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第二十一話 急転直下―滅びの足音―

夕映えを集めながら、その都は輝く。ナルコレプシから北東の方角にある、魔族の王国エーバル。その首都デインメントは、落日を迎えつつあった。日は稜線の下へと落ちてゆき、夜の帳が降りてくる。人々は帰途に就き、各々の塒へと向かう。大勢の人で賑わっていた目抜き通りにも、次第に静寂が訪れた。皆もう、ゆっくりと休む時間なのだ。

 しかし、都の中心部に鎮座する古城だけは違った。夜が深まるにつれ、この古城は真の姿を見せる。城の最深部、王とその側近のみが入ることを許された「魔王の間」では現在、数多くの妖しい影が、不気味に蠢いていた。

 「抜かりはないのか?」

 一際豪奢な玉座に座す、老いた男が口を開けた。

 「ええ、当然です。万事が上手く進んでいます。我が国の、究極の国是の成就に向かって」

 痩せこけた、青白い頬の目立つ男が、滔々と答えた。

 「本当か?本当に……何も問題は起きていないのか?」

 「え、ええ……もちろんです。問題など……一切ありませんよ」

 言葉とは裏腹に、男の心には、じんわりと焦りの汗が、染みわたりつつあった。

 「では…………」

 「はい?」

 「これはなんだあ!!?」

 老人は恐ろしい剣幕で声を張り上げた。そして、男に一通の書簡をつきつけた。

 「うっ……」

 蝋燭の薄明かりに照らされたその文字を見て、男は言葉を失った。

 「貴様の部下からの報告だ!!軍備の編成が、遅れているそうじゃないか!!?一体貴様は何を考えている?この計画の重要性が、理解できぬとでも言うのか!!?」

 男の顔からは、みるみるうちに血の気が引いていく。

 「も、申し訳ございません……。し、しかし……あの程度の予算ではどうしても人員が……」

 「予算がないなら国民どもから搾り取れ!!徴税権は与えてあるぞ!!」

 「し、しかし……これ以上税を取り立てれば生活出来ないものも出てきます……。そうなれば謀反の恐れが……」

 「黙れ!!敗北主義にまみれた言い訳など聞きとうない!!デルバラージ<粛清魔法>!!」

 老人が呪文を唱えると、暗く淀んだ白い妖気が現れ、男の首を締め上げた。

 「うっ……ぐ、ぐるじい……」

 息が出来ないのと、焼けつくような首の痛みに、男は苦しみもがいた。

 「ナパーム将軍!この者を連れて行け!!そして明日の朝になったら広場に磔にしろ!!!我が野望の妨げをする者がどうなるかの、見せしめとするのだ!!!」

 「御意……」

 一人の男が立ち上がると同時に、黒い霧が周囲を包む。霧が晴れると、ナパーム将軍の姿は消えていた。そして、あの糾弾された役人もまた、姿を消していた。

 「どいつもこいつも無能ばかりだ!!何故余の意志が汲めない!?」

 落ちくぼんだ双眸を、爛々と不気味に輝かせながら、男が絶叫する。その表情には底知れぬ懊悩と、凄絶な殺意が宿っていた。

 「お、落ち着いて下さい陛下……!取り乱され過ぎです」

 慌てて、一人の小男が老人に駆け寄る。典医のナムダである。

 「う、ううう……」

 ナムダの小さな掌が老人の体に触れる。すると老人の怒りが少しずつ静まっていった。

 「ゼエ、ゼエ……。す、すまんなナムダよ……。し、しかしだな…………」

 「もう諸君らは分かっているだろうが……余にはもう時間がないのだ」

 怒りの反動と、消耗のせいか、老人の声からは生気が感じられない。

 「な、何を言います陛下!まだまだ陛下は健康体で……」

 慌ててナムダが取り直すも、老人は歯牙にもかけなかった。

 「やめろ。自分のことは自分が一番よく分かる。余は……いささか齢を取り過ぎた。もう長くはないだろう……。だが…………」

 再び老人の双眸に、狂気が宿る。

 「その前にあの国だけは、なんとしてでも滅ぼさねばならぬのだ!!余に幾度となく煮え湯を飲ませてきた、あの小賢しい小国を!!!」

 「分かっております陛下」

 「我々とて、あの屈辱を忘れたことはありません」

 側近たちは、次々と賛同の声を上げた。互いの殺意の深さを、確かめ合うためにも。

 「いいか、分かっているな?どれだけの犠牲を払おうと、屍の山を築こうと構わん。確実に息の根を止めろ!!あの忌々しいナルコレプシの血統を、根絶やしにするのだ!!!」

