3 悲劇の脇役になる人
白鳥姫香は、天使の外見をかぶった悪魔。
俺にそれを教えたのは、同級生で幼なじみの友美だった。友美とは長い付き合いだが、他人の悪口を言うような性格ではなかったから、戸惑ったのを覚えている。
友美は中学二年になってすぐに彼氏ができた。なのに姫香には俺と付き合っていると嘘をついたのだという。なぜそんな嘘をついたのかと問い詰めると、友美は「姫香に彼氏ができたって知られて、相手は誰だって聞かれたから、とっさにアンタの名前を出しちゃった」と、訳のわからないことを言いはじめる。まったく意味の通らない説明に俺が文句を言うと、姫香の本性の話になったのだ。
友美によると、姫香はいつも自分が一番じゃなければ気が済まないそうで、誰かに彼氏ができたと知るとすぐに相手の男に言い寄って、奪っていくのだという。
それを聞いた俺はまさかと思ったし、友美にも実際にそう言った。姫香は学校一の美少女で、彼女と付き合いたい男子が大勢いることも知っている。だから彼女持ちの奴がうっかり姫香に惚れてしまっても、なんら不思議ではなかったし、たとえ仲を引き裂く結果になっても悪いのは男の方であって、姫香に非はないはずだと反論した。
でもそんな俺の反応は友美には想定内だったらしく、「別に信じてもらえるとは思ってなかったけど」と吐き捨てた。そして友美は「姫香は相手によって態度を使い分ける天才」だと言い、「近いうちにアンタに接触してくるはずだから適当にあしらっておいて」と、ずいぶん勝手な忠告を寄越して去って行った。
そのときの俺はまだ、友美の真意を測りかねていた。だからたぶん友美の機嫌がたまたま悪くて、彼女に嫉妬していたんじゃないかと思うことにした。
実際姫香は、その可愛さゆえに一部の女子から嫉妬されて、たびたび嫌がらせを受けているらしい。誰が主犯かはわからないし、俺自身はいじめの現場を見たことはなかったが、他の男子が彼女を慰めているところは何度か見かけたことがある。だから俺ももしそういう場面に出くわしたら、彼女を助けてあげなきゃいけないなという正義感はあった。
それくらい姫香は儚げで、思わず守ってあげたくなるような美少女だったのだ。といっても俺と彼女に接点などなく、友美に言われたくらいであの姫香が俺に構ってくるなんて思えなかった。
そんな俺の予想は、早々に覆された。同じクラスになってから一度も話したことのなかった姫香が、友美と話した翌日から急に話しかけてくるようになったのだ。
最初は戸惑ったものの、「今までずっと話しかける勇気がなかった」と言われ「友達になってほしい」と上目遣いで頼んでくる彼女を、適当にあしらうことなんてできなかった。彼女は休み時間のたびに、俺のところにやってくるようになった。
俺が野球部に入っていることや、一年生のときからずっとレギュラーに選ばれていることも知っていて、すごいと思っていたと興奮気味に褒められ、柄にもなく浮かれた。友美や他の女子はまったく乗ってこないプロ野球の話題にも興味を示してくれて、俺が言った用語の意味やルールを知りたがり、それを説明するたびに感心してくれて、「松任谷くんは物知りだね」と笑顔を見せてくれた。
けれども彼女が「こんなにかっこよくて素敵な彼氏がいる友美のことが羨ましい」と言い、「松任谷くんが友美と付き合っちゃう前に、頑張って告白しておけば良かったな」と頬を染めた瞬間、それまでのふわふわした気分が一気に消し飛んだ。
つまり、友美の予言通りだったのだ。
まんまと引っかかってしまった恥ずかしさや怒りもあったが、それより彼女はなぜこんなことをするのだろうという疑問の方が大きかった。これだけ可愛くてモテるのに、どうして他人の彼氏に執着するのかと。
俺は彼女に自分を貶めるような真似をしてほしくなかった。どんな事情があるのか知らないが、彼女がしていることは間違っているし、このままでは彼女自身も幸せになれないと、純粋に心配になった。
だから彼女にありのままの想いを伝えた。「他人の彼氏を奪っても幸せにはなれない」と「自分のためにも今すぐやめるべきだ」と告げたとたん、彼女の表情が消えた。そしてそれまで見せていた、俺に興味があるようなそぶりが一瞬で消え、ゴミを見るような冷めた視線を向けられた。
