23 悪役後輩になるはずだった人が望むこと③
朝になっても、私と夏妃は入れ替わったままだった。
洗面所で顔を洗いながら、久しぶりに自分の顔をチェックする。
「夏妃。アンタ、全然眉の手入れしてなかったでしょ」
ぶつぶつ文句を言いながら、余分な毛を抜き、ハサミで形を整えていく。夏妃はいつも朝ごはんに時間をかけるせいで、身支度はごく短時間で済ませていた。
「あー、もう。肌もカサついてるし」
丁寧に顔を洗い、すっかり棚の奥に追いやられていた美容液を取り出す。そして私の体の手入れをほとんどしなかった夏妃に対して、ひたすら文句を言い続ける。
「そりゃ、私はもともと美少女だけどね、それでも日ごろの手入れってものが必要なのよ。わかる? アンタみたいにばしゃばしゃ水で洗っておしまいじゃ、きちんと手入れしてる平凡女に負けちゃうじゃない」
ついでに確認した手も、乾燥していてカサカサしている。爪切りで切りっぱなしの短い爪からは、私が手入れしていた頃の艶もすっかり失われているし、指先にはささくれまでできていた。
「いくら食べることにしか興味のないアンタでも、寝る前にちょっとクリームを塗るくらいできるでしょ。ホントに、もうっ」
部屋に戻って、今日着ていく服を考える。
私の部屋のクローゼットには、パパやママから送られてきた服がぎっしり詰まっている。なのに休みのたびにいろいろな店を回ってデカ盛りメニューにチャレンジしていた夏妃は、いつもシンプルなシャツやセーターに、ジーンズを合わせていた。
今日はクラス全員が集まる日だ。以前の私なら男子受けのいい清楚なワンピースを選んでいたと思う。けれども夏妃は間違いなく男子の目なんか気にしないし、可愛さより機能性重視で選ぶだろう。
でもさすがにTシャツとジーンズで出かけるのは私が我慢できなかったから、シンプルなボルドーのセーターとブラックジーンズに決めた。これでも私にしては、かなり妥協している。そして間違いなく男受けしない服。琉生は夏妃が女子っぽい服を着てくることを期待しているのだろうか、と考えてすぐにかぶりを振る。
だって、夏妃だよ?
琉生もわかっているはずだ。かまど炊きごはんや焼き肉に気を取られて、その後に琉生と会うことをすっかり忘れていることくらいは覚悟しているだろう。
でもゆうべの夏妃はちょっと様子が変だった。
「──ねえ、夏妃」
もし私の予想が当たっているのなら、夏妃はきっと──
「松任谷琉生のこと、好きになっちゃった?」
クローゼットの扉にくっついている全身鏡の前で、自分の顔に向かって問いかける。
けれども夏妃からの反応はない。
夏妃は私の感情が高ぶっているとき、「姫香の気配がかわる」と言っていた。けれどもゆうべから夏妃の気配はとても静かだ。私の中にいるのかさえ自信がなくなってくる。
家に一人でいることには慣れているつもりだった。
けれども今はしゃべり続けていないと寂しくてたまらない。
「アンタ、髪も適当だったでしょ」
私の声は夏妃に届いているのだろうか。
ドレッサーの前で髪をとかしながら、とにかくしゃべってしゃべってしゃべり続ける。
「まあ、学校ではずっと下ろしてたみたいだけど。それ以外は『ごはん食べるときに邪魔だ』って言って、オバサンみたいに一本に結ってたでしょ。しかも黒ゴム。ホントありえない」
ドレッサーの引き出しを開けて、ゴールドとシルバーが混ざり合うデザインのバンスクリップを取り出す。たぶんママの部下が選んだ物だ。今まで使ったことはなかったけれど、結った髪にばちんと挟むだけでお洒落度がアップするから、夏妃でも使いこなせるはずだ。
「いい? こういうヘアクリップを使えば、アンタみたいな不器用女でもそれなりにまとめ髪が作れるから覚えときなさい」
夏妃は私の代わりに同級生たちに頭を下げていた頃、私に対して年上ぶって説教してくることが多かった。最初はうるさく思っていたけれど、今はあの頃のやりとりが恋しくてたまらない。
朝ごはんは抜いておくことにした。
クラスメイトの前で、夏妃みたいにたくさん食べられるかどうかわからなかったし、朝ごはんに用意されていたしぐれ煮は、ハウスキーパーが夏妃のために作っていったものだから。
◇
