第二十六話 魔窟の攻防
「初めて入ってみたが、ひどく寒いな……」
魔窟の空気は冷え切っており、ジメジメと湿っぽく不快だった。
「軽装だしな。なあに、すぐあったまってくるぜ」
ニトロは兵士らに、なるべく装備を軽量化するように伝えていた。理由は二つ、ナルコレプシの一般的な武装では、魔獣の攻撃は防ぎきれないこと、そしてもう一つは、生存率を上げるため。
(強壮なものほど、案外傷を受けやすい。対して一番生き残りやすいのは、逃げ足の速い奴だ)
「取りあえず、進むぜ。アルメツ鉱が眠っているのは、大体魔窟の奥深く、魔力が一際濃い場所だ。一時たりとも気を抜くなよ」
「了解です」
「安心しろ。コイツらとて、ナルコレプシ随一の精鋭だ」
「ならいいんだけどよ」
こうしてニトロらは、魔窟の奥深くまで、もぐっていった。
「ぴちょん」
意外にも、魔窟の中はひどく静かで、音と言えば、途切れることない水音くらいだった。しかしそれが、異様な緊張を兵士らに与えていた。
「足元には気をつけろよ」
そんな兵士らを慮ってか、ニトロは定期的に声をかけてやっていた。なるべくいつもと変わらない、軽い調子で。
「了解だ」
ピエールは低く、しかし力強い声色で返事をした。将として、なるべく頼もしい姿を、部下に見せるべく。
(そうだ。それでいい。規律さえ失わなければ、被害はまず出ない)
そんな中一行は、分かれ道にたどり着いた。
「右と左、どっちに行くのが正解なんだ?」
「安心しろ、この魔石を使えばすぐ分かる」
ニトロは懐から素早く、ガラス玉のようなものを取りだした。中には小さく砕かれた、アルメツ鉱が真ん中に浮いている。
「シェルビナ<第8式探査魔法>」
ニトロが詠唱をすると、ガラス玉は手のひらからすり抜け、左の方に転がっていった。
「こっち側だ」
「流石は熟練だな。手慣れたもんだ」
ピエールは感心して見せた。
「褒めても何もでないからな。とっとと行くぞ」
ニトロがそう答えた瞬間、「異変」が起きる。
「むっ」
ピエールが疑念の声を上げる。
「今、『右』の方の道から、妙な音がしたような……」
「何?」
「低い音だがガリリと、何かを削るような音だった気がする。獣の唸り声などではなかったがな……」
「……なるほど。兵士共は陣形を組め。オレとバルク、ピエールが中心となって戦う。お前らの役目は後方支援だ」
「……魔獣なのか?」
「分からねえよ。ただ可能性がある以上、油断しちゃいけねえだろ?」
このニトロの判断は正しかったと言える。というのも、音は少しずつ大きく、ハッキリと聞こえるようになってきた。確実に「何か」が、こちらへと向かってきている。
「ガガガガ……」
無機的な音が、洞窟の壁に反響しながら響き渡る。そのせいで、どこから聞こえてくるのかは分かりづらい。しかし、ピエールだけは別だった。彼の極限まで研ぎ澄まされたセンスは、敵を捉えた。
(そこだ!)
ピエールはすぐさま獲物を構えた。
(――速い!)
