第十話 久々の帰還と戦慄いろいろ~前編~
全く、春とは罪深い季節だ。風は心地よいし、日差しは暖かい。広場で運動でもしたくなってくる。しかし残念ながら僕は憲兵。愛するこの美しい街、アレンスを守ることが職務だ。のんびり欠伸などして、悪人共に隙を見せるわけにはいかないのである。というわけで、今日も朝からパトロールだ。
「おはよう、憲兵さん。」
「おはようございます。どうです?何か変わったことはございませんか?」
挨拶をしてくれたのは、にこやかな笑みを浮かべる老女である。顔には深いしわがいくつも刻まれているが、表情はとてもハツラツとしている。けっこうなことだ。
「いいえ、おかげさまで何も。」
老女はペコリと頭を下げた。フフフ、爽やかな気分だ。同僚の中にはパトロールを退屈だと嫌がるものもいるが、そいつにこの老女の笑顔を見せてやりたくなるね。
「あっ、ただちょっとね……。」
「はい?」
「あそこの若者、ちょっと様子がおかしくないかい?」
老婆が指を差した先には、一人の少年がいた。くたびれた旅装をまとっているあたり、どうも冒険者のようだ。この街ではあまり珍しくはない。だが、確かにちょっと挙動不審に見えないことも……。若い冒険者は血気盛んな者が多い。対して彼はどうも陰気な顔をしているし、ヨレヨレの服がみっともない。佇まいも猫背でだらしなく見えるし……。ただ、それだけでは疑うに値しないと思うけど……。
「どうです、憲兵さん?私の勘はよく当たるって、近所でも評判なんですよ。その勘にね、ビビっと来るんですよ!!」
「はは、そうですかそうですか。」
(むう……。)
私の熟練の勘は、違うと告げているが……。まあ老女の手前もあるし、一応質問してみるか。
「やあ、そこのお兄さん。ちょっとだけ時間いいかな?」
「……なんだ?」
なるほど、ネクラな子だ。随分と気怠そうな返事をされてしまった。多くの人は憲兵から質問されたとき、多少は表情をこわばらせるものだ。しかし彼の場合、じっとりとした目つきでこっちを見上げてくるだけで、そこに怯えや緊張は見られない。
「いや、大したことじゃない。ちょっと冒険者の証を見せてもらいたいだけだ。最近は魔族との闘争が激化しているからね。上から一層の注意を払うよう、指示を受けているんだよ。というわけで、一応ね。」
「……魔族を警戒するなら、オレにかまう必要はねえだろ。」
「まあまあ、そう言わないでよ。この街は人の行き来が激しい分、他と比べて侵入しやすい。魔族の領土とも近いしね。そういうわけで、旅人や冒険者には細心の注意を払っているのさ。」
「……。」
彼はしばらく憮然としていたが…どうも観念したようだ。
「そうか。じゃあ、見ろよ。ほら、冒険者の証だ。」
彼は袖をまくり、それを見せてくれた。手首にはまった紫色のリング。間違いない。冒険者のみが、つけることの許されたものだ。
「おお、どうも。協力感謝するよ。」
「……これでいいんだろ。もう行くぜ。」
「ああ、いいよ!良い一日を!!」
「ふん……。」
少年は別れの挨拶もせずにとっとと去っていってしまった。
(はは、最後まで冷たい奴だ。)
私は苦笑していた。しかしどうにも冒険者は、変人が多いなあ。自信過剰だったり、逆にすさまじいネクラだったり。彼みたいに、他人へ関心をもっていなさそうだったり。
(それはさておき、中々の美少年だったなあ。もう少し愛想がよければ、今夜のパーティーに誘っても良かったのに。そっちの方は如何にも初心そうだったからね。年上の僕があれこれエスコートして上げたり……なあんちゃって。)
(救いようがねえ無能だな。)
何故かニヤついているる憲兵を横目に、オレは毒づいた。ここに本物の侵入者、ニトロ・パンプキンがいるというのに、存在にすら気づいていないようだ。まあアイリスさんに、なるべく地味な顔になるようメイクしてもらったこともあるんだろうが。
……それにしても、随分とあっけなくここまで来れたものである。飛行能力を持つナデコに運んでもらうことであの砂漠を超え、人間領の付近で下ろしてもらう。後は冒険者の証を使い、転送魔方陣を利用し放題だ。バクテリア帝国では各地に冒険者用の転送魔方陣を設置しており、証さえ見せれば帝国内の重要拠点間を瞬時に移動できる。全く、あれほど便利な装置はない。まあコストがかかり過ぎて、冒険者や政府の高官しか使えないが。
さて街への侵入に成功したオレだが、その行動は早かった。なんと、もう既に魔術書店へと到着しているのである。というのも実はこのオレ、昔アレンスに住んでいたのだ。田舎から上京しここの王立冒険者養成学校に三年間通っていた。その時に街の地理はほとんど覚えたのである。もちろん、このカクリ書店の位置も。ここは民間の店だから冒険者の証を見せるだけで、どんな本でも閲覧、購入できる。公的な店だと本人確認が必要になるので、お忍びのオレにはとても好都合だ。そして恐ろしく質がいい。元冒険者の店主が、こだわりを持って選んだ本が沢山置いてあるのだ。いやあ、中々順調である。これで後は良い本に巡り合い、魔王城へと帰るだけだ。まだ油断はならないが、ゴールには近づきつつある。
(待ってろよ、ナデコ!)
オレは勢いよく暖簾をくぐった。
「あら、いらっしゃい。」
出迎えてくれたのは、店長だった。カウンターに座り、『高等飛行魔法論』と題された本を読んでいる。昔とまるで変っていない。
「おや、お久しぶり。」
「どうも、ご無沙汰してました……って、えっ?」
オレはこの店に初めてきたという設定なのに、どうして「久しぶり」なんだ!?まさか……。
「ん?……あら、これは失礼。昔よく来ていたお客さんと間違えちゃったみたいだ。」
「そ、そうですか…。びっくりしましたよ。」
平静を装いながらオレは答えた。恐ろしく勘の鋭い人である。多分店長の言う「昔よく来ていたお客」とは、オレのことだ。アイリスさんのメイクの腕がなければ見破れていただろう。例え魔法を使っていてもだ。
「とにかく、下の書庫を見させてもらっていいですかね。魔術書を見繕いたいんですが。」
「もちろん!好きなだけどうぞ。魔法を愛する人は大歓迎さ!……ただし、破損や汚損は厳禁だよ。」
「はは…分かってますよ。」
とりあえずここまでは順調である。後は、いい本が見つかるかどうかだ。これほどの危険を冒しているのだし、なんとか優れた魔術書を持ち帰りたいが……。




