24 悪役後輩になるはずだった人が望むこと④
その言葉を聞いたとたん、私の中で夏妃の気配が変わったのがわかった。昨日からずっと静かで不安だったから、まだ夏妃が私の中にいるってわかってホッとする。
そしてこみ上げてくる笑いをどうにかこらえる。
そうだよね。
夏妃はこの手の男、嫌いだもんね?
普段はのんびりしているし、滅多なことでは怒らない夏妃だけど、どうしても許せないことや嫌なことはある。自分の食べ物を奪われることと、食べるという行為に対して勝負を挑まれることだ。食費を浮かせるために早食いはするのに、なんで競争は嫌なのかっていうのは不思議だけど。
学校の食堂でもそうだった。夏妃の食べっぷりを知った一部の男子が同じ量のごはんを盛って勝負を挑んできたことが何度かあったけれど、夏妃はいつも相手にしなかった。琉生がそういう男子を追い払っていたこともあって、今はもう挑戦者も現われなくなった。
大学生の後ろには、連れらしい女がぞろぞろと集まりはじめている。ひそひそと話す内容から察するに、この大学生が自分たちじゃなく私に興味を持っている今の状況が面白くないらしい。じろじろと私を観察したり、値踏みするような視線を向けてくる。その態度にムッとする。
夏妃は勝負を挑まれることが嫌いだけど、私はバカにされたり見下されることが嫌いだ。
以前の私ならこういうとき、ぽろぽろ涙を流して周囲の同情をかい、相手の女に格の違いを見せつけていた。弱々しく頼れば、いつも周りの男子が何とかしてくれたから。でも今はすでに大食いする姿を皆に見せてしまっているから、その手は使えない。
夏妃のポリシーと自分のプライドの狭間で迷っていた私に、大学生がさらに提案してくる。
「なら……俺に勝ったら、俺の分の保証金をキミにあげるって言ったらやる気出る?」
「え?」
「さっきキミたちのやり取りが聞こえちゃったんだけど、チャレンジの保証金、お友達が出し合ってくれたんでしょ? 俺に勝ったら、キミの保証金は倍になって戻ってくるよ」
その言葉に私の周りのクラスメイトが「倍!?」とざわつき、大学生のとりまき女たちが「それって匡にメリットなくない?」と不服そうな声をあげる。
「俺は構わないよ。勝負さえできればいいから。」
つまり競争じゃなくて、賞金がかかったいつもの早食いと同じだと考えればいい。それなら夏妃も乗ってくるはず。
「──やります」
私が勝負を受けると、クラスメイトたちが再びわあっと盛りあがった。けれども琉生だけは少し驚いたような顔で私を振り返ってくる。学校の食堂での夏妃の態度を知っているから、意外だったのだろう。「いいのか?」と気遣うようにささやいてきたので、「うん」と頷く。琉生の様子からは、まだ中身が私だとは気づいていないみたいだ。
私たちのテーブルと大学生たちのテーブルは、ちょうど通路を挟んだ向かい側だった。店のスタッフも二人同時にタイムを取った方が、手間が少なくて助かるのだろう。競争したいという大学生の希望を受け入れて、三キロの焼肉丼がそれぞれのテーブルに並べられた。
私たちが今日予約したのは団体利用の二時間ランチコースで、すでに時間は始まっている。なのに誰もが自分たちの食事もそこそこに、勝負の方に注目している。
大学生が店のスタッフに声をかける。
「生卵三個、追加お願いします」
「追加分はチャレンジとは別に料金をいただきますが、いいですか?」
「はい。──夏妃ちゃんはどうする?」
通路の向こう側からにこっとほほえんでくる大学生に「要りません」と答える。
「へえ? 卵使わないんだ?」
たぶん生卵を使って飲み込みやすくする作戦なのだろう。私でもそれが有効な手段だということはわかる。だけど私は夏妃がいつもやっている食べ方を試してみたかったから、最初にクラス全員分まとめて注文してあった、かまど炊きごはんの茶碗を引き寄せた。
もちろん大盛りだ。
「え、姫香? それも食べる気?」
私の隣にいた友美がぎょっとしたように声をあげる。
「今から焼肉丼を食べるんでしょ? なのになんで……」
「最初はお肉が続くでしょ。だからごはんが欲しくなると思うから」
私たちの会話を聞いた店員が「あの、そこの取り皿を使ってもらっていいんですけど」と戸惑ったように伝えてくる。それに「はい。でも大丈夫です」と返す。
今まで夏妃と一緒に行った店でも、こういうおかずを高く積み上げるタイプのチャレンジメニューには、崩して食べられるように取り皿が置かれていた。けれども夏妃は一度もそれを使ったことがない。移し替える作業に時間を使うくらいなら、ごはん部分に到達するまで、追加注文したごはんを食べるのが夏妃のやり方だ。
あと、本当に一円も使わずに食事を終えていくのが申し訳ないから、せめてごはん代だけでもっていう気持ちもあったみたいだ。
そんな私に大学生はくすくす笑いながら「お手並み拝見だね」などと呟き、とりまきガールズたちは相変わらず敵意のこもった視線を向けてくる。
