番外編 お酒という魔法
「ふあーあ。ねむてえ。」
時計を見ると、もう12時を回っていた。少し根をつめすぎたみたいだ。
「とっとと寝るか。」
オレは毒魔法についての魔術書をパタンと閉じると、ベッドに体を放り投げた。全く冒険ほどじゃないが、魔術の研究もけっこう大変である。そもそもオレは座学がニガテなのだ。
「あー、ケツがいてえ。イスももっと柔らかいの買わねえとだな。」
何はともあれ、今日はもう就寝だ。魔王城のスケジュールはナデコに合わせているので、朝食は6時半からである。寝坊すると食堂で一人寂しく、冷めたパンをかじることになる。というわけで、とっとと寝ないといけないのだ。
しかし、ここで邪魔者がやってきた。
「オース!起きてるかあ!!」
「ふぇっ!?」
ドアを蹴り破って現れたのは、ベロンベロンに酔っぱらった魔王であった。これは、非常によろしくない。
「オーウ、相変わらず辛気くせえツラだな!まあとりあえず一杯やろうや!」
コイツは酒を浴びるように呑み、しかもツブれることがない。そしてメチャクチャな絡み酒だ。この前スイカはネットリと絡まれた挙句、尻を3回は撫でられたとブチ切れかけていた。
「お、オース。まあ一杯いただきますわあ。」
とりあえず一杯だけ呑むことにした。コイツ精神構造がガキなので、無視されるとかまってちゃんしてくるのだ。しかもムサいオッサンの外見で。
「……うまっ!」
これだけ呑んだらとっとと催眠魔法でもかけ追い出すつもりだったが、誤算が起きた。予想以上に酒が美味しかったのである。風味豊かでクセもなく呑みやすい。流石は魔王に供される品である。疲れた体にスーと染みわたってくる。
「も、もう一杯だけいいっすか?」
「オー、クソ陰キャのクセにイケる口じゃねえか!いいぞいいぞ、タンと呑めや!」
魔王が盃になみなみと酒を注ぐ。
「んじゃ遠慮なく、グイッと行きますか。あー、うめえ!」
この国のレベルの低さにはウンザリしていたが、酒に関してはバクテリアで呑んだどんな酒よりも美味い。もうヤミツキである。
「よーし、もう一杯!」
「カーカッカッカ!お前もこの酒の虜になっちまったか!いいぞいいぞもっと呑め!日頃の疲れも理性も全部吹き飛ばしちまえ!!」
「流石魔王様!話が分かるぜ!!」
思い返すと、オレはこの時点で酒に呑まれていた。どうにもあの晩は酔いの回るのが早かった。あの酒が度数高いのに呑みやすかったことや、疲れが溜まっていたことが原因だろう。そして酩酊したオレたちは、とんでもない事件を引き起こしてしまうのである。
「うーん。何だあ……?頭がグラグラするぜ。」
目覚めると、自室のベッドの上だった。思い出してきた。昨日の夜魔王に酒を勧められ、ついつい呑み過ぎてしまったのだ。しかし酒にはかなり強い(毒耐性S+ランク)のオレが酔いつぶれるなんて、いったいどれほど呑みまくったのだ?
「あー、気持ちワリい……。水が飲みてえな……。」
まだ頭がガンガンするが、オレはなんとかして起き上がろうとした。そしてぼやける視界で周りを見てみると、あることに気づく。
「……なんでオレは服を着てないんだ?」
何故かオレは素っ裸だったのである。酔うと脱ぐクセもないというのに。オレは首を傾げた。すると隣で、寒そうに誰かがくしゃみをした。
「えっ……?」
思わず音がした方を向くと、全身が総毛だった。
「うわああああ!!」
「むにゃむにゃ。……お父様やめてください。くすぐったいですよお。」
同じく全裸のナデコが、同衾していたのである。
「う、嘘だ……。これは何かの間違いだ!!」
ヤバすぎるリアルに血の気がサーと引いていく。背筋にダラダラと、不快な脂汗がつたった。
(いや、待て……。まだ隠滅可能だ。ナデコに服着せて、部屋まで運んで……あとはシーツを洗えば……。いや、だが待て……。)
シーツは洗えば綺麗になる。しかし乙女はそうもいかないのだ。
(血とか……ついてないよね。)
残念ながらベッタリである。指先に鉄臭い血がたっぷりとついている。
「うわああああああああ!!!」
体の芯からオレは震え上がった。
「……何だあ!?うるせえなあ!!」
その時ベッドの真下から不愉快な声が響いた。そしてゴロゴロと転がりながら、魔王が顔を見せる。どうやら今の絶叫で目を覚ましたようだ。
(何でそんなところに!?……っていうか。最高にヤバくないか!!?)
