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十年前
11/26

11 ヒロインに転生した人の考察①



 登校準備を済ませ、ウォールミラーの前でくるりと体を回転させて、あらゆる角度から全身をくまなくチェックする。もうすぐ170㎝に届く長身に、すんなりとした長い手足、背中まで伸ばした艶やかな黒髪、周囲の同級生より大人びた美しい顔立ち。


 これが、今の私の姿。

 高校二年生の黒瀬春奈だ。


 今から二か月前。高熱で意識を失った私は、この体で目が覚めた。最初はさすがに混乱したものの、目覚めた部屋にあった鏡に映る自分の姿に、とっさに異世界転生を確信した私は歓喜の悲鳴をあげた。


 実現するなんて思ってもみなかった。


 けれども鏡に触れた指先の感覚も、熱でふらつく感覚も、すべてが私のものとしてリアルに感じられる。完全な生まれ変わりではなく、おそらく憑依タイプの転生だろう。でもとにかく、異世界転生は本当にあったのだ。


 私と同じく風邪で体調を崩して寝込んでいたようで、少し疲れているものの、それでもはっきりとわかる整った顔立ち。寝不足と不摂生で荒れ放題だった前世の肌とは天と地ほども違う、なめらかで美しい肌。目つきは少し吊り上がり気味だが、それがクールな美貌を際立たせていて、文句のつけようがない。


 これでようやくクソみたいな日々とはおさらばだと喜んだのも束の間、ベッドも、部屋も、パジャマも、額に貼ってある冷却シートも、すべてが現代日本仕様だと気づいてがっかりしてしまった。どうせ転生するなら、聖女や魔法などのファンタジー要素、もしくは王侯貴族が存在する世界が良かったのに。


 それが駄目でもせめて、現代日本より知識も生活水準も社会システムも未熟な世界。だってそうでなくては異世界転生の醍醐味である現代知識チートが使えない。現代日本ではあたりまえに存在する料理レシピや、商品の開発、サービスの発想などで周囲をあっと言わせ、ちやほやしてもらうことができない。


 そこでようやく、これは異世界転生ではないのかもと思い至った。もっと霊的な何か、例えば私の魂が成仏できずに他の人間の体に入ってしまったとかなのか。一体どこの誰なのかと、もう一度鏡に映る自分の姿を確認してみたとたん、頭に痛みが走って思わすギュッと目を閉じる。すると瞼の裏で動画を倍速再生したような映像が、ザーッと流れ始めた。


 誰かの目線で進むその映像では、疲れた表情をした女が「しっかり勉強しなさい」とか「あの女の子供に負けるわけにはいかないの」などとヒステリックにわめいている。それに対して私が見ている側から「はい、お母さん」と答える声がする。そして「ハルナはいい子ね」と猫なで声が聞こえたところで映像が消えたので、そうっと目を開く。


 ハルナとは誰なのか。そう考えた瞬間、この体の持ち主らしい記憶と、さまざまな感情が、私の意識の中に流れ込んできた。


 幼い頃、父親の浮気が原因で両親が離婚。以来母娘の二人暮らし。父親からの慰謝料や養育費、母親の実家の援助もあって経済的には困窮していなかったものの、元夫と浮気相手の子供が有名私立小学校に入ったことを機に母親の精神が崩壊。我が娘にも質のいい教育をと考えた母親の一存で、地元の公立中学に通うはずだった進路が急きょ変更され、慧聖(けいせい)学園女子中学校に入学。その後も浮気相手との子供と我が子を比べずにいられない母親に厳しく監視され、勉強漬けの日々を送っているこの体の持ち主は、黒瀬春奈17歳。高校二年生だ。


 私が意識を失う直前に読もうとしていた『冷徹俺様社長は真面目な秘書を溺愛する』のヒロインだ。ということは、ここは物語の世界で、現代日本に酷似しているものの、やはり異世界で間違いないようだ。そして時系列を考えると、物語スタート時の春奈は27歳だから、現在はその十年前ということになる。


 判明した事実をまだ整理している途中なのに、先ほどの映像にも出てきた春奈の母親が、ノックもせずに部屋の中にずかずかと入ってくる。そして鏡の前に立っている私を見て「ぼんやりしてる暇があったら勉強しなさい」とわめきたてる。風邪で寝込んでいる娘の体調を気遣う言葉は一切ない。


 かちんときた私は怒鳴り返してやろうかと思ったものの、黒瀬春奈の性格を思い出して、ぐっと堪える。春奈は昔の優しかった母親に戻ってもらいたくて、母親からのどんな指示にも健気に従うのだ。