現地集合だった焼き肉の店に着くと、奥のテーブルを四つほど陣取る形で、すでに多くのクラスメイトが集まっていた。
私の姿に気づいた友美が「姫香っ」と大きく手を振ってくる。そして近づいていった私の腕をとって、「こっちだよ」と、女子が集まるテーブルの中ほどに誘導する。以前ならあり得なかったことだ。
コートを脱いだ私に、友美といつも一緒にいる女子が眉を寄せてくる。
「クリスマスイブだよ。もうちょっとお洒落してきなさいよ」
確かに他の女子は、それなりにめかしこんでいるみたいだ。以前の私なら馬鹿にされたと思ってムッとしていただろう。だけど夏妃ならきっとこう返す。
「えー、でもこれなら焼き肉のタレがついちゃっても大丈夫でしょ?」
そう言ったとたん、私の周囲にいた女子が吹き出す。
「もーっ、アンタはホントに!」
「猫かぶりやめてからの落差がひどすぎる」
「あ、でもそのバンスクリップ可愛い」
「ホント。近くで見せて」
女子たちとわいわい話していると、琉生が「姫香」と呼びかけてくる。
「女子、全員そろったか?」
「待って、今数える」
「あと会費もよろしく」
「わかった」
私と琉生の会話を他の女子も聞いていたから、誰もが進んで会費を持ってきてくれる。それを集めて、同じく男子の方の会費を集めていた琉生のところに持っていく。そして夏妃っぽい口調で話しかける。
「女子14人、全員そろってたよ」
「サンキュ。こっちも16人、全員そろった」
振り返って私を見下ろした琉生が、ふと私の顔を見て視線を止めたのでぎくりとする。
中身が私に戻ったって、気づいただろうか。
けれども琉生は、何事もなかったかのように私が集めた会費を受け取った。そしてわずかに視線をそらして「髪型が違うだけで、すげえ雰囲気変わるんだな」と呟いた。
ばーーーーか。
中身が変わってんのよ。
もしかしたら琉生は、会ってすぐに気付くんじゃないかと警戒していた。でも私も夏妃のキャラクターに合わせているわけだし、琉生を責めるのは酷かもしれない。「そうかな?」と軽く返した私は、「女子の方の注文まとめてくるね」と言って琉生から離れた。
以前の私なら面倒なことは人任せだった。上目づかいで頼めば、周囲の男子が全部やってくれたから。
けれども夏妃が大食いを披露した後、クラスの男子の態度があきらかに変わっている。以前は私の機嫌をうかがいつつちやほやしてきたのに、今やすっかり珍獣扱いだ。
「なあ、姫香。コレ食えば?」
女子からの注文を聞いていた私に、隣のテーブルの男子が壁に貼ってあるポスターを指さしながら声をかけてくる。
そこにあったのは、焼肉丼のデカ盛りチャレンジメニューだった。私と同じくそのポスターに気づいたクラスメイトたちがざわつく。
「焼肉丼、三キロ?」
「え、三キロってどれくらい? よくわかんないんだけど」
「三十分以内に食べきったら無料だって!」
「姫香、やってみれば?」
昨日、女子だけで出かけたときも、皆夏妃の食べっぷりを見たがっていたから、今日もこうなるだろうなってことは予想していた。
それに私自身、一度やってみたいと思っていた。
だって夏妃があんまり楽しそうに食べるから。
そう考えたとたんに、また寂しさがこみあげてくる。夏妃はもう、このままいなくなっちゃうつもりなんだろうか。
「姫香?」
また落ち込みそうになっていると、いつの間にかそばに来ていた琉生が怪訝そうに顔をのぞき込んでくる。
「どうかしたのか?」
「ああ、えっとね。チャレンジしたいけどお金足りるかな、って思って」
「食いきれねえかもってことか?」
「ううん、そうじゃなくて。こういうのやるとき、『食べきれなかったらちゃんと払いますよ』っていう意味で、食事代をベットしとかなきゃいけないんだ」
夏妃と一緒にたくさんのお店をまわってチャレンジメニューを体験してきた私がそう言うと、琉生が「へえ」と驚いた顔をする。
「そういうルールがあるんだな」
「全部がそうじゃないとは思うけど。でも私はほら……見た目がコレでしょ? お店の人が心配するんだよね」
そう言って自分の体を見せるように両腕を広げると、琉生だけでなく周りのクラスメイトも納得したように頷く。そして最初にポスターに気づいた男子が、自分のポケットから財布を取り出す。
「なら、俺、少し出すわ」
「じゃあ、俺も」
