1章 中後編
「なんだか気が気じゃないなぁ。追っかけられるっていやなもんだね」
「…やっぱり、迷惑…だよね」
「いいや、俺が好きでやってることだぜ?迷惑なもんか。それより、何が気になるんだ?」
荷物を部屋の隅に置いてベッドに腰掛けていたエンヴィに尋ねる。お、冷蔵庫もあるな、風呂もトイレも完備されてる。けど、ちょっとマグが古くなってるな…、吸入口が少し詰まってる。手持ちの道具でちょっと直せそうだ。
ぐるっと部屋を見回しながら、エンヴィが手袋をいろんな角度から見ている隣に腰掛ける。
「ちょっと…複雑…だけど悪いものじゃないみたい。土の属性で描かれてる…、色…が関係してそう。けど…うーん…ちょっとわからない…」
「? 何がわからないんだ?」
「うーんと…式自体は色を変換する式になってるんだけど、対象と範囲が省略されていて読み取れない。でも、この式を書いた人の性格はわかる」
「性格? というと?」
「この人、すっごいナルシスト」
………。
「そ、そっか」
じっとりとした目で手袋を見つめるエンヴィからは、あまりいい印象は受け取れない。うん、すごく読みにくいんだろうな。
「で、でも悪いものじゃないんだよな?」
「うん、それは確か」
「じゃあつけたら早えな」
エンヴィの手を取ってその手にスッポリと手袋をはめると、ぶる…!とエンヴィが身震いする。すると、肌を這うように色が変わっていくのが見て取れる。その顔を見る「ぶほっ…!」
「…?」
「いや、何でもない! こっちもつけよう!コレはいいものだ!」
顔の色が半々で変わっただなんて言えない。それを笑ってしまったなんてなおの事言えない。
両手に手袋をはめると、とても濃かった彼女の肌の色はこの地方の人間とさほど変わらないくらいまで淡くなり、髪の色は逆に真っ黒になるほどに染まった。
「鏡見ておいで」
「うん」
とててて、と駆け出したエンヴィを見送って、もう一息つく。が、洗面所に入る前にエンヴィがひょっこりと顔を出す。
「どした?」
「後で笑ったことを後悔させてあげるね」
ニンマリとした笑顔が逆に怖い。何というかもう、怖い。人間油断するもんじゃねえな。
それはともかく、あの手袋は本当に良いものだった。後でお礼を言いに行かねばならない。疑った事も謝らないとな。コレであまり人目を気にせず外を出歩くことができそうだ。
「ラック、コレすごいね」
「そうだな。フードも取って大丈夫そうだ」
「うん」
ぱさ、とフードを取って長い髪を少し広げる。うん、様になってる。どうやらあの手袋は、人の肌の色を変化させるらしい。対象と範囲が省略されていたのは、それを身につけている人に限定しているからだろう。
さてと、外にも出られるようになったし、同業者に挨拶に行こうかな。
「エンヴィ、ちょっと出掛けよう」
「どこいくの?」
「同業者のところ、情報とブツの仕入れに行こうと思って」
「仕入れ…」
「無理はしなくていいぞ、歩き疲れただろうし、ここで休んでても…」
「ううん、行く」
少し、エンヴィの目が輝いた気がした。俺はよし、と工具箱を掴んで立ち上がる。俺の歩くすぐ後ろをひよこの様についてくるエンヴィを微笑ましく思いながら、もう一度広場へ出る。先ほど見かけた工房は丁度噴水を挟んで向かい側だ。
そういえば、
「ここは通ったのか?」
「ううん、飛び越した」
「あ、そっかぁ」
飛び越えちゃったかぁ。まぁ六道なら風の魔法も使えて当たり前だよな。
広場を噴水の縁に沿って歩く。デカイ街の工房にしては、少し寂れている様に感じるが、それだけ歴史があると考えればそこまでじゃない様にも思える。
「…ちょっとカビ臭い」
「いうな」
俺も少し思ったけど。
トドのつまりは、寂れているというより廃れていた。中から何やら音はするが、あまり人が寄り付きそうな雰囲気ではない。
宿のマグが少し劣化していたのはこの影響もあるのかな。
意を決して工房の戸を叩く。
「もしもーし、隣村のエルブンから来ました。開けてもいいですかー?」
「ならん!」
「のわっ」
開けてるし!
