碧の玉座
向こうからやって来るのを待つと決めた次の日、ビスクは見計らったかのように島へと再びやってきた。
以前の軍勢を率いて来た時ほどではないがそれなりに大きな船でのご登場である。そして、その甲板に立つ彼女の横に一つだけ積まれているビスクより2回りは大きい鉄の箱が目立つ。
砂浜に立ち、カトレアと2人で出迎えたベルズは、甲板から見下ろすように不敵な笑みを浮かべて腕組みをするビスクを見つけると不快感をあらわにした声で叫ぶ。
「てめえ、よりにもよってディオネアを連れ出すとはやってくれるじゃねえか!」
「ははははっ、お前にとってさぞ大事な人だったか? 安心しろ、傷一つつけては」
「んなわけあるかよ! ボロクズみたいになるまで酷使したって気にもしねえ! それより今アイツはどこにいやがるッ!」
「……? よ、よくわからんがすぐに合わせてやるさ、すぐそこにいるからな」
遮って叫ぶベルズの言葉に困惑しながらビスクは鉄の箱を示した。
その陰から申し訳なさそうに半分だけ顔を覗かせた、赤髪ポニーテールと褐色肌の白衣の女ディオネア。
「……その、怒らないでほしい。君があんまり私に話をしにきてくれないから、寂しくてついて行ってしまったよ」
許してほしい、と神に祈るように手を組んで許しを乞うてベルズに視線を送っている。
「……お前、俺を見下すとはいい度胸じゃねえか」
「こ、これは立ち位置的に仕方ないと思うのだが……!」
甲板の位置はベルズ達の頭より上にある。物理的に見下す形になるよりほかないのだが、それすら許せないほどにベルズは憤怒している。
そもそも相手は2人に不死の呪いをかけた女である。自由に行動できていた間に何をしていたのか想像もつかない。もしかすると、何かベルズへの復讐の算段を立てていたのかもしれない。
「博士よ、そう構う事もない。どうせこいつの為にも一度降りる必要があるのだから、折角だしあの化物と目線を合わせてやろうではないか」
「うん……そう、だったね」
こいつ、と言いながら鉄箱を手の甲で軽く叩くビスク。予め何かを決めていたようだが、ディオネアは乗り気ではない様子だ。
そこでベルズは気付いたのだが、ビスクは見慣れない手袋を装備している。全体は紺色で、手の甲側に赤い宝石の嵌められた金縁の装飾付きの品である。
「見ているがいい、群で駄目ならば個の力を見せてくれるッ!」
ビスクが叫び、それに続いてディオネアが鉄箱にしがみついた。
それを確認すると、両手でビスクが箱を掴む。大きすぎるそれは限界まで腕を広げても一辺の角を掴むことしかできないが、それで十分とばかりに持ち上げた。
彼女の背丈より明らかに大きな、それも鉄製の箱をそのような持ち上げ方をして、ベルズは少し驚いた。仮に中身が空だったとしてもあそこまで軽々とは持ち上げられまい。
しかしその異常な握力の正体にもすぐに気が付く。あの手袋の宝玉が輝きを放っているのだ。きっとあの赤い石が筋力を向上させているか、もしくはあの手袋そのものがそういった魔法のアイテムなのだろう。
箱を持ち上げたビスクはそのまま甲板から飛び、ベルズの目の前に着地してみせる。衝撃で撒き散らされた砂からカトレアを守るように立つ。
「ということは、あの中に何か強い魔物でも入っているのでしょうか」
「だろうな」
カトレアの言葉を肯定するようにビスクは箱を持ったまま反転した。すると今までベルズへと背を向けていた側には扉のようなものが付いている。どうやらこれは檻ということらしい。
「それで、何を連れて来たんだ?」
ベルズの言葉に、張り付くように箱にしがみついていたディオネアが砂の上に足を下ろし、答える。
「古い知り合いの、最後の作品さ。彼はまったく異なる生物同士を継ぎ接ぎしてキメラを作るのが趣味だったのだが、最後の最期に最高傑作ができたと自慢していたよ。日記の中でね」
「知り合いね。お前の知り合いって事はどうせロクな奴じゃないんだろうな」
「まさか。友人として付き合うならいい奴だったとも。……もっとも、家族関係まで行くと話は変わるがね。彼は自分の身内を実験材料として見る節があったから」
「……つまりそれはろくでもない方だったのでは」
カトレアの言葉にディオネアは聞こえないフリをして儚げな瞳で箱の表面を撫でる。
「私がそこの勇者に連れられて行った時には彼は死んでいたよ。骨しか残っていなかったのだけれど、なんだか満足そうに笑って見えたよ」
良い物を作れたんだね、と羨むような声でディオネアは呟いた。
旧友の遺した作品に彼女が思いを馳せる中、それを無視するようにビスクは扉に手をかけた。手袋の宝玉が光を放つ。