 「御意!!!」

 皆一斉に立ち上がり、深々と頭を垂れた。狡猾で残虐なるエーバルの支配者であり、彼らが絶対の忠誠を誓う存在、魔王ドレイザードへ向けて。




 「よっしゃあ!諦めずに頑張った甲斐があったってもんよ!!」

 「やったッスね室長!素晴らしい発明ッス!!」

 「センテンポラルト薬を原料に、新しい保存料を開発出来るとは……!!」

 場所は変わって、ナルコレプシの首都ミリネラ。軍事庁の研究室のこと。今日もニトロと二人の助手は実験に励んでいたのだが、どうやら特別なことがあったようである。

 「人間には無害だが、害虫の大半を駆除できる新薬、バニスタ液!コイツさえあればもう、食害に悩まされることもない!!

 「しかも安価で量産可能ッス!!」

 「農産大臣賞の受賞も滑り込みで決定しました!!喜ばしい限りです」

 「ハーハッハッハ!!めでたいことだぜ!授賞式が楽しみだ」

 能天気に喜ぶ三人だったが、そこに来客がやってきた。

 「オーッス、順調かあ?」

 「お邪魔します。……久し振りね、ここに来るのも」

 「うん?ピエールにスイカじゃねえか。珍しいなお前ら二人が一緒に来るなんて。」

 「今日はちょっと特別な用事があってだな……。それで一緒に来たのさ」

 「特別!?もしかして予算の増額?それとも昇進か!!?」

 「いや……出張の命令」

 「は?」

 ニトロがぽかあんと口を開けた。

 「だから、出張」

 「……ご褒美のバカンスじゃなくて?」

 「残念ながら任務だ。行き先も海辺の観光地とかじゃなくて、辺境の危険地帯だ」

 「ふっざけんなあ!!!」

 ブチぎれたニトロは、ピエールに殴りかかったが……。

 「せい!!」

 「うおっ!!?」

 逆にぶん投げられてしまった。

 「何度も殴られてきたがな、もう見切ったぜその拳」

 「ああ?!じゃあ今度は毒魔法でも使うか!!?」

 「お願いだからそれだけは止めて」

 ここでスイカが仲裁に入った。

 「ごめんねニトロ。でも、今回の出張は本当に大事な任務なの。それも……この国の存亡に関わるほどの…………」

 「存亡!?」

 その不穏な響きに、ニトロはうろたえた。

 「ど、どういうことだよ。その辺境の危険地帯に、何があるってんだよ!?」

 「それについてはオレから説明しよう。スイカ殿の研究室が、空間魔法を研究してることは知っているな?」

 ピエールがいつになく、真面目な口調で語り始めた。

 「も、モチロンだよ。なんだっけ……空間魔法を利用した、国内の防備戦略についてだろ」

 「その通り。国土全域に転送魔法陣を設置することにより、寡兵でも有機的な防御を可能にするためのプロジェクトだ」

 「確か予算も人員も足りないから、現魔王の代はずっと精兵主義って奴を取ってたんだろ?少数だけど強い兵士を国境沿いに配置して、守りを固めるって奴」

 「でも確かそれ、この前たった一人の侵入者にぶち破られて、ザルだったって判明したッスよね?」

 「確か、人間一人に破られたんでしたっけ。それで今軍部では、防備の改革が喫緊の課題になっていると……」

 「ちなみに、その侵入者が私ね。たった一人だったから捕捉と対応が遅れたのよね。しかも前面に兵を集めているから、一度突破されると無人の荒野を駆けるがごとくになっちゃう……」

 「なるほど……流石スイカ先生は賢いッス!……って、あれ?」

 「今、侵入者が『私』って言いませんでした?」

 「え、うん。だから私だって。……ニトロから聞かされてなかったの?」

 「き、聞いたけど……酒の席の冗談だと思ったッス!」

 「全部真実だからな。オレがスイカを撃退したとこまで含めて。あとシガテラ煙草吸うな。ヤニの匂いが染みつく」

 「まっ、信じられねえのはしょうがないとも思うけどな。話を戻すか。とにかく、軍部は防衛戦略の改革を行うにあたり、転送魔法陣網をその中心に据えることとしたんだ」

 「それも知ってるってば。つうかさ、スイカばっかりずるくね?オレの毒ガス兵器はどうなったん?」

 「予算が下りねーからしゃあねえだろ。根源握ってるバルボラ様は今でも内戦のトラウマを引きずっており、戦争には非常に消極的だ。守るためならともかく、攻めるための兵器になんか銭くれねーよ」

