22 悪役後輩になるはずだった人が望むこと②
お風呂から上がったあと、帰宅するハウスキーパー親子を見送った夏妃は、私の部屋のベッドに寝転びながら電話をかけた。
相手は松任谷琉生だ。
『はい、松任谷です』
受話器から女の声がする。琉生の母親だろうか。
「こんばんは。私、琉生くんのクラスメイトの白鳥姫香と言います」
『白鳥姫香さん?』
「はい。琉生くんは──」
突然、受話器の向こうが騒がしくなる。
『母さん!? なんで勝手に出てんだよ!』
『え、ちょっと琉生? 何なのアンタ?』
『俺が出るって言っておいただろ!』
どうやら琉生は、夏妃から電話がかかってくるのをずっと待ち構えていたらしい。以前の琉生は周囲の同級生より落ち着いていて、取り澄ましている印象があった。けれども最近夏妃の前ではいつもこんな感じだ。
『──あー、もしもし? 夏妃?』
「なんだか賑やかだね?」
くすくす笑う夏妃に、琉生がぼそぼそと応える。
『こっちからかけ直す。一旦切るぞ』
「別にいいのに」
『すぐかける』
そう言ってぷつりと切れた電話口で夏妃が「律儀だねえ」と笑う。どうして琉生があれだけバタバタしていたのか、夏妃は全然わかっていない。完全に琉生の一方通行だ。
直後に琉生から電話がかかってくる。
『悪い、待たせた』
「全然。電話くれたって聞いたけど、何かあった?」
『いや、何かっつーか……今日、クラスの女子たちと出かけたんだろ?』
「うん」
『問題はなかったか?』
「大丈夫だよ。心配してくれてたんだね。ありがとう」
またいじめや嫌がらせが始まっていないか、気になって電話をかけてきたらしい。
「いや、別に……その、とにかく何かされたわけじゃなければ、それでいい」
もごもごと呟く琉生に、夏妃が明るく説明する。
「すっごい大きなパフェをみんなで食べたんだ」
『へえ、どんなやつ?』
「フルーツ、どんっ! ケーキ、どんっ! アイスクリーム、どんっ! って感じ」
『……何だよそれ』
「とにかく大きかった」
夏妃は食べることは好きなくせに、コメントは下手だ。あのハウスキーパーも最初のうちは料理の感想を聞きたがっていたけれど、食べることに集中しちゃって何を出しても「おいしい」としか言わない夏妃にコメントを求めることはあきらめたようだ。今は「夏妃はただモグモグしてくれるだけで作り甲斐があるからいいよ」って言うようになった。
そんな夏妃のいいかげんな報告に琉生が苦笑する。
『楽しかったか?』
「うん」
『……良かったな』
この二人も、ほんの三か月前までは他人だったはずだ。
夏妃が琉生に協力を求めたのは、私のためだってわかっている。けれどもさっきのハウスキーパーとのやり取りを聞いていたときと同じく、なんとなくモヤっとする。
琉生も、私の体に入っている夏妃を名前で呼ぶ。そして夏妃に協力するという口実で、いつも夏妃と一緒に行動している。
琉生は真面目で面白みのない男子だった。
背が高くて見た目も悪くなく、表立ってはモテないものの、影でひそかに好感度が高いタイプ。けれども男子同士で集まっていることが多くて、同じクラスになっても私に関心を示さなかった。だからこっちも特に相手にはしなかった。
なのに友美と付き合い始めたと知って、むかっとした。女に興味なさそうな態度をとっていたくせに、よりにもよって友美を選ぶなんて。友美は私とは正反対の女子だ。ガサツなだけのくせに「サバサバしてる」とか言われて、女子からも男子からも好かれている。琉生も友美も両方目障りだったから、二人の仲を壊してやろうって決めた。
私が愛想良く声をかけてあげれば、琉生はすぐに他の男子と同じような反応をした。ああ、コイツもただの馬鹿じゃんって思って、すぐに興味を失った。だからちょっと遊んだらバイバイするつもりでいたのに、あろうことか琉生は私に対して偉そうにお説教をしてきたのだ。
すごく頭にきた。
琉生からしつこく言い寄られていて怖いって訴えたら、たくさんの男子が私の味方についてくれた。琉生は上級生から殴られたり、友達や部活仲間からも見限られて、日に日に生気を失くしていった。私に偉そうなことを言っていたくせに情けなく落ちぶれていく様子が、最高におかしかった。
けれどもさらに追い打ちをかけてやろうとしたとき、夏妃が私の体に入ってきたのだ。
あれだけ惨めな状態だった琉生は、今や女子からの人気が急上昇していて、男子からも一目置かれているみたいだ。さぞかし天狗になって調子に乗っているだろうと思ったし、立場が逆転したから、絶対に私に報復してくると思った。
なのに琉生はいじめには参加してこなかったし、それどころか私のせいでいじめを受けていた夏妃を、身を挺してかばってくれた。正直、予想外の行動だったから驚いた。
