4章 後編②
ばさ、と乾いた洗濯物をソファの背もたれに引っ掛け、アイシャは長くなった髪を耳に掛ける。赤い髪は日差しを受けて煌々と輝きを放つ。どこからどう見てもいいところのお嬢さんにしか見えない所作だが、つい先ほどまで闘技場で暴れ回っていたじゃじゃ馬である。
ガロンに来てから数日、アイシャもガロンでの生活に慣れたのか、ロベルトの後ろをついて回ることも減り、ある程度力加減を覚えて暴漢への撃退方法を身につけて、街に出ることも増えた。
とはいえ、闘技場で暴れたおかげでアイシャの知名度はうなぎ登り、もはや手を出そうという輩もいない。
清廉なる殺戮者と呼ばれるようになり、いろんなところに顔が効くようになった。今では固定ファンも出来つつある。
そんな連れをテーブルにつけられた椅子でコーヒーをすすりながら見ていたロベルトは、今後のことをわりと真面目に悩んでいた。
魔法の適性が高いことは知っていたし、それがわかっていたからこそ、闘技場で戦わせることを決めたのだ。正直、女一人であれば、ロベルトが少し頑張るだけでも養えるし、見逃してももらえる。それをしなかったのは、本人に力の使い方を覚えさせる意味もあった。
自分がいつまでもそばにいられるとは微塵も思っていない。だからこそ、大きな力を御せるだけの力をつけなければならない。力を行使した結果を知るにはうってつけだと思ったのだ。
ただ、ここまでとは思っていなかった。
アイシャの得意な武器は手甲と呼ばれる指ぬきグローブに手の甲にだけ防具(鉄板)をつけた、武器と呼ぶにもお粗末な代物で、普通の闘士なら防具として選ぶことすらしないような貧弱な代物だ。
本人曰く、魔法の行使の邪魔にならず、かつ最低限受け流せて更に殴るときの魔力伝導率がいいとかなんとか。
ロベルトもお洒落のために指抜きグローブをつけているが、そんなことを微塵も考えたこともなければ、そんな事実は一つもない。
つまり、端的に言って仕舞えば、殴ることを覚えてしまったのだ。
力を振るうことに躊躇う様子はもはやなく、如何にしても相手を無力化するかを考え相手の奇策に惑わされることなく上から押さえ込んでいく。
魔法が許されているからこそではあるが、他の闘士とは地力が違う。純粋な殴り合いとは呼べないものの、魔法が魅せる闘いは観客を沸かせる。それ故に、武骨な闘いだけでは飽きの来る闘技場で魔法の使える闘士は重宝される。
それが初そうな女であればなおのこと。
正直、正面から戦えばロベルトも勝てる気がしない。ただ、ガロンは力がモノを言う国。闇討ちだって当然ある。今までも出る杭は打たれてきた。ロベルトも何度か打たれたことがある。ただ、そのことごとくを打ち返してきたのが彼だ。
ある意味、闇討ちされるのも慣れたモノである。
そんなわけで、彼女がどこかに出掛けようものなら金魚の糞よろしくロベルトはくっついて回っている。それがまたあらぬ誤解を生んでいることは百も承知だが、こればかりは仕方がないと諦めた。
どうせガロンから出れば消える噂だ。他の国にまで広がることはないだろう。
そう思いながら、コーヒーを飲み切る。もはやアイシャを眺める以外にやることがなくなってしまったわけだが、アイシャはロベルトの視線に気づくと、微笑みながら首を傾げる。可憐な微笑みはみるモノを虜にできる力がある。うっかり惚れてしまわぬように、肩を竦めて首を振る。なんでもない、そう言いながら、ただ、視線は離さなかった。
洗濯物の取り込みを終えたアイシャが、タンスを開いて洗濯物をハンガーにかけ直していく。
「流石に、そんなに見られると気になるんだけどなぁ」
「ほっとけ、お前には何にもねえよ」
「…すごい気になる言い方」
「だろうな。だが、そろそろだ」
「何が?」
夕刻がすぎ、空には帳が降りている。古ぼけたマグが照らす部屋の中、ロベルトは一気に集中を高める。
家の周りに撒いた水の動きをとらえる。足先から伸びる水の線は玄関の隙間から出て家の周囲をぐるっと覆っている。ある種、結界とも言える。ロベルトが魔力を込めれば、その水は自在に姿を変える。
闇討ちをするなら目立ち始めてきた今頃だろうとロベルトがあらかじめ用意していたものだ。
雑踏に紛れながらも、真っ直ぐこの家に向かってくる足が…八つ。
(四人か…少し多いな)
闇討ちなのだから、夜、暗くなってから動き出すのは当然だ。そこから闇の時間が始まり、この気配の主は、こちらが気を緩めるまで待ち続けるだろう。
普段なら打って出るところだが、ロベルトはいつもと違う様子に頭の中で疑問符を浮かべた。
余りにも堂々としている。闇討ちをするにしては忍ぶつもりもごまかすつもりもない。視線は自然と玄関に向き、扉の前で止まったその足は、ロベルトの予想に反して、扉を叩いたのだった。
「闘士ロベルト、闘士アイシャ、ご在宅か!」
「あ、はーい」
「待て、俺が出る」
パタパタと玄関に向かった無警戒すぎる連れを制して、ロベルトは扉の前に立った。
「誰だ」
「闘技場運営委員のものだ。ガロン様よりお前たち二人に招待状が届いている。それを渡しに来た」
ロベルトは扉越しに少し思案する。嘘を言っているような声音ではない。今までのように問答無用で殺しに来るようなこともしていない。
