第二十四話 ディミトリ・フーキエール
「お願いですシンガのお頭!!命だけは助けてくだせえ!!」
真夜中の山奥、ある盗賊団での出来事だった。両手を後ろ手に縛られた団員は、泣き叫んで命乞いをしていた。盗賊団のボス、シンガに対して。
彼は額を地面にこすりつけ、涙や鼻水を垂らしながら、必死の表情で哀願していた。矜持も体裁もない。あるのは死への恐怖だけ。しかし、シンガの答えは冷たく乾いたものだった。
「悪いな。規則だ」
「そ、そんな……!!」
「連れていけ」
傍らにいた処刑人たちが、暴れる男を無理やりに連れていく。そして哀れな罪人は、巨大な檻の前に引きずりだされた。檻は二つあり、片方は空だった。しかし、もう片方はというと……。
「グルルルル……」
あのイストンを襲ったのと、同じ姿をした怪物が閉じ込められていたのである。
「ヒイイイ!!止めてくれ!助けてくれええ!!!」
男は我を失い泣き乱すも、処刑人たちは構うことなく、男を檻の中に入れた。
「グルル……」
怪物は獲物を前に、恍惚とした表情で舌なめずりをした。ちょうど腹を空かせていたところに、人間という馳走が投げ込まれたのだ。
「嫌だ……嫌だあああああああ!!!」
「ギシャアアア!!!」
牙を剥き出しにした怪物は、一口で男を捕食した。ボリ、バリと不愉快な、骨の砕かれる鈍い音が、周囲に響き渡る。
(身の毛もよだつ光景だ……)
表向きは冷静に振舞っていたが、シンガの心は穏やかなものではない。部下の処刑くらい、今まで何度もやってきたが、魔獣に生きたまま食わせたことなどはなかった。盗賊団の長たる彼でさえ、それは残酷過ぎると感じていた。
(しかし、『あの男』は平然とそれをやってのける。奴と手を組んだのは間違いだったのか……)
ふと疑問が頭をもたげる。しかし、そんな彼の心を見透かすかのように。
「どうも。処刑は終わりましたか?」
「その男」は現れた。
「ふ、フーキエール殿……」
シンガは、背筋が凍るような衝撃を覚えた。奴は、いつもこうである。神出鬼没、気づけば後ろに立っている。
「ええ……終わりましたよ」
「それは良かった」
長い銀髪を夜風になびかせながら、フーキエールは答えた。
「三日に一度は、『ヒト』をエサに与えてください。味を覚えてもらうためにもね」
「わ、分かっていますよ」
「二匹のうちの一匹、今日解き放った餓狼は、思惑通りイストンを襲撃してくれました。キチンと世話をすれば、知恵のない獣と言えども傀儡と出来る。覚えておいてください」
冷たい色味のない口調で、フーキエールがそう告げる。いつまでたっても慣れることのない、耳障りな声色であった。
「わ、分かりました……」
「では、私は他の仕事があるので……」
そう言い残すと、フーキエールの姿は闇に溶けていく。
「や、やっと行ったか……」
シンガは思わず、安堵のため息をついてしまった。
フーキエールが、盗賊団らの前に姿を見せたのは、半月前のことである。
「ぼ、ボス!大変です!!正体不明の男が、襲撃にやってきました!!」
「何!?」
部下からの報告を聞いたシンガは、すぐさま現場へと向かった。
「やあ、ごきげんよう。あなたがこの盗賊団の長、シンガ殿ですね?」
シンガの姿を見るなり、男は柔らかな物腰で会釈をして見せた。辺りには、倒れた団員たちがそこら中に転がっていたが。
「き、貴様……。何者だ!?」
「ご安心を。敵ではありません。ああ、倒れている連中は気にしないでください。ほんの少し、戯れていただけなので」
「戯れるだと……?」
シンガは団員たちの方を見たが、確かに死んでいるものはいなかった。それに男からは、殺気を感じることもない。
(……敵ではないという言葉は本当なのかもしれぬ。しかし、ならばこの男は、いったい何者なのだ…………?)
