篠原ゆうは叫びたい
「じゃじゃーん」
「え、何それ」
篠原ゆうがいつも通り自分の弁当を鞄から取り出したとき、それは机の上に置かれた。
ゆうは弁当派である。
お母さんがお弁当に詰めてくれた前日のおかずをありがたく噛み締めて、1粒の米も残さず平らげる。
ゆうは、今が自分で昼ごはんを用意せず生活出来るゴールデンタイムだと思って、高校生活を謳歌している。
こういったことは大人になってから気がつくものだが、彼女には少し達観したところがあるのかもしれない。
一方この得体の知れない物体を置いた女、安食かりんは、超がつく学食派だった。
曜日ごとの日替わり弁当のチェックは言わずもがな、昼休みの学食ダッシュに命をかける。
つまり、席替えというワードを教師が発した瞬間から、彼女の戦いは始まるのだ。
まず、うちのクラスの席替えは自分が着きたい席を希望して、被ったらじゃんけんというシステムなのだが、そんな運ゲーに身を託すほど彼女はおバカではない。
クラス全員に”借り”をつくるか”賄賂”を渡して、自分の希望を確実に通す。
文字通り、隙がない女なのだ。
そこまでして学食が大切なのかと言われればそれまでだが、これは彼女の生きがいでもあるのでゆうは途中から突っ込むのを止めた。
価値観の違いとは、この世で1番尊いものである。
大体尊いものに気がつくのはもう取り返しがつかなくなってしまってからゆえ、ゆうはやはり人とは違ったところがあるのかもしれない。
しかし何となく察して貰えると思うが、かりんはうちの学校で5本の指に入る変人である。
価値観の違いという次元を超えて、変なやつというのはいつもどこか様子がおかしいものだ。
かき氷の氷とシロップを入れ替えて、並々のシロップに削った氷をかけたり、友達が前髪を何ミリ切ったか言い当てる練習をしてるようなやつを、価値観の違いというワードで片付けたくない。
そんな変人が今しがた起こした奇行について、説明しよう。
ふわっと香るフレグランスの匂い、、かと思えば、この臭いが染み付いた状態で異性どころか人に会うのも懸念するレベルの刺激臭、、
これでキスを迫られたらたまったもんじゃないだろうな。
ゆうは自分に縁のないシチュエーションだと思いながらも勝手に想像して勝手にげんなりとした。
「これどうしたの」
真っ赤に染まった刺激物を指さして、彼女を見る。
「なんだと思う?」
口の右端をくっと持ち上げた。
こいつがこの顔をする時はろくなことが無い。
前はフリーマーケットで購入したらしい妖しげな数珠を持って自慢げにしていたので、絶対ぼったくりされたものだと思ったら、
「79円でお買い得だと思って」
と言ったので迷わずチョップを食らわせた。
スーパーで特売のインゲンか!