……確かに、いろいろ面倒かも。
夏妃が勝負を嫌がる理由が少しわかった気がする。
「えっと、じゃあ用意はいいですか?」
大学生のところに生卵が届いたのを見て店員が確認する。それに私たちが「はい」と答えると、店員が頷く。
「では……スタート!」
通路の向こう側で卵を割ってかき混ぜている音を聞きつつ、まず最初に一番上に乗った肉を箸でつかむ。焼肉丼は夏妃の好物の一つだから、何度も経験している。ぱくっと一口で頬張ると、柔らかなお肉が口の中でとろけて、肉汁がじゅわっと広がっていく。
……なにこれ。
すっごくおいしい。
あまりのおいしさに思わず目を開く。夏妃と一緒に経験しているとはいえ、味や食感まではわからなかった。だから私にとっては三カ月ぶりの食事になる。それ以前にももちろん食事はしていたけれど、何を食べていたかなんてろくに覚えていない。けれどもこんなに食事をおいしいと感じたのは、間違いなく初めてだ。すぐに次の肉に手が伸びる。
五、六枚ほど肉を食べたところで、ごはんが欲しくなってくる。だから夏妃がずっと楽しみにしていた、かまど炊きごはんを一口ぱくりと頬張った。
夏妃、ごめんね。
アンタがあんなに食べたがっていたのに。
でも……すっっごく、おいしい!
ごはんを食べれば、またお肉が欲しくなる。それを繰り返しているうちに、茶碗が空になってしまった。けれども焼肉丼の方はまだごはんにたどり着いていなくて、配分を間違えたことに気づいて焦る。
しまった、つい夢中になってしまった。
追加でごはんを頼めるだろうか。
だけどそれを待っている時間が惜しい。
そのとき誰かが空になった私の茶碗をさっと奪い取って、代わりに新しいごはんと交換してくれた。ハッとして顔を上げると、琉生が私を見下ろしていた。
「俺の分、まだ手ぇつけてねえから」
さすがにいつも夏妃のそばについているだけあって、すぐに事情を察してくれたらしい。
「足りなくなったら、他の奴の飯もらってくる」
「姫香っ、私の分も食べていいからね」
琉生の言葉を聞いた友美が、自分のごはんを差し出してくる。これだけあれば大丈夫だろう。二人にお礼を言おうとしたけれど口の中がいっぱいで、頷き返すだけになってしまった。そんな私に、琉生や友美から苦笑めいた優し気な表情が向けられる。
ほんの数か月前は、琉生のことも友美のことも大嫌いだった。なのに今は二人とも、私に味方してくれている。
これも夏妃のおかげだ。
何となく今、夏妃も応援してくれているように感じるのは、私の気のせいだろうか。
琉生の分を食べ終わり、友美からのごはんに少し手を付けたところで、ようやく丼の中のごはんが見えてきた。けれども下に敷かれていたごはんには、垂れた肉汁や、タレがたっぷりしみ込んでいる。そのためごはんを食べているのに、さらに白いごはんが欲しくなるという奇妙な状態になってしまう。
箸からスプーンに持ち替えて、汁がしみ込んだ柔らかいごはんをおかずに、友美からわけてもらったかまど炊きごはんを食べる。そんな私に周囲がざわつく。
「嘘だろ? 飯で飯食ってんのかよ」
「姫香、アンタほんとイカれてる……」
クラスメイトだけじゃなく、とりまきガールズの方からも「嘘でしょ」と怯えたような声が聞こえてくる。
そりゃ、そういう反応になるよね。
私はすっかり慣れちゃったけど。
大学生は食べることに集中しているせいか何も言わない。私も自分の食事に集中する。それに私の予想通りなら、そろそろ何らかの仕掛けが現われるはずだ。
ごはんをすくっていたスプーンの先に何かが当たった感覚に気づいたとき、大学生のテーブルの方から、とりまきガールズたちが「えっ!?」と騒ぐ声が聞こえてきた。つまり向こうも私と同じペースで食べ進めているようだ。
私の周りにいたクラスメイトたちも、私がごはんの中から取り出したものに気づいてぎょっとする。
「……え、何それ?」
「げっ、ジャガイモっ!?」
ごはんの中に埋められていたものは、じゃがバターだった。
周りの皆は驚いているようだけれど、想定内だった私はそのまま食べ進めていく。ごはんと同じくジャガイモにも肉汁やタレがしみ込んでいて、思ったより柔らかくて食べやすい。でもやっぱりごはんが欲しくなる味だったから、友美からのごはんの残りを食べつつ、ジャガイモを食べ進める。
夏妃が食べていたチャレンジメニューの中には、丼の中にちまきとか餅とか、唐揚げとかハンバーグとか、さまざまなものが隠されていた。さすがに初めて見たときはびっくりしたし、かなり引いたけれど、これも夏妃のおかげですっかり慣れた。だから今回も絶対何かあるって確信していた。
山盛りだったお肉も、隠されていたジャガイモもなくなって、どんぶりの底に残った最後のごはんをすくいとる。そしてそれを頬張った瞬間、言いようのない達成感に満たされる。
信じられない。
私も夏妃みたいにできちゃった。
夏妃、見てる?