シンガは疑いのまなざしを男に向けた。
「そんな目で見ないでくださいよ。私はあなたの味方なのですから」
そんなシンガの内心を見透かすかのように、男が告げる。
「……味方?」
「ええ、味方ですよ。とても心強い、ね」
「遠回しな言い方は好まん。いったいお前は、何者なんだ!?」
「教えてあげてもよいのですが、何分極秘の任務でね。人払いをお願いしたいのですよ。ご安心下さい。二人っきりになった瞬間、牙を剥くということもありません。というより…………」
次の瞬間、シンガの視界から男が消えた。
(――なっ!?)
「もう、間合いの中に、入っていますよ?」
耳元から聞こえる囁き。首筋に当たる冷たい刃の感触。
「き、貴様!!?」
恐る恐る振り向くと、そこには男が立っていて、冷たい微笑を浮かべていた。彼の喉元に、短刀を突き付けながら。
(こ、このオレが、目線で追うことすら出来なかっただと!!?しかもコイツ……殺気が感じ取れない!!警戒は最大限払っていたのに、反応も出来なかった!!!)
ダラダラと彼の背筋に、冷たいものが伝う。
「お判りでしょうか?私は敵意などないのですよ。だって、そんなものがあったら…………」
男の表情に、悪意がありありと表れる。
「今頃あなた方は、全滅していますから」
「――!!!」
シンガは完全に絶句した。
(戯言じゃない!!コイツから見たらオレたちなんて虫ケラ、いや、それ以下の存在!!その気になれば、容易く皆殺しに出来る……)
シンガに選択肢は、もう残っていなかった。すでに生殺与奪を、握られてしまっている。
「わ、分かった。アンタの話を聞こう!だ、だから……そのナイフを早く下ろしてくれ」
怯えを隠し切れぬ声色で、彼はそう嘆願した。
「おお、ご理解に感謝します。なに、悪いようにはしませんよ。むしろ私はあなた方に、とっておきの吉報を、届けにきたのです」
そう言って、男は笑みを浮かべた。しかし、その眼は全く笑っていなかった。水晶のように、生気を感じさせぬ透明だった。それが、シンガにとってはたまらなく恐ろしかった。
「そう言えば、紹介がまだでしたね。私は、ディミトリ・フーキエールというものです」
「フーキエール…………」
二人はあの後、団長室に移っていた。シンガ専用のこの部屋は地下に作られており、秘密の会話をするのに適している。
「聞き覚えのない名前だな」
「まあそうでしょう。何せ、エーバル固有の姓。しかも、貴族のみが名乗ることを許された、誇り高き姓ですから」
「エーバル、あの北方の侵略国家か。しかし、そこの貴族が、どうして盗賊団なんかのアジトに来たんだ?しかも、敵国の……」
「簡単ですよ。敵の敵は味方。我々もあなた方も、ナルコレプシの敵という点では一致している」
「……まさか」
シンガはここにきて、ようやくピンときた。
「ええ、私はあなたがたに、協力を依頼すべくここに来ました」
「……やはりか!しかし、具体的にはどんな内容だ?」
「ナルコレプシ軍の攪乱です。出来るでしょう?」
フーキエールが平然とした顔でそう問いかける。
「なっ!?攪乱だと……」
しかし、シンガの方はそうもいかなかった。
「バカを言うな!こんな百人程度の規模の、正規の訓練も受けていない盗賊団が、ナルコレプシ軍相手に何を出来る!!?全滅するのが関の山だ!!」
シンガはそう怒鳴った。しかし無理もないことである。それくらい、戦力差は絶望的だった。
「ご安心を。正面からぶつかれとは言ってません。のらりくらりと、時間稼ぎをしてくれればいいのですよ」
「そ、それでもリスクが高すぎると言ってるんだ!!」
「…………」
狼狽するシンガ、しかしそんな彼に対し、フーキエールは失望のまなざしを向けた。
「……うっ」
「はあ。命知らずの盗賊ともあろうものが、リスクを恐れ動けずですか。ガッカリですね。せっかく相応の見返りを、用意してきたというのに……」
「……見返り?」
「作戦が成功した暁には、あなたを戦争の功労者として、我が王国に迎え入れようと思っていたのですが……」
「な、何!?」
このフーキエールの言葉は、シンガにとって驚きに値するものだった。
「と、盗賊団の首領を、迎え入れてくれるというのか!?」