そして招待状、しかもガロン国王直々の招待状だ。馬鹿正直な国の王が呼びつけて囲んで殺す、なんてことは無いと信じたいが…。
「手紙をその場に出せ、少し霧が出るが、動かすなよ」
「わかった」
ロベルトは魔力を込める。水を霧に変化させ、その招待状に触れる。手紙自体に魔力の残滓は感じられない。代わりに、ガロンが書いて間もないことがわかる、筆の湿り気を感じ、ロベルトは小さく息を吐いた。
ドアノブに手をかけ、鍵がわりにつけていた氷漬けの魔法を解き、扉を開いた。
未だ家のまわりには霧が立ち込めており、少しでも離れればその先は見えないような状態になっていた。ロベルトはドアの目の前にいた男とその手に持っている招待状に目をやる。
闘士の格好ではない、礼服に少し背の高いハットを被り、護衛と思しき屈強な闘士を三人連れた初老の男。突然立ち込めた霧にも動じることなく、手紙を手に持ったままロベルトに尋ねる。
「さて、受けていただけるのかな?」
「招待される用件はなんだ」
「さぁ、私は聞いていないし、興味もない。ただその代わりに、受け取らせなければ私の首を飛ばすと言っていた。尚のこと、君には受け取っていただこうと思っている」
「俺にはなんの問題もねえな」
「そう言われるだろうと思って、国王から言伝を預かっている。『この国にいる間は、我々が君たちを保護しよう』との仰せだ。闘士ロベルト、君はこの国に慣れているだろうが、闘士アイシャはどうだろうか。まさか四六時中見ていられるとは思ってはいないだろう?」
悪い話ではないはずだ。
初老の男は差し出した手紙を少し前に突き出した。
「決めるなら今しかないぞ」
「………、チッ、わかったよ。手紙は貰う、中身も読む。返答はいつまでだ」
「明日だ」
「ハァ?」
「国王は今とても虫の居処が悪い。待たせられるとは思えぬ。中身も知らぬ身で無理を言うが、明日、同じ時間にまた来る。返答はその時に頼む」
「チッ」
二度目の舌打ちはロベルトの苛立ちを隠すことなく男に伝えた。が、それに動じず、男はロベルトの返答を待つ。
ロベルトはその場で手紙の封を切った。内容は、簡潔な二文だった。
『戦争をする。お前らも参加しろ』
「………、」
破り捨てたくなる衝動を抑えて、深く考える。
国での安全は保障される。アイシャは魔法に傾倒しているのだから前線に立つ必要はない。後方支援であれは闘技場で闘う時よりも負傷する確率は少ないのではないか。逆に、自分は最前線に送られるであろう自分の方は負傷は免れないだろう。相手によっては死すらあり得る。
それもそれでいいか、と思いながら、深く息を吸った。
「明日、同じ時間だったな」
「うむ。では、これで失礼する。あぁ、一つ言っておくと、すでにこの周囲に護衛を敷いている。少なくとも明日のこの時間までは安全を保障しよう」
「そーかよ」
ハットを軽く持ち上げて踵を返した男を見送り、霧が晴れる。
アイシャは後ろから手紙を覗き込む。息を呑む音がロベルトの耳にまで届く。
「…どうするの?」
「さぁな。それより飯だ。話はその後でもいいだろ」
買い出しの用意をし始めたロベルトに縋るように、アイシャがついていく。
「…何が食いたい」
アイシャが目を丸くする。
ここに来てから初めて聞かれたのだ。いつもなら自分の食べたいモノを何も言わずに二つ買って家で食べるだけだったと言うのに。
「ロベルト」
アイシャの声に足を止める。振り返ると、アイシャも足を止めてロベルトをまっすぐ見ていた。
強い、意志を感じる瞳だった。顔だけむけていたロベルトは頭を掻いて体ごと向き直る。
「私は、私の意志で、あなたについていく。置いていこうだなんて、考えないで」
地獄にだって、ついていくから。
「お前なァ…」
深く、大きなため息を吐いて、ロベルトは歩き出した。
「あ、待って…!」
「そういうのは惚れた男にいうモンだろうが」
「? 知ってるよ?」
「知ってるってお前…」
にっこりと微笑むアイシャが隣から覗き込んでくる。その笑顔を真正面から受けたロベルトは思わず顔を逸らした。
(何で顔逸らしてんだよ…)
自分に文句を言いながら、露天を物色する。その耳が赤くなっていることをばっちり確認したアイシャは、してやったりと、嬉しさと、安心感を同時に味わっていた。
正直なところ、相手にされないと思っていた。
彼の年齢を聞いたことはないが、相手は歳の離れた男性。自分は垢の抜けないウブな『女の子』だ。彼が欲求をぶつけられるような『女』ではない。触ってもらうだけで終わりではないはずのその行為も、触るだけで終わりにしているのがその最たる証拠だ
それ故に、彼が自分に向ける目に、保護するような、一種の慈愛が混じっていることも感じていたし、ここに来てから、彼の保護するような言動は更に強くなった。
女性として見られないまでも、保護対象として見られていることは、もどかしかった。しかしアイシャは恋の駆け引きも、愛の嗜みも本の中でしか知らない。
だから、やめた。
もう自分はいい子ではない。
保護されるほど弱くもない。
後ろに立つ必要も、ない。
(あなたと並んで歩く。それに見合う、見合えるように、なってみせるね)