 けれども「はい、お母さん」とパジャマのまま机に向かうと、隣に並んだ母親が愚にもつかない話をだらだらと続けるのでうるさくて仕方ない。娘に勉強させたいのか、邪魔したいのか、一体どっちなのよと苛立ったものの、再び堪える。


 原作知識がある私は知っているのだ。このヒステリー女はいずれ、ヒーローである邪馬飛瑛士に断罪される運命にある。物語終盤で瑛士が春奈の肩を抱き寄せながら、この女に向かって「春奈はあなたの承認要求を充たすための道具じゃない!」と告げるシーンは痛快だ。せいぜい今のうちにわめいていればいい。


 この毒親の退場はまだまだ先だ。だからそれまでは従順に振る舞ってやりすごすことに決めた。


 今朝も自室を出て玄関に向かう間に、情緒不安定ババアが待ち構えているのに気づいて舌打ちを飲み込む。そして「来週の定期テストの準備はできているのか」とか、「順位が落ちたら許さない」などのねちねちした小言に「はい、お母さん」と答えてさっさと家を出る。


 最寄り駅まで歩きながら、ふーっと息を吐く。


 原作知識があって本当によかった。でないとこっちの頭もおかしくなって、あの女の頭を鈍器で殴ってしまいそうだ。もしそんなことになれば、せっかくの転生が台無しだ。


 朝の通学時間帯の駅構内は、制服姿の生徒たちで混み合っている。その中を颯爽と歩く私に、ちらちらと視線が注がれているのを感じとる。


 黒瀬春奈は真面目なうえに美人すぎて、近寄りがたいという設定だ。


 ヒロインにありがちな『モテるのに無自覚で恋に疎い』という特徴は春奈にもあるのだが、春奈の場合はその理由がはっきりしている。今はまだ高校生だが、十年後の本編スタート時も、春奈は美人なのに恋愛に自信がなく、ましてや自分が異性からモテるなんてみじんも気づいていない。その原因は、すべてあの母親だ。


 母親から交友関係を厳しく制限されていたために、春奈は大学を卒業するまで異性との交際経験がないのだ。しかも中学高校大学と、周囲はすべて女子という純粋培養。まったく男慣れしていないために、同期入社で要領のいい遊び人の九頭当馬の口説き文句に、あっさりひっかかってしまうのだ。その挙句、男を手玉に取る天才の白鳥姫香に九頭を奪われる。


 確かに春奈は毒親というハンデを抱えているものの、私から見ればそれでも充分恵まれた人間だ。なのにずいぶんもったいない生き方をしていると思う。例えば今もほんの少し周囲を見渡せば、この美貌に見とれている男子高生が何人もいるというのに。一挙一動をこっそり観察して、ほうっとため息をつく彼らの存在に気づかないなんて。


 黒瀬春奈に転生したとわかってから、私はなるべく春奈の行動から外れないように気を付けている。というのも原作がある異世界への転生の場合、主人公に据えられるキャラクターは、元となるシナリオの悪役であることが圧倒的に多いからだ。もはやセオリーと言っても過言ではないと思う。この世界で言えば、白鳥姫香や春奈の母親がそれに相当する。この二人のどちらかあるいは両方が私と同じ転生者だった場合、間違いなく破滅フラグを回避する行動をとるはずだ。さもないと十年後、瑛士によって断罪されてしまうから。


 今のところ、春奈の母親は物語通りの人物のようだ。姫香の方は現在どこに住んでいるかまでは原作でも詳しく語られなかったため知り様がない。けれども警戒はしておくべきだ。


 前世では、悪役に転生してしまった主人公がどうにか自分の運命を変えようと試みるタイプの異世界転生モノが大人気だったし、私も大好きだった。けれども自分がヒロイン枠に入っているのなら、そんな悠長なことは言っていられない。だってそのタイプの物語では、ヒロインという地位に胡坐をかいて調子に乗った転生者が、悪役サイドに断罪される結末も充分あり得るからだ。


 そのためこの二か月間、ずっと我慢してきた。けれどもそこまで警戒しなくても、本編に関わる部分さえ変えなければ、多少の行動のズレくらいなら構わないんじゃないかと思い始めたのだ。


 春奈は初めての彼氏が九頭という設定だ。だから彼氏さえ作らなければ、ちょっとくらい楽しい思いをしてもいいはずだ。


 そう考えた私は、少しだけエサを撒いてみることにした。

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