14 悲劇の脇役になるはずだった人が守りたいもの②
調理実習が始まり、俺の心配をよそに作業は順調に進んでいく。俺と姫香の班は男子三人と女子三人の六人グループだ。姫香以外の女子二人は完全に姫香の存在を無視しているものの、俺や他の男子が間に入ることでなんとかなっている状態だ。
班員一人を完璧にスルーしているため、空気がピリピリしているのは俺も他の男子も感じている。けれども姫香に対して具体的に何かを仕掛けてきているわけではないので、口出しもできない。
この二人はいつも友美と一緒に行動している女子たちだ。だから友美の彼氏が姫香に狙われていたことを知っていて、それを理由に姫香を無視しているのなら、軽々しく仲立ちなどすれば逆効果になってしまう恐れがある。
緊張感をほぐそうとしていたのだろう。俺以外の男子二人が下手くそな漫才でさらに空気を凍らせるなか、別の班で離れた調理台にいる友美の方をちらりと見る。この二人と和解するには友美の口添えが必要かもしれないな、などと考えを巡らせていた俺は、隣に立つ姫香がやけに手際よく千切りキャベツの山を作っていくのに気づいた。
「……お前、ずいぶん手際いいな?」
「ルミさんの特訓受けてるからね」
「ルミさんって……ああ、お前んちのハウスキーパーだっけ?」
「うん、そう」
行動を共にするようになってから、姫香の家庭の事情のことも少しずつ知るようになった。夏妃の話によると、姫香の両親はめったに家に帰ってこず、家事はすべてハウスキーパーに任せているのだという。
そのハウスキーパーは料理研究家でもあるそうで、毎日美味しいごはんを作ってくれるのだと、夏妃はかなり懐いているようだ。自分が本物の姫香ではないこともすでに話していて、俺にしたのと同じように協力を頼んでいるらしい。俺だけが夏妃の秘密を知っているわけじゃないとわかったときは面白くなかったが、話したのは俺の方が先だったと聞いてからは、モヤモヤしていた感情は不思議と消えていた。
「──よし、できたっ」
キャベツ一玉分の千切りを終えた姫香に、同じ班の男子が「おおおっ!」と声をあげる。
「姫香、すげえじゃん」
「プロみてえ」
その声に周囲の班の連中も気づき、なんだなんだと覗きにやってくる。けれども近づいてくるのは男子ばかりで、女子は遠巻きにこちらの様子をうかがいつつ、ひそひそと話している。
「アイツ、前回の実習のときは『怖くて包丁持てない』って言ってなかった?」
「言ってた。あれは引いた」
「キャラ変必死でウケる」
誰のことか名前は出していないものの、明らかに以前の姫香の言動のことだと思われる。それが聞こえよがしにささやかれるため、また空気がピリッとする。なのに夏妃は全然気づかない。山盛りのキャベツを班全員分の皿に盛りつけ、揚げ物担当だった男子に「さあ、どんどん揚げちゃって!」と催促している。
コイツ、心臓に毛でも生えてんのか?
いや違う。生えてんのは胃袋の方だな。
当事者である姫香以外がピリピリしているなか、なんとか無事に調理が終わり、試食タイムになった。姫香がよく食うことはすでに知られているため、白飯の配膳係をしていた男子は当然のように山盛りの飯を姫香に渡した。
「姫香、これくらい?」
「うん。ありがとう」
ぱあっと笑みを見せた姫香に、男子の顔がサッと赤くなる。それを見た俺はフンと鼻を鳴らした。
夏妃の頭の中では『食べ物をくれる人=いい人』という、単純明快な判断基準がある。逆に『食べ物を奪う人間=悪い奴』という基準もあって、食堂に一緒に行きはじめた頃、山盛りの飯は重いだろうと思って持ってやろうとした俺に「ちょっと! それ私のだよっ!」と怒ってきたことさえある。
手を出す前に声をかけなかった俺にも非はあるかもしれないが、俺はすでに自分の飯を持っていたわけだし、夏妃の分を奪ったわけではないことは見ればわかるだろうに。
だからあの日、食堂で食いかけの飯を渡されたことは、夏妃にとって最大限の謝罪だったのだとわかる。いじめを受けていた俺が飯を食えなかったと知って号泣したのも、夏妃にとって食事ができないということは、それほどの衝撃だったのだろう。あのときはとっさに断ってしまったが、今となっては惜しいことをしてしまったような、妙な後悔に襲われる。
そんなことを思い出している間に班全員の配膳が済み、後は食べるだけというところで調理室の扉がノックされた。入ってきたのは学校の事務員で、家庭科の教師に伝言があったようだ。伝言を受けた教師は「三十分ほどで戻るから」と皆に告げ、事務員と共に調理室を出ていった。そして生徒だけになったとたんに、調理室がガヤガヤと騒がしくなった。
この日のメニューは白飯と豚汁、豚カツに千切りキャベツという、シンプルなメニューだった。豚カツは一人一枚分しかなく、俺でも少ないと感じたため、夏妃にとっては全然足りないだろう。そのぶん白飯で腹を満たそうとしているのがわかる。