「わしが開ける」
意味わからん。
「んで、隣村の輩が何の用じゃ」
中から出てきたのは腰の折れたお爺ちゃんだった。ヒゲも髪も真っ白で、掛けているエプロンもだいぶ油ぎって真っ黒だ。
「ちょっとした物々交換の申し込みに、僕の方で作ったマグとここにある素材を交換して欲しくて」
「ほう?」
俺が持っている工具箱と後ろのエンヴィを一瞥して、立派なあご髭をさする。
「見せてみろ、話はそれからだ」
よしきた。
俺は工具箱に入れておいたマグの一つを取り出して老人に手渡す。老人はマグを受け取るとクルクルと手元で回しながらほうほう、と頷く。
「お前さんこの国の職人じゃねえな。印を付けたマグなんざこの地方じゃ絶対に作らねえ」
「修行してきただけです。俺はこの国の出身ですよ」
「へぇ、よくもまぁ手離してくれたもんだ。あっこの国は余所に技術が行くことを嫌うっつーのによ」
入んな。
アゴで俺たちを中に促す。中では頻りに炉が火を噴いており、あまり調子が良さそうではない。その傍らにはマグの素材が積まれており、老人が何をしようとしていたのかが伺える。
「んで?いくつ欲しいんだ?このマグなら一つで十個分は軽いだろうが、生憎とそんなにはやれねえぞ」
「いえ、そんなには、そうですね…入口の駐屯所に使われているマグの数は?」
「あそこか?あそこは三つくれえしかねえぞ。冷蔵庫とウォーターサーバー、それから空調だ。それがどうした」
「じゃあ、三つ。ちょっと恩返しに。それから、ここの炉を見せてください。なんなら治します」
「あぁ? 余計なことすんじゃ…いや、この際だ恥を忍んで頼むとするか。幾らかかる」
「お代要らないです。じゃあ早速」
「あ、おい!」
俺は炉の火を止めて遠目に外から眺める。消火が遅い、でも所々火が付いていない部分があるな。点火部分にも問題がある。炉のマグが古いわけじゃないな、炉そのものが古い。代替パーツを探すよりはこの場で調整を行ったほうがよさそうだ。
俺は作業手袋をはめて、まだ熱気の残る炉の外殻部分から手を付ける。油が溶けて今ならパーツを外しやすい。
ギーコ、ギーコ…。
「…嬢ちゃんも大変だな」
「…?」
キュルキュルキュルキュル、ガコッ!
「あんだけ話の聞かねえ奴と旅をするなんてよ、然も金は要らねえときた。武者修行にしちゃあ嬢ちゃんを連れてるわけだから意味が分からねえ。腹減ってないか? なんか食い物わけてやろうか?」
「んーん、大丈夫。ありがとう。でも、お金を貰わなくても、こうやって人を助けていけば、おじさんみたいに助けてくれる人がいるから、大丈夫なんだと思う。ラックはこうやって生きるべき」
ゴッ!!ガン!ゴト、ゴト、ゴト…。
炉の外殻部分が外れ、中身が露わになる。ふむ、手入れはされているみたいだけど、どうあがいても経年劣化には敵わないか。
「朱雀」
手先から炎が生まれる。その炎を圧縮し続け、擬似的な超高温熱球を作る。点火装置に気をつけながら、噴出孔を熱し、その形を変える。渦巻き型から噴出型に変え、火力の一元化を図る。それから点火装置の根っこにあるマグの状態を確認する。うん、職人の炉なだけあって、マグは真新しい。であれば、問題なのはこっちだな。
点火装置とはまた別の装置、火力を上げるために欠かせない空気を送り込む装置だ。この空気にガスを混ぜて、酸素を供給しつつ火力を維持することが出来る。コレもまたマグで制御しているのだが、こちらのマグはボロボロだった。筒にヒビが入っているし、吸入口は油で固まり、マグの機能を果たせていない。
ギーコ、ギーコ
「あ、おい!そのマグは替えがないから触るな!」
「無いなら作ります」
傍の素材の山から大きさが合っているものを選び、ソケットを見る。形状は三凸タイプ、型を掴み取って、原材料の鉄板を溶かす。先程の熱球から更に炎を圧縮し、鉄板をそこに入れると、真赤に溶けた鉄の液体が型に流し込まれていく。型が満たされたタイミングで素材の投入を止め、熱球を握りつぶす。出来るだけ使った魔力を回収しながら、次の工程。
プレス機で押し固める。基本は空気圧縮の機械を使うのだが、風系のマグが怪しいと踏んでいる今、その装置はあまり期待できない。ので、
「白虎」
ゴシャァッ!!
