ちょっと国滅ぼしてくる
四方を山岳に囲まれた険しい大地に築かれた国。その国を治める王は、王座の間で待っていた。
過去幾度となく外敵からの脅威に晒され続けたこの国を守り抜いてきた精兵達と、彼らと共に戦ってくれた勇者ビスクの帰還をだ。
今回の相手は、絶海の孤島に住まう非常に強力な魔物だという。海から遠く離れた内陸の自国には無縁であろう者。本来であれば手を貸す理由もない。が、国の平和のため尽力して見せたビスクの頼みとあれば断るはずもない。王は二つ返事で兵を貸し与えた。
どれほど強力なのかはビスクの説明では要領を得なかったが、我が国の歴戦の兵士と、あらゆるものを断ち切る秘儀を使う勇者が負けるはずがない。
そう信じていた王の期待を裏切るかのように、蹴破るかの勢いで乱暴に扉が開かれ、息を切らした兵士が王の前に跪く。
見覚えのある顔だった。そう、それはビスクに貸し与えた兵の一人である。彼が戻って来たということは、戦いが終わったという何よりの証。
王の前にそんな勢いで飛び込んでくるなど許されざる行いなのだが、それだけ急ぎの用であれば仕方があるまい。扉の前に立っているはずの衛兵が止めることもできなかったほど、彼は急いでいたに違いない。
「報告します!」
限界まで声を張り上げて叫ぶ兵士に、王は頷いて続きを促す。その声色に何か嫌な予感を掻き立てられるが、全てを判断するのは聞き終えてからと考えを振り払う。
「勇者様は死亡、共に戦った兵も全滅しました」
「なんと……」
続く言葉が何であるか、王は予想はしていた。だが実際にそれを聞かされ、驚愕を隠すことはできなかった。
この国を守ってきた兵士、それがたった一つの戦いでごっそりと死んでしまった。なんとも受け入れ難い事実だ。勇者が何度死んでも生き返る事は王も既知であるため特に何とも思わないが、よもや全滅とは。
しかし一国の王がいつまでも気落ちしたままというわけにはいかない。報告を飲み込み、できるだけ平静を装いながら息を吐く。
「……いや、報告ご苦労であった。生き残ったのが貴公のみであるというのは至極残念ではあるが、まずは一人だけでも生還できたという事実を喜ぶべきなのだろうな」
どのような戦いがあったのかを王は知らない。しかしただ一人とはいえ戻ってこられたのだ。それを最優先に褒め称える方がいいに違いない。
何と戦ったのか、どんな姿なのか、それらを直接見聞きした者から語らせることができる。今後その者を避けるにせよ仇討ちを行うにせよ、それは非常に重要な情報となる。
「して、貴公らが戦った相手というのは?」
「はっ、ベルズと言う名の魔族の男でした! カトレアと言う美しい妻を持つようです!」
「……うむ、そうか。では次にその者らの細かな特徴を教えてくれ。使った武器防具魔術、ともかくどんなものでも構わないから、思いつく限りを上げてくれ」
「はい。……ですが、その前に一つ訂正がございます」
「なんだ、申してみよ」
兵士は立ち上がると、王を見て笑った。
「生き残りはおりません。申し上げた通り、全滅しました」
「……ん? 何を」
言っている、と続けようとしたが、そこで言葉に詰まってしまう。
立ち上がった兵士の顔を見て王は驚愕した。先程までと変わっているのだ。邪悪な笑みを浮かべた白い肌の男は兜を外し、その黒く長い髪を露わにする。
「全滅しました。この俺の手で」
ベルズだ。もう用はないとばかりに纏っていた鎧を銀色に溶かし、その下から浮かび上がるようにいつものコートが現れる。
にやけ面のまま対面する彼に呆気にとられ、王はしばし硬直していたがすぐ我に返り警備兵を呼ぶため玉座から立ち上がり声を張り上げた。
「誰かッ! 敵襲だッ! 直ちに討ち取れッ!!」
多くをビスクに貸し与えはしたものの城内には十分な警備兵がいる。王座の間の傍とあれば常に即応できるだけの兵が常駐するため、すぐにベルズは取り囲まれる。
……そのはずだったが、王の呼び声に応える者は誰も現れず、その場には静寂が訪れた。
「ざんねんなことに、そちらも既にここに来る道中で全て対処済みにございます」
適当な敬語でなぜ誰も出てこないかを告げられ、信じられない、と王は首を横に振ることしかできなかった。
王の守護を任ぜられた彼らは皆精強であり、こんな細身の男一人に一網打尽にされたとは到底考えられず、考えたくもない。
「思いの外船との距離が離れてたせいで陸に上がるまで追いつけなかったが、まあついでにあの兵士どもの国まで来ることもできたし、悪いってほどでもないかな」
少し道に迷ってしまった、程度の気軽さで話しながらゆっくりと距離を詰め始めるベルズに、王は恐怖を感じはじめた。
