10 悪役後輩に転生した人の頼みごと②
「私、松任谷くんのこと、エライなあってすごく感心してたんだよ」
「──は?」
悲痛な表情を浮かべる琉生を安心させるために、へらっと笑いかける。私の方が年上だし、いつまでもこの少年を悩ませておくわけにはいかない。
「姫香の周りにはさ、間違ったことをしたときに注意してくれる人がいなかったみたいなんだ。だから初めてそれを教えてくれた松任谷くんを逆恨みしちゃったんだと思う」
私の発言が不服なのか、姫香の感情がまたざわつく。だけど私は琉生に頼まなきゃいけないことがあるのだ。
「きっと姫香には、松任谷くんみたいな友達が必要だったんだよ。もちろんキミには迷惑だっただろうけど」
そう言って琉生の肩をポンと叩くと、その手をぎゅっとつかまれた。姫香の手よりずっと大きい琉生の手は、よく日焼けしていて硬い。
「……巻き込まれたのはお前も同じだろ?」
「あー、うん。そうだね」
琉生の言いたいことがわかって、苦笑する。そのせいで私たちはジャージに着替える羽目になったわけだし。
「なんとかしようとしてはいるんだけど、なかなかうまくいかないね。姫香にこの体を返す前に、できるだけ環境を整えておいてあげたいんだけどなあ。今の状態はまだちょっと姫香には荷が重そうだし」
「え? お前、いなくなんのか?」
「わかんない。この体に入ったのも突然だったし」
なんだか話がそれちゃったけど、今なら話すのにちょうどいいタイミングだ。
「それでね、松任谷くんに頼みたいことがあったんだよ。もし私が姫香の体からいなくなったとき、姫香の友達……は無理でも、姫香が困ってるときに味方になってもらえないかなって」
「なんでお前がそんなことを? 姫香とは全然関係ない他人なんだろ?」
「この体に入っているせいか、なんか姫香のこと放っておけなくて。それに私、実はずっと妹が欲しかったんだよね。まあ……こんなに手のかかる妹はできれば遠慮したかったけどね」
そう言ってもう一度へらっと笑った私をじっと見ていた琉生は、やがて神妙な顔で頷いた。
「わかった。協力する」
「え、いいの?」
「ああ。要は姫香のそばで、好き勝手しねえように見張ってりゃいいんだろ?」
「……うん」
なんとか説得して、信じてもらわなきゃって思っていたから拍子抜けだ。っていうかこの子、大丈夫かなってちょっと心配になる。だって以前にも姫香にころっと騙されているわけでしょ? なのに私の話を疑いもしないなんて。本物の姫香だったら、こういう嘘で男の子の同情を引いて、そのまま略奪するくらいやるよ。きっと。
「松任谷くん」
「……何だよ」
姫香みたいな中学生がいる一方で、こんなにピュアな中学生もちゃんといたんだってほっこりする。けれども同時に老婆心が顔を出す。
「あのね、ちょっと厳しいことを言うけど、ちゃんと聞いてね。信じてほしいって言ったのは私だし、すぐに信じてくれたのは嬉しいよ。だけど私が嘘ついて松任谷くんを騙そうとしているかもしれないって、そういうリスクもちゃんと考えた方がいいよ?」
「……あぁ?」
できるだけ優しく言ったつもりだけど、思春期の琉生はやはり素直には聞けないようで、盛大に顔をしかめている。
「松任谷くんのその純粋さは失くしてほしくない。だけど世の中には、悪いことを考えている人もいるんだってこと、頭の隅に置いておいて」
そう言いつつ、姫香の顔は可愛いからなぁと嘆息する。それに全体的に儚げなのだ。男子はきっとこういう子に弱いんだろうなって思う。中学時代に同級生の男子から、吸引力の変わらない高性能掃除機のあだ名をつけられていた私とは大違いだ。
でもここは年長者としてちゃんと教えておいてあげなきゃって考えていた私を、琉生がすっごい蔑んだ目で見つめてくるのに気づいてぎょっとする。
え、なんなの?
靴裏にくっついちゃったガムを見るようなその目は?
