第二十五話 不吉の予感に満ちた始まり
確かに、いい天気ではある」
静かな風が吹く、よく晴れた日。見上げると雲一つない青空。爽やかで心落ち着くような気分。
「問題はこれがピクニックじゃなくて、行軍ってことだ」
皮肉交じりに、ニトロが呟いた。
「なんだ?今更怖気づいたのか?」
隣にいたピエールがそう返した。
「別に。ただ、どうせならひなたぼっことかしたかったなって、思っただけさ」
早朝に、イストンの町を発ったニトロ一行は、まっすぐブラウ洞窟へと向かっていた。
「確かに。だが、絶好の行軍日和ともいえる。こういう天候だと、糧食も腐りづらい」
(……この戦争脳め)
ニトロは内心毒づいていた。
「それより、もう着くぞ。ほら、あれがブラウ洞窟だ」
見上げると、そびえ立つ険しい山並みが見える。
「……中々の妖気だな」
ポツリとニトロが漏らす。確かに山脈の上には、妖しい気を放つ灰色の雲がかかっていた。植物なども、若草色の青葉や薄紅色の花などは見えなくなった。毒々しい深紫のアザミ、山壁を覆う、灰色のツタ、黒い枝を空に張り巡らす枯れ木。何もかもが、どこか異質だった。
「魔窟、と言われるだけはある。心してかからんといかん」
ピエールも固唾を呑み、目の前の山脈をキッと見つめている。
「よし、ここで二手に分かれるぞ。魔窟の中で、中途半端な戦力はむしろ足手まといだ。ここからの行軍は、少数精鋭で行うぞ!」
「了解!」
ピエールが号令をかけると、隊列は機敏な動作で二つへ分かれた。よく訓練されている証拠である。
「第一部隊は、ここで待機。アミール将軍の指示の下、魔石の運搬に備えろ」
アミール将軍とは、ピエールの兄である。弟のような勇猛さはないが、代わりに視野が広く、組織をまとめる能力に長ける。軍人としてはともかく、現場監督としてはうってつけである。
「諸君、裏方とは言えこれも立派な責務だ。手を抜くことなく、一生懸命作業に励んでくれ」
「勿論です!」
アミールの呼びかけに、第一部隊の面々が答えた。
「その通り。どうか頼んだぞ。そして、第二部隊だ。こちらは俺の指示の下、ブラウ洞窟へ採掘に向かう。命に関わる非常に危険な任務だ。一時たりとも気を抜くなよ!」
「はっ!!」
「いい返事だ!では、第一部隊は作業に取り掛かれ。第二部隊は残れ。これより、ニトロ殿からの事前講習を行う」
「どうも。ナデコの食客のニトロ・パンプキンだ。じゃあ講習に入るぞ。まずは、絶対に隊列から離れるな。オレやピエールならともかく、専門的な訓練も受けてない奴が一度はぐれたら、格好の餌食。それでもはぐれてしまったら、じっと息を潜め動くな。そして連絡石で信号を寄越せ。あと、小型魔獣との交戦は許可するが、中型とは絶対に戦うな。軍隊の組織的戦術も奴らには効かねえ。中型と戦っていいのは、ピエールとオレ、そしてあともう一人…………」
「モサ・バルク副隊長だけだ。いいなお前ら!まともにダメージを与えられるのが、そもそもこの三人だけだからな。遭遇した場合、戦闘は俺たちに任せ、お前たちはすぐに退避しろ」
「その通り。あと、大型とは絶対に戦うな。倒せないわけじゃないが、何もいいことはない。おとなしく息を潜めて、去るのを待て。ピエール、バルク、お前たちもだ」
「了解だ」
「あとは、カンテラの火が尽きそうになったら早めに言え。明かりがあるのとないのじゃ天と地の差だ。他には……アルメツ鉱の採取法についてだが…………」
ニトロの講習は、滞りなく進んでいった。
「よし、こんなところかな。最後に一つ、一人も殉職者が出ないことを祈ってるぜ」
「そうだな。どうか皆生還し、共に栄誉を受けよう。では、早速向かうぞ。こうしている間にも、エーバルの軍事力は増しているのだ!!」
「了解!!」
「では、進軍開始だ!!」
「……なるほど」
さて、これまでのやり取りを魔窟の中から見つめる者がいた。エーバルのスパイ、フーキエールである。
「あれだけの軍勢を動かしたのです。盗賊の討伐かと思えば、魔石の採掘ですか」
元々エーバルは極秘の諜報網を使い、この地方にナルコレプシのが軍を派遣することを読んでいた。フーキエールはその妨害のために送り込まれたのだが……。
「まあ確かに、『護石』などは堅牢な城塞を作るのに不可欠。ナルコレプシの連中も、戦火の気配は感じているようですね」
フーキエールは宵目連を通して、ニトロらの様子を察知していたのだが、宵目連はあくまでも「目」であり、送られてくるのは映像だけである。要するに、ニトロらが何を話していたのかまでは分からない。
「私自ら奴らの妨害を行うのがベストなのでしょうが、それはリスクが高い。万が一にでも敗北、捕縛された場合、機密情報が奴らに行き渡りかねない……。ならば…………」
フーキエールは後方に振り向きこう言った。
「これを使うのが、ベストでしょう……」
彼の視線の先には、岩壁に埋まる巨大な黒い球があった。