この男の言っていることを信用はできない。しかしだとすればなぜ誰一人王を守るために駆け付けないのか。そして、今この状況になって周囲に気を向ければ、普段は感じられるはずの「人の気配」というものがまるで存在しないと気が付く。やはり誰もいないのだ。
そう理解すると、途端にこのベルズという男が恐ろしく思えてきた。きっと、これがビスクの言っていた魔物なのだろうとわかった。彼に勇者と兵たちが戦いを挑み、返り討ちにあったのだろうとも。
一歩、また一歩と自身との距離を詰められる度、死が大きな津波のように押し寄せてくる感覚を王は覚え始める。
逃げなければ殺される。逃げよう、逃げなくては、逃げるべきだ、全身が王にそう告げる、が。
逃げなかった。王は震える膝を折り、どっしりと玉座にかけ直し、自らの結末を受け入れることにした。
我が国の兵士を皆殺しにできるような相手だ、逃げだしたところですぐに殺されると察したのだ。それならば、背中を刺され地に伏せるよりは、玉座の上で死するべきと考える。
逃げたくないと言えば嘘にはなるが、一国の主に相応しい最期がどちらかを考えながら全力で恐怖を抑え、王はベルズに問いかけた。
「…………私も、殺す、のだな」
できるだけ平静を装い、しかしながら脂汗と震え声とが入り混じったその問いに、意外な答えが返ってくる。
「俺が? まさか、そんなことしないとも。さっき決めたからな」
大きく首を振りながらベルズは否定した。もはや既に死んだつもりでさえいた王にはその言葉の意味するところをすぐには理解できないでいたが、数秒の間を置いて徐々に解しはじめる。
どんな取り決めなのかはわからないがベルズには王を殺すつもりはない、ということだ。助かる、というのを頭が認識すると同時に、王は大きく息を吐き出す。
「……そうか。つまり、私は助かってしまう、というわけか」
「不服そうだな、もっと喜んだっていいだろうに。俺に殺してもらえないのが残念だってか?」
「まさか、できることなら死にたくなんてないさ」
死を恐れていた。死にたくないとも思っていた。しかし今この状況に至って本当に死なずに済むとは完全に予想していなかった。
これからも生きていけるということは引き続き国を治めるということ。そして国を守るべき兵は文字通りの全滅といっていい状況に追い込まれている。
精鋭達を失い、この国は今や胸部に大きな穴の開いた鎧のような状態だ。今ここに攻め入る国があれば瞬きの間に攻め落とされてしまうことだろう。
「確かにそりゃあそうだろうな。誰だって死にたくはないだろうさ」
そんな今後の国の未来を思案し始める王に、ベルズは更に口を開いた。
「……ところで国王さん、なんかこの部屋ちょっと熱くないか?」
そう言ってわざとらしくコートの襟首を掴んで服の中にパタパタと風を送る動作をするベルズに、思案を止めた王は眉を顰める。
この国は基本的に涼しい地域にある。むろん室内の風通しもしっかりとしておりこの場所とて例外ではない。
ないはずだったが、言われて顔を上げればすさまじい熱気が押し寄せていた。その異常事態に王は何事だと驚愕する。
「ッ!? これは……!?」
再び玉座から跳ねるように立ち上がった。するとその異常な熱をより強く感じる。まるで巨大な火柱を上げて燃え盛る焚き木の前に立っているかのようであった。
どれほど日差しの強い日であっても、これほどの熱量を経験した覚えなどない。原因が何かと王が考え始めると、同時に玉座の間へ更なる人影が現れる。
開け放たれたままとなっていた扉からゆったりと姿を現すのは、紫色の髪を両サイドで螺旋状にまとめた髪型の少女。
そのままベルズの隣へと並び立った彼女はスカートを軽くつまみ上げて優雅な一礼をしてみせる。
「初めまして。私はこちらのベルズさんの妻、カトレアと申します」
カトレアと名乗った少女は礼を終えると朗らかな微笑を浮かべながら一歩下がった。
一連の行動と微笑のみを見れば王への挨拶にやってきたどこぞの貴族の令嬢であろうと思えたが、ある一点が王にその判断を許さない。
その華奢な体には似つかわしくない、まるで巨大な黒き鉄塊のようなもの。それが手甲の形を取って彼女の両腕に装着されているのだ。
さらに手の甲にある宝珠は今の城内の異常を指し示すかのような、赤熱した鉄の色をしていた。それが宝珠の中で燃え盛る炎のようにうねりをあげているのを見れば、王にも察しはつく。
「…………この異常な暑さ、これは貴方の仕業である、ということでいいのだね」
「ご理解がお早くて嬉しいですわ、流石は一国の王でいらっしゃるだけあります」
問いかけは肯定された。聞く前からほぼわかっていたようなものだったが、この高熱の原因はカトレアにあるようだ。
しかし、既に身の安全を保障されているとはいえなんのためにこんなことをするのかわからない以上不気味でならない。ベルズのような一触即発の雰囲気も持たない彼女に、王はその思惑を聞くことにした。