いつものように元気よく白飯を食べ進める姫香に、同じ班の男子がさっそく声をかける。
「なあ、姫香。なんでそんなに食ってんのに太んねえの?」
「わかんない」
「豚カツ一枚で足りんの?」
「足りない」
食べるのに忙しい姫香がそっけなく答え、その反応に男子が笑う。
「なら俺の豚カツ、分けてやろうか?」
「えっ!?」
各自の皿に盛り付ける際に包丁で切ってあった豚カツを、一切れ分けてもらった姫香の顔にぱああっと笑みが浮かぶ。
「本当にいいのっ?」
「っ……おう」
満面の笑みを浮かべる姫香に、そこまで喜ばれると思っていなかったらしい男子の顔が真っ赤に染まる。それを見た周囲の男子たちが、我先にと自分の皿を持って集まってくる。
「姫香、俺のも食う?」
「俺のもやるよ」
姫香の皿に次々と豚カツが貢がれていき、そのたびに姫香の目がきらきらと輝く。「ありがとう」と丁寧に礼を言う姫香に、男子たちがデレデレする様子を苛立ちながら見ていると、俺たちと同じ班の女子が不意に声をあげた。
「ねえ、姫香。私の分もあげる」
「え?」
「私のもあげるよ」
きょとんとしている姫香の皿に、同じ班の二人が自分の豚カツをすべて移した。それまで完全に姫香の存在を無視していた二人の変化に違和感を覚えていると、他の班からも女子がやってくる。
「姫香。私もあげるよ」
「私のも、食べて」
誰もがニコニコした笑みを浮かべて、姫香の皿に豚カツを移していく。一切れずつ分けていた男子と違い、あとから来た女子たちは一枚分すべてを姫香の皿に積み上げていくため、みるみるうちに豚カツの山ができあがった。ざっと十数枚ぶんはありそうだ。
それを見ていた男子の一人が、こっそり耳打ちしてくる。
「なあ、あれって……嫌がらせ、だよな?」
俺は以前、姫香が四キロのカレーライスをぺろりと食い切った姿を知っているために心配はしていなかったが、これが親切を装った悪意であることには気づいていた。
姫香がよく食うことはかなり知られてきたものの、食堂では一人分の食事量は決まっているため、姫香は白飯を大盛りにするだけで、あとは皆と同じ量を食べていた。学校の連中は姫香がどれくらい食えるのか知らないから、この尋常じゃない豚カツの量は異様に思えるだろう。
目の前にどんと積まれた豚カツに、姫香は言葉を失っている。その茫然とした様子に女子たちがくすくす笑う。
「姫香、遠慮しないで全部食べなよ」
「『ごはんいっぱい食べるキャラ』なんでしょ? あ、ごめん。キャラって言っちゃった」
「もう、そんな意地悪言っちゃだめだよ。違うよねえ、姫香。キャラなんかじゃないよね?」
周囲を囲む男子たちが「さすがにやりすぎだろ」「止めた方がいいんじゃねえか」と、ひそひそとささやき合う。けれども自分たちもさっき姫香に豚カツを分けているし、それと同じことをしているだけの、一見親切を装っている女子たちをどう止めていいのかわからないようだ。参加はしてこないものの遠巻きにしている女子も、黙って様子をうかがっている。
そんななか、俺には夏妃が今何を考えてるか、手に取るようにわかっていた。
夏妃にとって食い物を他人に分けてやるという行為は、最大限の好意だ。だから嫌われ者のはずの自分に食べ物を分けてくれる理由がわからなくて、混乱しているのだろう。
それまで黙って見ていた俺は、周りで笑っている女子たちに声をかけた。
「お前ら、豚カツだけかよ」
「え?」
「せっかくだから飯も追加してやれば? 肉だけじゃバランス悪いだろ?」
俺の発言に周囲にいた誰もが目をむく。近くにいた男子たちが、焦った様子でささやいてくる。
「おい、松任谷!? なに煽ってんだよ……!」
「お前、姫香の味方じゃなかったのかよ!」
顔色を悪くした男子たちとは対照的に、姫香に豚カツを譲った女子たちの目がきらりと光る。今まで姫香をかばっていた俺が、ここにきて姫香を裏切ったのだと判断したのだろう。何人かがいそいそと茶碗に白飯を盛っていく。
「そうだよね。姫香、ごはんも欲しいよね?」
「ごめんねえ、気が利かなくて」
姫香の周りに白飯が山盛りになった茶碗がいくつも並び、いまだ状況が理解できていない夏妃が、困惑した様子で俺に視線を向けてくる。
周りの奴らには、少し人より食べる量が多いくらいだった姫香が、こんな非常識な量を食べろと言われて怯えているように見えたかもしれない。
けれども夏妃を知っている俺には、その目が「本当に食べていいの? 後から怒ったりしない?」と確認したがっていることがわかっていた。
夏妃は周囲に渦巻く悪意にまったく気づいていない。自分のことを嫌っているはずのクラスメイトたちが、それぞれの分け前を減らしてまで譲ってくれたという事実にただただ感激している。
だったらこのまま気づかなくていい。
お前はいつも通り食べることを楽しめばいい。
そして、ここにいる全員の度肝を抜いてやれ。
俺は姫香の頭をくしゃっと撫でて、部屋にいる全員に聞こえるようにはっきりと告げた。