 「結局金ッスか……」

 「まあいいや。それで、転送魔法陣網と、オレの出張がどう関係するんだ?」

 「これを見てほしい」

 そう言うとピエールは、革ジャンの裏ポケットから一枚の地図を取りだした。

 (なんか汗臭そうッス……)

 「コイツはお前の出張先、カーム地方一帯の地図だ」

 「なになに……やっぱクソ田舎だなココ。山ばっかりだ」

 「ニトロ、何か気づいたことはないかしら?」

 ふと、スイカが尋ねた。

 「気づいたこと……。うん?この紋様って……!」

 「そう、ここには魔窟があるのよ」

 「――!」

 魔窟――ニトロにとって、最も忌々しい言葉である。

 (ぼ、冒険者の宿命か……)

 魔窟とは、魔石の採れる洞窟を総称して言う言葉だ。魔石は強大な力を持つ資源であり、多くの権力者にとって垂涎の的である。しかし……。

 (虎穴に入らずんば虎子を得ず。魔石を手に入れるためには、命を賭す必要がある)

 魔窟の蠱惑的な力は、多くの危険な怪物、魔獣を呼び寄せる。この魔獣は信じられないほど獰猛であり、かつ強大だ。多少訓練を受けただけの兵士などでは、まず歯が立たない。

 (だからこそ、オレたちのような専門家……冒険者がいるわけだ。魔獣を駆逐し、魔石を獲得する。リスクは高いが、リターンもでかい。山師みてえな職業だな)

 「ちなみにニトロ、この魔窟……何が採れると思う?」

 「通常の魔窟は平均7~8種類の魔石が採れる。まあ、全部当てることは出来ねえけど……一つは確定だな。アルメツ鉱って、答えさせたいんだろ?」

 「当たり。やっぱり、冒険者関係の知識は結構覚えてるのね」

 「というか、空間魔法関連の魔石って、有名なのそれくらいじゃないか……?」

 「まあ、確かにそうかもね。このアルメツ鉱は、特殊な魔力の場を周囲に展開し、時空を歪めさせる力を持つ。その性質を利用したのが……」

 「転送魔法陣網だな。大体分かったぞ。魔法陣を全国に張り巡らしたいけど、原料が足りない。だからオレに行けってことか。……でも、技術者に生かせる必要ないだろ」 

 「成功率だ。ナルコレプシにも冒険者はいるが、あまりLVは高くない。今軍部は焦っている。1%でも、成功確率を高めたいのさ。お前という、熟練の冒険者を派遣することでな」

 「スイカは……無理だな。プロジェクトの長だし。まあ、オレしかいない訳か。ちえっ、せっかく最近研究の喜びって奴が分かってきたのに」

 「……室長」

 「まっ、いいぜ。でも、あともう少し待ってくれねえか?三日後に、オレたちは農産大臣賞を受賞するんだ。それまで待ってくれよ。そしたら後は好きにしてくれ」

 「ダメだ。待てない」

 「ピエール、てめえ……」

 ニトロは言いかけたところで、言葉につかえた。

 (――!)

 ピエールは、これまで見せたこともないような、深刻極まる表情をしていた。

 「言っただろう?この国の存亡に関わると」

 「ピエール……」

 ニトロとて、死地は超えてきている。だから、極限状態の人間がどういう顔つきをするか、知っているのだ。今ピエールの表情は、混じりけなど欠片もない、歴戦の軍人らしいものへとなっていた」

 「遂に、奴らが動き始めた」

 ピエールの声は、微かに震えていた。

 「不俱戴天の怨敵、忌むべき悪魔、王家最大の仇……」

 「まさか……」

 「そうだ。エーバル王国……ついにあの餓狼どもが動き始めた」

 「エーバル……王国…………」

 子どもの頃、村から遠く離れた山で遊んでいた時、突然霧が立ち込めたことがある。

 (胸クソわりい……)

 あの時と、全く同じ不安が、今ニトロの頭を、もたげつつあった。

 

一人の少女が、陵墓を訪れていた。魔王城から北西の方角にある、簡素な建物だ。奢侈の気配はないが、手入れは行き届いており、落ち着いた、荘重な雰囲気を感じさせる。

 「おじいさま…………」

 建物の深奥部に鎮座する、石造りの墓標。そこには、「永遠の名」が刻まれている。

 ――<ナルコレプシ王国第12代魔王 マグニグヴィント>――

 「どうか、王国をお守りください」

 陵墓の外では、霧雨がサーッと、地面を冷たく濡らしていた。 

 

 


 




 

 

 

 

 

 

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