私、こんなにたくさんのごはん食べたの初めてだよ。
これでちょっとでも、夏妃に近づくことができただろうか。
「ごちそうさまでした」
私がそう言ったのとほぼ同時に、向こうのテーブルでもとりまきガールズたちが「わあっ」と歓声をあげた。お店のスタッフが、茫然とした様子でタイムを告げる。
「18分35秒……同時です」
引き分けか。ちょっとがっかりだ。夏妃ならもっと上手に、しかも速く食べられただろう。でも初めての挑戦だったし、時間以内には完食できたからおおむね満足だ。
お店のスタッフもかなり驚いているみたいだし、もしかしたら私、結構頑張ったんじゃない?
「いや、俺の負けだよ」
向こうのテーブルで立ち上がった大学生が、やれやれと肩をすくめる。
「だって彼女、俺よりたくさん食べたでしょ? 約束通り俺の分の保証金は彼女に返しておいて」
店員にそう告げてこちらのテーブルに歩いてきた大学生は、私の前に積まれた三杯分の茶碗に目を向けて苦笑する。
「こんな食べ方する人、見たことないよ。完敗だ。クラスメイトと楽しんでいた時間を邪魔してごめんね。コレ、二次会の足しにでもしておいて」
そう言って自分の財布を取り出して、一万円札を数枚テーブルの上に置いた。
「じゃあね」
とりまきガールズを連れて店を出ていった大学生の後姿を見送っていた私に、周囲の女子が次々と飛びついてくる。
「姫香すごいじゃん!」
「わっ?」
「めちゃくちゃかっこよかったよ!」
「大学生に勝っちゃった!」
調理実習のときとは違って、今回は女子だけでなく、男子も大喜びして興奮を抑えきれない様子だ。そして夏妃が中学時代につけられたとボヤいていたのと同じ、吸引力の変わらない高性能掃除機のあだ名をつけられてしまった。
でも夏妃と一緒だと思うと、くすぐったいような気分になる。
その後はようやく皆で焼き肉を楽しんだ。話題のほとんどはさっきの早食い対決のことで、ごはんでごはんを食べた私はますます珍獣扱いになってしまった。大学生が私を『夏妃』と呼んでいた理由も聞かれたから、大食いチャレンジをするときの名前だと説明しておいた。実際夏妃は私の体で『夏妃』と名乗って、いろんなお店のチャレンジメニューを制覇してきたわけだし、ほぼ事実だろう。
思わぬ臨時資金が手に入ったから、予定にはなかったけれど、せっかくだから二次会もやろうかと盛りあがる。以前のようにちやほやされているわけじゃないし、それどころか珍獣扱いだけれど、下心も敵意も嫉妬もない純粋な好意を向けられるのは心地よかった。
でも、ここに夏妃はいない。
私のことをいつでも一番に考えて、私のために行動してくれた夏妃がいない。
そしていつも夏妃にべったりだった琉生が、早食い対決の後から一度も話しかけてこず、離れた席からじっと私の様子をうかがっていることにも気づいていた。
あっという間に時間が過ぎ、会計を終えて皆と一緒に外へ出る。二次会はカラオケにしようかと話しているなか、そっと近づいてきた琉生が声をかけてくる。
「ちょっと、話せるか?」
きたか、と思う。
ほんのちょっとだけ、二次会に参加したかったなと思う。でもそろそろ夏妃のふりをするのもおしまいだ。今までしたことのないことをたくさん経験して、充分に楽しんだ。
移動を始めたクラスメイトたちに、琉生が「先に行っててくれ」と告げると、とたんにブーイングが起こる。
「まさか、二人だけで抜けるつもりかよ」
「今日はクラスの集まりだって決めただろ」
「違えよ。すぐ追いかける」
文句を言う男子たちは琉生に追い払われ、興味津々といった視線を向けてくる女子たちもやがて離れていった。
二人きりになり、私を振り返ってきた琉生は、神妙な顔をしていた。
「お前……夏妃じゃねえな?」
そう訊ねてきた琉生に向かって、わざと高圧的に返す。
「へえ、やるじゃん。いつわかった?」




