落ちこぼれ死神と収穫の蒼月
「こんちわ、死神ッス」
その後も特にやる事はなく、退屈そうに島の一角、崖際から海を眺めていたベルズとベルズを眺めていたカトレアは、突然背後からそう声をかけられた。
慌てて振り向くと、そこにいたのは黒髪を方の辺りで綺麗に切り揃えられたおかっぱの、これまた黒い着物を着た少女だった。
不健康そうなクマと半開きの目、それからにやつく口元が特徴的な少女は、自らの肩に水色に輝く大きな鎌を乗せて二人を見ている。
「なんだ、お前」
「今言ったじゃないッスか、死神ッスよ」
突然現れた少女にベルズは驚きを隠せない様子でそう問うが、返ってきたのは最初の一声とさしてかわらないもの。
癖なのか、元々そういう表情なのか、少女の口元だけは常ににやついたままだ。
「ここには本来死に行くさだめの者が多く、その理から逃れようとしているってんで上からの命令でアタシが派遣されたッス」
「あら、という事はつまり私達を殺しにいらっしゃったの?」
「まあ、そッスね」
眉をハの字に曲げて答える少女は、肩をすくめた。それを余裕の表れと見たベルズは笑う。
「へっ、不死を殺せるってか? 外見的に普通の人間と変わらなそうだが、するとその大鎌に相手が不死だろうと構わず殺せる魔法でもかかってるってとこか?」
水色の大鎌を指さしてベルズは言う。死神を名乗るだけあって、恐らくあの鎌はそういうものなのだろう。あれに斬られれば傷の大小を問わず魂を刈り取られるとか、そういった類の。
かっこいい。ベルズはそう思った。あの飾り気のなさもベルズの琴線を刺激している。
そんな事を考えていると、ベルズの指摘を少女は否定した。
「うんにゃ、これにそんな力はないッス。まー斬れば斬るほど斬れ味を増していくスゴイ鎌ではあるッスけど」
「は? それでどうやって不死の俺達を殺そうってんだ?」
鎌に宿った力を聞いて、ベルズは拍子抜けした。不死を殺すような魔法がかかっているわけではないらしい。
強力ではあるが、不死である以上首を切り落とされるような致命傷を負ったとしても死にはせず、瞬時に再生する二人にはどれだけよく斬れようとも意味はないに等しい。
それとも何か別の策を用意しているのかとベルズが聞くと、少女は顔を伏せた。
「ないッス……」
「はあ?」
「アタシ死神ッスけど、特別な力とかなくて、この鎌以外なんもないから、殺せないッス……」
「……な、なんでだよ」
ベルズ達を殺す準備を何もしていないという少女は、困惑気味にベルズに問われてここまでの経緯を話し出した。
「アタシ、イガリスって言うんス。死神に就職して三年目なんッスけどね、あんまり成果とか出せる方じゃなくって、同期で入社した人らにはどんどん成績抜かされてって、今でもヒラの死神ッス。でも、自慢になるかは分かんないッスけど、人を見る目はあったみたいで超優秀な新人を見つけたりもしたッス。……まあ上司には恵まれなかったみたいで、新人に仕事の成績を追い抜かれるとは何事だーってめちゃめちゃ叱られて、挙句の果てには不死者の魂を刈ってこいとか無理難題を押し付けられたッス……」
「へ、へえ……」
ベルズの思い描いていたような死神という存在から大分離れた内容を聞かされ、話についていけなかったので、適当な相槌を返した。
つまりは左遷に近い形でベルズの住むこの島に飛ばされたという事だろうか。
「あらあら。大変なんですね、死神さんって」
「同情するなよ……俺達を殺しに来たんだぞ……できそうにないみたいだけど」
泣きそうになっている少女の頭を撫でて、カトレアは慰めている。
「ありがたいッス……なんか、久しぶりに人の温かさに触れた気がするッス」
