4 悪役後輩に転生した人
その日、私はご機嫌だった。
同じスーパーで働いているパートの田中さんが、重箱いっぱいのおはぎを作ってきてくれたのだ。「お彼岸用にたくさん作ったから、夏妃ちゃんにもあげるわね」と、つやつや輝くおはぎたちを見せられた私は、歓喜の悲鳴をあげてしまった。
渡されたのが仕事の前だったから、それからはもうおはぎのことで頭がいっぱいになってしまって、仕事に全然身が入らなかった。そわそわしすぎて失敗やミスを繰り返して、店長から「いいかげんにしなさい」と叱られてしまった。常連のお客さんや仕事仲間は笑って許してくれたけれど、やっぱり社会人としてやっちゃいけないことだった。反省。
私がこの世で一番好きな食べ物は、白米ごはん。もちろん、おはぎも大好物だ。生まれつき食欲が旺盛だったらしい私は、おなかがいっぱいっていう経験をしたことがない。ここ数年は稼いだお金のほとんどを借金返済にあてる貧乏生活をしていたけれど、経済的に余裕があった小学生の頃は、朝と夜に三合ずつごはんを食べていた。
生活費を切り詰めなきゃいけないから、普段はたくさん食べられない。けれども休日には、デカ盛りメニューを出しているお店でチャレンジをさせてもらって、食費を浮かせつつ胃袋を満たしている。近隣の店はすでに制覇してしまっているので、友達が見つけてくれるお店に遠征に行くのが、私の休日の過ごし方だ。
今の職場は高校生のときからアルバイトをしていた縁で、卒業後にそのまま正社員として採用された。仕事仲間はみんないい人で、私がいつもおなかを空かせていることを知っているから、毎日誰かが差し入れをくれる。お給料ももらえて、親切な人たちに助けてもらえて、本当に恵まれた職場だと思う。
仕事が終わった夕方、おばあちゃんと二人で暮らす自宅アパートに歩いて帰る。もちろん腕にはおはぎが詰まった重箱をしっかりと抱えている。更衣室で着替えるときに我慢できなくて三つ食べちゃったけど、まだまだたくさん残っている。
アパートの外階段をあがる私の足取りは軽く、気分も最高だった。しかも今日おばあちゃんは、なんとデートに出かけている。パート先で知り合った少し年上のおじさまで、最近ちょっといい感じらしい。
女手ひとつで私のお母さんを育てたおばあちゃんは、一人娘だったお母さんをいつまでも子ども扱いする癖が抜けなくて、高校在学中に彼氏との間に子供──つまり私──ができちゃったときも、未婚のまま産まれた私を引き取ったときも、いつもお母さんの代わりに苦労していた。
そして新しい彼氏ができるたびに相手に貢いじゃう癖で、すぐにお金が無くなっちゃうお母さんがお金を借りにくるたびに、「今度こそまともな人間になるから」っていうお母さんの涙に負けて、言われるままにお金を出していた。そのお母さんは私が高校入学した年に、どこかの会社社長らしい自分の倍くらい年上の相手と結婚した。そしてその後一切連絡してこなくなった。
そんなこんなでおばあちゃんの元に残ったのは、娘に渡すために借りたお金の返済義務と、娘が置いていった孫娘の私だけ。
幸い、借りた相手が怪しげな金融会社とかヤのつく相手じゃないだけ、まだマシだったかもしれない。だけどおばあちゃんのパートのお給料だけではとても返していける金額じゃなくて、私もバイトで稼いだわずかなお金を全部おばあちゃんに渡して、返済に協力していた。
頑張った甲斐あって、先月借金はすべて返し終えた。次のお給料からは稼いだお金は自由に使えるのだ。アパートの家賃とか生活費は当然必要だけど、自由になるお金が少し増える。だからおばあちゃんにもそろそろ自分の人生を楽しんでほしいし、もちろん私も楽しませてもらうつもりだ。
次のお給料の使い道は、もう決まっている。
新米だ。
そして炊飯器いっぱいのほかほかごはんを、全部ひとりで食べるのだ。想像するだけでうっとりしてしまう。もちろんその夢をかなえた後は、おばあちゃんと一緒に分け合うけどね。
ご機嫌だった私は、帰宅前に降ったにわか雨のせいで、階段が濡れて滑りやすくなっていたことに気づかなかった。あっと思ったときには、私は盛大に足を滑らせて、勢いよく階段から転げ落ちていくところだった。
ごはんのことを考えているとき、私はつい他のことがおろそかになって、周りが見えなくなってしまう。「気をつけなさい」って、おばあちゃんや友達からいつも注意されていたのに。
頭にガツンと衝撃が走って、一瞬目の前が真っ暗になった。死ぬほど痛かったけど、転げ落ちる間に手放してしまった重箱のおはぎの状態が心配で、呻きながら体を起こした。
そして、目を開けて──違和感に気づいた。
築四十年超のアパートの外階段の下に転がっていたはずなのに、私がいたのは明るく光が差し込む綺麗な建物で、学校のような雰囲気の場所だった。しかもそれまで私一人だったはずなのに、見たこともない制服を着た大勢の生徒に囲まれている。
階段の下で座り込んでいる私を、目の前の階段の上にいた男子生徒がショックを受けたような顔で見下ろしていた。そして周囲にいた中学生くらいの生徒たちが、一斉に声をあげた。
「うわああ!」とか「きゃああ!」とか、男子も女子も大騒ぎをしている。自分で移動した記憶もないし、原因もわからないけれど、私はどこかの中学校に紛れ込んでしまったみたいだ。きっと不審者だと思われたに違いない。