「そして、こいつは私を幾度となく殺してみせた恐ろしきキメラでもある。しかし今こいつは博士の力によって完全に操られている状態だ。つまり」
重々しい鉄の扉が勢いよく開かれる。光が内部の闇を照らし、箱の中のキメラが姿を見せる。
その中にいたのは、目を閉じ、眠りに就いている青い髪の少女だった。一国の王が座るのに相応しいような、碧色の座。その本来腰を据えるべき場所から裸の少女の胴体が生えている。
それだけではない。その下にはこれまた碧色の宝石のように輝く人間の何倍もあるようなサイズの蜘蛛の胴体と脚が繋がっている。そしてその後方、腹にあたる部分からは3メートルはあろうかという碧色の触手が頭髪のようにびっしりと生え、うねりをあげていた。
「これが、西の果ての国で生み出されたおぞましきキメラ、『碧の玉座』だッ! さあ、お前達も玉座の前に跪き、その半身を溶かされるがいいッ!!」
ビスクの叫びで少女の座す玉座の前、蜘蛛の腹の上部分に人間が収まりそうな穴が開いているのに気が付く。
おそらくあの背中の触手を伸ばして獲物を絡めとり、あの穴の中に入れられるのだろう。そこには強力な酸が溜まっていて、きっと玉座に座る少女と同じような姿になってしまうに違いない。
「碧の玉座にお前達が殺されればそれで良し、逆に玉座がお前達に殺されようと素材となった少女の魂を解放できる上に凶悪な魔物が世界から1匹消える、どちらに転ぼうが私には得しかない!」
そう叫び、ビスクはディオネアに視線で合図を送る。
仕方ないなと言いたげな顔をしてディオネアは目を閉じた。それを合図としてか、碧の玉座は虚ろな目を開き、立ち上がる。
箱から出てベルズとビスク達の間に立ち、陽の光を一身に浴びる碧の玉座の全長は見上げねばならないほどに高く、まるでその玉座に相応しい、女王のような威厳さえ感じられた。
「……こんな姿に改造されて、見ず知らずの人間に操られて。その上殺し合いの鉄砲玉にされるとか、こいつは今どんな気持ちなんだろうなあ?」
ビスクの心を揺さぶって見ようと投げかけた言葉だったが、返答は別の口から返ってきた。
「そこは心配いらないよ。何しろ彼女、眠りはするけど自我はもう無いし人だった時の記憶も無いみたいだからね。これは本当の事だよ」
まあ、残っているとすれば親切心くらいかな、と言ってディオネアは続ける。
「自我とまで呼べるかはわからないのだけれど、今の彼女にとって人間の腰から下は邪魔な部位だと思っているみたいでね。人間を見るとその邪魔なものを取ってあげようとするんだ。強力な酸がたっぷり溜まった穴でね」
やはり玉座手前の穴は酸の溜まり場だったらしい。説明は終わったとばかりに碧の玉座の背に生えた触手が伸長する。
ベルズはそれを見て戦闘態勢に移行。ハーヴェスト・ブルーとイレースシューターを両手に持ち、カトレアだけは絶対に捕まらないように彼女を背にしつつ後退する。
しかし伸びあがった触手は最も手近で隙だらけな者を拘束する。両腕をバンザイさせるように持ち上げ、腰と首をそのまま絞め潰すように触手を巻き付ける。常人であれば決して脱出はできないだろう。
最初に捕まったのはビスクだった。
「はっ!? な、何故だ!? おい、どうなっている博士!!」
不敵に笑っていたビスクだったが拘束され、ゆっくりと穴の上に運ばれていると理解するとその余裕もどこかへと消え、叫んだ。
「うん、すまないが君との共闘は嘘だったことにしてもらおう。2体1では流石に分が悪すぎる」
「な、何を言う! 玉座だけではない、私も戦えるのだぞ!」
「いやいや、始めからそのつもりで言っているのさ。私もこの子も、戦力として数えられるほど強くはないからね」
「……裏切ったのかッ!」
顔を歪めながらそう叫んだが、もはやディオネアはビスクの事など見てもいない。目を閉じ、薄く笑う。
そのままビスクは触手で穴の中に腰まで押し込まれる。湯船に浸かった時のように余剰の液体が外へと押し流され、碧の蜘蛛腹を伝って砂の上にその雫が滴ると、ジュッと音を立てて煙のようなものが上がった。それによって今ビスクの浸かる液体が何なのかも証明される。
「っぐううううううううっ!! あ、があああああああぁっ!!!」
砂に落ちた雫のように、そしてそれとは圧倒的に違う多量の強酸により、穴から凄まじい量の煙と共に焼けるような音。それに合わせるようにビスクが野獣のような絶叫を上げる。
目を剥き、胃の内容物ごと絞り出すような叫びを聞いているだけで半身を溶かされる苦痛がいかほどのものか伝わってくるような気さえする。