正直、ぞっとした。
自分より背も低く、体つきも華奢な女の子なのに、底知れない恐怖のようなものを感じてしまった。彼女はそれ以降俺に接触してくることはなくなり、俺たちは話さないクラスメイトという元の関係に戻った。
けれどもそれから数日後、俺は上級生の男子数名に呼び出されて、「姫香に付きまとうのはやめろ」と身に覚えのない言いがかりをつけられた。当然そんなことはしていないし、その場ですぐに否定した。なのに俺が嘘を言っていると一方的に決めつけられて、殴る蹴るの暴力を受けた。
理不尽な言いがかりと暴力に頭にきたし、やり返したかったが、俺には野球部で次の大会のレギュラーを決めるテストが控えていた。もし喧嘩なんてしたとバレたら、レギュラーどころか謹慎だってあり得る。防戦一方の俺に上級生たちの攻撃は容赦なかった。
そこに、姫香本人が現われた。そしてはらはらと綺麗な涙を流しながら「私のためにそんなことしないで」と訴えはじめたのだ。一瞬、彼女が誤解を解きに来てくれたのだと考えた俺は、この直後、姫香の本性を思い知ることになった。
俺に暴力をふるっていた上級生たちは彼女の登場に動揺し、口々に力になりたかったのだと言い訳を始める。それに彼女は「嬉しい」と健気にほほえんで涙をぬぐい「でも先輩たちが怪我をするのは悲しいです」と、全身の痛みでうずくまる俺には一瞥もくれずに、そう言ったのだ。
友美の言葉が頭によみがえる。
姫香は天使の外見をかぶった悪魔。
こいつに関わっては駄目だ。
けれども姫香は、俺を放っておいてはくれなかった。
その後も同じようなことが何度も繰り返された。いつの間にか俺は姫香のストーカーということになっていて、男子のほとんどが俺を非難の目で見るようになった。仲の良かった友人や野球部のチームメイトですら「馬鹿なことはやめろよ」と忠告してくる有り様だった。
何をどうしたのか、学校中の人間が姫香の味方だった。担任教師や野球部顧問からも「白鳥に構うな」と叱責されるようになり、俺は自分が完全に孤立していることを悟った。違うと訴えても誰も信じてくれない。事情を察しているはずの友美でさえも「何もできなくてごめん」と俺から離れて行った。
姫香の機嫌を損ねてからわずか数週間で、俺の生活は一変してしまった。学校へ行くのが毎日苦痛で、あれだけ夢中になっていた野球への情熱もなくしてしまった。
そんなふうにすでにボロボロになっていた俺に、姫香は最後のとどめを刺しに来た。
俺が彼女の行動を諫めたあの日以降、一度も話していなかった姫香が、登校してきた俺を待ち伏せていた。嫌な予感がした俺は彼女から距離を置こうと足を速めたが、彼女はしつこくついてくる。そして校舎の中の階段を駆けあがったところで、俺の腕をガシッとつかんできた。
振り返ると天使のような笑顔があった。こんなに愛らしい彼女が悪魔だなんて、信じてもらえるわけがない。俺は情けないほどに無力だった。
けれども花びらのような唇から告げられた「反省した?」という問いかけが、無気力になっていた俺の怒りを呼び覚ました。そして「松任谷くんがきちんと反省して態度を改めるなら、今の状態から助けてあげてもいいよ」と勝ち誇ったようにほほえむ彼女を見て、殺意すら湧きそうになった。
白鳥姫香は悪魔だ。
俺は「くそったれ」と答えた。「死んでもてめえの言いなりにはならねえ」と言った俺に、彼女はやれやれと小馬鹿にしたように肩をすくめてきた。そして「後悔しろ。ばーか」と、今まで聞いたこともないような敵意に満ちた声で呟くと、そのまま階段から転落していった。
しかも、盛大な悲鳴をあげながら。
驚いた俺はとっさに手を伸ばしたものの間に合わず、彼女は階段下まで転げ落ちていった。それまで周囲に他の人間はいなかったが、彼女の悲鳴を聞きつけた生徒たちが続々と集まってくる。
姫香のストーカーだと言われている俺が階段の上にいて、俺のストーキングの被害者ということになっている彼女が階段下で気を失っている。これがどういう状況か、理解できないほど馬鹿じゃない。「後悔しろ。ばーか」とささやく悪魔の声がわんわんと頭に響く。
ハメられたと知ったときには、すべてが遅かった。