怪しい者じゃないですよとわかってもらうため、へらっと笑って頭に手を当てた私は、自分の髪が妙に長いことに気づいた。ショートヘアーのはずなのに、手にあたる感覚は柔らかなロングヘアー。しかも視線を落とせば着ている服も変わっている。仕事帰りだった私は着古したパーカーとジーンズという格好だったはずなのに、真っ白なブラウスとタータンチェックのプリーツスカートという、なんとも可愛らしい制服を身に着けていた。
なんで? と首を傾げた瞬間、頭に激痛が走った。
思わすギュッと目を閉じると、瞼の裏で動画を倍速再生したような映像がザーッと流れていく。誰かの目線で進むその映像では、疲れた表情の男子がこちらを見ていて、「反省した?」と問う可愛らしい声が、見ている私の側から聞こえる。そしていくつかの会話のやり取りがあった後、悲鳴をあげながら階段を転げ落ちるシーンになった。そして、そこで映像が消えた。
そっと目を開くと、階段の上で茫然としている男子が、先ほどの映像の人物だとわかった。つまり今の映像は、この体で今しがた起こったばかりのできごとだ。
判明したのは、それだけではなかった。
この体の持ち主らしい記憶と、どろどろとした感情が、私の意識の中に流れ込んでくる。それによるとこの体の持ち主である白鳥姫香という中学生は、とんでもなくひねくれた悪ガキだったらしい。
そして現在の状況は、階段で立ち尽くす男子生徒──クラスメイトの松任谷琉生──を陥れるために起こした姫香の自作自演で、自分の言いなりにならない彼を懲らしめるべく、階段から突き落とされたふりをして被害者を装い、償いと称して彼を自分の下僕にする計画の真っ最中だったらしい。
けれどもそんな姫香には、誤算があったようだ。
階段から落ちる演技をしてすぐに手すりにつかまる予定だったのに、つかむ直前になって、昨夜念入りに手入れした爪が欠けてしまうかもしれないと一瞬躊躇し、そのせいで手すりをつかみ損ね、結局一番下まで転げ落ちてしまったらしい。
天罰が下ったんじゃなかろうか。
どういうわけか、その痛みを引き受けているのは私だけど。
あまりの理不尽さにひくっと口元が引きつった私のところに、周囲にいた生徒が駆け寄ってくる。助け起こそうと手を差し伸べてくるのは全員男子で、姫香の記憶をのぞけるらしい私には、彼らが全員姫香に騙されていることがわかっていた。
しかも未だ階段で立ち尽くしていた琉生の方にも男子たちが群がり、茫然としている彼に「なんてことをしたんだ」と詰め寄っている。
完全に姫香の筋書き通りだ。
なぜ他人の体に入ってしまったのかわからないし、体中がズキズキ痛むけれど、今すぐ行動しなければ、一人の罪なき少年の人生をめちゃくちゃにしてしまう。
私は手を差し伸べてくる男子たちの輪から抜け出し、床にぺちんと両手をつくと、階段の中ほどで数人の男子に取り押さえられている琉生に向かって勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさい!」と土下座すると、周囲の声がぴたりと止んだ。それを機に、私は姫香の記憶で知った事実を、この場ですべて暴露することにした。
面白半分で同級生たちの彼氏を奪っていたこと、それを琉生にやめろと言われて逆恨みし、彼を陥れるために周囲の人間を扇動したこと。そしてこの階段からの転落も、すべて自分の自作自演だと大声で告白した。
これだけで琉生の名誉が完全に回復するとは思えないけれど、今の私にできるのは、これが精いっぱいだった。
姫香の犯行を全部ゲロったところで再び謝罪すると、周囲からぽつりと声が漏れた。今まで遠巻きに見ていた、女子たちの方からだった。「私も彼氏をとられた」という声が次々あがり、「でも言っても信じてもらえなかった。男子は皆この子の言いなりだから!」と彼女たちの怒りが一気に爆発した。
興奮して声を荒らげる女子たちと、何が真実かわからずに戸惑う男子たち。やがてその憎悪がすべて、私の方に向いたのがわかった。性悪女、とささやく何人もの声が聞こえる。さすがにこれだけの敵意を向けられた経験はなかった私の手が、カタカタと震えはじめた。
けれども姫香のターゲットにされた琉生の受けた仕打ちに比べれば、こんなの全然大したことじゃない。姫香の記憶では、琉生は他の男子から暴力を受けていたようだ。それを知ってなお、姫香は彼を追い詰めようとしていたらしい。
姫香は女だからと容赦されたのかもしれない。周囲にいた生徒はせいぜい暴言を吐く程度で、一切手出しはしてこず、ぱらぱらと離れていった。琉生も友人らしき生徒に連れられて去って行った。残ったのは姫香の体に入った私だけになった。
オーケー、大丈夫。
とにかくあの少年への新たな誤解は防げた。
よろよろと立ち上がった私は、全身の痛みに顔をしかめた。歩けないことはないけれど、とにかく痛い。でも、いつまでもここでうずくまっているわけにはいかない。まだやることがある。
姫香は教師さえも騙していたのだ。
私がいつまでこの体にいるのかわからない。けれどもこのまま成長していけば、この子はろくな人間にならないだろう。姫香の意識が戻ったとき、これまでのような好き勝手ができないよう、徹底的に手を打つことにした。
姫香の記憶を頼りに保健室に向かった私は、そこで応急処置をしてもらいながら、クラス担任と野球部顧問を呼びよせてもらった。そして琉生をハメるために自作自演で階段から転落したことと、これまでのストーキングの訴えが全部嘘だったことを、洗いざらい告白しておいた。