ニトロですら目で追うのがやっと、それほどのスピードだった。相当な鍛錬を積んできたということが、一目で分かる動きである。
「魔道具、ノックス!」
その見た目は、細長い鉄筒のようだった。ピエールは素早くそれを岩壁に向け、必殺の一撃を放った。
「バシュッ」
鋭く空気を切り裂く音と共に、放たれる炎の槍、それは尖鋭に収束されており、まるで紙でも破るかのように、岩壁をたやすく貫いた。
「……仕留めたかな」
破壊された岩壁の中から、腹を貫かれた蟲が姿を見せる。蟲は完全に、息絶えていた。
――ピエールの魔道具ノックスは、正式名称を火炎槍と言う。鋼の柄と、火炎の穂を持つ、貫通力に優れた武器である。ちなみにノックスとは、十年前に天寿を全うした彼の愛犬の名である。
「しっかし、なんだこの蟲。人の頭くらいの大きさがあるぜ」
「イワビラムシだよ。見たことくらいあるだろ?」
「なっ!?これがイワビラムシなのか?」
ピエールは驚きの声を上げた。彼はすでにその名を知っていたが、サイズが違った。ピエールの知るイワビラムシは、親指程度の大きさしかなかったのだ。
「これが魔窟の力ってことさ。魔窟の持つ力はあらゆる生物に力を与える。虫けらが、こんなバケモノになっちまう。コイツだって、本来は潜地能力を生かし、羽虫を喰らう程度の存在だ。それがこれほどの大きさ、しかも人間にだってひるまず飛びかかる獰猛さを得るんだ」
「……どうして魔窟と呼ばれるか、今一度よく思い知らされたな」
勇猛なピエールだが、この時ばかしは小さなため息をついた。
「安心しろ。お前は十分強いぜ」
このニトロの言葉は、空虚な励ましではなかった。実際に、そう思ってのことだった。
(普段はちょっと頼りなかったが、なるほどな、実戦でこそ集中力を発揮するタイプか。これなら最上級以外の魔獣なら楽に倒せるぜ。しかも……)
そう、もう一人猛者がいるのである。
(あのバルク将軍は、ピエールを超える力を持つ)
他でもない、ピエール談の証言である。それに実際ニトロも、彼からは底知れぬパワーを感じていた。
「さて、先に進むぞ」
ピエールが号令をかけ、再び一行は進軍を再開した。
深く潜れば潜るほど、魔窟の闇は暗さを増してゆく。それでも一行は、なんとか犠牲者や、はぐれる者を出さずに進めていた。
「もうだいぶ進んだはずだが、まだたどり着かないのか?」
「安心しろ。洞窟というフィールドが、距離感を狂わせているだけだ。間違いなく、近づいてはいるぜ」
事実、ニトロが懐にもったガラス玉の反応も、次第に大きくなりつつある。
「それならばいいんだが……」
ピエールは眉間にシワを寄せながら答えた。
「そんな出で立ちしてるくせに、お前って意外と繊細だよな。安心しろ、噂をすればだぜ」
ニトロが再びガラス玉に魔法をかけると、玉は一際大きな輝きを放った。
「これは……」
「もうすぐ近くってことさ。こっから百歩も歩けば着くよ」
「おっ、ついにか!」
ピエールの仏頂面が、少し緩んだ。
「ほら、こっちだ」
ニトロの先導の下、まもなくして一行は、目的地へとたどり着いた。
「おおっ!」
少し開けた空間。そこでは、地表、岩壁、天井と、至る所で深紫色の鉱石が露出していた。
「これが、アルメツ鉱か!」
喜び勇んだ一行は、ピエールを先頭に、次々と中へ入っていった。
「それにしてもスゴイ量だな!」
ピエールが目を見張りながら感嘆の声を上げる。
「これだけあれば、ナルコレプシ全土を守れるだけの、魔法陣を作ることが出来るはずだぜ」
「よしお前ら、持ち運べるだけ袋に詰めろ。限度いっぱいまでな!」
「了解です!」
ピエールが号令をかけると、兵士らは一斉に作業へと取り掛かった。
(ふう、これでなんとか第一段階は達成か)
ニトロは小さなため息をついた。
(いや、まだ半分が終わっただけだ。油断は出来ない……)
ニトロがそんなことを考えていると、ふと兵士から質問が飛んできた。
「ニトロ殿、あれはどのような魔石でしょうか?」
「うん?アルメツ鉱以外の石か?」
「はい、あの石なのですが……」
その兵士が指さす先には、漆黒に染まった巨大な鉱石があった。天井にすっぽりと、埋まりきっている。
「……あれは、鉄だと思うぞ」
「鉄ですか……。しかし、少しおかしくないですか?」
「おかしい?」
「はい。あのサイズの鉄塊が、ああいった風に岩肌から露出しているというのは……」
「――!!」
ここまで来て、ようやくニトロはピンと来た。
「お前ら逃げろ!!荷物なんていい!全部放り投げろ!!」
「はい!?」
「いいから早く!!」
「わ、分かりました」
しかし、もう遅かった。
「ギシャアアア!!!」
身の毛もよだつ凄絶な咆哮と共に、「鉄塊」が天井から滑り落ちてくる。
(マズイ!!)
