追われる者
木々が生い茂る森の中、草を踏み荒らし通り過ぎる者達がいる。
追う者、追われる者。それぞれがそれぞれに、懸命に駆ける。
追う者は鍬を片手に、追われる者は身一つで、両者一歩も譲らない。
「いたぞ!早く捕まえろ!」
「囲え囲え!」
この一撃で仕留める。そう意気込み鍬を振り下ろす。
その全てが一撃必殺の威力を誇る。しかし、相手も持ちうる身体能力全てを使い躱す。
右に左に、互いに相手の動きを読み取り、攻撃、回避を重ねていく。
激しい攻防は、終わる気配を見せない。
「くそ!何てすばしっこいんだ」
「左だ!おい!そっちに行ったぞ!」
追う側は、辛うじて追えているものの、未だに成果が出せていない。
追われる側は、鍬の一振り一振りに全神経を割き避ける。
「何故私がこんな目に遭わなければならんのだ……」
今、私は必死に逃げている。それも大勢の敵からだ。
どれだけ必死か分かるまい。文字通り命辛辛逃げているのだ。
野を超え山を越え、ただ只管に逃げる。一人で。
私と違い、奴らは人数が多い。故に、協力することができる。狡い。
だが、私は違う。味方は一人もおらず、常に自身で周囲を警戒しなければならない。不公平極まりない。
逃げ延びる為に思考を費やさなければならないのも我慢ならん。
分かるか?ただただ逃げるだけの為に考えなければならない苦しさが。
奴らは多少なりとも頭が回る。流石の私も身体能力だけでは躱しきれない。
岩陰に隠れたり、木に上りやり過ごそうとしたり、時には奴らの股下を潜る事だってしなければならないのだ。
何故世界は私に冷たいのだ。理不尽への怒りで神をも殺せそうだ。
あぁ、キミたちは恐らく私を罪人か何かだと思ったのだろうが、それは違う。
私は全くの無実だ。誤解の無いように。
私ほど清廉潔白な者など、この世に存在しないだろう。
ヒュン――
頭上から勢いよく鍬が振り下ろされるが、体を左に捩り、間一髪で躱す。
しかし、鍬を振り下ろした勢いで小石が舞い、その礫が顔を掠り、擦り傷を作った。
だが、それに蹲って騒ぐ余裕は、今の私に無い。
ただ只管に逃げる。今はそれしか取る術が無いのだ。
「くぅ……痛いよぉ……」
蚊の泣くような声とはこの事を言うのだろう。か細く弱々しい声が漏れ出る。
あぁ、つい泣き言が出てしまったが、今のは聞かなかったことにしてくれ。
一応弁明の為に言っておくが、甘く見るなよ。
掠っただけとでも思っているのだろうが、キミたちも本気で擦られてみれば分かる。本当に痛いのだ。
分かるか?痛いんだぞ!何となく熱いし、血は出るし、肌はガサガサになるし、とにかく痛いのだ。
本来であれば、私の美しさに傷をつけた罰で拷問の後斬首してやるところだが、それすら後回しにしてしまえる程に痛いのだ。
誰に話しているのかは自分でも分からん。
だが、こうして思考を余所にやることでしかこの現実を受け入れられない。
だいたい、私が何をしたというのだ。
あれか?葡萄の実を摘まんだことか?
いいじゃないか!たくさんあったんだ、一つぐらい良いじゃないか。
樽の中にいっぱいあっただろう?その内の一粒だぞ?どうして怒るのだ、どれだけ狭量なのだ。
満足するまで食べるつもりだったところを、たった一粒で止めたのだ。感謝こそすれ、追い回すのは可笑しいではないか。
それともあれか?小麦を一房持っていった事か?
あれだって私は微塵も悪くないじゃないか。
何だ、たくさんあっただろう?至る所に山になって置いておっただろう?束になって放置していたのはお前たちじゃないか。
その中の一房なのだから、目くじら立てて怒るなんて馬鹿げている。そんな事ではこの先生きて行けんぞ。
まぁとにかく、私は欠片も悪くないのだ。
どう考えてもあいつらの方が悪い。うむ、どこも間違ってない。私が正しい。そう、私が、私こそが法なのだ。
例え黒い物でも、私が白と言ったら白になるのだ。そんな事も分からないなんて極刑は免れんぞ?
「はぁ……はぁ……くそっ!何てすばしっこい奴なんだ」
「ねぇ、そろそろ日も落ちるし帰ろうよ――」
「捕まえらんなかったら母ちゃんに飯抜きにされちまうが、それでも帰るか?」
「くっ……やってやるぞぉぉぉ!!」
馬鹿共めが、更にやる気を出してどうする。
そこは素直に帰るところだろうに。
私もそろそろ体力の限界が近いのだ。いい加減休みたい。
普段であればもう撒けても良い頃合いなのだが、今日は本当にしつこい。
できれば使いたくなかったが、このままでは睡眠も取らせてくれそうにないし仕方ない。
実を言うと、この逃走劇は簡単に終わらせることができる。
条件は付くが、それさえ満たせば実行には大して時間もかからない。
それならば早くやれと思うのだろうが、これには代償が必要なのだ。
代償とは何か?
それは私の矜持だ。
だからこそ躊躇い、今に至るのだ。
まぁ、正確にはこの逃走劇の大半は条件を満たすまでの時間稼ぎなのだがな。
とにかく、どこの馬の骨とも知れぬ輩相手に自らの矜持を捨てるなど、屈辱以外の何物でもない。
しかし、捕まって見世物にされるよりはマシか……
「洞穴に入ったぞ!入口を塞げ!」
「父ちゃん、兄ちゃん、入口はそこだけみたいだよ」
「よし、観念して出てきやがれ!」
三人は、鍬を片手に洞穴の前へ陣取る。
相手がどんなに機敏な動きをしようとも、必ず確保してやるという気概を持って鍬を構える。
体力を消耗したからか、緊張からか、額から汗が落ちる。
三人が無言になることにより、辺りは静寂に包まれた。
日が完全に落ちた。
条件を満たした。
目を通していただき、ありがとうございます。
どちらかと言えば、良い評価よりも辛辣で率直な感想を貰える方が望ましいです。
より良い物ができればと考えています。