「そ、そうか。……それで、何故そのような事をするのだね?」
「そうですね、一言で言うならば夫のお手伝いです」
「手伝い……か」
言葉だけならば可愛らしいものだが、その実態は虐殺の手伝い、である。笑顔で言ってのけたカトレアに、王はベルズと同等、もしくはそれ以上の狂気を感じる。
先ほど妻と名乗っていたのはベルズに無理矢理言わされているのでは、とさえ考えていたが、そんなことはないのかもしれない。
「ええ、それで今日は夫と一緒にこの国を消しに来たんです」
変わらず、無邪気な笑みでカトレアはそう言った。
「は……?」
あまりに平然とした態度で言い放たれ、そのまま聞き逃してさえしまいそうだった。
内容そのものはベルズとの相対時点で覚悟できていた。しかしそれをまるで「美しい花が咲いているのを見かけた」程度の口調で告げられては流石に王とて動揺を隠せない。
「今日はちゃんと役割分担を決めてきたんです。本当は見ているだけのつもりだったんですけれど、夫が一緒にやろうと言ってくれまして。私がこの国の国境に沿って壁みたいに炎で国全体を囲んでですね、今その壁の範囲を少しずつ内側に狭めてるんです」
「そう、それで俺は城の近くに集まってきた奴らを皆殺し。カトレアは城の中を担当ってわけだ」
「ちょうどこのお城が最終的に中心に来るようにしたので、今なら見渡す限り赤い壁の幻想的な光景が見られるはずですけれど……このお部屋には窓がないみたいですから、見られませんね」
「ま、待て……待ってくれ、何を言っているんだ」
楽しそうに言葉を交わす夫婦に王は青ざめた顔で割って入る。とてもついていけない。
「つまりそれは……死んだ、ということか? ひとり、のこらず」
呂律が回らなくなる。想定していた最悪を上回る最悪の展開に意識が遠くなりかける。
国民は人質にとられるものだと考えていた。そうであれば良かった。できうる限りの要求を飲み、それでも足りなければ自身の首を差し出すことでどうか民だけはと許しを乞えるのだから。
だがそれはできなかった。ここに至るまでに皆殺されてしまってはもはや国民に許しを乞うなどなんの意味もない。
「はい、今や貴方は国王であり、最後に残った臣民でもあります」
再び、笑顔でそう答えられた。冗談でもなんでもなく、真実なのだろう。
勇者ビスクが何をしたのか知る由もないが、踏んではならない虎の尾を踏んでしまったのだということだけは、王は理解した。
これが夢などではなく現実であるという状況に発狂しそうな王だが、それはできない。もはやただの意地でしかないが、王として最後まで相応しい振る舞いであろうと決め、噛みちぎる勢いで舌を噛み、意識を保ち続ける。
「ッ、では、最後に教えてほしい……。私達は、君達に何をして、ここまで怒らせてしまったのかね」
「うーん、そうですねえ」
聞かれ、カトレアは腕を組んで考え始める。
答えが返されるまでの間、王は思う。どうしてこうならねばならなかったのか。それを問い質し、民のいなくなった今では栓無きことだろうが、同じ間違いをしないようにせねばならない、と。
言葉を待つ王だったが、カトレアは眉根に皺を寄せてベルズの方へ顔を向ける。
「……あれ、どうしてでしょう。そういえばその辺りのことはあなたに聞いてなかった、かも?」
「そんなに深い理由じゃないしな。襲い掛かられたからもう襲われないようにしに来ただけだ」
「……と、いうわけです!」
「……はは、そうか。そうか。わかったとも、ようやく、わかったとも」
夫の言葉に深く頷きを返し、カトレアは胸をはって再び王へ向き直った。
やり取りを見て、王は乾いた笑いと共に確信した。無駄だと。
人の命を奪う理由すらろくに知らずに笑顔でそれを実行する妻と、叩かれたので叩き返した程度の気軽さで国一つを消す夫。何も気を付けられなどしない。大嵐や洪水と話し合おうとするようなものだ。
対策などできようもない。気に入られて攻撃の対象から外されようとしてもむしろ安心しきった所で殺されるのが容易に想像できた。決して関りを持とうとせずに運に身を任せて何事もなく通り過ぎるのを待つべき存在。
ここで王は悟った。つまり運が悪かったのだ。ビスクの言葉に耳を貸し、得体の知れぬ怪物に手を出してしまったこの国は、運悪く滅びるのだ。
「ぐ、ぶっ」
そのあまりの理不尽な運命を受け入れた王は、しかし受け入れきれずに自らの舌を噛み千切った。
すぐに口内を得も言われぬ激痛と鉄の味が支配し、口の端から流れ出す。痛みが流させたものか、王の頬を多量の涙が零れていく。
本来ならばのたうち回るほどの痛みだが、王は運よく即座に気を失い、玉座に座したまま事切れた。
そうして、一つの国がその世界から消えた。




