25 悪役後輩になるはずだった人が望むこと⑤
私の言葉に、琉生が眉を寄せる。
「最初は少し雰囲気が違うと感じた程度だったが、決定打はさっきの焼肉丼を食べ切ったときだ」
「それのどこが変なの? 夏妃ならあれくらい余裕でしょ?」
「夏妃は最後の一口を食うとき、一瞬すげえ寂しそうな表情になるんだよ」
「……どうして?」
夏妃は食べることが大好きなはずなのに。
首をひねった私の前で、夏妃のことを思い浮かべたらしい琉生の表情がわずかに緩んだ。自然体なのに、年齢より大人びて感じるその笑みに少し驚く。
「本人に確認したことはねえから、俺の想像になるんだが。たぶん……飯が無くなるのが悲しいんじゃねえか?」
「悲しい?」
その意味を理解したとたん、思わず吹き出してしまう。
「嘘でしょ……!」
たかが三キロの焼肉丼を完食した程度で達成感を味わっているようでは、夏妃になりきることはできなかったらしい。
夏妃の規格外っぷりに、もう笑うしかない。
そんな私に琉生が訊ねてくる。
「……夏妃のふりをしてたのか?」
その顔からはもう、先ほどちらりと見せた甘さは消えている。
「気に入らない?」
挑発をにじませた私の質問に、琉生は少し考えた後で「いや」と首を横に振った。
「学校の連中のなかで夏妃のキャラが浸透している今、お前が戻ったとしても、当面は合わせておくのが自然だろ。……つーか、お前は姫香なんだよな?」
「そうだよ。ここでさらに別人とか、カオスでしょ」
いくつもの言葉を飲み込むような間のあと、「確かにな」と琉生が呟く。
「ただ、あそこまでやるとは思わなかったし、そもそもお前が他人に合わせるってのが意外だったから」
琉生の反応は予想以上で、予想以下だった。
いつも夏妃の前では落ち着きがなくなってしまう琉生が、ついさっき夏妃のことを考えて浮かべた表情は、私でさえ一瞬ドキリとさせられるほどの色気があった。
なのにそれだけ夏妃のことが好きなくせに、夏妃と入れ替わって戻ってきた私を前にしても、失望や怒りの感情はみせてこない。
最後に琉生と対面したときの表情は今も覚えている。琉生は私のことを心底憎んでいたはずだ。あまりの変わり様に違和感がぬぐえない。だからもう少し試してみることにした。
「あ、そうだ。夏妃から『自分の口で、ちゃんと松任谷くんに謝るんだよ』って言われてたんだった」
「……夏妃は、お前と会話はできないっつってたぞ」
「私から夏妃に話しかけることはできなかったけど、夏妃の声は聞こえてたの。というわけで『ひどいことしてごめんなさい』」
私の軽い謝罪を聞いて、琉生がすっと視線を外す。
「──今はまだ、完全に許したわけじゃないからな。お前がまたああいうことを始めたら、黙っていない」
そう呟いた琉生は「なら、俺たちも合流するぞ」とくるりと向きを変えた。
「合流?」
「二次会に来いって言われてただろ。それに今日の件は、全部お前の手柄だしな」
そのまま歩き始めた琉生の背中を睨みつける。
「──それで、いいわけ?」
抑えたつもりだったけれど、思っていた以上に苛立った声が出てしまった。
「アンタも、あのハウスキーパーも、頭おかしいんじゃないの?」
確かに私は琉生を挑発している。
だけど自分は冷静なつもりだった。
なのに、すごくイライラする。
琉生を挑発した理由は、夏妃に対する想いを言葉にして引き出すためだ。それを夏妃に聞かせれば、何かが変わるんじゃないかと思ったから。
「私、夏妃の声だけじゃなくて、周りの声も聞こえてたの。夏妃が見たものや聞いたものは、私も同じように見たり聞いたりできた」
琉生や、ルミとかいうハウスキーパーが、すぐに夏妃に好意を持ったことは理解できる。それに私の体に入っちゃった、っていう夏妃の説明をあっさり信用したことも。だって夏妃は単純で、人を騙すことを知らないお人好しだから。
「夏妃から私のことを頼まれたとき……どうして引き受けたりしたわけ? 私が自分の体に戻るってことは、夏妃がアンタたちの前からいなくなるってことなのに」