途中、両手袋の宝石が光を放ち、拘束する触手を解こうと暴れるものの一切緩まない。それどころかより強く腕を縛られ、あまつさえ細い触手が手に絡んで手袋を脱がせてしまった。
こうなってしまってはもうビスクになすすべはない。ただ叫び、無意味にもがくしかできない。
1分ほど続いたその咆哮は、穴から煙が出なくなったのとほぼ同じ頃、嘘のように聞こえなくなった。
玉座に座る少女がそれを確認すると、触手に絡めたビスクを自身の前方の砂浜に優しく下ろし、拘束から解放した。
上半身だけとなったビスクはやはり既に死んでおり、今まさに全身が光の粒子へと還元され始めていた。またどこかの場所で復活するのだろう。
それを見届けたディオネアは一歩前に踏み出し、ベルズを見る。
「……そういうわけで、私は始めからこうする機会を狙っていたのさ。これでようやく君の元へ戻れるね」
「……」
「……」
「ま、待ってほしい、なぜ2人ともそんな目で私を見るのかな?」
ベルズは白銀の銃の銃口をディオネアに向け、カトレアもいつの間にか黒鉄の腕を現していた。
そして2人が向ける目は疑念と敵意で染まり切っている。
「単純に信用できない。どうせそいつに今したみたいに裏切るんだろ?」
「あなたの言葉が嘘でも真実でも、私の夫のそばにいてほしくありません」
「ふふふ、我ながら信用がないなあ。私はただ彼女に脅され仕方なく従わされていただけだというのに」
薄く笑いながらビスクの方を見て言う。ちょうど完全に消滅する所だ。
「まあ君たちの元から逃げようとしたのは事実かもしれないがね。……それも、この子に出会って気が変わったんだよ、本当に」
碧の玉座の脚を慈しむように撫で、ディオネアはそう言った。
「可哀そうなものじゃないか。人であった頃の仕打ちも散々だが、生まれ変わっても最期は捨て駒のように扱われるなんて。私も流石に同情を禁じえなかったよ」
「あら、人間時代からのお知り合いだったのですか?」
「……おっと、そうだったね。間違えたよ。特に理由もないが、この子には優しくしてやりたいだけだよ」
首を傾げる物言いだったが、それ以上の追及が来る前にディオネアは更に続けた。
「ともかく、そこの自称勇者は私が殺した。君の許可なく逃げた事もそれで許してほしい」
そう言ってディオネアはベルズへ手を差し伸べた。握手と共に和解を求めての行為だろうが、ベルズはそれに応じない。
「で、後ろのそいつはどうする気だ?」
代わりというように碧の玉座を指した。ディオネアが戻って来るのを許すかどうかはともかく、このキメラの扱いをどうするつもりなのかは気になる。
「もちろんここで飼うよ」
「捨ててこい」
「ま……待ってほしい、ちゃんと面倒は見るから。餌だって心配はいらないんだ、こう見えても大地の栄養を吸って生きる植物みたいな食性だから……」
「そこは重要じゃないんだよ。カトレアがもし襲われたらどうする気だ」
「それも大丈夫だよ。今は私が操っているし、そもそもそんなことをするまでもなくいい子なんだ。教えてあげればちゃんと誰を襲ってはいけないのかもわかるんだよ」
そう言って、碧の玉座を見た。すると玉座の少女の目に光が宿る。催眠を解いて、安全だとベルズに訴えかけるつもりらしい。
ディオネアと碧の玉座の目が合う。しばらく見つめ合った後、ベルズへと振り返った。
「ほら、ね。この子も既に私へ危害を加えるようなことはしなくなっているのだよ。私が教えてやればすぐに誰を襲ってはいけないのかも理解するだろうし、むしろ番犬のようになってくれさえ」
「溶かされてますけど」
視線を離した直後、ディオネアはビスクと同じように捕えられて下半身を溶かされ始めていた。
「…………何の話だかわからないね」
「お前……ホント痩せ我慢だけは尊敬に値するレベルだな」
が、ディオネアは下半身から煙を上げながらも涼しげな顔を崩さない。
不死になっているとはいえ痛みからは逃げられない。恐らく、単に激痛を我慢しているだけだ。本当はディオネアの全てを認めたくないベルズだが、その我慢強さだけは例外かもしれない。
「うん……正直何の説得力もないんだがそこまで言うなら認めないでもないかな、何か問題を起こしたら即刻この世から追い出すけど」
「フフ、優しいね。やはり君は話の分かる男だよ」
玉座から解放され、腰の辺りからなおも煙を上げるディオネアは、這いつくばったままベルズの言葉を聞いて笑ってみせる。
ただ痛みに耐えるだけでなく笑う余裕まであるとは、もしかしたらこいつには痛覚がないのだろうか、とベルズには思えた。