物理的に潰す。型を手で挟んで手から形に合わせて岩盤で押しつぶした。
「玄武」
シュォオオ……。
水蒸気が沸き立ち、ソレを固めた後、型を開いて出来上がったものを取り出し、筒に取り付けた後、吸入口を作って空気を抜く。風と闇の印を刻んで完成。
出来上がったソレを取り外したマグのソケットに取り付け、動作の確認をする。半透明から色が濃くなったマグは、その役目を果たした。
シュゴゥ!
「おぉ…!」
「よし」
ジェット噴射よろしく天高く上がった火を止めて、炉をあるべき姿に戻す。
ギーコギーコ
「いい腕だ。宮仕えしててもおかしくない。一端の村にいただなんて信じらんねえな」
キュルキュルキュルキュル…
「うん、勿体無いと思う。けど、きっとラックはそんなの興味無いんだと思う」
「…あぁ、そうだな。心底楽しいって顔だ」
コン、コンコン。
よし。
「出来ました」
「おう。ありがとよ、これでまたこの街の面倒を見てやれる」
「よかった。じゃあ素材だけ頂いて…」
「まてよ、金を払わねえってのは無しだ。ちょっと待ってろ」
ゴソゴソと棚を漁り、出て来たモノに、俺は目を疑った。
「代々守ってきたが、俺じゃあどうにも直せねえ。このまま寂れさせるのも正直勿体ねえと思ってたんだ。貰ってくれ」
布の上に乗せられていたそれは、世界に数本しか無いと言われるほど希少な剣だった。
刀身はロングソードの様相だが、特殊なのはその柄だ。ただの持ち手に加えて、握り手がついている。移動用のマグナイトに見られるハンドルとイメージが近い。どちらにせよこの国では普及していない乗り物だから、この人には構造がわからないのだろう。それにしても、特殊な剣だ。
『アクセルソード』
柄に見えるソレは実際はマグであり、アクセルを握る事でマグに魔力を取り込み、刀身そのものを強化する。だが扱いがとてつもなく難しい上に、マグの劣化が激しく、当時マグが希少だった時代というのもあって、製造が中止された幻の一品だ。
扱いが難しい、というのもそれに起因するもので、アクセルを握ればその分マグに魔力が吸入され、刀身に反映される。が握り過ぎれば刀身が帯びる魔力はとてつもない量になり、魔力の制御が利かずに自滅するという事案もあった。加えて、魔法ではなく魔力そのものであるが故に、目に見えない。だから刀身がどれだけ魔力を帯びているか分からず暴走するのだ。
でも…めっちゃ欲しい…。
分解して構造を把握して設計図書き直して、作り直してえ…。
「おうおう、目が輝いてんな若造。それ、持ってけ」
「おわっ」
ヒョイ、と投げられたそれを抱えるように受け取ってしまう。
「博物館に寄贈するより、お前が持ってた方が絶対に喜ぶ。そいつを頼んだぞ」
「…本当にいいんですか?」
博物館に寄贈する、と言う事は、この剣が今それだけ希少であると言うことがわかっているって事だ。
俺はこれ以上は聞かないと決め、答えを待つ。
「いいに決まってんだろ。ほら、駐屯所に行くんだろ、マグもいくつか持ってけ」
「ありがとうございます!」
工具箱のマグスペースに貰ったマグを補充し、剣をエンヴィに預ける。
剣の構造は知りたくとも、俺自身が剣を使えるわけじゃあない。加えて、俺が知りたいのはそのアクセル部分だ。そこがわかれば、剣は然るべき人が持つべきだろう。
「じゃあ、行きますね。お世話になりました」
「おう、いつかまた来いよ」
大きく頷いて、ぐっ、と背筋を伸ばす。いつのまにか日も傾いてきている。入口の駐屯地に足を向けて歩き出した。エンヴィは預けた剣をいろんな角度から見ながら俺の後ろを付いてくる。彼女には魔力の流れが見えるのだろうか?