「トキシゲルテ!!」
猛毒の光線が、鉄塊に当たって弾ける。
「う、うわあああ!!」
かろうじて軌道はずれたが、そのまま落ちていれば兵士らが二、三人潰れていただろう。
「早く逃げろ!そいつはお前らじゃ手も足も出ねえ!!」
「は、はい!!」
余りにも突然の奇襲。しかし、彼らはピエール直々の特訓を乗り越えた、屈強な精鋭である。規律を失うことなく、全速力で撤退していく。
「ウグルルル!!」
当然「鉄塊」は、十二本の脚を動かし、兵士たちを追う。獲物を逃してなるものかと、淀んだ涎をまき散らしながら。
「させるかよ!エンタラクシア!!」
突如現れた炎の壁が、「鉄塊」を遮る。しかし……
「ギシャアアア!!!」
「鉄塊」はいともたやすく、炎壁をぶち破った。
(コイツ!!)
ニトロの額に、焦りの汗が伝う。ここまで来て、最強クラスの魔獣が現れたのだ。
(ギル・メリカ!!全身を鋼鉄の外殻に覆われた、十二本足の化け蜘蛛!!まさかこんな奴が潜んでいるなんて……!)
背に火がつくような焦燥に、ニトロは思わず一歩後ずさりした。そしてその隙を、メリカは見逃さなかった。
「グルルルル!!」
メリカはましらのごとく身のこなしで、ニトロに躍りかかった。
(しまっ……)
血も凍るような戦慄、しかし、後方から助け船が繰り出される。
「させるかよ!ノックス!!」
ニトロの窮地を見て、すぐさまピエールが迎撃に出る。猛火の槍は、見事メリカに命中した。
「ピエール!」
「兵士どもの避難も終わった。これで心おきなく戦えるぜ、ニトロ」
「すまねえ!だけど……」
「ギギギギ…………」
ゆっくりとメリカが体を起こす。その顔は、激しい怒りで歪み切っていた。
「無傷だと!!?」
貫通力が自慢のピエールにとって、このことは驚きに値した。
「奴の殻には精錬された鋼鉄と同等の強度がある。しかも魔法耐性つきだ。ノックスの火力じゃ限界があるし、オレの魔法でも大して効き目がない」
「待て、あのデカブツ、鋼鉄程度の防御力しかないのか?ならば……」
「?」
「アイツがいる!」
「――!」
ニトロが後ろを振り向くと、そこには巨木のような棍棒を手にした巨漢が仁王立ちしていた。
(モサ・バルク将軍!ピエールの無二の親友にして、ナルコレプシ屈指の豪傑か!)
「ウグルルルル……」
モサの姿を見るなり、メリカは唸り声を上げた。
「これは……」
モサから放たれる、凄まじい闘気。それに反応したメリカが、返しに殺気を走らせているのだ。
「グルギャアア!!」
メリカはすさまじい勢いで、モサ目がけて突っ込んだ。
「モサ将軍!」
思わず声を上げるニトロ。しかし、モサは一切怯んでいなかった。逆に彼はキッとメリカを睨みつけると、渾身の力で棍棒を振り回した。
「ウオオオオオ!!!」
魔獣に負けず劣らずの、凄絶な咆哮と共に繰り出された一撃は、メリカを吹き飛ばしてしまった。
「な、なんつーパワーだ……」
大型魔獣を正面からぶっ飛ばす者など、今までニトロは見たこともなかった。しかも……。
「ひ、ヒビまで入れてやがる……」
メリカの外殻には、小さいものだったが、確かに亀裂が入っていた。
「どうだニトロ、これならイケるだろう?」
ピエールが不敵な笑みを浮かべながらそう言った。
「……なるほどな。中々いい友達を持ってるじゃねえか。オッケー、確かにモサの力があれば、勝ち目は十分にあるな」
「その通り。よし、行くぞニトロ!俺達二人で、モサをサポートするんだ!!」
「分かってら!喰らえ、ナムリカ<鈍化魔法>!!」
ニトロが詠唱すると同時に、黒く淀んだ霧が発生する。
「グガア!?」
