ただいま、逃走中 3
青年は、本宅へと戻る。
名士の父親が交易商人としての拠点とした館の事だ。
彼は、父親の目を最後まで欺き続け果せた。
街の守備隊も同様だ。
本物の中の偽物も、偽物の中に本物を忍ばせるのも大した差はない。
別宅の本物を見れば、その中のごく一部が偽物にすり替わっていても判別は難しい。
これが彼なりの復讐だった。
「色々やるには金が掛かる」
本宅の書斎で、大きくため息を吐く。
蝋燭の灯が動くのを確認して、
「闘技場の破壊、お世話になりました」
青年は壁に映る、影に一礼した。
「で、どれが本物ですかね?」
「見えるものすべてが本物です、ね」
と、詐欺師は言う。
業界人でもこの手合いのは、疑う心得を自得している。
でなければ、次に躯となって川なり野なりで打ち上がるのは“当人”であるからだ。
「好きなものを持って行けと?」
にわかに嫌悪にちかい空気が流れた。
が、扉が唐突に開けられ、侍女の姿が刺客の目に飛び込むと、事情も変わる。
抜きかけた刃を、侍女の傍に立つ扇持ちに遮られた。
「よせ物騒な」
開いた扇が閉じられ、その棒っ切れで叩き落された。
匕首とともに腕がすとん、と落ちた感覚。
《切り落とされた?!》
みたいな感覚だが、ちゃんと彼の肩からそれは生えている。
「美術品なんぞ持って行っても足が付く。そういう仕組みで、これ見よがしに置いてある...アホなコソ泥にはこれが防犯装置だと気づかんだろう。っと、その意味では坊の父親は抜け目がない。これほどの知恵者ならば、もう少し時間を稼いでほしいところだったが、な」
侍女は、水の入ったコップと、革袋が載った盆を刺客へ勧める。
肝が据わっている。
とも、言いにくい。
だって彼女は終始、瞼を閉じている。
見ないようにしていれば、いや、だとしても会話は聞こえる訳で。
「俺としては...わりと危ない橋を渡ったつもりでいる」
見れば革袋は、手の中に納まりきれる程度のものでしかない。
これじゃないを主張した。
「だったら好きな美術品を持っていくといい。止はしない」
青年は侍女を呼ぶ。
涼しそうな音色の鐘がなる。
彼女も瞬時に動いてた――こいつ、俺たちの会話を!と、刺客は激高したが。
「ああ聞こえているとも。目も見えるし、坊以外とは話したがらないが口も利ける。...が、お前の激高先が理解できないのだが」
「バカな?! 俺は素性こそ明けてないが顔も声も仕事の成果も...話しちまった!! これのどこに怒らないと言える」
扇を再び開いた男は、
肩を竦めて。
「協会にケンカを売ったのはお前だ。ゾディアック諸共に地中深く埋めようとしたのも、だ。さて、彼女もまた坊の...我らの仲間だ。どうでもいいから、そろそろ何処かで折り合いをつけろ? 身のためだぞ」
手は貸しはしないが、見ていたという男の発言。
刺客もまた、駒の一つ。
眉間に皺を寄せつつも妥協し、革袋を取った。
海向こうの“帝国大金貨”。
発行枚数は1万にも満たない希少貨幣であり、製造年代では嗜好者サイドで高値取引されるというものだ。
現代風ならば、ビッ〇コインくらいの価値基準。
その大金貨が4枚。
いずれも発行数の少なかった幼帝ゼ=ネコン時代のものだ。
「こ、これ...ま」
「本物だが、親父のコレクションからじゃないから...今後も組織のために宜しく頼むよ」
と、青年は猫でも可愛がるように侍女を撫でている。
その女の瞼が開かれて、刺客は背筋に寒さを覚えた――寒い、心のない虚ろな目だった。
◆◇◆◇◆◇
“蒼炎”は、猫足の執務机の上で果てていた。
要は意地の張り合いだ。
床には、痙攣中の修道女がある。
ふたりの壮絶な戦いの現場に水たまりがあって、部屋に入ったあたしの鼻を襲ったのが「潮くせぇー!」だったわけだ。
ふたりとも、嫁入り前はどっか他所へ置いといて、成人なり立てのエルフ族だ。
“蒼炎”は、族長の娘だし。
“紅”は、領主の娘という立場もある。
正教会でも地位ある審問官という肩書があった。
「うわ、何この大惨事???!」
あたしと一緒に入った小間使いのチビ修道女たちもドン引きである。
こうなると、チビっ子たちの撤収力はすさまじい。
あっという間に根源は洗濯小屋へ放り込まれ、部屋も清掃された――「いや、なんか悪いね後輩たちが...見境なくて」――なんで、あたしが誤ってる。
「気にしないでください。普段も似たことしかしませんから」
彼女の逞しさが一片でも見れた気がする。
と、同時に後輩の不甲斐なさも...見えた。
「ごめんね~」




