19 悪役後輩に転生した人の再テスト②
翌日、本当なら数学の再テストを受けているはずの時間に、私は校舎の西側階段の下にある掃除用具倉庫の中にいた。外ほど寒くはないものの、暗いし、かび臭い。
最近、過保護な琉生に護られていたせいで、警戒がおろそかになっていた。いや、琉生のせいにしちゃだめだ。単純に私がぼーっとしていただけ。
それからちょっとだけ、かまど炊きごはんのことに気を取られていたかも。
「……油断したなあ」
美化委員の姫香は、今週は掃除用具倉庫のチェック係だった。別に誰が盗むってわけでもないけど、使った掃除用具がちゃんと戻ってきているかとか、綺麗に整頓されているかを確認するだけの簡単なお仕事だ。時間も大してかからないし、ちゃちゃっと済ませて、数学の再テストを受けに行くつもりだった。
なのにこの倉庫に入るなり背後から誰かに突き飛ばされて、転んだ隙に扉を閉められて、ガチャンと鍵をかけられた。鍵穴があるタイプじゃないけれど、ロックのつまみは外側にしかない。慌てて立ち上がろうとしたものの、扉の外にあった照明のスイッチも切られちゃったみたいで真っ暗で、再び転んでしまう。どうにか手探りで扉まで這って行ったけれどすでに遅し。「開けて」って大声を出しても、扉を叩いてみても誰も応えない。しかも倉庫の中に私の声や叩く音が反響しちゃって、自分の耳へのダメージが大きい。
どうしようかと考えていると、私の中で姫香の気配が揺らぐのがわかった。動揺しているみたいだ。
「姫香、姫香。大丈夫だから」
とっさに落ち着かせようと声をかけたけれど、真っ暗で何も見えない空間は、それだけで恐怖が倍増されてしまう。奥の方でカサッとかすかな音がしたのは気のせいだろうか。ネズミとか、足の多い虫とかいたらどうしよう。そんな私の不安が伝染しちゃったのか、姫香がさらに動揺する。
「ごめん、姫香。なんか楽しいこと考えよう。えっとね、今日の晩ごはんは煮込みハンバーグだってルミさんが言ってたよ」
いや、だめだ。
姫香は私じゃないんだから。
そういえば姫香の好きなものって、なんなんだろう?
姫香の部屋には化粧品やら美容グッズがたくさんあったし、クローゼットや靴箱にはホントに姫香一人分なの? ってくらいに服も靴も鞄もぎっしり詰まっている。だからきっとお洒落に興味があるんだとは思うけれど、私は詳しくないからその話題は無理だ。
でも、鞄や靴のことを考えたおかげで思い出す。
「姫香、大丈夫だよ。鞄は教室にあるし、靴だって残ってる。最終下校時刻になったら、きっと誰かが気づいてくれるよ」
あと三時間はあるけど、って言葉は呑み込む。
「あ、そうだ。そろそろ再テストが始まる時間だよね。だったら姫香がいないことに先生が気づいて探しにきて──」
そう言った私の目の前で、ザザッと姫香の記憶が再生される。いつもと違って目は閉じていなかったけれど、真っ暗闇だから同じような効果があったのかもしれない。
そんなことを考えつつ姫香の記憶を見ていた私は、やっぱり最終下校時刻まで待つしかなさそうだと察した。
「再テスト……毎回すっぽかしてたんだね?」
これまでにも姫香は体調不良とか家庭の事情とか、さまざまな作り話で再テストから逃げていたらしい。だからおそらく今回も「またか」と思われているのだろう。
たとえその場だけ逃れても結局そのたびに補習を受ける羽目になるのだから、ちゃんと勉強して再テストを受けた方が絶対良かっただろうに。けれどもどうやら姫香以外にも補習を受けに来る男子が何人かいて、その子たちに課題を手伝ってもらったり、帰りに一緒に遊びに行ったり、ちやほやしてもらって楽しく過ごしていたようだ。
そこで、ふと気づく。
姫香はいつも自宅でひとりぼっちだった。
「……家にいるより、学校で補習受けてた方が良かったんだね?」
そう言うと、姫香の気配が消えそうになったので慌てて言葉を続ける。
「姫香、待って。姫香の気持ち、わかるから」
元の世界でも、友達や仕事仲間には話したことはなかった。けれども姫香になら、話してもいいかと思えた。
「私ね、お母さんに捨てられたんだ。私を産んだ後、私をおばあちゃんの家に預けたまま、新しい彼氏と同棲を始めちゃったの。で、時々顔を見せたかと思えば、目的は私に会うためじゃなくて、おばあちゃんからお金を借りるためだったし。お父さんには会ったこともない。おばあちゃんや、周りの人はいい人が多かったし、私にも良くしてくれたけど……お父さんやお母さんは私に興味なんかなかったんだよ」
