与えるということは
与えるということは、相手に心を置くということと同義
追跡するということは、卑しいことだとわたしは思う
けれども、そうせざるをえない心理というものこそ
相手に心を置くということの一部であるのだろうとわたしは思う
金銭のやりとりほど、なんとさっぱりしたものかと考えたことがいくらでもある
寧ろ、金銭でやりとりしつつ、そこに情(やり取りする人間はそう信じている)が絡むとなると、途端、ややこしくなろう
人は、卑しい心を心に持ちがちな人間だが、
同時に、それを認めたがらない人間でもあることが往々にある
人は、慎みをもてなくなれば、自らが綺麗でいたがるものだ
自らを清らかな場所に置き、他人を責めていたい生きものであり、
それが一番楽だと考える生きものであると思う
責任を負うことを嫌がり、言の責任、行いの責任、それら全ての面倒ごとから目を背けたいと考える卑しさを持っているものだ
一番楽な方法は、自らを清らかな場所へ置き、面倒ごとを自らが卑しいとさげすむ悪と置き、相手を攻め立てようとする
そのような立ち位置が一番楽なのだろうから
自らを棚にあげ、そうして、自らが気持ちよく責任を果たそうとしようとする
自らは、清廉潔白でありますという顔をして
自分を律することほど、難しいことはない
自分を律することが出来る自分を統治する王であれるかというと、決してそうではない
自分を一番可哀想だと哀れんだり、自分が一番幸せなのだと誇ったりすることは、考え方そのものが卑しい
自分とは何なのか、
自分を律するということは何なのか
他人とは何なのか
世界は全てが同列で出来ることなどあり得ない
けれど、その世界の理と、自らを律することを同列で思考することは間違っている
自分に対して自分を裏切らないとは何を指すのか
わたしは、何のためにわたしであるのか