春は戦いの季節 5
勇者の視線が気になる。
爺ちゃんの信奉する神は“エルフの神”で。
女神正教からすると、蛮族の信奉する旧い神だという。
まあ、それはあたしの信奉する神さまとて、同じことなんだけど。
信教の自由くらいは帝国にだってあるし。
神々の宴に招かれた各柱のように、未だ、すべての人々が“乙女神”を信奉しているわけではない。
だから、やや傲慢な乙女神だけども。
他の柱との饗応くらいはしなくちゃいけないらしい。
うん。
される側も、する側も面倒だと思ってるから。
《なんだ、その目は...》
わき腹に刺さる刃は上向き。
抜いて、即座に回復魔法を唱えることが出来れば...
いや、それが出来ないようにしたのだから。
抜けば即座に出血死になる。
「大丈夫か?」
爺ちゃんは、皇帝に動けるかと問いたいところだけど。
考えていた言葉と、口からついて出たものは違った。
大丈夫そうに見えないのに、大丈夫かって。
呂律が回らない。
「ふふ、貴様でも慌てることがあるのだな」
皇帝の皮肉か、或いは意地悪か。
左わき腹のナイフは抜けそうにない。
気を抜けば、締めている筈の筋肉が一気に緩みそうな雰囲気がある。
「一服、盛られたかな?」
「それは無いと思うが。恐らくは加護が、肉体の強化にまで浸透してたのだろう。ひと柱のみの世界がこんなにも脆く、そして頼りないこととは思わなかったな...」
別の神を信奉している爺ちゃんでも、
乙女神からの加護を受けなくなると、いつもよりも数段動きが鈍くなった。
対する中年勇者の逞しい事。
「な、なんだ...その余裕は?」
思わず皇帝は、勇者に声を掛けてた。
三の王女こと娘の前でもあるし、教会との距離感もあったから。
極力、関わらないように努めてた。
◇
「驚きですね、まだ...こちらに気遣う余裕があるなんて」
が、勇者の口からでた言葉だ。
卓上に肘をつき、右利きの手に二股のフォークがある。
ハムのように薄く切りだされたロースト肉で、遊ぶさまは退屈そうにも見えたんだけど。
「エグマンさん!」
勇者に声を掛けられた市長が、驚いたのか甲高い声で鳴いた。
「(フォークを振り回しながら、)...陛下らの食事には、麻痺毒か何かでも混入させておいた方が、後々で考えたらよかったかもしれませんね。これは貴方のミスという事で、報告させてもらいます!!」
市長の情けない声が響いたけど、身動きが取れない皇帝の周りに護衛の騎士が集まる。
爺ちゃんによる指揮の賜物。
でも、たぶん遅かった。
「往生際が悪いです!!」
死角から、すっと刃が入ってくる。
皇帝のがらんどうになった、右の腋の下から侵入された。
「ごふっ」
無精の口髭に血の泡が。
爺ちゃんも騒然としてたんだけど。
皇帝自らの腕で、突き飛ばされてた――『お前ひとりならば脱出できるだろ!!』
これが武神と呼ばれた男の、最後の言葉だった。