買う方も買う方だが、売る方も売る方である。
数珠を79円で売るなんて、どうしても手放したかったか、彼女をおちょくったかの2択である。
ゆうの予想は、もちろん後者。
この世の中には人の扱いに長けた人が一定数存在して、この変なやつの扱いも平気でこなす天才がいる。
否、天才というより変態かもしれない。
商売のときに頭のネジを飛ばせるというのは、才能であり、性格に難ありの表れだと思う。
脱線したが、この赤い物体を言い当てなければならない。
どうせ激辛ポテトチップスだろうと思ったそこのあなた、まだこいつのやばさに気がついていませんよ。
その物体は、”物体”だった。
例えるなら、粘土みたいな感じ。
柔らかそうだけどどっしりしていて、運ぶのに苦労しただろうなって思わせる佇まい。
そして朱色を土台に細かいつぶつぶの赤い斑点がついてて地味に気持ち悪い。
あと何より、強烈な臭い。
心なしか最近彼女の奇行に慣れてちょっとやそっとで動じなくなった相田さんも、横からこのブツをガン見している。
うちの子が本当にすみません。
申し訳なさでいっぱいだが、そろそろ変人のわくわくした目線に耐えられない。
ゆうの予想は2つだ。
1つ目は、昨日そば打ち職人の話題で盛り上がったので、唐辛子やらなんやらの辛いものを混ぜたそばのもと。
2つ目は、粘土に直で唐辛子を練りこんだ本当に使い道に困るもの。
どちらも可能性は半々か、、
しかし1つ気がかりなのは、甘みである。
なぜか、さっきから見た目は辛そうなのにほんのりはちみつみたいな匂いがする。
もしかしたらあれか。辛すぎると甘みを感じ始めるみたいな、、
いやいや、絶対なにか仕掛けがあるはずだ。
ちらりと彼女の方を確認する。
すると、手首の内側をこちらに向けてぶんぶん振り始めた。
怖いやめてくれ。
目で訴えかけるがやめてくれない。
しかし、さっきよりも甘い匂いが鼻をついてゆうはピーンときた。
こいつもしや、、
「新しい香水買ったの?」
変人の目が光った。
「どこのでしょうっ??」
「あーえーと、あれ。昨日話したやつ」
「せいかーい!!なんとその足で行きましたあ!フッ軽って褒めてくれても良いんだよ、、」
「フッ軽って褒め言葉じゃないから」
この世の絶望を全て込めたみたいな顔を横目に、次は粘土の正体を考える。
まずは第1関門を突破した。
粘土には甘みは含まれていない。
そうしたらやはり、これはそばのもとか?
今は昼休憩でご飯を食べる時間なわけで、机に置くものは食せるものだろう。
そばのもとをそのまま食べられるかはよく知らないし、思考が我ながらぶっ飛んでいるが、粘土よりはマシだ。
答えを言おうとすると、なんと彼女がブツをむしって食べ始めた。
まじか。絵面おかしすぎるだろ。
食べられるものだとは思うが、本当に食べているところを見ると気色悪くて仕方がない。
ただ、答えはほぼ確定した。
ゆうは、先ほどまで半々だった可能性が予想の方に大きく傾いたことで勝利を確信。
勝った。
「かりん」
「んー」
もぐもぐ動かしていた口を止めてこちらを向く。
「それってさ、、昨日言ってたそばのもとだよね?」
恐る恐る聞いてみる。
交差する視線。
こめかみから左頬につーっと流れるものを感じた。
口の中の唾液を飲み込み、拳を握る。
隣を見ると、相田さんも固唾を飲んで待っている。
正解は、、
「んー」
彼女が首をひねった。
嘘、間違えたか?
やっぱり粘土だったか。いやいや、まさか、、
「惜しい!9割は合ってるんだけどねえ」
彼女が、口の右端を持ち上げる。
「なんと、残りの1割はわたしが幼稚園のきく組でもらった粘土でしたー!!ゆうはまだまだの女だね、、わたしを理解するにはあと300年はかかるよ、、」
ああ、何たる衝撃。
はるは何とか自分を保って居られたが、相田さんはまだ耐性がつききっていなかったのだろうか。
青ざめた顔で席を立ち、どこかへ行ってしまった。
「およ?ゆう大丈夫??あ!そっかごめんごめん。ゆうも食べたかったよね、気がつかなくてごめんよ〜」
彼女がそれをむしる様子はさながら蒸しパンを分けてくれる優しい友達に見えた。
否、これは蒸しパンとかけ離れた、宇宙空間で最も真逆の物体である。
「ゆうどしたー?」
握った拳がわなわな震え出した。
かりんはそれを見たからかギョッとして、後ずさる。
「いいから早く口ゆすいで、むしったもん出してこーい!!!!!」
教室の隅で響いた怒鳴り声と、か弱い夏の蚊みたいなヒエ〜という声。
クラスメート達はこちらを振り向いたが、またやってるよというふうな呆れた視線。
これは、相反する2人が無駄に無駄を重ねて日々を送る、青春かどうかはっきりしない話である。