海を征く死者
周囲を海に囲まれ、その内の一角の砂浜を除けば崖に囲まれたベルズの住まう島。その崖に腰掛け、ベルズは今カトレアと、それからイガリスも含めた三名で釣りをしていた。
「なんかさ、カトレアと二人っきりの生活ってのをとことん邪魔されてる気がする」
釣り糸を垂らしたベルズはため息交じりにそうこぼした。糸の先につけられた餌は海の中に入っていないので何かが釣れるはずもないのだが、それを気にする素振りは見せない。
それよりもイガリスである。ベルズと並んで座っているカトレアは何の不満も口にはしないが、勝手に居候を始めた死神に対してベルズは文句ばかりが浮かんでいく。
「そんなに邪険にしなくたっていいじゃないですか。私は娘が増えたみたいでよろしいと思いますよ」
「いやあ、奥さんは実に優しいくてイイッスねぇ。それに引き換えその旦那ときたら……鬼ッス。人のココロってもんがないッス」
「ははははは、そりゃあ人じゃあないんだからそうだろうな」
イガリスの批判に呼応するように、釣り糸が揺れる。ベルズは無関心そうに笑って海面を眺めていた。
娘として見る、というのもベルズには無理だ。カトレアが産んだと言うならまだしも何の血縁関係でもない者を自分の子供のように思うのはとてもできそうにない。せめてもう少し出来が良ければなあ、とベルズは思う。
「……ところで、この辺って何が釣れるッスか?」
揺れる釣り糸越しにイガリスが問いかけ、素っ気ない返事をかえす。
「さーな。珍しい餌なら珍しい何かが釣れるかと思ったが、今のとこ何もかからねぇな」
「海に浸かってませんからね」
「そうだよな。よし、もう少し下げるか」
「や、やめるッス! ボウズでいいからそろそろ上げるッス!!」
釣り餌が暴れ、釣り糸、というか縄と言うべき太さのそれが激しく揺れる。釣り餌、もといイガリスは徐々に海と自身の距離が縮まっていくのを見て、叫び始めた。
「暴れるなよ、あんまり強く縛ってないんだから解けても知らないかんな?」
「うっせーッス! 肉食魚とかがいたらどうする気ッスか! アタシ食い殺されるッスよ! 死神だから死なないッスけど!」
「死なないならいいだろ。ほら、海水浴のつもりで。俺は海とかダメだから俺の分も楽しんでほしい」
「嫌ッス! もうすぐ冬ッス! あと死ななくったって寒いモンは寒いから嫌ッス! 早くアタシを引き上げてほしいッス!」
「ははははは」
ぎゃーぎゃー喚くイガリスは気にせず、ベルズは少しづつ釣り糸を伸ばしていく。
だんだんと近づいていく海面から逃れようと、イガリスはどうにか自由に動かせる頭と足を振り回して抵抗するが、それだけではやはり自分が海へと近づいていくのは何も変わらない。
そして、思い切り振り回していた片足から、靴がすっぽ抜ける。イガリスの眼前に広がる海原へと飛んで行ったそれは放物線を描き、着水。
十メートル前後飛んだ靴は、小さな水飛沫を上げる。そして。
「ひぃ」
海面に浮かんだ靴、そのすぐ下から突き上げるように、一匹の白い魚が口を開けて飛び上がってきた。
クジラのように巨大な体躯の魚はその体の大きさからは考えられないほど高く飛び、ベルズとカトレアの座る崖よりも高く尾の位置が到達したほどだ。
ベルズ達が呆気にとられていると、白い魚は体をひねり、今度は頭から海中へと突っ込んでいき、巨大な水飛沫を上げる。
白い魚が姿を消してしばらくの間、その場の三名は動く事すら忘れていた。
「お、お化けッスーーーー!!」
白い魚を一番の間近で見たイガリスは、涙目になりながら叫んだ。死神も見ようによってはお化けのようなものではないかと思うのでそのリアクションはどうなんだと思わないでもないベルズだったが、言わないでおいた。
「……ええ、確かにかなりの大物でしたしそう思ってしまうのもわかりますけど、普通のお魚さんでは?」
「ち、違うッス! 一番近くで見たからわかるッス! アイツの体!」
「体がどうしたよ?」
怯えたように声を震わせるイガリスに、とりあえずベルズはそろそろ釣り糸を巻き上げて話を聞いてやる事にした。
ようやくの地上に落ち着きを取り戻したのか、一旦深呼吸をしてからイガリスは言葉を続ける。
「アイツの体、ぜんぶ死体だったッス!!」
それから、イガリスは更に詳しく説明し始めた。
どうやら彼女が見た限りではあれは白い魚などではなく、無数の水死体が重なり合って魚の形を真似ているように見えたそうだ。
話を聞いていたベルズは水中に入ることができないので当然そんな生物の話は聞いた事がなかったし、カトレアも初めて聞いたらしく感心したような声を上げていた。
「死体を纏う巨大魚か……そんなのがこの辺にいたなんて知らなかったが、いつから住み着いたんだろうな」
