消えた魔性
ディオネアが消えていた。
まあ、文字通りに消えてなくなってくれたのであればベルズも喜べたのだが、そういうわけではない。脱走したのだ。
しかし非力なあの女が自分の力だけで腹を貫く鉄のパイプを引き抜けるはずもない。誰かが手を貸したことになる。
おそらく身内ではないだろう。カトレアもリギアもベルズに黙って何かをしたりする、なんてことはほぼ無いし、ディオネアを逃がすなどということはもっとありえない。
そうなると自然と犯人の目星も付く。ベルズと親しくなく、恨みを抱いており、そしてこの島に度々出入りしている人物。その条件を満たしているのは。
「イガリス……!」
「なんでそんな怖い顔で睨まれてるのか知らねッスけど激しく冤罪の予感がするッス!!」
無実を叫ぶ死神の胸倉を掴み上げてディオネアと同じ状態にしてやる、と床に落ちているパイプを掴もうとしたところでカトレアが制止をかける。
「あなた、これを見てください」
そう言われ、紙切れを持ってベルズの方へ差し出してくる。
素直に従い、掴んでいたイガリスを解放してから紙を受け取ると、そこにはディオネアを連れ去った者からのメッセージが書かれていた。
『邪悪なる怪物ベルズよ、悪辣な拘束を受けていた博士は私が解放した。何のためにこのような縛り方を選んだのかは知らんが貴様の思い通りになどさせはしない。そしてこの博士の力を借りて今度こそ私は貴様を討つ。すぐに戻るから、神妙な面持ちで自らの死を待つがいい。勇者ビスクより』
「あのクソ勇者か……」
ディオネアを連れ去ったのはビスクだった。やはり家の中にも侵入していたらしい。留守中に忍び込むとは、なんと不届きなことだろう。
「そういえばあの王国に行った時もいませんでしたよね。ディオネアの力を使って何かするつもりみたいですけど……、何をする気なんでしょう?」
「わからない。まあ、馬鹿の考える事は同じ目線にならないと理解なんてできないだろうが……」
不死の実現を果たせるだけあって、ディオネアは相当に優秀である。ベルズの見ていた限りではそうも思えないのだが、とにかく優秀ではある。
その上、カトレアと同じように強力な魔物の力をその身に宿している。サキュバスの女王の力だ。
女王を名乗るだけあって、夢の中でならば無敵である。恐らくベルズでさえも負けるだろう。カトレアとサキュバスの女王とどちらが技術的に上かは知らないが、少なくとも夢の中では女王の方が強い。
そして夢を通して人を自在に操る事もできるだろう。睡眠という概念を持つ者が相手であれば、ディオネアに勝つことはできないと言い切ってもいい。
まあ、その力の殆どは串刺しにされていた事で封印できていた。強い痛みがある状況ではその力も使えはしないそうだ。
しかし今はその封印も解かれてしまっている。ビスクが何をさせるつもりなのかは分からないが、とても危険な状況かもしれない。
「……で? アタシは完全に濡れ衣だったみたいッスけど、何か言う事はないッスか?」
「まぎらわしい。もっと周りに好かれるよう努力しろ」
「そーいうコト言うならお前ももうちょい歩み寄る努力をしろッス!」
「まあまあそんなに怒らないでイガリスさん、ほらお菓子作ってあげますからお兄さま達の邪魔にならない場所に行きましょう?」
「まじッスか!? じゃあアタシめっちゃ甘いのがいいッス!」
噛みつかんばかりの勢いでベルズに唸るイガリスは野良犬のようだった。それをリギアが引きずって地下室から出て行く。
お菓子と聞いて一気に態度を軟化させるイガリスと呆れたように笑うリギアを見て、姉妹みたいだな、とベルズは思った。リギアが姉でイガリスが妹だ。
身長も歳も明らかにイガリスが上なのだが、既に死んでいるリギアの方が落ち着きがあるように見える。死んだ方がマシとはこのことなのだろうか。
そんなことを考えている間に2人の姿は地下から消え、ベルズとカトレアが残された。
「……まあ、また来るってならそれでいいさ。ディオネアも連れて来るならそれでいいし、どこかに置いてきたなら見つけ出してまたここに張り付けてやる」
「はーい」