あの頃、夏妃が受ける被害は段々エスカレートしていて、なのに夏妃はそれでも学校に行くのをやめないし、さすがに私ももうやめてって何度も思った。だから夏妃を助けてくれたことについては、ありがたいと思っている。
ただ、自分が琉生にしたことは覚えているし、琉生が私を許していないことも知っている。だから本当に琉生は夏妃の味方なのか、それともやっぱり私に復讐するために夏妃の話を信じたふりをしているのか、ずっと不安だった。
けれども琉生は夏妃が掃除用具倉庫に閉じ込められたときも、すぐに異変に気付いて助け出してくれたし、私がうっかり見せてしまった過去の記憶のせいで夏妃を泣かせてしまったときも、夏妃のそばについていてくれた。いくら「夏妃は悪くない」って叫んでも、私の声は夏妃には届かなかったから、泣き止ませてくれてホッとした。
もう、琉生に対して以前のような憎しみは持っていないし、本当に夏妃を護ろうとしてくれていることもわかっている。
だからこそ、琉生は私と夏妃の関係をどう考えているのか気になる。私の面倒をみるとか夏妃に約束しているけれど、本当に納得しているのだろうか。私が戻るということは、夏妃は琉生の前からいなくなるということかもしれないのに。
夏妃はいつか私の体から出ていくつもりでいるし、琉生のことは親しい同級生くらいに思っていそうだ。けれども琉生には確実に、それ以上の想いがあると思う。
そんな琉生がためらいがちに呟く。
『明日』
「ん?」
『その……焼き肉の後、ちょっと時間とれるか?』
「え?」
『ほら、本当はお前のために計画してたのによ。結局クラスの奴らも集まることになっただろ? だから代わりに何か──その、欲しい物とかねえのか?』
「別にいいよー。松任谷くん、幹事もやってくれているんだし。私はおいしいごはんが食べられれば満足だよ」
琉生は二人で会いたいのだろう。
なのに夏妃には全然伝わっていない。
琉生が焦れているのがわかる。
『食い物でも何でもいいから、何か選びに行こうぜ』
確かに夏妃はアクセサリーとかより、お米とかお肉の方が喜びそうだ。
「えっと……皆が解散した後にってことだよね」
『用事でもあんのか?』
「そういうわけじゃないんだけど……」
食べ物でつられたら行きそうだなって思ったのに、夏妃はなんだかしぶっている。
「実はさ、今日クラスの子たちとパフェを食べに行ったとき、聞かれたんだよね。その……松任谷くんと付き合ってるのかって」
そりゃあれだけ一緒にいれば、そういう話も出るだろう。というか、琉生の方はわかってやっている気がする。
『それで?』
「ちゃんと否定しといたよ。だけどあまり一緒にいると、そういう誤解受けちゃうから」
『なら……』
琉生が小さく咳払いする音が聞こえる。
『付き合ってるってことにしとくか?』
「……え?」
『いちいち否定するのも面倒だろ?』
「待って、それはまずいよ」
精いっぱいの告白を真っ向から否定された琉生が「なんでだよ」って不機嫌そうに呟く。素直に「好きだ」って言わなかった琉生も悪いとは思うけど、夏妃の気持ちは私にもいまいちよくわからない。琉生を頼りにしているし、同級生の中で一番仲がいいのも琉生だと思うのに。見た目も悪くないし、ちょっとくらい気持ちが動いたりしないのだろうか。
「だって、この体は私のものじゃないんだよ?」
あ、そういうことかって納得した。
琉生がどこまで手を出してくるかわからないけれど、夏妃にとってあくまで私の体は借りものなのだ。
でもそれを人ごとみたいに聞けちゃうくらい、私はもう今の状況に慣れてしまっている。自分の体で過ごしていた頃より生きているって感じがするし、今の方がずっと楽しい。自分で自分の体を動かせないのにそう思うのは変かもしれないけれど、以前の私は毎日を楽しむ方法を知らなかったから。
私と同じく夏妃の指摘で気づいたらしい琉生が、めちゃくちゃ慌て始める。
『ばっ……! 違ぇし! そういう目的で言ったわけじゃねえ! ただ、詮索してくる奴らを黙らせておくのに、その方が都合がいいだろうって話だ! だいたい俺たちはまだ中学生だぞ。いやお前は本当はそうじゃないのかもしれねえけど、それでも……』
へー? 本当に?
そういうこと、一ミリも考えなかったって誓えるわけ?
私に近寄ってくる男は皆そういうことを期待していた。もちろんすぐに触れさせるなんて馬鹿なことはしない。一度体を許したら立場が逆転してしまうし、私のキャラ的にはむしろ、触れさせないことにこそ価値があったのだ。
でも夏妃はお人好しだし、駆け引きとかに疎そうだ。そもそも最初から『そういう関係になるつもりはない』って態度をみせちゃうのは悪手だ。うまくやればワンチャンあるかもって思わせたままの状態を、いかに長くキープするかが大事なのに。
そんなことを考えていると、夏妃が不思議そうな声をもらす。
「え? 何の話?」
『え?』
え?
