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【検索除外】  作者:
十年前
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5 悲劇の脇役になるはずだった人の違和感①



 姫香の突然の公開懺悔から、俺の生活は再び一変した。


 一度は俺を見限った友人たちが戻ってきて、誤解して悪かったと謝ってきた。そして俺が姫香に付きまとっていると思い込み、一方的な暴力を振るってきた連中は、俺と目が合うと気まずそうに視線をそらすようになった。担任教師や野球部顧問からの誤解も解けた。もう誰からも殴られないし、身に覚えのない罪で糾弾されることもない。


 さらには今まで傍観を決め込んでいた女子たちが、親し気に接してくるようになった。登下校中にすれ違う女子が次々と声をかけてきて、挨拶されたからこちらも返しただけなのに、キャアアという黄色い声をあげられるようになった。休み時間には何人もの女子に代わる代わる呼び出されて、付き合ってほしいと告白されるようになった。以前のように話すようになった友美によると、姫香の本性を見抜いたうえにそれを諫めようとした俺の好感度が、女子の間で急上昇しているらしい。


 姫香に関係なく、以前から特に親しくなかった男子たちさえ、やけに俺を持ち上げるような言動をするようになった。女子からの好感度が高い俺と親しくしておけば、その恩恵にあやかれると考えているのが透けて見えた。


 その一方で、姫香の生活も一変していた。


 あれだけ俺を陥れることに執念を燃やしていた彼女は、今では一切かかわってこない。周囲から完全に孤立し、いつも一人で行動するようになった。謝罪を求められれば素直に謝罪し、暴言を吐かれても言い返さず、じっと耐えている。


 今まで姫香に夢中だった男子たちは、誰もが彼女から距離を置き、陰口をたたくようになった。男子の洗脳が解けたせいか、女子たちはこれまでのうっ憤を晴らすかのごとく、彼女に厳しくあたった。


 そのうち姫香は、忘れ物が多くなった。


 ほとんどの教科で教科書を忘れ、そのたびに教師から小言を言われている。筆記用具を忘れることもしょっちゅうだったし、体育があったわけでもないのに、突然体操服に着替えていることもあった。彼女がいじめに遭っていることは明白だった。


 以前の彼女がこういう目に遭っていたら、必ず誰かが助けに行っていたはずだ。教科書も筆記用具も喜んで貸しただろうし、体操服に着替えた理由もきちんと問いただしたに違いない。なのに今の彼女には、誰も手を貸さない。それどころかそんな彼女を遠巻きにし、あざ笑うようになった。


 学校中の誰もが、彼女は嘘つき女だと知っている。彼女が被害を訴えたところで「どうせまた嘘だろう」と判断されるのがオチだ。だから彼女をいじめても絶対にバレない。最近まで俺に向かっていた学校中の悪意は、今やすべてが姫香に向けられていた。


 自業自得だ、ざまぁみろと思おうとした。けれどもそのたびに、小さな体で土下座をしていた彼女の姿が脳裏によみがえる。


 彼女はなぜ、あんなことをしたのだろうか。姫香の残忍さを誰よりも知っている俺だからこそ、彼女のあの態度は簡単に納得できるものではなかった。


 あのまま彼女が黙っていれば、俺に潔白を証明する手段はなかったのだ。いつものようにはらはらと綺麗な涙を流し、健気に「大丈夫」と笑ってみせれば、とどめを刺せたはずだ。


 あまりにも不自然すぎて、まだ何か企んでいるのだろうかと警戒した俺は、彼女がいじめられていることを知りながら、傍観者になりきった。


 それと同時に、周囲の手のひら返しにもうんざりだった。


 もう誰も心から信用できない気がした。俺はむしゃくしゃする想いを野球に熱中することで発散し、姫香とは今後一切かかわらず、彼女の存在を自分の意識から完全に締め出すことを決意した。


 けれども、そんな決意は思わぬところで揺らぐことになった。



 部活の仲間たちが、試合後の打ち上げと称して焼き肉を食いに行こうと盛りあがるなか、用事があるからと誘いを断った俺は、一人で帰宅していた。


 姫香のせいとはいえ、一度断絶された友情は完全には元に戻らず、俺はチームメイトからも一定の距離を置いたままだった。けれども腹は空いていたため、何か食べて帰るかと、たまたま目についた店に立ち寄った。