「……ほう? 確かにそうかもな。毎日ちょっとずつ飯を増やしていけば、最終的に相撲部屋の飯かってくらいに盛ってもバレねえだろうっていう、狡猾で完璧な大作戦をたてられるお前からみりゃ、俺なんて世間知らずのひよっこだよなあ? 忠告痛み入るぜ、まじで」
言葉に表情が合っていないし、そもそもその言葉の端々にもトゲを感じる。これは嫌味だな。それくらいわかる。どうやら琉生は、ひねくれタイプの思春期らしい。
「俺のことはいい。お前は明日の昼飯をどうするかって作戦でも考えてろ。もう変装はできねえだろうからな」
「えええっ?」
髪型を変えても駄目かな?
「そろそろ教室に戻るぞ」
少し前までピュアな少年だったのに、思春期全開なトゲトゲボーイに豹変してしまった琉生が立ち上がる。そしてまだ握ったままだった私の手をぐいっと引っ張って、立たせてくれた。
こういうところは親切なんだ?
思春期ってよくわかんないな。
あと、いつまで手を握ってるつもりなんだろう?
「ね、松任谷くん」
私の手を引いたまま、すたすたと歩いていく琉生に呼びかける。
「まだ今はいいんだよ? 松任谷くんに姫香を見ててほしいのは、私がこの体から出ちゃった後の話だからね?」
体育館から教室がある校舎に近づくにつれて、行き交う生徒の数が増えてくる。手をつないで歩いている私たちの方にちらちらと向けられている視線に気づいてそう言うと、まだトゲトゲボーイな琉生が呟く。
「馬鹿じゃねえの? お前が姫香の体からいつ抜けるのか知らねえけど、そのときになって急に接近するより、今のうちからつるんでおく方が自然だろうが」
「あ、そっか」
琉生の指摘に納得したものの、馬鹿は言い過ぎだよと文句を言おうとして、ハッとする。
「ま、松任谷くん! 駄目だって!」
重要なことを思い出した私は、慌てて琉生の手を振りはらった。
「こんなとこ、キミの彼女に見られちゃったらどうするの!」
「彼女?」
辺りをきょろきょろ見渡して、琉生の彼女の友美の姿を確認したけれど、幸い近くにはいなかった。でも彼女の友人知人が報告しないとも限らないから油断はできない。そんなふうに周囲を警戒していた私に、琉生が怪訝そうな顔で訊ねてくる。
「彼女って誰だよ?」
「友美ちゃん」
「は? なんで友美が俺の彼女──」
「姫香の記憶で知ってるの! 私は今、姫香の後処理でいっぱいいっぱいなんだよ。これ以上の修羅場はごめんだからね!」
近かった体を離して歩きだそうとした私の前に、さっと琉生が割り込んでくる。身長差のせいで、前をふさがれると壁みたいに大きく感じてしまう。
「ちょっ、通して──」
「あれは、友美の嘘だ」
「え?」
「お前──じゃなくて、あー、ややこしいな。もとの姫香のことだ。アイツに彼氏を奪われたくなくて、俺と付き合ってるって嘘をついたらしい」
「……そうなの?」
「そうなんだよ。心配なら友美に聞いてみろよ」
「別に疑ってるわけじゃないけど」
それでも琉生とあんまり親しくしすぎるのは、他の女子の反感をかいそうだ。
「なあ、ややこしいから、お前のことは『夏妃』って呼んでいいか?」
「えっ?」
「もちろん他の人間がいるときは『姫香』呼びに戻す」
琉生からの思いがけない提案に、また私のおなかのあたりがポカポカしはじめる。最初に名前を聞かれたときもそうだった。この世界では私の存在が認められることはなかったから、かなり嬉しい。
「……うん。わかった」
「なら、行くぞ。──夏妃」
歩きはじめた琉生の背中を追って、私も歩きだす。
ずっと、姫香の境遇をなんとか改善しようと試みてきた。でもなかなかうまくいかなくて、ちょっと疲れていたんだと思う。だから琉生が味方になってくれて、すごくすごくホッとした。
味方が一人いるだけで、こんなに心強いものなんだ。だったら姫香にも味方もたくさん作ってあげなきゃいけないなって思って、ぐっとこぶしを握る。
よし、頑張るか! と内心で気合を入れたとたんに私のおなかがぐうっと鳴って、前を歩いていた琉生が信じられないものを見るような目で私を振り返ってくる。
「さっき、昼飯食ったばかりだよな……?」
しょうがないじゃん。
安心したらおなかが減ってきちゃったんだから。
授業が終わったらさっさと帰宅して、ルミさんのごはんを食べよう。そして来週のメニューをリクエストするときに、姫香についての相談を持ちかけてみようと決めて、琉生と共に教室に戻った。