「オイお前、そこで寝ている娘ってもしかして……ナデコちゃんじゃないか!!!」
「えっ、いや違いますよ!!この娘はただのセフレです!!まさかこの国の正嫡のワケないじゃないですかあ!!!」
「嘘つくんじゃねえ!!親父の勘ナメんな!!マジでブチ殺す!!!邪黒戮こ……っ!痛ってええええ!!!」
「なっ!?」
臨戦態勢に入った魔王。しかし急にうずくまってしまった。
「……尻の穴が猛烈にいてえ。」
「ふぇっ!?」
「痛いよママ!焼けるように痛いんだ!!」
喚きだす魔王。奴もまた下着一丁だったが、そこには血がポツポツと付着している。記憶が飛ぶほどの酩酊。導き出される結論は数少ない。というかほぼ一つしかない。今ここにあるもので、血がついているイチモツなど……。しかし信じたくない。考えたくもない。脳が強烈に理解を拒んでいるのだ。
「……魔王さん。」
「な、なんだ……?」
「……呑み直しません?」
魔王は一瞬、虚をつかれたような表情をした。しかしすぐに乾いた笑いを浮かべ、何度も何度もうなづいた。
「そ、そうしようぜぇ……。」
多分、あっという間に酔っぱらえるだろう。オレたちには確信があった。
「随分とうなされていなすねえ。」
「まあそういう術だからね。」
ここは第三施術室――精神魔法の実験を行うための場所だ。今はスイカとナデコが利用している。そして施術台に横たわっているのは、ニトロと魔王である。
「でも、ちょっと可哀想かもしれませんね。お酒に関するとびきりの悪夢を見る魔法だなんて。」
「自業自得よ。突然女湯に入ってきて、ものすごい絡み酒するんですもの。」
「まあそうですよね。女官の皆さん、阿鼻叫喚でしたし……。」
「私もベタベタ体触られたしね。」
「…………。」
酔っ払ったニトロに目もくれられなかったのは、喜ぶべきなのか悲しむべきなのか、ナデコは一瞬迷った。
「まあ確かに、あれは目に余りました。これに懲りて、これからは酒を控えてくれるといいのですが……。特にお父様。」
「まあねえ。冷気で頭冷やしてからの、悪夢魔法による講習。これでまともになってくれればいいんだけど……。あっ、起きた。」
ここでようやく、散々うなされていた二人が目を覚ました。どちらも顔面蒼白、寝汗びっしょりである。
(効果テキメンだったみたいね。)
スイカは心の中でしたり顔をした。
(魔王の矯正に成功すれば、宰相バルボラも私たちの必要性に気づくかもしれない。上手くチャンスを掴めたのかも。)
「さてお二人方、気分はどう?」
スイカはニンマリと笑いながら尋ねた。
「「最悪。」」
ニトロと魔王が、憔悴しきった顔で答える。
「じゃあ、これからすることは……?」
謝罪とか節酒とかを期待するスイカだったが、返ってきた答えは想像だにしないものだった。
「「飲酒。」」
「そうそう……って、えっ!!?」
「「呑んで呑んで呑みまくって、嫌なこと全部忘れてやる!!」」
そう叫ぶと、二人はおそるべし速度で飛び出ていった。
「ど、どうして……。」
(スイカさんって、意外とドジっ子なのでしょうか……。)
唖然とするスイカを横目で見ながら、ナデコはふとそう思った。
結局その日の魔王城では、一日中どんちゃん騒ぎが繰り広げられましたとさ。