エーバルのような大国がそのようなことをするのは、これまでにないことであった。
「ええ、その通り。それも英雄扱いでね。国王からは褒賞を下賜されるでしょう。首都の日当たりのいい邸宅で、快適な生活を送ることもできます。官憲の目に怯え、息を潜める必要はもうありません。酒食だって、女だって自由のまま。新鮮な豚肉も、糖蜜を使った菓子も、季節の果実も、自由に味わえる。肉付きのいい、雪のような肌を持つ女だって抱ける。ナルコレプシの貴族どもですら、味わったことのないような富貴を、あなたは楽しむことが出来る」
「……!!」
斜陽の盗賊団を率いる彼にとって、これほどに魅力的な提案はなかった。
(オレたちは王族の内乱に乗じて勢力を伸ばしたが、国内が安定してきた今ではもう落ち目。日に日に締め付けはキツくなり、部下も減っていった。今ではアジトもこの山一つ。風前の灯火と言っていい状況だ。しかし…………)
シンガの瞳に、欲望の焔が燃え上がる。
(ここさえ乗り切れば、未来を掴める……。貧しいゴロツキの息子が、大国エーバルの英雄…………)
当然、確証はない。実際は冷遇される可能性だってある。窮地になれば、見捨てられる可能性もある。しかし、生まれてから一度たりとも彼は、日の目を見たことがなかった。父からは常に殴られ、母親は娼婦。貧しい暮らしに耐え、ようやく大人になれば、今度は悪徳領主に生活が吹き飛ばされる。重税で年貢を払えず、妻と娘は借金のカタとして売られた。全てに絶望し、盗賊に身をやつすも、今ではその勢力も衰え、滅びようとしている。そう、絶望と辛酸とを味わいつくしてきた彼にとって、フーキエールの提案には、抗いがたい魅力があったのだ。
「分かった!その話乗ろう。どんなことでもやってやる!!」
「フフフ、その言葉が聞きたかったのです……」
フーキエールは薄笑いを浮かべた。
(何としてでも勝つ。昇り詰める……!!絶対に、未来を手に入れてやる!!!)
(目の色が変わっていますね。これだから乞食は扱いやすい。希望という名のニンジンをぶらさげてやれば、どこまでだって走っていく。たとえその先が、光射さぬ奈落の底だとしても……)
彼の心中ではこの時、計り知れぬ悪意が渦を巻いていた。
この時のシンガは、フーキエールの提案に未来への輝かしい希望を覚えていた。しかし今、その希望は暗転しつつあった。
(奴と一緒にいると、時たま魂ごと、持っていかれそうになる。そんな錯覚を覚えることがある……)
二週間を共にしているというのに、未だにシンガには、あの張り付いたような笑みの裏に隠れた、フーキエールの本性を暴けていなかった。
(行動原理、思考の枠組み、全てが謎で気まぐれだ……。しかも味方であるオレたちにすら、情報を与えたがらない。本心が、読めない……)
不安は思考を、悪い方向へと持っていく。
(抑えきれない胸騒ぎ、払いきれない不吉の予感……。オレはその、エーバルとナルコレプシの戦争が終わる時まで、本当に生き残れるのか……)
彼の懊悩は、尽きるところを知らなかった。
「……随分と深刻そうな顔をしていますねえ」
その頃フーキエールは、アジトから離れたブラウ洞窟にいた。それなのに彼には、アジトにいるシンガの様子を、はっきりと把握することが出来た。
「――賢者奥義<宵目連>」
そう彼が詠唱すると、その周囲に黒い霧が立ち込めてくる。この霧は禍々しいオーラを放っており、しかもその中には、夥しい数の目が隠れていた。
「盗賊団の偵察は終わり。次は、イストンの方を見に行ってください」
彼がそう命令すると、黒い霧は風に乗り、イストンの方角まで飛んでいった。
「なるべく早めにお願いしますよ。夜が明けてからでは遅い」
<宵目連>はフーキエール特有の能力である。黒色の魔力で構築された、「目」をいくつも飛ばすことで敵を偵察する。この「目」はフーキエールの視界とつながっており、「目」の見た光景は全てフーキエールのもとに送られるのだ。
(便利な能力ですが、夜色をしているせいで、日中は目立ちやすいのが難点です。夜間ならば逆に、迷彩効果を得られますが……)
「戦力評価の精度は肝要の一言に尽きる……。しばらくは、小手調べを続けるとしましょう…………」
フーキエールの瞳に、静かな殺意が宿った。




