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十年前
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6 悪役後輩に転生した人の一合一会

一合(いちごう)一会…夏妃語



 学校から帰宅後、制服のまま救急箱を持ってリビングのソファーに座った私は、できるだけ優しい声で語りかけた。


「姫香。怒んないから、ちゃんと見せなさい。心菜(ここな)ちゃんに一体何したの?」


 静かなリビングに私の声が響く。けれども姫香からの反応はない。ふぅとため息を吐いた私は、両足をソファーの上にのせた。先ほど水洗いしてきた両膝の擦り傷から、じわりと血が滲む。それに救急箱から取り出した絆創膏をぺたぺたと貼っていく。


「教えてくれなきゃわかんないでしょ?」


 それでもやっぱり反応はない。


 私と同じスーパーで働いている、パートの河合さんと野原さんの会話を思い出す。河合さんには中学二年生の娘がいて、反抗期の娘と毎日バトル(口喧嘩)を繰り広げているらしい。「本当に口だけは達者なんだからッ!」とキーキー怒りながら仕事をしていた河合さんに、同じく中学二年生の息子がいる野原さんは、フッと哀愁めいた笑みを見せて「会話があるだけいいじゃない。私なんて息子の声、もう二ヶ月くらい聞いてないわよ」って呟いていた。そのとき二人と一緒に作業していた私は、子育てって大変なんだなぁと感じつつも、まだ遠い将来のことだからと、完全に人ごととして聞いていた。


 でも姫香は、河合さんの娘と野原さんの息子を足して二乗したくらい扱いづらいと思う。私も言いたい。『あら、おたくはまだマシよぉ。ウチの姫香なんて学校中の男子を手玉に取ってわがまま放題してきたうえに、誰の彼氏をとったのかちゃんと教えないから、相手のお子さんに謝ることもできないのよぉ』って。河合さんも野原さんも困っちゃうと思うから言わないけど。だって二人とも、私が仕事で失敗しちゃっても全然怒らないし、すぐに助けてくれるいい人だから。それに私が食べているところを見るのが好きらしくて「夏妃ちゃんがモグモグしてると癒される」って言って、いつも休憩時間におにぎりとか菓子パンとかをくれる。私も二人のことが大好きだ。


 もう一度ため息をついた私は、救急箱の蓋をぱたりと閉じた。そして広いリビングを見渡す。座り心地のいい大きなソファーに、私のベッドにできそうなサイズのテーブルに、スリッパが沈んでしまいそうなほどのふかふかのラグ。このリビングだけで、私とおばあちゃんが暮らしていたアパートの部屋がまるまる入っちゃいそうなくらいに大きい。


 なのにこの家に住んでいるのは、姫香一人。

 そりゃ、寂しいだろうなって思う。


 そんなことを考えていると、頭の隅で姫香の気配が揺らいだのがわかった。ようやく応える気になったようだ。


 この体に入ったばかりのとき、姫香はかなり興奮状態だった。彼女の記憶や感情がどばーっと押し寄せてきて、私も突然他人の体に入っちゃったばかりで混乱していたし、全部の情報をつかむことはできなかった。それにあのときの姫香の憎悪の対象は琉生ただ一人で、その他の生徒のことは有象無象の取るに足らない相手だった。


 その琉生への誤解を解くために私があれこれやったことが気に入らなかったのか、姫香はうんともすんとも言わなくなった。いや、もともと彼女と会話ができていたわけではないんだけど。とにかく記憶も感情も何も見せてくれないものだから、私はどうしたらいいのかわからなくて本当に困った。


 だって姫香がいろいろやらかしたことは最初のときにわかったけど、具体的に誰に何をしたのかまでは覚えられなかったから。だから同級生たちからこれまで姫香がしてきたらしい悪行を並べ立てられても「え、そんなことしてたの?」としか反応できない。どうしてそうなったのかの前後のやりとりもわからないものだから、そんな状態で口先だけで「ごめんなさい」って謝ったって、そりゃ誠意も伝わらないだろう。そして相手を余計に怒らせるという悪循環。


 私だって、訳もわからないままただ謝るなんて嫌だ。だから姫香に向かって「一緒に謝ってあげるから、ちゃんと教えなさい!」って毎日呼びかけていたら、ちょっとずつ反応が返ってくるようになったのだ。


 目を閉じれば、いつもの映像再生が始まる。それを見ていた私は、もう何度目かわからないため息を吐いて目を開けた。ため息は幸せが逃げるよっておばあちゃんが言っていた。だからなるべくしたくないのに。