だからこれは本当に理解できなかった。二人とも夏妃とあれだけ親しく付き合っていたくせに、いつか私の体から出ていく前提で行動している夏妃を止めもしなかった。
私に背を向けたまま、琉生が足を止める。
「……決まってるだろ? その体はお前のものだからだ」
「だから何? アンタだって、私より夏妃が残った方が良かったって思ってるんでしょ?」
「夏妃は、お前が戻ることを望んでた」
正直なところ、琉生がここまで頑なになるとは思っていなかった。あれだけ夏妃に執着していたのだから、私を追いやってでも、夏妃を手に入れようとするんじゃないかと思っていたのに。
夏妃がゆうべ、私と入れ替わる直前に叫んだ言葉を思い出す。
『戻って! 今すぐ! でないと私──』
最後の言葉はたぶん「未練が残っちゃう」って、言ったように思う。
夏妃が実際にそう言ったわけではないけれど、夏妃は、きっともう自分は死んでいるんだろうなって思っているような雰囲気があった。
夏妃がどこからやってきたのか、私にはわからない。でもとにかく、夏妃はこことは違う世界から自分の体を持たない状態でやってきて、私の体に入ったのだ。
それにどうして私だったのかもわからない。夏妃がいつか言っていたみたいに、私たちの境遇が似ていたからなのかもしれないし、そんなの全然関係なくて、ただの偶然だったのかもしれない。
それでも夏妃が私のところに来てくれたおかげで、私を取り巻く環境は以前よりずっと良くなった。
そうやって夏妃はずっと、私のために行動してくれていた。
でも、だったら夏妃自身はどうなるの?
「私は望んでなかった」
「は……?」
「こんなこと、頼んでない。夏妃が勝手に押しつけてきたんだよ。こんなことされて、ほんと迷惑」
そう吐き捨てると、琉生が私を振り返る。
「そんな言い方ねえだろ!?」
さっきまでの不自然なほど落ち着いた表情がはがれ、苛立ったように私を睨む琉生の目は赤く染まり、今にも涙がこぼれそうになっていた。
「夏妃はお前のためを思って行動してたんだぞ!」
その反応にホッとした。
けれどもそんなことなんて悟らせないよう、ヒステリックな口調のまま続ける。
「だから、私が頼んだことじゃないんだって言ってるでしょ!」
琉生が夏妃を好きなことは一目瞭然だし、夏妃もきっと琉生のことが好きだ。
なのに互いへの想いを口にしないのは、夏妃には自分の体がないから。私と入れ替わることでしか、表に出てこられないから。夏妃も琉生も、私を利用してまで自分の想いを通すつもりはないのだ。
ままならない状況に、ぎゅっと奥歯を噛む。
私は、あのままでよかったのに。一人で生きていたときより、夏妃を通して見る世界の方が、ずっとずっと楽しかったのに。
そこで、ふと思いついた。
私は計算は苦手だけど、印象操作は大の得意分野だ。どういうふうにふるまえば周囲の同情を得られて、どういうふうにふるまえば思い通りに事を運べるか、知り尽くしている。
ああ、そうだ。
もし夏妃がもう一度私と入れ替わることを望むとしたら、それは絶対に自分のためじゃない。私のために、私と入れ替わらなきゃいけないって考えたときだ。
打開策が見つかって、つい口元が緩んでしまった私に、琉生が怪しむような目を向けてくる。それを無視して、この場にふさわしいキャラになるべく、それらしい口調で話しはじめる。
「……私はずっと夏妃と一緒にいたかった」
鏡でも見ていない限り、私の涙は夏妃には見えない。だけど声に信憑性を持たせるために、ぽろりと涙をこぼしておく。
はらはらと泣き始めた私に、琉生が警戒心を露わにする。
へえ、学習してんじゃん。
それとも、これくらい当然だと言うべきかな。
またここで騙されるような男に夏妃は任せられない。お人好しな夏妃のそばにいたいなら、疑り深いくらいでちょうどいい。
