聖都の攻防 9
時間が止まってるとは言え、呼吸していないわけじゃない。
えっとねえ。
みんなの感覚は、数百倍の濃縮した別の世界線に意識があって――そこでは、師匠によく似た人物から他愛のないトークをして爆笑し、あたしが粗相をした話で笑いを繋げてるとか、そういうのだと後に知ることになる。
えー。
あたしって、不幸――なのでは?
こっちの世界線に戻ると。
目の前の男は口がもごもご動いてる。
「なんか食べた?」
「君が別の世界線いや、可能性の話をしている最中にね。メイドちゃんが持ってきてくれた茶菓子をひとつ頂いたとこだ。数が合わなくなったと彼女が言ったのなら、妖精がひとつ、口の中に放り込んでいったと言うといい...」
いやいや。
そんなこと言ったら、いくらあたしにぞっこんのミロムさんでも疑うわ。
この世界線はそんなに優しくできてないよ。
◇
「このスカウトは断ってもいいのでしょうか?」
ポーカーフェイスでも、気配までは。
そう、空気にやや少しだけ色が付いたような雰囲気。
「かまわないが、こういうのは異例なことだ。結社についての情報が集まりやすい環境、その始末なども、な...」
魅力的とは、今の段階では言えない。
いや、確かに手探りな現状の打開は可能だろう...
だけど、もっと冷静に考えれば――「止めたいときに止められる、今の状況の方が選択肢が多い気がするんですが?」って、つい本音が口から飛び出してた。
うん、ここが素直なとこらしい。
ひと呼吸。
師匠似の化け物は、壁からゆっくりと離れた。
「確かに。我々も選択肢としてはそれなりに持ってはいるが、こと結社に至っては狭窄的になることはある。ただし、彼らを野放しにしていると...キミの大切にしている世界が壊されることは、ほぼ間違いない。その時に無力では――」
「それって、脅迫って言うんですよ?」
「その通りだ。例えば、この娘――」
男はミロムさんの脇に立つ。
茶菓子のクッキーがひとつ消失。
「彼女は王国式の次期指南役なのだろう? この大陸で対峙できる剣士は、そう多くは無い。...ふふ、キミのその強張った表情が物語ってるじゃないか。暗殺者狩りの“金色のサイクロプス”、キミのような手練れは結社にも存在する」
ミロムさんは確かに強いけど、その物差しは“冒険者”の枠から出ない。
王国式の剣術指南役は、近衛騎士団にその技を教授することが目的――帝国式のと比べれば、一段は落ちる。
いや、或いはレイバーン卿なら。
「王国式抜刀術は練り込んだ魔力の解放と同時に、神速を超える抜即斬の一撃必殺であろう? 踏み込んで一撃を粉砕する化け物も少なくはない。その時にキミが居ればいいが...」
これはほんの少し先の未来の可能性。
あたしが結社探索を止めれば起こり得る可能性だ。
で、次に――後輩の頭を撫でた。
「この子も...強いな?」
次元で言えば“冒険者”の枠内で、だ。
紅の修道女の肩書は、アンダーグラウンドでも耳にはする。
暗殺者狩りとして対峙したことはないけど、教会と敵対してた狼たちは管を巻いてたなあ。
「あの少女よりかは強いが、頭一つ...そこの帝国式の少女と同じレベルだろう」
わりと正確な物差しを持っている。
ただ、彼はあたしの近くに寄ってこない...。