12 ヒロインに転生した人の考察②
高校の最寄り駅に着き、定期券を鞄から出すタイミングでハンカチをぽとりと落としておく。すると改札を抜けた数秒後に、私の背後から緊張した声がかかった。
「あ、あのっ……!」
振り返ると、頬をわずかに染めた男子高校生が一人、私の後ろに立っていた。長身の私より十センチ以上高く、ヘアスタイルは清潔感のある長めのスポーツ刈り、輪郭に幼さを残しながらもキリリと整った顔立ち。私の自尊心をくすぐる美男子だ。
「はい、何でしょう?」
何のために声をかけられたのか全然わかりません、という表情を取り繕って首をかしげてみせると、目の前の男子生徒がごくりとつばを飲み込む。それを不思議そうに見つめつつ、内心ではそりゃそうよねえ、とほほえましく思う。
あこがれの私と話すのは、とても緊張するのよね?
「これ、落としましたよ」
「えっ……あっ!?」
彼から手渡されたハンカチを受け取り、ぺこりと頭を下げる。
「やだ。私、全然気づかなくて。すみません……!」
「いえいえ、間に合ってよかったです」
私の慌てふためく演技に安心したのか、イケメンくんが爽やかにほほえんでくる。けれどもその笑顔をあっさりかわし「助かりました」と立ち去ろうとすると、さっと腕をつかまれた。余裕ぶってても、所詮は高校生だ。
「待って!」
「きゃっ、何ですかっ?」
「あっ……!」
驚いて怯えてみせると、イケメンくんが慌てて手を放す。そしてがばりと頭を下げて、いきなり自己紹介を始める。
「突然すみません! 俺、誠心高校二年の田端っていいます」
名乗られる前から、彼の存在は知っている。私が通う慧聖学園女子高校と最寄り駅が同じ男子高の生徒で、サッカー部のエースで、成績も常に上位の優等生、田端健斗。同じ沿線を利用する女子たちの恋慕のまなざしを一身に集めているイケメンだ。
そしてこの彼が私に熱い視線を送っていることには、この体に入って間もない頃から気づいていた。
「聖女の黒瀬春奈さん、ですよね?」
聖女とは慧聖学園女子の略称だ。これもある意味聖女に転生したことになるのかしら、なんてことを考えつつ「どうして私の名前を……?」とおずおずと聞き返す。すると、イケメンくんの頬が再び赤く染まる。
私たちの周囲では、居合わせた聖女の女子生徒と誠心の男子生徒たちが遠巻きに観察している。その視線はどれも、なにやら親密そうに向かい合っている美男美女に対する羨望をはらんでいて、私の自尊心がさらに満たされていく。
「それは、その……」
もごもごと呟くイケメンくんの説明によると、私は誠心高校の男子生徒の中で美人と評判で、名前も知られているらしい。
「初めて見たときから、すごく綺麗な子だなって思ってて……」
うん、うん、それで?
「もし、よければ……俺と付き合ってもらえませんかっ!?」
「えっ……?」
驚いてみせた私の背後で、何人ものモブ女子が息をのむ気配がする。あらあら、ごめんなさいね。あなたたちの王子様を奪っちゃって。
内心で会心の笑みを浮かべていることはおくびにも出さず、困った笑みを作りあげて「ごめんなさい」と告げると、イケメンくんがしゅんと肩を落とす。
「あの、来年は受験だし、今は勉強に専念したいので……」
黒瀬春奈らしい理由で断ると、イケメンくんが「なら、友達からってことで」と必死に食い下がってくるので思わずキュンとしてしまう。そしてイケメンくんは自分の学生鞄を漁って取り出したノートに何かを書きつけて、びりっと破った切れ端を「俺の電話番号です」と差し出してきた。
書かれていたのは当然の如く固定電話の番号で、私は表情を引きつらせないようにするのに精一杯だ。
この世界のモデルは現代日本で、地名や固有名詞はところどころ違うものの、生活水準はほぼ令和の日本と同じ。ただ大きな違いは、スマホに代表される携帯型の通信機器が一切ないことだ。