「え、面白そう。私もちょっと出すよ」
あっという間に小銭や千円札がテーブルに積み上げられていく様子に苦笑する。
「ありがたいけどさ、私が完食してもチップは倍にならないよ?」
そう念押しした私に、「いいよ。アンタの食べっぷりが見たいだけだから」と口々に期待を込めた返事が返ってくる。誰もが『姫香』に期待して、自分の持ち金を賭けてまで『姫香』が食べる様子を見たがっている。
全部、夏妃のおかげだ。
夏妃は私がいつ自分の体に戻ってもいいように、私が辛い思いをしなくて済むように、いつも私のことを考えてくれた。また感傷的な気分になりそうになって、思い出す。
いや、そうでもないな。
ごはんのことを考えているときは、私のことも忘れていたかも。あの調理実習のときだって、周囲には悪意が満ちていたのに、夏妃は全然気づいていなかった。自作のとんかつソングなんか口ずさんで、ただのくいしんぼうだったし。
そんなところも含めて、私は夏妃のことが大好きだった。
「じゃあ、やる」
私がそう言ったとたん、クラスメイト達からわあっと歓声があがって、周囲のテーブルの客が何事かと振り返ってくる。そして全員分の注文と一緒にチャレンジメニューを頼んだところで、誰かが声をかけてきた。
「キミ、『夏妃』さんだよね?」
「えっ……!?」
まったくの不意打ちで夏妃の名前が出てきて、すごくびっくりした。
ぱっと顔を上げると、若い男が一人、私たちのテーブルのそばに立っていた。学生風だけど雰囲気が落ち着いているし、大学生だろうか。すらりと背が高くて、インテリっぽい眼鏡の下の顔立ちはかなり整っている。そのせいか、私の周りの女子が「え、すごいイケメン」「姫香の知り合い?」と、ざわつき始める。
そんな反応を気にすることもなく、インテリ眼鏡男が私にほほえみかけてくる。その笑みに強烈な同族嫌悪を感じてしまう。この男は自分がイケメンだってわかっていて、自分の笑顔にどれだけの威力があるか充分理解しているタイプの人間だ。
しかも夏妃の名前が出てきた時点で、私の警戒心は跳ね上がっていた。知らないと突っぱねたかったけれど、最近、夏妃が私の体で知り合った誰かかもしれないと思って、相手の出方を待ってみる。
「俺、京東大学二年の松田匡と言います」
名乗られてもやっぱり記憶にない。一流の大学名にクラスメイト達が再びざわつくなか、どう対応するべきか迷っていると、すかさずそばに寄ってきた琉生が自分の体で私を隠す。琉生の身長は松田とかいう大学生とほぼ変わらないくらいだけど、肩幅や体の厚みがあるぶん、琉生の方が大きく見える。
今になって気づいたけれど、琉生は三か月前よりずいぶんたくましくなっている気がする。
「すみません。俺たち、今クラスの集まりで来てるんで」
だからナンパならよそでやれ、と言わんばかりに威嚇する琉生に、大学生が苦笑する。
「わあ、キミ大きいね。引率の先生かと思ったよ。ごめん。俺、怪しい者じゃないんだよ。だけどそこの彼女にどうしても確認したくて」
琉生の体の向こうから、大学生がひょこっと顔をのぞかせてくる。
「『カレーハウス松田』で新記録出した、『夏妃』さんだよね?」
「え……?」
二か月くらい前に夏妃と一緒に行った店だ。あの店は完食無料だけじゃなく賞金までもらったから、よく覚えている。
「どうして私のこと……?」
「店内に掲示されていた写真で見たんだ。こんなに小柄な女の子だとは思わなかったけど。ちなみに俺は『無制限胃袋』です」
は? どういう意味?
いっぱい食べますよ、ってアピール?
ずいぶん変わった自己紹介だ。
ますます混乱していた私のそばで、なぜか琉生が「あっ、あなたが……」と声を漏らした。
「松任谷くん、知り合い?」
確認した私に、琉生がはっきりしない返事を返してくる。
「あ、いや……名前だけ一方的に知ってるっつーか」
「ひょっとして、店内のチャレンジレコードで俺の大食いネーム見た?」
「……ええ、そうです」
「俺の記録、夏妃ちゃんに抜かれちゃったんだよね」
「ああ、そういうことですか……」
私を差し置いて、なぜか琉生と大学生だけが納得しあっている。そして大学生がにっこりとほほえんでくる。
「夏妃ちゃん。よかったら、俺と勝負してくれませんか?」