 その店はいわゆるデカ盛りで有名なカレーライスの店だったらしく、今まさに誰かが大食いチャレンジをしている最中だった。人だかりができているために挑戦者の姿は見えなかったが、「がんばれ」と声援が飛び交い、かなり盛りあがっている。


 この手の店に来たのは初めてだった。大食いチャレンジがある毎にこんなお祭り騒ぎになるのかと驚き、軽いカルチャーショックを受けた。俺の知らない世界だ。


 注文を取りに来た店員も「騒がしくてすみません」と謝罪しながら「今ね、中学生の女の子が四キロのカレーライスにチャレンジしてるんですよ」と興奮気味に告げてくる。まさか挑戦者が同世代の女子だとは予想もしていなかった俺は、注文したカレーが届くのを待つ間、一体どんな女なのかとのぞいてみることにした。


 そして、絶句した。


 観衆の中心で、自分の肩幅より大きな皿に盛られた巨大なカレーライスを食べていたのは、姫香だった。いつも下ろしている長い髪を無造作にまとめあげ、大きなスプーンを使ってテンポよく食べ進めていく。


 大皿の中身はみるみるうちに減っていく。山盛りのウインナーも唐揚げも、姫香の顔くらいの大きさのカツも、すべてが姫香の小さな体に収まっていく。ついにカレールーもなくなった。だが皿にはまだ小山のような白飯が残っている。


 どうするのかと見ていれば、彼女は白飯をスプーンですくいつつ、それを器用に利用して皿底に残るわずかなカレールーを丁寧にぬぐいとり、花びらのような唇に運び込む。姫香のスプーンが通った後は白くピカピカな皿底が現われ、俺の隣にいたカップルの女の方が「あの子、綺麗に食べるね」と感心したように呟いている。


 これだけの量を食べながら、姫香に苦しそうな様子はまったく見られない。それどころか終始にこにこしていて、そんなにおいしいのかと、見ているだけの俺も、周囲の観衆も、思わずごくりとつばを飲み込んでしまう。


 俺は制服姿の姫香しか見たことがなかったが、私服は意外にシンプルだった。真っ黒なTシャツとジーンズというラフな格好だが、それが余計に彼女の整った顔を際立たせている。さすがに暑いのか汗が光る額やうなじが色っぽく、なのにその豪快な食べっぷりとのアンバランスさに、周囲の人間が魅了されているのが感じ取れる。


 最後の白飯をスプーンですくった瞬間、姫香の長く濃いまつ毛が悲し気に伏せられたためにドキリとする。あと一口で完食なのに、なぜそんな寂しそうな表情になるのかと考えて、ハッと気づく。


 心から、食べることを楽しんでいたのだ。


 姫香にとっては完食の達成感より、目の前のカレーライスがなくなってしまう寂しさの方が大きいのだろう。


 まるで愛しい恋人との別れを惜しむかのように、ゆっくりと最後の一口を口に運んだ姫香は、ごくんとそれを飲み下した。そして鈴を転がすような声で「ごちそうさまでした」と締めくくった。


 次の瞬間、店中から大歓声が沸き起こった。


 店主らしい中年の男がカンカンと鐘を鳴らし、「チャレンジ成功!」と叫ぶ。どうやら完食タイムも大幅に記録更新したらしく、仰々しい金封を手にして「新記録が出ました!」と宣言している。完食すれば食事代が無料になるうえ、この店では記録更新すると賞金を出すシステムだったらしい。


 はにかみながら金封を受け取った姫香は、名前を訊ねられると笑顔で「ナツキです」と答えた。


 一瞬首をかしげたものの、すぐに察する。店内に掲示されているチャレンジレコードにも、『まんぷく太郎』や『無制限胃袋』などのニックネームが記載されていたからだ。店主から漢字記載にするかと問われた姫香は「じゃあ、季節の夏に、(きさき)でお願いします」と、するすると答えている。説明があまりにも自然だったので、いつもその名前でこういうことをしているのだろうかと思った。


 おどけた表情で記録用の写真撮影に応じている姫香が、現在学校で酷いいじめに遭って孤立しているなんて、この店にいる人間は誰一人信じないだろう。


 その後も姫香は店員や居合わせた客たちに囲まれ、笑顔で話をしながら完食特典らしいデザートを食べている。少し前の、学校中の男子の憧れだった頃の姫香を彷彿とさせる人気ぶりだったが、彼女のこんな無邪気な笑顔は、今まで見たことがなかった。

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