失ったもの
力を込めた右腕は、左の眼球を貫き、そのまま更に奥の肉を抉ろうとする。
両手でテッセンの右腕を掴むローズ。
そのまま視界に捉えて塵にしようとするも、彼は姿を透過させたままであり、照準が合わせられない。
「……っ!! 女性の顔を狙うのは、反則って知ってますかねぇ……」
「知らないな」
「くっくっく……!! ナイフじゃなくて銃で撃てば良いものを……腕に自信がないのですか?」
「……お前も人のこと言えるほど上手くねぇだろ」
「はいはい。まあ、ここまで近づいているのなら、わざわざ使う必要がないですかねぇ~……」
テッセンを見ることを諦めたローズは、代わりに水浸しの地面に視線を移す。
行き場を無くした雨水がレンガ造りの歩道に溜まっており、彼女は湯を沸かすようにそれらへ熱を加える。
秒針が1回動くと同時に、沸騰したお湯から立ち昇る湯気が空へと舞い上がり、触れた人間に激痛を走らせていく。
「熱っ……ぐぁ!?」
「左目のお返しですよ」
怯んだテッセンが力を緩めたのを見逃さず、掴んだ腕の感触を頼りに右足の蹴りを食らわせるローズ。
当てずっぽうの反撃は鳩尾へと届き、ナイフから手を離した彼は、後方の地面へと吹き飛ばされていく。
左目に刺さるナイフを乱暴に抜き取るローズ。
使い物にならなくなったその場所からは、血の涙が溢れ出している。
地面に仰向けになるテッセンは、直ぐに顔を上げる。
周囲を見渡すが、彼女の姿はない。
「ぐ……はぁっ!! くそ、逃げやがった……!! 熱反応は……ちっ!! あの野郎……」
右手に巻かれている小型の機械で、姿を消したローズの熱反応を探るテッセン。
だが彼は、その試みを断念せざるを得なくなる。
一面に燃え広がる火の海によって。
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燃えそうな物を手当たり次第に燃やしながら、少し離れた倉庫の中へと逃げ延びたローズ。
左目を同じ側の手で押さえながら、木箱に背を付け腰を下ろしている。
焼け焦げるような痛みに呼吸を乱しながらも、彼女は次の一手を探していた。
「ふー……少しは時間を稼げますかねぇ~……まあ、血の跡でバレそうですが。さてさて、どうしますかねぇ……ちょっと総攻撃食らっただけでこれとは。困った困った」
ポケットに仕舞っていた煙草を取り出す彼女。
口に咥えて味を堪能しようとするも、大雨の影響によって水浸しになっており、火が点く様子は感じられない。
渋々仕舞い直すと、周囲にある木箱を物色していく。
「煙草煙草……ん~? 何ですかこれ……おやおや、探していた品じゃないですか。それに気密性のあるこの倉庫……くっくっく……!! 良い風が吹いてきましたねぇ。後はどう誘い込みますか」
本当はもう少しこの場で時間を稼ぐつもりだった彼女。
重い腰を上げ、小さなドアから倉庫の外へと出る。
土砂降りの雨に体を濡らしながら、奇襲をかけに軍人達の群れへと静かに歩いて行った。
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「そっちはどうだ、テッセンちゃん!!」
「……ダメですね。外れです」
「カタバミっ!!」
「はいっ!! ダメでしたっ!!」
ローズを見失ったテッセンはプロテア達と合流し、事情を説明した後、人海戦術で探し回っていた。
部下達と共にプロテアらも港内のあらゆる場所を探すが、彼女の姿は微塵も見当たらない。
ただ時間だけが過ぎていく。
「ローズちゃん、何処に行きやがった? ……これじゃかくれんぼじゃねぇか」
「もう!! テッセンが仕留め損なうから悪いんですよっ!!」
「先輩を呼び捨てにするし煩いな……純粋に強いんだよ、アイツは」
「そんなこと知ってますよっ!! ローズ少佐はエリートですからねっ!!」
「……お前確かアイツと仲良かったよな。これから殺すことになるのに随分元気だな」
「今はですよっ!! ちょっと前は流石にメンタルに来ましたが……今はもう覚悟完了済みですよっ!!」
「そう……」
「よく言ったカタバミ!! それでこそ私の部下だ!!」
「……」
「強いねぇ~女は……そう思わない? テッセンちゃん」
「ふっ……俺達がメンタル弱いだけじゃないですか?」
「それ言うなよ……傷つくぞ俺」
「……おい貴様ら!! 集中し……」
「うぁぁぁぁぁ!!」
探索を続けていた部下の1人が断末魔と共に灼け散った。
軽口を叩くプロテア達へ注意を促そうとしたアヤメを筆頭に、周囲への警戒心を最大にまで上げる。
人を一瞬で灼き殺すことが出来る人間は、考えられる限りローズしかいない。
物陰に潜む彼女を追う軍人達。
あまりにローズを探し出すことに気を取られていたばっかりに、彼らは足元を流れる液体の変化に気付くのが遅れてしまう。
透明な液体にゆらゆらと漂う虹色の物体。
それは見る者を幻想的な世界へと誘い、熱を帯びるとたちまち、辺りを地獄のような光景へと変貌させる。
ローズは大量の食用油を地面へと流し、最高火力で着火し始めていた。




