目だけを動かして近くを見ると、折れた木の枝がいくつかあった。恐らく、滑落した時に折れたのだろう。

 僕は折れた枝を手に取って地面に突き立て、それを支えに崖を上がっていく。

不思議と手の痛みは感じず、頭を激しく岩に打ち付けたというのに手足は何の不自由なく動いた。

 体感にして10分程度で、僕は石碑がある場に戻ってきた。

そして、ベンチに座って海を眺めている人がいる事に気が付いた。その人は僕と同年齢ほどに見える女性だった。紅葉色の混じる黒髪は肩口のあたりで切り揃えており、虹彩の色は瑠璃を思わせる青色だった。

彼女は驚いたようにこちらを見ている。

 僕と彼女の間は、沈黙が支配した。

先に何とか口を動かせたのは、僕の方だった。

「こ、こんにち…は?」

「こんにちは、ですね。貴方はどうしてここに来たのですか。」

僕はその事を包み隠さずに話した。

家出をした事、存在しないフェリーに乗った事も話した。

そして、僕は嘘をついた。

「海を眺めようと思っていたんだが、うっかり足を滑らせたんだ。」

「怪我とか、大丈夫ですか?」

「大丈夫だ。怪我らしい怪我はしていない。」

心配する声にそう返して、僕は海の方を見た。

紺碧の大海には、白い波が立っている。未だに強い風が吹いているらしい。

僕は思い出した、まだ名前を言っていなかったなと。

「そうだ、まだ名前を言っていなかったね。僕は有馬忠義、君の名は?」

その少女は、僕と目を合わせていった。

「龍田、七海。」

 僕と龍田は暫く話し込んだ。故郷の話や、好きな物、友人の話等。

 友人の話になると、龍田が俯いた。「うらやましいよ、自慢できる友達がいて。」龍田が絞り出す様に言った。

僕は質問した。「どうして。」「私には、友達がいない。だから羨ましいのだ。」

僕はズボンのポケットに手を入れた。

龍田の声が聞こえた。「どうしたの?」僕がそれ―桜色の組紐―を取り出し、龍田の手首に巻きつける。口が動く。「じゃあ、これを友達の印として受け取って。これは君が持つべき物だと思う。多分だけど、その為に買った。」

 すると、龍田が胸ポケットに差した鈍い銀色に光るシャープペンシルを渡してきた。

「じゃあ、これ。貰うだけじゃ、駄目だから。」

僕は龍田に聞いた。

「それ、大事な物なんじゃないのかい。」

龍田は首を横に振って、それを確りと僕の手に握らせた。

「君に、託す。お願いだ。」

その尋常ならざる様子を感じ取り、僕は重々しく頷くしかなかった。

 数時間後、僕と龍田は島に唯一あるフェリー乗り場に来ていた。波が高いというのに、一隻のフェリーが接岸している。僕はフェリーの近くまで歩いた。

「また会おう。」「…分かった。」

乗り込む直前に、龍田と言葉を交わす。

 僕はフェリーに乗り込んで、出港を待った。

 数時間経っても、フェリーは岸壁から離れない。

僕は客室に向かう事にした。

このフェリーにも、乗客の姿は見えなかった。

船内の内、2等客室の札が掛かった部屋の中に入る。

中は随分広く、カーテンが天井から吊り下げられている。

そして、カーテンの近くには布団と枕が有った。

僕は気が付いた。寝れば何とかなるかもしれない。

ここに来る前、和歌山のあたりでフェリーに乗った時、眠りについたことが起点だったはずだ。

 僕は近くにあった布団をひき、カーテンを閉めて寝ころんだ。

 人間、意外と図太いところがあるのだろうか。

僕はすぐに眠りについた。

 そして、誰かに呼ばれる声で眠りから覚める。

目を開けようとしたが、なかなか目を開けられない。

「おきてます、から。」そう言って、僕は上体を起こした。

まず初めに見えたのは、こちらを心配そうに見る壮年の男性である。そして、硬いコンクリートの地面の上に横たわっていたことに気が付いた。

「君、本当に大丈夫かい。中々目を覚まさないから、救急車を呼んでしまったぞ。」

「え。」

その男性曰く、朝方の散歩の途中に僕のことを見かけたらしい。昼前に用事があり、その時も僕は同じ場所で横たわっていたようだ。心配になった男性は、救急車を呼んで僕を起こそうとしたらしい。救急との電話がひと段落ついたところで、僕が目を覚ましたようだ。

 「僕は別に大丈夫ですね。それよりも、ここから家に帰れるかどうか。」

僕がそう言うと、男性は僕に質問してきた。

「君、どこに住んでいる。白浜か。」

「いえ、奈良ですね。ここから大体100キロほど離れた所に住んでいます。」

「なんと。」

男性は心底驚いたといった具合に声を出した。

「自力で帰ろうと思えば帰れますが…。」

「いやいや、流石に徒歩では。」

「自転車があればなんとか行けそうかなと。」

男性と話していると、男性が持っていた折り畳み式携帯電話から音が鳴った。

「はいもしもし、…はい、はい分かりました。

あ、後ですね、本人が目を覚ましました。

はい、いたって健康です。当人曰く、問題ないと。」

暫く話し込んだ後、男性は僕に話しかけた。

「呼んでいた救急車なんだが、どうやら事故に巻き込まれたらしくてな、こっちに来れなくなったらしい。

断っておいたが、本当によかったのか。」

そう聞いてきたが、僕はそれに肯定した。

 僕はふと気になった事が有った。

「僕は、ここに何時間ほどいましたか。」

「うーん、今は午後5時ぐらいだから、午前7時ごろにはここにいたと思うぞ。」

僕はその返答から考えた。

(確か自転車を漕いで、その後、…。思い出せない?)

必死に思い出そうとするが、その思考を打ち切る様に後ろから声がかかった。

「君、有馬忠義君であっているかい。署までご同行願おうか。」

二人組の警察官が、パトカーを背に立っていた。

 その後、僕はまた警察に保護される事と成った。

持ち物検査も受けたのだが、記憶にないものが出てきたときは驚いた。それは金属でできたシャープペンシルだった。持ってみた感覚としては、重く、硬い。

僕はそれを見た時、どこか懐かしい気持ちになったのだった。

 その後、僕は家族にまたもしこたま怒られ、金輪際家出をしないように約束させられた。

 数年後、僕はその時のことを思い出すに至る。


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