 確認できた姫香の記憶によると、現在隣のクラスの森脇心菜とは昨年同じクラスだったみたいで、そこそこ仲良くしていたようだ。けれども心菜の好きな相手を知った姫香は、その相手を速攻で落としに行ったあげく、仲良くしているところを心菜に見せつけて、それからすぐにその彼とはサヨナラしたらしい。

 ヤダもう、最近の中学生こわい。


 私なんて今年ハタチになったけど、まだ誰とも付き合ったことがないし、好きな相手すらいない。学生時代の私の周りの男子って「大食い女」ってからかってくる奴か、「勝負しろ」って勝手に大食い対決を挑んできたうえに途中でギブアップして残す、大馬鹿者ばっかりだったから。


 「明日、謝りに行くよ」って言うと、姫香の気配が消えた。野原さんちの息子モードに入ったらしい。逃げるんじゃないって叱ろうとしたとき、キッチンの方から軽快な電子音が聞こえてきてハッと振り返る。炊飯器の炊きあがりメロディだ。


 おなかがぐうっと鳴った。

 姫香へのお説教はあとにしよう。


 ぴょんとソファーから飛び降りた私は、着地したときに右足首からズキッと痛みが走って顔をしかめた。今日の下校中、心菜に突き飛ばされて、転んで足首をひねったことを忘れていた。さっきはどうして突き飛ばされたのかわからなかったから、ただただびっくりしてしまった。

 そりゃ、先に駄目なことしちゃったのは姫香だ。でもだからっていきなり突き飛ばすのもなあって思う。今はもう事情もわかったから明日ちゃんと謝るし、それで気が済んでくれるといいけど。


 痛む方の足をひょこひょこかばいながら、これまた立派なキッチンに向かう。料理番組とかでも使えそうなくらいに広いキッチンカウンターは、新品みたいにピカピカだ。というかハウスキーパーの吉田ルミさんによると、姫香の家族はほとんど使わないから本当に新品同様らしい。


 姫香の両親は、仕事でしょっちゅう家を空けているらしくて、滅多に帰ってこないそうだ。だからルミさんが掃除や洗濯、食材の買い出しや姫香の夕食の準備などをしていくのだとか。私もまだ、姫香の両親に直接会ったことはない。


 何か変だよ。この家族。


 だけど私にどうにかできる問題でもなくて、とりあえず真っ先にしたことは、ルミさんに「もっと晩ごはんの量を増やして」ってお願いすることだった。ルミさんは最初は戸惑っていたみたいだった。なんでも姫香はいつも、ルミさんが作っておいたごはんにまったく手を付けていなくて、いつもそのまま処分されていたらしい。


 でも「成長期なんです」っていう私の説明に納得してくれて、今ではたくさんの料理を作ってくれるようになった。姫香の両親にはかかった経費の明細さえ報告しておけばいいらしくて、上限は特に指定されていないのだとか。それでもいきなり食費が増えたら何か言われるかなって心配したし、私のせいでルミさんが着服してるなんて誤解されたりしないようにちゃんと説明──例えば姫香の両親の前で実際にいつもの量を食べてみせるとか──をしなきゃいけないなって思っていたんだけど、今のところルミさんには何も言ってこないそう。


 なんかそれもどうなのって思うけど。姫香の両親は、それぞれ自分のことにしか興味がないみたいだ。じゃあ、もう遠慮なんかしなくていいかって思って、五合炊きの最新型炊飯器を買ってやった。


 キッチンは炊きたてご飯の香りでいっぱいだ。わくわくしながら、どんぶりとしゃもじを用意する。そして炊飯器の蓋を開けて、深呼吸。この匂い、ボトルに詰めて持ち歩きたい。それならいつでもどこでもくんくんできる。でも昔そう言ったら友達にドン引きされちゃったから、あんまり言わないように気を付けている。


 ルミさんおすすめの粒が大きくてモチモチのごはんを、まず一杯目はそのまま食べる。そしてその間に、ルミさんが作っておいてくれた肉豆腐を温めはじめる。


 姫香の体の中に入ってからそろそろ一か月。

 だんだんわかってきたことがある。


 ここは私がいた世界とは似ているようで違う。言葉や文字も同じだし、生活水準も令和の日本と同じ。でもまず決定的に違うのは、この世界にはスマホがないってこと。私はもともと持っていなかったけど、友達はみんな持っていたし、街で見かける人もそうだった。でもこの世界では、誰一人持っていない。


 肉豆腐をおかずに二杯目を食べる。玉ねぎの火の通り具合が絶妙で、ルミさんマジックのおかげでお肉も豆腐もふわっふわだ。めちゃくちゃおいしい。ルミさん最高。結婚してほしいくらい好き。食べ終わった後は、今度は冷蔵庫から生卵を三個取り出して、小皿にパカパカと割っていく。それを箸でちゃかちゃか混ぜる。


