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十年前
21/26

21 悪役後輩になるはずだった人が望むこと①



「ルナ。いい? 十まで数えたら出るからね」


 ()()()()、ハウスキーパーが連れてきた幼児とお風呂に入っている夏妃が、馬鹿みたいに大きな声で数を数え始める。


「いーち、にー、さーん、しー」


 そして途中から、幼児一人に任せる。


「ごーぉ、ろーく、……しー?」


 幼児は7と4を間違え、カウントが戻ってしまう。


「ごーぉ、……あれえ?」

「ルナ、それじゃ終わんないよっ」


 それから二人して、頭がおかしくなったんじゃないかってくらいに大爆笑する。信じられないことにこの二人は、毎週金曜日の夜に同じことを繰り返している。


 何が面白いのか全然わからないし、毎週同じ間違いをするなんて、この子供は相当頭が悪いに違いない。絶対に笑っている場合じゃない。そもそも使用人の子供と一緒にお風呂に入る意味もわからない。


 契約は平日の午前九時から午後二時。私が学校に行っている間に雑用を済ませておくことが、あのハウスキーパーの役割だ。ママが勝手に雇った女だし、愛嬌を振りまく必要のない相手だから会話すらしたことがない。私の邪魔にならないように、私の見えないところで自分の仕事をやっていればいいのだと思っていた。


 なのに夏妃はハウスキーパーの女にやたら懐いていて、契約していない週末にハウスキーパーとその娘を家に招いたり、最近では毎週金曜日の夜、一緒に夕食をとるのが恒例になっている。

 そしてハウスキーパーの女が夕食の後片付けをしている間、女が連れてきた幼児とお風呂で遊んでいるのだ。


 ひとしきり笑った夏妃が、インターホンでキッチンにいるハウスキーパーを呼ぶ。


「ルミさーん。ルナ出るよー」

『はーい』


 すぐにエプロン姿のハウスキーパーが浴室にやってきて、浴槽から出てきた娘をバスタオルで包み込む。そして髪をタオルで拭いてやりながら、まだ湯船に浸かっている夏妃に声をかける。


「夏妃、ありがとね」

「こっちこそ。すき焼き、最高だった~」

「今夜使わなかったお肉、しぐれ煮にしておいたから。明日の朝にでも食べてね」

「うわあ、贅沢すぎる。ルミさん大好き愛してる」

「私もだよ。ルナも夏妃のこと大好きだよね?」

「うん。なっちゃんといっぱいあそんだー」


 このハウスキーパー親子は、夏妃のことを名前で呼ぶ。子供の方は何もわかっていないと思うけど、ハウスキーパーは夏妃という別人格が私の体に入っていることを知っている。

 きっと夏妃はこのまま私の体を乗っ取るつもりなんだと思っていたから、あっさり他人に話したのは意外だった。しかも夏妃は今はその方法がわからないだけで、いずれ私の体から出ていくつもりでいる。


 そしてそのときのために、協力者まで用意している。

 赤の他人の私に、そこまで気遣う意味もわからない。


 夏妃のすることは、私にとって理解できないことだらけだ。


「あ、そうだ。夏妃」

「ん?」

「ついさっき電話があったよ。松任谷くんっていう男の子」

「え、何て言ってた?」

「後でかけ直しますって言うから、こっちからかけるように言っとくって答えといたよ」

「わかった。ありがとー」

「礼儀正しくて、すごく感じのいい子だね。ひょっとして……彼氏?」

「ちがうよ。でも、いつもいろいろ助けてくれるんだ。ホラ、前に言ったでしょ? 学校で一人だけ、私の事情を話してある子がいるって」

「ああ。なら、夏妃がいつもお世話になってますって言っておけばよかったね」

「あはっ」


 親し気なやり取りにモヤッとする。この二人はもともと赤の他人で、まだ互いに知り合って数ヶ月のはずなのに。

 なんとなくふてくされている間に、ハウスキーパーが娘を抱いて浴室から出ていく。すると夏妃が「姫香」と呼びかけてきたので、たちまちふわっとした変な気分になる。


「ちょっと早めのクリスマスパーティ、楽しかったねえ。ルミさんが持ってきてくれたお肉、超美味しかった。私、あんなにいいお肉ですき焼きしたの初めてだよ。料理研究家っていいなあ。お歳暮で、あんな高級なお肉をもらえちゃうんだぁ」