「知らないのか? それは怨念魚というものだ」
ベルズの疑問に、聞いたことのある声が応える。が、それはカトレアのものでもイガリスのものでもない。
「ッ!? お前……!」
「不滅の勇者ビスク、再び見参!」
ベルズが驚愕するのに合わせ、カトレアもまた驚いた表情を見せる。イガリスは二人が何に驚いているのかわからず、ぽかんとした表情で首を傾げている。
そう、ベルズ達の目の前に現れたのは、以前カトレアがその下半身を跡形もなく消し飛ばして殺したはずのビスクだった。鎧は以前に焼かれた時と同じ部分が消失しているが、当然のように消え去ったはずの腰から下は何事もなかったかのように生えている。
「誰ッスか? この人」
「前に私がお腹から下を蒸発させたはずの方なんですが……もしかして、以前お会いしたビスクさんとは別人だったりしますか?」
「まさか。私は正真正銘の勇者ビスクだとも。そしてお前達と会うのは二度目でもある」
「……その割には消えてなくなったはずの足で大地に立ってるみたいだが、もしかしてお前も不死だったりするのか?」
「それこそまさか、だ。私は勇者といえど普通の人間だし、死にだってする」
そう言って更に口を開こうとして、ビスクはしばし逡巡する。それから「まあ、いいだろう」と小さく言い、懐から小さな日記帳を取り出した。
「種明かしをすると、私はこの星を司る存在から祝福を受けた人間なのさ。世界にとって害となる存在、つまり悪がいる限り、何度殺されようとも復活する。私が記録を残した場所へな」
そう言って、手にした日記帳を振る。その動作から察するに、ビスクは例え殺されてもこれまでの旅の記録を残した書物があれば、それが置かれている場所へ復活できるという事だろう。
ベルズに見せびらかしている日記帳が特殊な力を持っているというわけではないだろう。わざわざ危険を冒してまで見せる理由はないし、手にしている書物は偽物か、もしくは同じようなものを複数用意しているのだろう。
つまるところは、不死身ではないが、それに近い存在というわけだ。
「なるほどな、つまり俺と同じような正義のヒーローって事か」
「本気で言っているのかどうかは知らんが、少なくとも貴様が生きている内は私の祝福は失われなさそうだな」
笑顔でそう言ったベルズへとビスクは実に不愉快そうな顔をする。
「ま、その話はとりあえず置いておこう。お前、あの魚が何なのか知ってるっぽかったが」
「……ああ、怨念魚の話だったか」
ベルズに何か言いたい事がありそうなビスクだったが、話が元に戻され、それは言わずに飲み込んだようだった。
「あれは怨念魚という。その名の通り殺され、海に捨てられた人間の怒りや憎悪、そういった負の感情が集まり、魚の形となったもの。近くの海に落ちたものへと容赦なく襲い掛かり、人間であれば飲み込んで溺死させ、死体を体の一部へと変えていく。普通はあれほどのサイズにまで成長する事はないのだが、よほどこの地には多数の死体と怨念とが山積みになっていたと見える」
「あー……」
ビスクの話を聞き、ベルズは声を上げていた。そういえば、死体を掃除した際に全て海へと投げ込んでいたのを思い出す。あれが怨念魚発生の原因というわけか。
「あのう、あれって危ないものなんでしょうか」
カトレアが不安そうにビスクに尋ねると、心配する事はないと首を振って返す。
「おぞましい外見ではあるが、地上にいる者に自分から襲い掛かったりはしない。大きな音を立てて海に飛び込むようなマネをしなければ襲われはしない」
「へえ、なら試してみるか」
ビスクの話を聞いたベルズは、そのまま勇者を名乗る女へと歩み寄る。
「なっ、何を」
ベルズの言葉に嫌な予感を覚えたビスクだったが、体を動かされるよりも先に鎧の隙間へとベルズの指が滑り込み、がっちりと掴むとそのまま崖の方へと向かって投げ飛ばした。
射線上にいたイガリスがぶつかりそうになり、済んでのところで避ける。ビスクはどうにかして崖へと手を伸ばそうと試みるが、届くことはなくそのまま崖の下へと消えていき、少しして着水音が響く。
「ベルズ、貴様――!」
「また来いよー!」
崖の下を覗き込み、憤怒の表情でベルズを睨むビスクに笑顔で手を振る。折角なので、ビスクが本当に死んでも復活するのか試してみる事にした。
彼女の言葉が真実なら、いつかまたベルズの前に姿を現す事だろう。ビスクの浮かぶ海面の下に白い影が見え始めたので、ベルズは崖から離れる。
先ほどと同じように、突き上げるように大きく飛び上がった怨念魚はビスクを飲み込み、そしてまた海中へと飛び込んでいった。
カトレアが海水で濡れないようにかばっていたベルズに、イガリスは普段以上の半目で視線を送る。
「……アンタ、やっぱ人の心がない鬼ッスね」
「ははは、だから当たり前だって」