「私は人ではないんですけれど、それはともかく辛い時は我慢しない方がいいんですよ?」
「いや、大丈夫ッス。もう平気ッスから」
カトレアに手を引っ込めさせ、黒髪の少女は少し後ろに下がると、ベルズ達に向けて大鎌を構えた。
「さて! 情けない所をお見せしたッスが、仕事は仕事、しっかりやらせてもらうッス! さあ、このイガリスの鎌の錆になるがいいッス!」
「え? ああ戦うのか? いやいいならいいんだけどさ……」
イガリスと名乗った少女の境遇に情が移っただとかそういった事は一切ないベルズだが、あまりにも締まりのない戦いの幕開けに久々の殺し合いだというのにいまいちなテンションであった。
「食らうがいいッス!」
イガリスは大鎌を天高く振りかぶった。明らかに胴が隙だらけなのだが、まるでそんな事を気にしていないかのような、はっきり言って素人の構えに、ベルズは攻撃する事を忘れていた。
そして振り下ろされた大鎌を、ベルズは自らの胸で受け止めた。容易くベルズの体へと突き刺さり、そのまま背中側から刃の先が飛び出す。刃先には、ベルズの体内に流れる銀色の液体で濡れていた。
「は、初めて当たったッス……!」
「うん……だろうな。あと、早めに手を離した方がいいぞ?」
攻撃が当たったことに驚愕するイガリスに、そりゃあロクな成績上げられないわな、とベルズは呆れる。
そして続けてベルズが放った言葉をイガリスが理解したかどうかという所で、大鎌の刃の先端、ベルズの体液に触れた個所から順に、水色から銀色へと色が侵食されていく。
銀色の捕食者などと呼ばれているベルズの能力の一つ、自身の体液に触れたものを取り込み、体の一部へと変えてしまうものだ。
ベルズの言葉に首を傾げていたイガリスだったが、自らの握っている大鎌の水色の柄が自分の方へ向かってどんどん銀色に変わっていくのを見て即座に手を離した。
「うおおっ!? な、何ッスか!?」
「忠告通りにできたな、偉いぞ」
イガリスが驚いている間に、大鎌はその全身が銀色変わり、それからベルズの体内へと飲み込まれていった。
その後には大鎌で貫かれた傷跡もなくなり、衣服さえも元通りになっている。
大鎌がどこへ消えたのかを不思議そうに見てくるイガリスに、ベルズは左手を掲げる。手の平から先程と同じ銀色の液体が滲み出し、それが徐々に大鎌の姿を形作る。
現れた水色の大鎌を肩に乗せ、ベルズはニヤリと笑う。
「カッコイイです、あなた! とっても似合ってますよ!」
「うん、前に使ってた剣より俺もこっちの方がしっくりくるよ」
カトレアが拍手を送る。それを受けて、ベルズも都合よく事が進んだのもあって上機嫌だ。
イガリスの持つ鎌に、ベルズは一目惚れした。戦う事になったのも好都合で、難なく自分のものにすることができた。
「なあ、この鎌ってなんて名前なんだ?」
「ハーヴェスト・ブルーって言うッス」
「へえ、まあ、悪くない方かな」
「アタシはちょっとカッコ付けてる感じであんまり好きじゃないッスけどねー……って、そうじゃないッス!」
鎌の名を聞かれ、しばらく普通に受け答えていたイガリスだったが、自分の置かれた状況を思い出して、叫んだ。
「それアタシの鎌ッスよ! 返してほしいッス!」
「残念だが、たった今俺が喰らって俺の体の一部になったから、もうお前の鎌じゃないな」
「そんなぁ……イジワル言わないで返してほしいッス! 死神の証のその鎌を紛失したら三か月給料半分にされて再支給されるまでずっと同僚から嘲りの目を向けられるッス! 部長からの長いお説教も付いてくるッス!」
「給料出るのか……」
「い、いいから返すッス! このままじゃアタシ、クビにならないか心配で心配で……!」
「そうか。じゃあその心配をしなくていいようにしてやるよ」