姫香が私の話を聞いているのがわかる。
「ねえ……ひょっとして私たち、ちょっと境遇が似てるのかもね」
この世界の仕組みのことも、どういう理由があって私が姫香の体にいるのかもわからない。だけどこれだけは言える。
「私は、姫香のためにここにいるからね」
そう声に出せば力が湧いてくる。こんなところで弱気になっている場合じゃないと、扉に耳をつけて向こう側の様子を探る。この西側階段は、特別教室棟に移動するときくらいにしか使われない。授業がすべて終わった放課後にやってくる生徒はほとんどいないだろう。だからやみくもに叫んでもだめだ。誰かが通るタイミングを狙わなければ。
長期戦になることを覚悟した私は、扉に背中をつけて座り、体力を温存しておくことにした。
◇
『ねえ、姫香の点数やばくない?』
『超バカじゃん』
周囲で子供たちが騒ぐなか、ぎゅっと手を握りしめる。
『どうやったらこんな点数とれるの?』
『わざとなの?』
わたしは一生懸命やった。
いっぱいいっぱい勉強した。
くやしくてぽろぽろ涙がこぼれてくる。
『うわ、女子が姫香を泣かした』
そういって男の子たちが騒ぎはじめると、すぐに先生がやってきて彼女たちを叱ってくれた。それにホッとして、さらに涙があふれてくる。すると男の子たちが「女子ひでえ」って「お前ら、ブスだからひがんでるんだろ」「姫香にいじわるすんなよ」って口々に言ってくれた。
そのとき、いつも鈍いって言われるわたしの頭が突然ひらめいた。何をやっても平均以下のわたしがバカにされない、とっておきの方法に気づいたのだ。一生懸命頑張ってもだめなら──
周りの子を蹴落としちゃえばいいんだ、って。
「──っ!?」
ぎくっとして目を覚ました。けれども辺りは真っ暗で、一瞬状況が理解できなかった。バクバク騒ぐ心臓を押さえて、意識してゆっくり息を吐く。そして、閉じ込められた掃除用具倉庫の中で眠ってしまっていたことに気づいた。
「信じらんない。こんな場所で寝ちゃうなんて」
そう言って少し笑ってみせたけど、もう姫香の気配は残っていなかった。またいつもの沈黙モードに入ったようだ。
さっきの夢は、いつもの姫香の記憶の再生とは少し違った。状況だけじゃなく、姫香の考えていることが、まるで私が考えていることのようにはっきりと感じられた。その感覚はあまりにも痛々しくて、いつの間にか自分の頬が濡れていることに気づく。
これまで姫香のためだって言って、あれこれやってきた。けれども私がやったのは、姫香が自分を守るために一生懸命築いてきた壁を真っ向から否定して、一瞬で壊して、外部からの侵入を許したこと。
どの口が『姫香のため』なんて言えたのか。
「……ごめんね、姫香。ごめんね」
自分の腕で自分の肩をぎゅっと抱きしめてそう呟いたとき、扉の向こうから誰かの足音が聞こえてきた。はっとした私は扉に手をついて、どんどん叩いた。
「ここに、います! 開けてください!」
倉庫内に、扉をたたく音と自分の声が反響して頭にキンキン響く。だけどこのチャンスを逃すわけにはいかないと必死で叫んでいると、「夏妃!?」と名前を呼ばれて驚く。校内見回りの先生かと予想していたのに、返ってきたのは琉生の声だった。
「お前、そこにいるのか!?」
「鍵がかかって、出られないの!」
そう訴えると扉の向こう側でガチャンと音がして、扉が開かれる。パッと照明がついて、暗闇に慣れていた目を直撃する。思わず手で目を覆っていると、体をぎゅっと抱きしめられたのがわかった。耳のすぐそばで、琉生が「やっと見つけた」と呟いて、ホッとしたように息を吐いた。
「……私のこと、探してくれてたの?」
「神谷が再テストが終わったって部活に参加してきたから、お前のことを聞いたんだよ。そうしたら『姫香は来なかった』って言うから、変だと思って」
神谷くんは例の26点男子だ。
琉生と同じ野球部だったらしい。
「神谷は『いつものことだ』って言ってたけど。姫香ならともかく、お前が再テストをすっぽかすなんておかしいだろ」
違和感を覚えて部活を抜け出した琉生は、私の鞄や靴がまだあることを確認して、校内を探し回ってくれていたらしい。
「お前、ずっとこの中にいたのか?」
「うん」
結局私は二時間以上、倉庫の中にいたようだ。




