私以外の女の子を見ないで!
夕方ではなかった。
心配どころか、カトレアは怒っていた。ベルズは、それを今になってようやく気付いた。
「…………」
遺跡を走り抜け、さてここから先はどうやって帰るのが早いのかと辺りを見回したベルズが最初に目にしたものはカトレアだった。島で別れた時とは違い、水着ではなくいつもの服に着替えている。
そのカトレアは笑っていなかった。ベルズの前ではいつも笑顔を絶やさなかった彼女は、その顔に怒りを浮かべていた。
まあ、そうは言ってもそこまで迫力のあるものではない。元々可愛い顔をしているので味方によっては微笑ましくも見える。
しかしそこに宿る感情は本物のようだ。空気に滲み出た感情がベルズの元まで伝わってくるかのようだ。ベルズは以前にも似たような感覚を味わった事がある。
イリスの所でカトレアが怒った時だ。あの時は冗談だったようだが、今はそれと同じか、それ以上の怒気があるように見えた。
「すまなかった!」
一瞬の内にあらゆる思考を駆け巡らせたベルズは即座に頭を下げた。地に膝を突き、深く深くこうべを垂れる。
「そんな……おやめください。私、そんなに怒ってはいませんから」
ああ、やっぱり怒ってはいるんだ……と思いながらベルズはカトレアが言う通りに顔を上げて立ち上がる。
本当に怒っている事自体は本人に聞くまでもないだろう。なにせ周囲は炎の壁で囲まれている。それだけでも怒りの程が伺えるというものだ。
ベルズは覚えていないが、相当長い時間が経っていたに違いない。
「……それで、その、俺はどれくらい家を空けてたんだろう」
「覚えていないんですか?」
「いや、ごめん。俺の母親に会えるって話だったから、気が付いたらここにいて」
「えっ、ベルズさんのお母様に!?」
ベルズが今まであった事を話し始めると、母親という所にカトレアは分かりやすく食い付いた。
漏れ出ていたカトレアの怒りも一気になりを潜め、今度は緊張し始めた様子だ。
「え、ええと、どうしましょう。そんな、急に……、御挨拶の言葉もまだ考えてませんのに……あっあっでもやっぱり顔見せくらいはして然るべきなのでしょうか? ど、どうしましょうあなた」
「また日を改めてでいいんじゃないかな。今は……うん、疲れてるみたいだし」
ハイソファスは既にベルズが喰らってしまい、言葉も行動もベルズが自由にできる。というか、ベルズが動かさねば何もできない人形そのものの状態だ。
このまま会わせてもベルズの1人2役が始まるだけなのでいずれまた改めて来ようということにした。
「しかしカトレアはどうやって俺のいる場所がわかったんだ? 何も目印になるようなものは残せてなかったと思うんだけど」
「ふふん、すごいでしょう。なんと勘です」
カトレアは胸を張ってそう言った。何の根拠もなく、ただ「こっちかな」という半ば当てずっぽうに近い方法でありながら1発で正解を導き出したらしい。
いわば、俺とカトレアの愛の成せる業って所かな、などと考えて流石に恥ずかしくなり言葉にまではしなかった。
それは置いておいて、素直にカトレアの運はすごいので、褒めることにした。
「すごいじゃないか」
「そんな、褒めて頂けるほどではありませんよ。あなたに会えるまであの炎の壁で見える範囲を全部灰にしていけばその内見付けられるかなって思ってただけですもの」
「そ、そうか……」
総当たりで探すつもりだったようだ。
まあ、ある意味運がいいのも間違いではないだろうから、それ以上は追及しないことにした。
「それはそれとして、私だって怒っていることもあります」
「そう、だよな。お前に黙って出て行ったんだし……」
「いえ、そちらについてはそこまででも。今回がそうだったかは別にしても、連絡する余裕もない時はありますでしょうから」
「え? じゃあ何に怒ってるんだ?」
1人で勝手にいなくなった事を責められるとばかり思っていたが、違うらしい。
あてが外れ、何についての怒りなのかがわからなくなると途端に恐怖がぶり返してくるが、ベルズは聞き返さずにいられなかった。
聞き返され、カトレアは一度深く息を吸うと、いつもの笑顔を取り戻していた。
見慣れた優しさと安心感があるそれだが、見ると同時にベルズの背中を何か寒いものが撫でるような感触を覚えた。
「それはもちろん、私以外の女の子と2人っきりでお出かけしたことですよ」
笑顔で言うカトレアの声は平静そのものだったが、なぜかベルズにはその日1番の怒気が込められているような気がしていた。
そしてこれまでもその片鱗を見せることはあったが、カトレアは少しだけ嫉妬深いというか、若干独占欲が強い節がある。
内容を知らないカトレアからしてみれば、内緒で別の女というだけでも我慢ならない部分があるのかもしれない。
「……でも、相手はビスクだぞ?」
「はい。でもお相手が誰であれ、私以外の女の子と仲良くしているっていうのは……嫌です。ずるいです」
「2人きりがダメだったら、イガリスでも連れてくればよかったかな。それならカトレアも」
「もっと駄目です」
「うん……ごめんな、そうだよな、今のはないよな」
冗談のつもりだったが、カトレアの声色が深刻さを増したので即座に取り消した。
ベルズはカトレアの目の前まで行き、その両手を取って真っすぐに瞳を向ける。
「ごめんな、何も言わずビスクなんかについて行って」
「…………いえ、その。色々と我がままを言ってしまいましたけど、ちゃんと謝ってくださいましたし、今回はこれで終わりにしましょう」
さりげなく「次からは只じゃおかない」と言われているのだが、ベルズはああ、と頷いた。まあ元々カトレア以外の誰かと遊びに行くだなんて事そうそうありえないので問題もない。
そしてベルズが握った両手から名残惜しそうに手を離すと、カトレアは両腕の黒鉄を解除した。同時に、空を赤く染めていた紅蓮の壁も制御を失ってか消失していく。
胸ポケットから純白の手袋を取り出して手にはめると、早く家に帰ろうと言わんばかりにくるりと半回転して歩き出す。
「あ、そうでした」
が、数歩進んだところで立ち止まり、1度ベルズに振り返る。言い忘れていた事があるらしく、口を開いた。
「女の子とは駄目ですけど、男の人とだったら何してもいいですよ!」
「……なんだよ、そのセーフラインは」
何か大事な事でも忘れていたのかと身構えたベルズだったが、それを聞いて呆れたように笑った。
同性間であればノーカウントという事なのか、そしてそれは発言したカトレア自身にも当てはまるのかは気にならないでもないが、それは聞かずにカトレアを追いかけていく。