「夏妃が私のために頑張ってくれたことは知ってるけど、でも……私が本当に欲しかったのは──パパとママからの愛情だったの!」
出来の悪いメロドラマのようなセリフを口にした瞬間、私の中で夏妃が動揺したのがわかった。
もう、アンタってほんとお人好しだよね。
私が嘘つき女だって知ってるでしょ。
琉生なんかますます怖い顔してるよ。
コイツ、一ミリも私のこと信用してないもん。
「松任谷くんも、夏妃から聞いてるでしょ? 私の両親、私に全然興味ないの。だから私、夏妃と一緒にいる間、すごく楽しかった。自分の体に戻ったって……夏妃がいなきゃ意味ないよっ」
琉生に打ち明けている体で、夏妃に向かって訴える。ぽろぽろと涙をこぼしつつ、両手で顔を覆うと、私の中で夏妃がますますうろたえている様子が感じ取れる。
「夏妃がルナと遊んでいるのを見てて、すごくうらやましかったの」
話に真実味を出すために、具体例をあげておくことにする。別に本当に羨ましかったわけじゃない。
百パーセント演技や作り話で固めるのではなく、事実っぽいことを織り交ぜて話す方が、相手の懐に入りやすいというだけの話だ。
「私だって夏妃と一緒にごはんを食べたいし、タコ焼きパーティだってしたい。それから一緒にお風呂に入って、馬鹿みたいに笑っ──」
夏妃から同情を引き出せそうなセリフを選んで口にしていただけのはずなのに、なぜか声が詰まりそうになって戸惑う。
「おい、姫香……?」
さっきまで警戒心をあらわにしていた琉生までも、私を気遣うような表情をみせてくるのでイラっとする。
やっぱり騙されてんじゃない。
ばーか、ばーか、ばーか。
私は本気で泣いてるわけじゃないし。
演技してるだけだし。
なのに私の声はますますブサイクになっていく。
「わ、わたじっ、ほんどは夏妃みたいなママがほじがったッ──」
立て直そうとしているのに、ダサい鼻水まで垂れてきた。こんな泣き方、男受けしないから普段は絶対やらないのに。
鼻水をずずっとすすった私に、琉生が声をかけてくる。
「お前、大丈夫か──」
「っ……うっさいわね」
琉生をキッと睨んで、小声で凄む。
「今、アンタにしゃべってない」
「はあ? じゃあ誰に……」
盛大に顔をしかめていた琉生が、次の瞬間、はっと目を開く。
「まさか……今、聞いてんのか?」
私は黙っていただけだったけど、事情を察したらしい琉生の表情が引き締まる。そして私の言葉を待つ態勢になった。
集中しなきゃ。
次の言葉はしっかり夏妃に届けなきゃいけない。
「ねえ、夏妃。私、夏妃に赤ちゃんができたら、そのときに生まれ変わってくるよ」
私がそう言ったとたん、琉生が「はあっ!?」と素っ頓狂な声をあげた。
だからうるさいってば。
動揺しすぎ。
私はこの茶番を、わざわざアンタの目の前で演ってやってんのよ。さすがにアンタへの仕打ちはちょっとやりすぎだったかなって思ってるし、後悔もしてる。
夏妃が私の体で生きていこうとしない理由って、私に遠慮してるからでしょ? だったらそれを取り除いてやればいいんだから。
「だからお願いだよ、夏妃。ずっと私の体にいてよ」
この体、夏妃にあげるから。
夏妃は自分の好きに生きていいよ。
「それで、私が夏妃の赤ちゃんとして生まれ変わるまで、今までみたいにいっぱい話しかけて」
生まれ変わるなんてそんな都合のいいこと、できるかどうかなんて知らないし、できなくたって構わない。
重要なのは、夏妃がそれを信じるかどうかだ。
次の瞬間、視界がグルンと回って驚く。けれどもすぐにゆうべと同じ感覚だと気付いて、それで私の作戦が成功したことを知った。
今まで感じていた外気の寒さや、身につけていた服や鞄の重みが感じられなくなる。どういう仕組みなのか、今も全然わからないけれど、私たちの入れ替わりには夏妃の意志が必要だったみたいだ。
ベッドの上だった前回とは違い、立っていた私の体は一瞬意識を失ったせいで倒れてしまったらしい。けれども私の体は地面に倒れ込む寸前で、琉生に抱きとめられた。