 今、絶対『料理研究家になろうかな』って考えたでしょ。


 私に聞こえるのは夏妃が声に出して話す言葉だけだけど、夏妃が考えそうなことはすぐ想像できる。


 私の返事は夏妃には届かない。

 だから夏妃の会話はいつも一方通行だ。

 なのに毎日飽きずに話しかけてくる。


 そしてそのたびに私は、今まで経験したことのない変な気分になる。


「明日はクラスの皆で焼き肉だね。かまど炊きごはん、楽しみだなぁ」


 話す内容は食べることばっかりだけど。

 夏妃の頭の中は、いつも食べ物のことでいっぱいらしい。


 今日は終業式だったから学校が午前で終わり、『二学期打ち上げ会』とかいう名目でクラスの女子たちと特大パフェを食べに行っていた。馬鹿みたいに大きなグラスに入っているそれを、きゃあきゃあはしゃぎながら分け合って食べて、最後は夏妃が一気に飲み干した。誰かが「優勝力士が祝い酒飲んでるみたい」って言ったせいで大爆笑になって、何人かは呼吸困難をおこしかけていた。


 帰宅してからはハウスキーパー親子とすき焼きをして、国産和牛肉をもりもり食べて、食後にケーキを三人で分け合っていた。明日は朝からハウスキーパーが作り置いたしぐれ煮とかいうのを食べるらしいし、さらに昼からは、結局クラス全員が参加することになった『焼き肉忘年会』とやらが待っている。


 私が自分の体にいたときには、経験したことのないことばかりだ。


 夏妃は私の体に入って三か月足らずで、私の日常をすっかり変えてしまった。



 今から三か月前、大嫌いな男をハメるために階段から突き落とされたふりをした私は、ちょっとしたミスを犯して本当に下まで落ちてしまい、一瞬意識を失った。


 そして目覚めたときには、他人に体を奪われていた。


 周りで何が起こっているかは見えるし聞こえるのに、私の声は外に届かないし、自分の意志では指一本動かすことができない。それどころか私じゃない誰かが、勝手に私の体をあやつり始めたのだ。


 私の体を奪った誰かは、私がこれまで頑張って築いてきたものをすべて壊して、めちゃめちゃにしてしまった。そのせいで今まで私に夢中だった男どもや、私のことを羨ましそうに見ていた女たちが、急に態度を変えて「謝れ」とか「反省しろ」とか偉そうに命令してくるようになった。


 さらに私の体を奪った誰かは、私に話しかけてくるようになった。自分の名前を夏妃だと名乗り、周りの子供に謝るために私に協力しろとしつこく言ってくる。


 何を勝手なことを言っているのか。


 そんなことより私の体を返せと言いたかったけれど、夏妃が私の生活をめちゃめちゃにしてしまったせいで、たとえ体が戻ったとしても、今度は私が嫌な目に遭うだけだ。


 だったらこの女が自分で責任をとればいい。

 私は外の世界のことも、夏妃からの呼びかけも完全に無視することに決めた。


 けれども夏妃が私の体で非常識なことばかりするので、おちおち引きこもっていることもできない。


 夏妃は、毎日毎日馬鹿みたいな量の食事をとる。朝は学校に行く前にどんぶり三杯のごはんを食べていくし、夜は炊飯器いっぱいのごはんを全部ひとりで食べてしまう。


 もしかしたら私の体をのっとったのは人間じゃなくて、ゴリラなのかもしれないって不安になった。


 でも食べ方はガツガツした感じじゃなくて、丁寧だ。なによりすごくわくわくしているのが伝わってくる。不思議なことに私と夏妃の感情はつながっているみたいで、夏妃が全力で食事を楽しんでいるのがわかる。


 私は今まで、食事にあまり興味がなかった。

 それどころか何にも興味がなかった。


 卒業生だったパパのコネでどうにか今の学校に入学したけれど、勉強も運動も人並み以下で、芸術の才能もセンスもない。パパもママも、もともと子供には興味がなかったみたいだ。しかも生まれたのが私みたいな落ちこぼれだったから、早々に見切りをつけたらしい。二人ともそれぞれ仕事を理由に、ほとんど家に帰ってこない。


 そのくせ誕生日とかクリスマスには大量のプレゼントを贈ってくる。私くらいの年齢の女子が欲しがりそうなものを、部下に選ばせて届けさせているみたいだ。それで親としての義務を果たしているつもりなのだろう。