縋り寄ってきたイガリスを突き飛ばし、そのままハーヴェスト・ブルーを斜めに振り下ろし、イガリスの胴体ど真ん中を切り裂いた。
そのまま、イガリスは大地に倒れ込む。
「これで叱られる心配、しなくていいな」
「いや、死神は死んだりしないし、普通に無傷ッスけど」
ベルズの言葉を聞き、イガリスはひょっこりと起き上がった。斬り付けた傷がなければ、着物も斬れてすらいない。
「マジか……」
「まじッス」
きまった、と内心思っていたベルズは視線を逸らす。大抵の事は殺して解決してきたので、どうすればいいのかわからなくなっている。
半目でベルズを睨んでくるイガリスと、これからどんな対応をするのかワクワクしているような視線を向けてくるカトレアに挟まれ、ベルズは考える。そして、しばらく悩んだ末に答えを出す。
「ま、まあこれでお前は鎌をなくしたのではなく奪われたわけだから、この事をお前の上司に報告すれば……あれだ、増援とかを期待できるかもしれないし、うまくいけばきっとお前もお咎めなしで新しい鎌を貰えるに違いない。だから……とりあえず今日は帰れ」
苦し紛れにベルズはそう言った。ちらとカトレアの方を見ると、満面の笑みで親指を立てている。少しだけホッとしたが、それからすぐに「どんな対応だったとしてもカトレアなら全肯定するのではないか」と思い至り、安心できなくなる。
何にせよベルズの言葉をイガリスが納得するかという事になるのだが、果たして。
「なるほどー! アンタ頭いいッスね!」
「ど、どうだろうな……」
発言者本人さえも困惑するほどにイガリスは納得した。もしや、相当なアホなのだろうか。
ぱあっと表情が明るくなったイガリスは、ベルズと握手をした。
「それなら誰も困らずに大団円ッスね! アタシ早速部長のトコ行ってくるッス!」
じゃ! と元気よく別れの挨拶をして、イガリスは二人の前から煙のように消えていった。
そして、あとには静かに揺れる海面の音と、ベルズとカトレアの二人が残された。
「フフッ、死神さんって初めてお会いしましたけど、随分と愉快な方なんですね」
「俺はアレが死神の標準だとは思いたくないな……」
楽しそうな顔でカトレアは言うが、反対にベルズはとても苦々しい顔だ。
結局イガリスは生きて帰してしまったし、最悪の場合今度は複数の死神がベルズ達に襲い掛かってくるかもしれないのだが、まあ退屈するよりはいいか、とベルズは楽観的に考えた。
それから何日かして、イガリスは再びベルズの前に現れた。以前別れた時のような明るさは姿を隠し、涙ぐんでいた。
「うっ、うぐぅっ……、魂刈りの対象に鎌を奪われるとは何事だって怒られたッス……。給料九割カットで、この島の不死の魂全部持ってくるまで帰ってくるなってぇ……」
「……そ、そうなんだ……」
鎌を返すつもりはないが、戻ってくるなり大泣きされては流石にベルズもたじろぐ。
何か声でもかけた方がいいのかと思っていると、イガリスは突如泣き止んだ。
「まあ、言われたモンは仕方ないッス。あんたらの魂ぜんぶ刈り取れるまでここでお世話になるから、よろしく頼むッス」
「……はあ!? つまり一生ここに居るってのか!? 誰の許可得てそんな」
「お前アタシの鎌盗ったんスから、そんくらい我慢して受け入れるべきッスよ」
それを言われ、ベルズは問答無用でイガリスの意見を受け入れるよりほかなかった。
普段ならそんなもの無視して殺してしまう所だが、死神は殺せないらしいので、許可するしかない。いっそ取り込んでしまうのも選択の一つではあったが、イガリスは相当アホそうであり、ベルズの思考回路にも異常を来たしそうだと考えてやめておいた。
「それじゃあしばらくの間、お世話になるッス」