ヤるかどうかの話でしょ? 違う?
琉生も返答に困っていたみたいで、変な間が空いてしまった。しばらくして気を取り直したらしい夏妃が言う。
「だってさ、姫香の気持ちは私にはわかんないし。ひょっとして姫香には好きな相手がいたかもしれないでしょ? だったら松任谷くんと付き合ってるって広まっちゃったら、あとで訂正するのがすごく大変になるよ?」
『ああ、そういう……』
ああ、そういう意味だったんだ。
私は夏妃のこういうところが好きなんだと思う。夏妃は私がさんざん男を騙してきたクソ女だってことを知っているのに。それでも私の気持ちを大事にしてくれる。
「それに松任谷くんだって」
『……俺が、何だよ?』
「好きな相手とか、いないの?」
『んなの……いねえし』
夏妃以外に、ってことだよね?
言葉が足りないにもほどがある。
「それでも付き合ってるふりまでしてもらうわけにはいかないよ」
琉生は『ふり』じゃなくて本気だと思うけど。むしろ『ふり』ってことを口実に、夏妃を囲い込むつもりだったんじゃない?
そういえば夏妃の方はどうなんだろうって思った私と同じく、琉生もそれを考えたみたいだ。
『お前は?』
「え?」
『元の体のとき、彼氏とかいたのか?』
「ううん。いないよ」
『………………そうか』
「ちょっと、今の間は何? 社会人なのに彼氏の一人もいないのかって言いたいの?」
夏妃がムッとしたように呟く。
いや、違うでしょ。
琉生はホッとしてたんだと思うよ。
『……別にそんなこと言ってねえだろ』
「あのね、休日はデカ盛りチャレンジメニューやってるお店を探して遠征してたから忙しかったの」
『食費を浮かして賞金を稼ぐためにか? つーか、何で遠征?』
「近くの店は制覇しちゃってたから」
『……ああ、なるほど。それなら男とデートする暇なんかねえよな?』
琉生がからかうような口調でそういうと、夏妃もそれに合わせる。
「そうだよ。だからその気になれば彼氏の一人や二人──ううん、とっかえひっかえだったはずだよ」
『どこの姫香だよ』
ちょっと、私を引き合いに出さないでくれる?
「男なんて日替わり定食だよ」
『あ、やっぱり夏妃だった』
そして二人して声をあげて笑う。二人ともさっきの話題が重くなってきたことに気づいて、冗談に軌道修正することにしたようだ。
『そうだな、確かにお前の言うとおりだ。姫香の体で勝手なことをするべきじゃねえな。でも……』
ひとしきり笑った後で琉生が言う。
『やっぱりどこかに行かねえか?』
「ねえ──」
『いつ、元の体に戻るかわからねえんだろ?』
「え?」
『お前との約束は必ず守る。だから……お前との思い出くらいもらったっていいだろ?』
ドクンと心臓の音が響く。
私じゃない。
私の体だけど、動揺しているのは夏妃だ。
「……わかった」
夏妃が静かに呟く。
「明日、皆と別れた後にこっそり会おうか」
『っ、おう……』
デートではないかもしれないけれど、一歩前進。
やったじゃん!
琉生の背中をバシバシ叩いてやりたい気分だ。
っていうか、何で私が興奮してんの?
内心で首をかしげている間に二人が会話を終わらせる。
『なら、明日』
「うん」
『じゃあ……切るぞ』
「うん」
『えっと……おやすみ、夏妃』
「松任谷くんも、おやすみなさい」
何このやり取り。
むず痒いんですけど。
琉生との通話を終わらせた夏妃は、そのままベッドに突っ伏した。しばらく黙ったままだったから、寝ちゃったのかなって思った瞬間、夏妃が私の名前を叫んだ。
「姫香っ!」
突然のことに驚く。
「もう駄目っ。これ以上、アンタの体にいられない!」
え?
「戻って! 今すぐ! でないと私──」
夏妃が目を閉じているせいで私の視界も真っ暗だったんだけど、その真っ暗闇ごとグルンと回った感覚があった。
しばらくして落ち着いた気がしたのでそっと目を開けて頭を上げると、私の部屋が見えた。
見ているものはさっきと変わらない。
だけどベッドのシーツに触れる手のひらの感覚がリアルだし、そもそも今私は自分の意志で目を開いていたことに気づく。
「え……?」
久しぶりに自分の喉から声が出る感覚。
「うそ……え、じゃあ夏妃は? ──夏妃っ!?」
頭を抱えて呼びかけると、隅の方に感じる不思議な感覚に気づく。夏妃が言っていた「姫香の気配」とはこれのことなのか。つまり今は『夏妃の気配』ということになる。
「……戻っちゃったの?」
あまりの衝撃に、声が震えてしまう。
「夏妃っ! なんで!?」
けれども気配はあるのに、夏妃からの反応はなかった。