霧は瞬く間に、メリカにまとわりつき、その自由を奪った。
「ググ……ギシャアアア!!」
勿論メリカも、ただ縛られるままではない。死に物狂いでもがき、拘束を脱出しようとする。その力は、凄まじいものだった。
(ぐっ……やはり覚えたての魔法じゃ限界があるか…………)
必死で魔力を込めるも、メリカのパワーは底なしだった。次第に拘束は緩んでいく。しかし、ここでピエールが援護に加わった。
「ウィルハーブ!!」
突風の柱が、再びメリカを抑えつける。
「ピエール!」
「安心しろ。もう奴の力は溜まりに溜まった!あとは――解放させるだけだ!!」
「オオオ…………」
力を溜めに溜めたバルクが、ゆっくりとメリカに近づく。今彼の体には、練りに練られた魔力が、血潮のように全身を駆け巡っていた。
「グ、グルガガ……!!?」
いくら畜生のメリカといえど、事の危うさには、気づかざるを得なかったようだ。それまでの奴の焦りは、獲物を逃すまいとしてのものだった。しかしそれが今では、天敵から必死で逃げる小動物の「それ」と、同じものになっていた。
「グ、グルルルル!!!」
生まれて初めて味わう、食われる側の恐怖は、メリカを狂わさせた。窮鼠猫を噛むというが、土壇場に追い詰められたメリカのもがきは、一層激しいものになっていく。しかし、ニトロもピエールも、決して逃す気はなかった。
「「ウオオオオ!!!」」
二人の力も、また凄まじいものだった。とてつもない圧力の檻は、メリカに絡みつき放そうとしない。
「ギシャアアアアア!!!」
悲鳴のような咆哮をあげるメリカ、そしてそれこそが、奴の断末魔となった。
「バアアアアアアアアア!!!」
大棍棒を高々と振り上げたバルクは、それを固く結び、メリカの頭へと振り下ろした。
「ドゴシャアア!!」
鈍い音と共に、メリカの頭がぐちゃぐちゃに砕けた。血と肉、そして鋼の混じった飛沫が、そこら中に飛び散っていく。
「い、一撃であのバケモンを……」
噂では聞いてはいたが、それでも、想像を超える圧倒的なパワーである。味方の働きだというのに、ニトロは空恐ろしいような気分になってしまった。
「流石じゃねえかモサ!やっぱりオレの相棒なだけあるぜ!!」
対してピエールは、満面の笑みを浮かべ、彼の頭を撫でてやった。そしてそうされるとモサの方も、ニッコリと笑い喜ぶのである。
モサは生まれつき、すさまじい怪力の持ち主だった。しかし気弱で口下手なため、幼少の頃は皆からいじめられていた。それを助けたのがピエールである。これを機に二人は親友となり、後に王国へと尽くすべく、ナルコレプシ軍に入隊した。ここで二人は互いに切磋琢磨し、力をつけていった。こうして二人はナルコレプシ屈指の猛将へと成長し、共に幾度となく死線を乗り越えたことで、その友情もゆるぎないものとなったのである。
(寡黙な性格は今でも変わらねえけどな)
ともかくこうしてニトロらは、最強の魔獣を葬った。ここまでくれば、最早遮るものはいないだろう。
――通常ならば
「なるほどなるほど……」
薄暗い洞窟の中では、常にどこかで闇が生まれる。そしてそれは、この男にとって絶好の状況であった。奥義<宵目連>の使い手である、フーキエールにとって。
「戦力評価は済みました。主戦力となるのは、あの人間とピエール、モサの三人だけ。これならばやはり、『あれ』が最適解ですね」
一行が魔窟に入ってきたときから、フーキエールはつぶさに観察を続けていたのである。その結果、欲しかった情報はほとんど全て手に入っていた。
(絶望を紡ぐのは、常に理解を超えた力なのです…………)
フーキエールの双眸に、妖しい赤光が灯った。




