見守る者たち
日が沈み、月が上る。村民は皆、一日の役目を終え家の中だ。
ローザとバルトリーも家に帰り、夕食の準備をしている。
そんな中、ローザの家を物陰からコッソリと窺う者がいる。
足音を立てないよう、ゆっくりと慎重に近づき、そっと壁に耳を当てる。
防音がしっかりしているわけでもないので、耳を当てずとも中の声は聞こえるのだが、それでも、中の様子を詳しく知ろうと耳を当てる。
家の中からは、バルトリーの自慢話と、それを竦めるローザの声が聞こてくる。
トントン
ふいに肩を叩かれた。驚きで、体がビクつく。
とっさに振り返ると、そこには腕組みをした自分の妻が立っていた。
「あんた……そんなところで何やってんのさ」
「あー、その、これはだな……」
「ちょっとこっち来な」
「……おう」
ローザの家は気になるが、ルアーナの呼び出しでは断れない。
ヴィートは大人しく従うと、ルアーナに付いていった。
自分の家を横切り、真っ直ぐ進む。どうやら山羊小屋に連れて行かれるようだ。
山羊小屋は村の外れにあり、牛小屋と隣接している。
日の落ちた今は誰もこの辺りを通らないので、獣臭さえ我慢すれば内緒話にはもってこいの場所だ。
「家じゃ話せないからね……あぁ、ニコロにはちょっと待っててって言ってあるよ」
「……すまん」
どうやら気を遣ってくれたようだ。その気遣いに申し訳なくなる。
畑を通り過ぎ、目的の場所まで着いた。小屋の戸を開け、二人で中に入る。
山羊にとっては見慣れた顔なのだろう、四匹とも騒ぐことなく、静かに寝そべっていた。
先導していたルアーナが振り返る。どうやら話が始まるようだ。
「あんた、どういうつもりだい?」
「かあちゃん、俺はただ……」
「あんたの気持ちは分かってるよ。でもね、隠れてコソコソと……情けなくないのかい?」
「俺は……」
「あたしだってイレーンとの約束がある。あんたもアンドレとの約束がある。でもね、最後に決めるのはあの子なんだよ」
「だけどよぉ……」
「なら、あの子と腹割って話してみればいいじゃないのさ」
「でもよぉ――」
バチン
「――いてっ。かあちゃん……」
「いつまでもウジウジするんじゃないよ!……はぁ、ニコロが見たら何て言うかねぇ」
「俺だって!……俺だってあの子が心配なんだよ。アンドレの事もある。でも、それだけじゃねぇ。俺だって娘だと思ってる。でもな、あの子はまだ16歳なんだ、旅に出るのは早すぎないか?」
「じゃあ、いつならいいんだい?」
「そりゃ……その、あれだ……いつかは」
「はぁ、あんたが寂しいのは分かるけど、それにあの子を巻き込むんじゃないよ、まったく……」
「俺は、心配なんだ。あの子はまだ小さい、それに女だ。女の一人旅なんて……」
「明日、あたしからあの子にもう一度聞いてみる。それで、あの子の気持ちを確かめる」
「かあちゃん……」
「その上で、もしあの子の気持ちに変わりがないのなら、そん時は背中を押してあげる」
「かあちゃん!」
「あんたも、あの子の親を自称するならしっかりしな!大事なのはあの子の気持ち。それを忘れんじゃないよ」
「……かあちゃん」
「ふぅ~、ニコロが腹空かせてんだ、そろそろ帰るよ」
「……分かった」
そう言って、二人は山羊小屋を後にした。
ヴィートは昔、ローザの父アンドレに命を助けられている。
狩りでの事故だった。冬眠を終え山を下ってきた熊と遭遇したのだ。
熊は体格も良く、腕力もあり、そして意外にも俊敏に動く。
対面した時は自分は死ぬのだと思った。そこへ駆けつけたのがアンドレだった。
彼は槍を手に熊に立ち向かい、ヴィートに逃げろと叫んだ。
ヴィートは動けなかった。逃げたい、でも、アンドレは見捨てられない。その葛藤が体を硬直させた。
結果、熊は胸に槍を突き刺され、アンドレは胸を爪に切り裂かれた。相打ちだった。
アンドレは息絶える前にヴィートに呼びかけた。『娘を頼む』と。
ヴィートがローザを特に気にかけるようになったのはそれからだった。
ニコロという一人息子がいるが、それと同じように、まるで実の娘のように接し、育ててきた。
その娘が一月前、旅に出ると言い出した。寝耳に水である。
ヴィートは思い留まるよう説得を試みた。だが、これは自分の意思で決めたことだとローザは頑として譲らなかった。
ローザには一切の迷いが無かった。しかし、アンドレに託された身としては、素直に送り出せなかった。
アンドレに託された娘が、可愛い娘が離れていく侘しさ。
今行かせたらアンドレと同じようになるのでは?という恐怖。
アンドレとの約束を守れなくなることへの申し訳なさ。
娘の決意に泥を塗るようないたたまれなさ。
様々な感情がヴィートを悩ませた。どうすれば良いのか、真剣になればなるほど答えは出なかった。
しかし、ルアーナに尻を叩かれたことで、ようやく目が覚めた。
今までの悩みは、全てヴィート自身の事だった。自分が寂しいから、自分が申し訳ないから、自分が情けないから。自分のことばかりで、あの子の気持ちを考えてやれなかった。
それでは駄目なのだ。あの子の気持ちを受け止め、行って来いと送り出す。それが親の役目だろう。
家路につき、ヴィートは決心を固めた。
「やっといい顔に戻ったじゃない。それでこそ、惚れた男だよ」
「かあちゃん、ありがとう」
「さて、夕飯にしようかね。ただいま、ニコロ――」
ガチャ
「母さんおかえり。……何だ、父さんも一緒かよ。もう腹減ったよ」
「遅くなったな、ニコロすまん」
「ニコロ、悪かったね。……ほら、あんたも手伝うんだよ」
家に入り、夕飯の盛り付けを始める。
ヴィートは盛り付けを手伝いながら、どうすれば娘の旅路を安全なものにできるか考える。
町へ行くには森や山も抜けていくだろうし、最低限の道具は要るだろう。だが、旅の共に嵩張る物を持たせては支障が出かねない。よし、あれにするかな。
決意を固めたヴィートが、夕飯の後に更なる問題に直面するのだが、それはまた別のお話。
目を通していただき、ありがとうございます。
どちらかと言えば、良い評価よりも辛辣で率直な感想を貰える方が望ましいです。
より良い物ができればと考えています。