原作者のインタビュー記事で読んだことがあるのだが、これは作者が意図的にそういう世界を作り出したせいだ。理由は単純に演出のため。物語中盤、デートの約束をしていた日に瑛士の父親が病で倒れ、瑛士がその対応に追われている間、春奈は待ち合わせ場所でひたすら瑛士を待つ、というエピソードに必要な設定だったらしい。
これについてはファンの間でも「ただ単純にスマホを失くしたで良かったんじゃないか」とか「昔のドラマみたいで逆に新鮮」など賛否両論あったが、結局はフィクションなので多少の矛盾があってもOKとみなされた。
なぜならこのエピソードの最後には、待っている間に雨に降られて体調を崩してしまった春奈を、瑛士が看病するというビッグイベントがあるからだ。それまで冷たく傍若無人な言動をすることが多かった瑛士が、風邪で弱っている春奈の前でその凍てつく氷の心を溶かし、必死に看病するエピソードには多くの読者が悶絶させられた。
でも実際にこの世界で生きてみれば、不便なこと極まりない。ましてや前世で仕事以外の時間は片時もスマホを手放さなかった私は、転生当初は禁断症状に苦しんだ。今まで手が空けばすぐにスマホを触っていたから、それが無い世界では一体何をしていいのかわからなかったのだ。
だからと言って現代知識チートでスマホを作るなんて無理だし、そんな知識や技術があったなら前世でとっくに成功している。ままならない現状に内心でため息をついていると、イケメンくんが捨てられた子犬のような目で私を見つめてくるのに気づいて、再び自尊心がくすぐられる。
期待していた転生ではなかったけれど、美少女の体に入ったという点だけでも充分チートだ。しかもこの体に入ってしばらくしてから気づいたことなのだが、春奈の体はどんな不摂生をしても影響がでない。さすがに高校生の体なので飲酒や喫煙はNGだが、何を食べても太らないし、肌も荒れないし、顔も手足もむくみ知らず。しかも頭がいいので、勉強に関しても努力は必要ない。物語スタート時に『美人で仕事もできる完璧な黒瀬春奈』であるために、ヒロイン補正がかかっているのかもしれない。
なにそれ最高。
というわけでそこそこ転生ライフを謳歌しているのだが、スマホがないので暇で仕方ない。だったら最後の一線さえ越えなければ、イケメンを侍らせてみてもいいのでは? と考えたのだ。
「……じゃあ、お友達でよければ」
「っ、本当ですかっ!?」
ぱああっとイケメンくんが復活する。
やだ、もう。こんなに可愛いんだから、お友達になるくらい大丈夫。
まだ白鳥姫香が転生者だと決まったわけじゃないし、たとえそうでも、あの粘着男の破滅フラグを回避するのは簡単ではないだろう。というのも姫香の破滅のキーパーソンである中学時代の同級生の男は、姫香のことを恨んでいると言いながら、同時に姫香に対する執着心も抱えていたのではないかと思うのだ。
だって本当に憎んでいたのなら、心中などせず姫香だけを殺せばよかったはず。その部分については配信前に死んでしまったので漫画版の方は未読だが、原作小説の方のファンからは、実は姫香に対して歪んだ愛情を持っていたのではないかと推測する意見が複数あった。もともとヤンデレの素質があったところに、姫香から下僕扱いされたことでスイッチが入っちゃったのではないかと。
それに万が一白鳥姫香が転生者だったとしても、この現代日本に酷似した世界でチート能力を発揮するのはかなり難しいはずだ。例えば何かの研究の第一人者とか、ゴットハンドを持つ天才外科医とか、大ヒット曲を生み続ける国民的アーティストとか、とにかく前世でも充分活躍していそうなリアルでチート級のスキルを持った人間でない限り、この世界で無双はできない。
ならば、顔だけ女など恐るるに足らず。ひょっとすると私に才色兼備のヒロイン補正がかかっているのなら、姫香には悪役補正がかかっているかもしれないし。どれだけ勉強してもバカのまま、とか。あらまあ、お気の毒。
気分があがってきた私は荷物を持ちたがるイケメンくんに自分の鞄を預け、周囲の女子たちからの羨望と男子たちからの物欲しげな視線を浴びつつ、学校まで楽しく送ってもらった。




