1 物語スタート?
初投稿です。
お越しいただきありがとうございます。
異世界(漫画の世界)への転生ですが、舞台は現代日本をモデルにしているので、ジャンルは『異世界』ではなく『現実世界』にしてあります。
仕事中に眩暈を起こし、医務室のベッドを借りて休んでいた私は、扉が開く音に気づいて目を開けた。
先ほどここに常駐する先生が内線で呼ばれて出て行ったので、用事が終わって帰ってきたのかと思ったのだが、戸口にいたのは予想外の人物だった。
「ひ~めかちゃん」
営業一課の九頭当馬が、にやにやと笑いながら入ってくる。
「え……?」
この男と二人きりになるなんて、嫌な予感しかしない。身の危険を感じた私は、医務室のベッドの上で急いで身を起こした。
「ちょっと席を離れるのに手間取っちゃって。待たせてごめんね」
「……あの、すみません。おっしゃっている意味がわからないんですけど」
幸い眩暈は治まっていた。けれども背後は壁で、正面から近づいてくる九頭からどうやって逃げようかと考える。
「手紙くれたじゃん」
「手紙……?」
「これだよ。『医務室で待ってます。 白鳥姫香』って」
九頭の手には、確かにその通りの文言が書かれた紙切れがあった。けれどもまったく心当たりがないし、そもそも筆跡が私のものじゃない。
「知らないです。私、そんなの書いてません」
「ははーん。そういうシチュエーションがお好みってわけ? いいよ。俺も嫌いじゃないから」
「だから本当に知らないんですってば! ──ちょっ、近寄ってこないで!」
ベッドに膝を乗り上げた九頭が、私に触れようと手を伸ばしてきたので、とっさに叩き落とす。「痛えな」と不機嫌そうに呟く九頭に一瞬ひるみそうになるものの、医務室の扉が薄く開いていることに気づいてハッとする。
大声を出せば、誰かが来てくれるかもしれない。そう考えて、すうっと息を吸い込んだ次の瞬間、医務室の扉がバァンと勢いよく開かれて、一人の女性が現われた。
助かった、と安堵したのも束の間、戸口で立ちつくす営業一課の黒瀬春奈さんが、信じられないとばかりに口元を手で覆う。
「……当馬に、白鳥さん? 二人で一体何をしているの?」
黒瀬さんの後から、二人の男性が入ってくる。
「な、なんてことを……!」
ベッドの上にいる九頭と私を見て驚愕の表情を浮かべたのは、私の職場である株式会社YAMATO──衣料品や雑貨を扱うセレクトショップ──の取締役社長邪馬飛瑛士さんと秘書の松田さんだ。
「白鳥さん……当馬は私の彼氏だって知ってるわよね? それに当馬も、私が白鳥さんを可愛がっていたことを知ってたくせに。なのに二人は私に隠れてこんなことをしてたのね? 私は二人のことを信じていたのに、酷いわ。こんな裏切りに遭ってしまったから、私はきっと恋に臆病になってしまう!」
そう叫んでわああっと泣きはじめた黒瀬さんに、開いた口が塞がらない。
彼女は時々、訳のわからない言動をすることがあって、それでも最近は落ち着いてきたと思っていたのに、今日のコレはあまりにも酷い。舞台女優さながらの豪快な泣きっぷりに絶句していると、泣いているはずの黒瀬さんの口元が、薄っすらとカーブを描いたことに気づいた。
もしかして、これが例の物語なのだろうか?
初対面でいきなりつかみかかってきた黒瀬さんがとうとうと語ってきた、黒瀬さんが元いた世界で大人気だったらしい女性向け漫画のことだ。タイトルは『冷徹俺様社長は真面目な秘書を溺愛する』。ちなみに18禁だったそうで、その後に続くサブタイトルには、かなり過激なワードが並んでいた。それがキリッとした美女である黒瀬さんの口から出てくるものだから、私はすっかりうろたえてしまった。
黒瀬さんが言うには、私も黒瀬さんも、その物語の登場人物なのだそう。
ちょっと意味がわからなかった。
確かに私は、生まれたときからずっと白鳥姫香だったわけじゃない。奥居夏妃として生を受け、今とは違う環境で育ってきた。けれども今から十年前、階段からうっかり足を滑らせた私は、頭を打って一瞬意識を失い、目が覚めたときには白鳥姫香になっていたのだ。
「だからそれを異世界転生というのよ! 異世界転生を知らないなんて……! あなた、一体いつの時代から転生してきたの!?」と黒瀬さんから叱られてしまったけれど、私はれっきとした令和の人間で、都内で暮らしていた。
ただ貢ぎ癖のある母親のせいで生活が苦しく、借金の返済に必死だったから、スマホも持っていなければ、漫画もほとんど読んだことがなかった。
そのことで黒瀬さんはいたくご立腹だった。
黒瀬さんの話では、私が行動を起こさないと『冷徹俺様社長は真面目な秘書を溺愛する』の物語がスタートしないらしい。「さっさと私の彼氏を寝取りなさいよ」と言われたけれど、そんな無茶苦茶な要求を呑めるわけがない。
しかも黒瀬さんの彼氏が誰か教えられた私はびっくりしてしまった。だって黒瀬さんの彼氏は、私の苦手な九頭当馬だったから。
九頭はいつもやたら近くに体を寄せてくるし、話している間ずっと私の胸元を見てくるので本当に気持ちが悪い。上司や同僚にはすでに相談しているし、皆の協力を得て、なるべく関わらないようにしている。
黒瀬さんもそんな人とは早く別れた方がいいんじゃ、と考えてハッと気づいた。もしかしたら黒瀬さんは九頭と別れたくて、私に協力してほしいのかもしれないと。
寝取ることは論外だけど、クズ男と別れるために協力してほしいということなら、同じ女として放っておけない。
そう決意した私は黒瀬さんの相談に乗るべく、彼女と何度も会うようになった。そのうち黒瀬さんとは一緒にご飯を食べにいく仲になっていたし、別の世界から来てしまった者同士として私も話を聞いてもらったりして、友人と呼んでもいい関係になっていた。
少なくとも私はそう思っていた。
なのに黒瀬さんにとって、私はただの舞台装置に過ぎなかったらしい。