 家事はハウスキーパーがやるし、不自由ない生活は保障されている。親からもらったカードで自由に買い物もできる。何でも買えるのに、私には欲しいものがひとつも思い浮かばなかった。だから同級生の女子が「これ欲しい」とか「あれいいな」って言っていたものを手に入れるようにした。すると私のそういうやり方が気に入らないって、文句を言ってくる女子や陰で悪口を言う女子が増えた。何が駄目だったのかわからないまま、私は女子の中にたくさん敵を作ってしまった。


 夏妃は好きにお金を使っていいってわかったとき、迷わず炊飯器を買った。そんなもの、同級生の女子は誰も欲しがらない。夏妃は「かなり性能のいい炊飯器なんだ」って言って大興奮していたけれど、ただご飯を炊くだけの機械の何がそんなに嬉しいのか。


 でもその炊飯器が届いてからの夏妃は、食事のたびに浮かれっぱなしだ。朝も夜も食べる量がさらに増えた。どんぶりで何杯もお代わりしながら「一合一会」だって満足そうに笑う夏妃は、心底楽しそうだ。


 夏妃は学校で酷いいじめに遭っていても全然気にしない。自分がしたことじゃないのに、本当は私がしてきたことなのに、私の代わりに謝って、私の代わりに暴言を受け止めている。そんなハードな生活を送っていながら、毎日毎日山盛りのごはんを食べて学校へ行って、おなかを空かせて帰ってきて、ハウスキーパーが作り置いた夕食をもりもり食べる。


 夏妃の食事に対する執着は異常だ。


 学校でハブられて「食堂に来るな」って言われれば、普通は傷つくし、嫌な思いをしたくないから避けると思う。なのに「じゃあ変装すればいいか」っていう思考になるところが全然理解できない。絶対に解決するべき点はそこじゃないと思う。なのにおかしな変装で本当に食堂に行っちゃうし、しかも誰にもバレずに食事することに成功しちゃうし、あらためてこの女、本当におかしいって思った。


 その頃にはもう、私は夏妃の行動から目が離せなくなっていた。


 さすがに四キロのカレーを食べきったときは引いたけど。キログラムって、人の食事に使う単位じゃないと思う。しかも夏妃は食事代を払わないどころか、お店の人から逆に賞金をもらって意気揚々と家に帰った。


 夏妃が私に聞かせるためにひとりごとを呟くようになったのはこの頃だ。


 それによると夏妃は自分の体にいたときも、食費を浮かせるためによくこういうことをしていたらしい。だけど一度完食無料を達成した店では、二度目のチャレンジはさせてもらえないことが多いって言っていた。それはそうだろう。毎日夏妃みたいな客に来られたら、お店が潰れちゃうってことは私にもわかる。夏妃もそれは納得していたみたいで、「でもこっちの世界ではまだ制覇していない店がいっぱいあるから嬉しい」ってわくわくしていた。もう食費の心配はしなくていいはずなのに、ただ単に食べることが好きなのだろう。


 夏妃はよく「こっちの世界」という言い方をする。

 まるで自分は違う世界から来たみたいだ。

 もしかしたら宇宙人なのかもしれない。

 だって夏妃は、私や私の周りにいる人間とはあまりにも違いすぎる。


 夏妃がいた世界では、友達は皆『すまほ』というものを持っていて、それで電話みたいに話をしたり、文字のメッセージを送りあったりしてコミュニケーションをとることができるのだそう。でも夏妃にはその『すまほ』を買うお金も、維持するお金もなかったらしい。ひょっとすると食費の方を優先したのかも。そのせいで友達からは「連絡がとりづらい」って文句を言われていたみたいだ。


 でもきっと、夏妃はそれでも皆から好かれていたんだろうなってわかる。


 今のクラスメイトたちも、私の体に入っている夏妃によく文句を言うし、しょっちゅうお説教をしている。原因はたいてい夏妃が食べ物のことを考えていて、他のことがおろそかになっているときだ。でもその文句もお説教も全然本気じゃなくて、むしろ「しょうがないなあ」って楽しんで見守っている感じがある。


 私は今までそんなふうに温かく見守ってもらった経験なんか一度もない。

 呆れられるか、馬鹿にされるだけ。

 でも不思議と夏妃を妬む気持ちは全然ない。


 私と夏妃の間には、他の人間にはない絆がある。同じ体に共存しているという特別なつながりがあるのだ。


 夏妃と一緒に見る世界は、何もかもがキラキラしている。今までずっと退屈だった毎日が、夏妃を通すと全然違うものに変わる。


 夏妃は私を外に出したがっているけれど、私はもうずっとこのままでいいんじゃないかと思い始めている。

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