「気になる?」
「うん、面白い」
「その気持ち大事。エンヴィがこういう物に興味を持ってくれて嬉しいよ。鍛えれば職人になれる」
「んー…、それは、別にいい」
「はは、流石に職人は嫌か」
「違う、そうじゃなくて」
とてて、と隣に並んだエンヴィはちょいちょいと手招きする。俺は耳を近づける。
「ラックが楽しそうにいじってるの見てる方が楽しい」
「…おう」
なんかちょっと恥ずかしい。確かにいじってる時はめちゃくちゃ楽しいけども、それを見られてるって意識するとまたなんか、照れるな。
そうこう言っているうちに駐屯所に到着する。あの時の兵士が変わらずそこに立っていた。
「あの、すみません」
「ん? あぁ、あなたか。どうかしたかね?」
「えぇ、ちょっと手袋のお礼に。ここのマグの点検とか、いかがでしょう?」
「おぉ、なるほど、有り難いお話だ。この街の職人は歳のせいもあってかあまり動いてくれんのだ」
「それならもう解決しましたよ。取り敢えず、診てもいいですか?」
「ほう、解決とな。もちろん、案内しよう。ただ…曲者がいるので出来るだけ手短で頼むよ」
少し残念そうな顔なのは、本当に曲者だから、だろうか。エンヴィと一緒にその人について行く。まず目に付いたのは駐屯所の錆び具合だ。装備の更新もままならない状況なのだろうが、それにしても少し汚れている。彼の着ている鎧はそれに比べればだいぶマシだ。それから人目がこちらに集まりつつある。まぁ外部の人間が入って来たらそうだろう。
駐屯所の中はそこまで広くない。机二つと椅子が八つ、冷蔵庫とキッチン、空調、それからウォーターサーバー、マグが使われてそうなのはあまり多くない。
「どうする、どれから見るかね」
「じゃあ、食品系から行きましょうか」
俺は冷蔵庫の方へ向かう。冷蔵庫の向きを変え、裏に取り付けられているマグの状態を見る。うむ、ちょっと劣化してる。中身も入っているだろうし、早めに終わらせよう。
キュルキュルキュルキュル…。
「ところで、君、言葉はわかるのかね?」
「うん、わかる」
吸入口が少し詰まってるな。
工具箱からブラシを取り出して誇り等を取り除いた後、専用の器具を使って詰まりを取り除く。内側に不純物が入ってはしまうものの、マグの機能としては問題はないため、応急処置としてはよくやる手だ。
「君と彼はどこで会ったのかね?」
「…エルブン」
「隣村か、人型が出現したという情報は受けていないが…まぁそういうこともあるか」
「報告が来るの?」
「来るとも、アイアンワームが出現した時は大変だったよ、国に応援を要請するところだった。幸い、我々が駆けつけた時にはもう既に何者かによって倒された後だったがな」
「誰がやったのかわからないの?」
少し黙った兵士は、どういう事なのかわからないかもしれないが、と前置きをした後、エンヴィに対して言った。
「ヒトというのは目に見えない恐怖に対する危機感が薄い。アイアンワームをやった何かよりも、得体の知れていて実際にどうなるのかを理解している方が恐怖を感じるのだ。無論何もしないというわけにはいかない、あの様に形だけ残して、余力がある時には調査を行う」
だが関心が薄まればそれだけ調査は意味を失う。
そう残して兵士は溜息をついた。