 あと、住所も変だった。姫香が住んでいるここは、京東都と呼ぶらしい。それで日本人ならみんな知っているあの電波塔は、タカイツリーって呼ぶんだって。いや、確かに高いけどさ。


 そういうことをいろいろ知って、こうなる前の状況が状況だっただけに、ひょっとしてここは死後の世界なのかなってことも考えた。でも痛みはちゃんとあるし、ごはんはおいしいし、だからたぶん天国とかではないと思うんだけど。


 三杯目はごはんの上に肉豆腐をのせて、溶き卵をとろーっとかけて牛丼風に。さらにのど越しが良くなって、アレこれドリンクだっけ? ってくらいにするする飲めた。


 ルミさんから「生野菜もちゃんと食べるのよ」って言われたことを思い出して、プチトマトをつまみながら冷蔵庫にたくさん入っている常備菜のタッパーをいくつか取り出す。鶏レバーの甘辛煮とレンコンの白和え、それからこんにゃくのきんぴら。どれもおいしそう。それをおかずに四杯目と五杯目を食べたら、炊飯器の中は空っぽになった。


 五合で五杯、一合(いちごう)一会。

 出会う一杯をめいっぱい味わうのが私のモットーだ。


 私がごはんの量を増やしてってお願いしたのは、ルミさんにとっても利点があったらしい。実はルミさんは結婚前に、料理研究家として活躍していたのだとか。でも今はいろいろあってシンママらしくて、毎朝娘のルナちゃんを保育園に送った足で姫香の家に来てくれているそう。


 ルミさんは、食材費は姫香の親持ちでいっぱい試作ができる。そして私はルミさんの手料理をいっぱい食べられる。ウィンウィンだ。ちなみにルミさんは今、再婚を考えている彼氏がいるらしい。だから私は結婚してほしいくらいにルミさんとルミさんの手料理が好きだけど、ルミさんには幸せになってほしいから、彼氏さんとうまくいくように祈っている。


 本当は平日のみの契約なんだけど、先週の土曜日はルナちゃんを連れて遊びに来てくれた。ルミさんが試作を兼ねて大量に常備菜を作ってくれている間、私はルナちゃんとままごとをして遊んだ。その後、ルミさんが持ってきてくれたたこ焼き器でタコパした。


 いろんな具材があって、どれもこれもおいしくて、両手で竹串を持ってひょいひょい口に入れて食べてしまった。ルナちゃんはそんな私の食べ方を真似しようとしたみたいで、たこ焼きを口に詰めすぎて、えずいちゃって、ルミさんに叱られていた。ごめんね、良くない見本だったよね。反省。


 そういえば姫香は今まで小さい子と接する機会がなかったみたいで、めずらしく気配がざわついていた。説明が難しいんだけど、姫香と私の感情は細い糸でつながっているみたいな感覚で、姫香の感情の揺れは、私も感じることができる。動揺していたけど、悪い感じはなかった。いろいろ問題のある子だけど、更生の余地は充分あると思う。


 あと他に姫香の気配がざわつくのは、琉生がいるときだ。


 姫香は今も、琉生に対してかなりの激情を抱えている。琉生が視界に入ってくるだけで姫香の感情が乱れるから、なるべく彼を見ないように気を付けている。

 たぶん姫香の周りには、間違ったことをしたときに「それは違うよ」って、教えてくれる人がいなかったんじゃないだろうか。親でさえ姫香を放置しているし。それで初めて琉生から指摘されて、キレちゃったんだと思う。でもだからといって姫香が琉生にしたことが正当化されるわけじゃないし、謝ったくらいで許されることでもない。


 今の彼は女子からの人気がすごい。姫香(悪女)に騙されなかった唯一の男子として、好感度を爆上げしているようだ。このまま姫香とは一切かかわらず、楽しい学校生活を送ってほしい。


 炊飯器が空になったので、今夜の晩ごはんはここまでだ。デザートにルミさんお手製のケーキがあるから、勉強が終わったら食べよう。中学の勉強だから楽勝だと思ったのに、姫香の学校は中高一貫校で、私が通っていた中学よりレベルが高い。しかもしょっちゅう教科書やノートやらがなくなるから、授業を受けるのも一苦労だ。


 琉生の正論すら受け入れられない姫香には、今学校で向けられている同級生たちからのむき出しの敵意に耐えることはできないだろう。だから私がこの体の中にいる間に、ちょっとでも姫香の居場所を作ってあげられたらなあって思っている。


 もしかしたらそれが、私がこの世界に来た理由なのかもしれないし。


「感謝しなさいよ、姫香」


 でも案の定、姫香からの反応はなかった。

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