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1章 前中編

重苦しい空気に包まれた会議室では、法衣を纏った老人たちが口を閉ざしている。その視線は少し彷徨いながらも、一番奥に座る人物に向けられていた。


法王、ドラッヘ・クリスチャン・アーカイブトルム。優しい王として知られる彼は一切眉間にしわを寄せる事なく、しかし、その目に怒りを宿していた。閉ざされていた口が、ようやく開かれる。


「つまり、此度の一件は、そなた達が進めていた育成計画の失敗が原因だと、そう言いたいのかね」


相変わらず、声音は優しい。が、言葉に詰め込まれた重みは凄まじい。くだんの司教の額には玉の様な汗が滲み、少しずつ鼓動が早くなっていくのがわかる。ここまで事が大きくなれば、最早隠す事は叶わない。秘密裏に処理をするつもりだった少女もどこにいるか分からないし、送り込んだ刺客が既に仕留めている可能性だってある。


今となっては、証拠があろうと無かろうと、既に遅いのだ。


「して、聞こう、何を持って失敗としたのかを」

「も…申し上げます。エンヴィは六道へと至る際、その代償に人としての肌色を失ったのであります。その肌は一見して魔種と見間違うほどに青く染まり、彼女を表に出せば我々は魔種を作り上げたというあらぬ誤解が…」

「だから、消すと?」

「……、私はこの国のためを思ったまででございます」

「よかろう、その心遣いは買おう。しかし、些か身勝手が過ぎる様だ。身寄りがない子供達だからこそ、我々が父となり母となり、この国の未来のために育て上げていく、そう申していたはずのそなたが、何故そんな事が出来ようか」


それは、法王に対して作り上げた方便であり、法王自身も、それが方便である事は分かっていた。分かっていたが、彼はそれを真実として信じたのである。


「そなたのとった行動は決して正しくは無い。だが間違っていたとは言い切れぬ。国を憂う気持ちを汲み、そなたにはエンヴィの保護を命じる」

「…御意に」

「以降、この様な事がない様にせよ。今我々が預かっている子供達も、真心を持って接するのだ」


では、解散とする。


その一声によって司教達は席を立ち、ゾロゾロと部屋から出て行く。それを見送ったあと、小さく一息吐くと、窓の外へ視線を投げる。


先日の一件は都市に大きな被害を与えた。今も復旧作業に追われ、多くの国民がテントでの生活を余儀なくされている。コレが、人の命を蔑ろにした結果だとするなら、寧ろこの程度で済んだだけでも感謝すべきかもしれない。


エンヴィの事は、彼も良く話を聞いていた。魔法を教える宮廷士官者も、彼女達の面倒を見る家政婦達も、エンヴィは一番物覚えが良く、それでいて謙虚で、優しく、分け隔てをしない、とても良い子だと評判だった。法王からすれば、それが報われた結果が、彼女に六道という道を与えたのだと思っていた。だが、報われた結果、更に奪われる事になるとは思ってもみなかっただろう。


「無念であっただろう。私は赦す、早く帰っておいで」



§



「ふぁみりあ?」

「そう、ファミリア。昨日ウルフに追っかけ回されてた所で、えーと、そう、保護した。特に危害を加えそうには見えなかったしな」

「ふぁみりあってなに?」


そこからか…。


エマはともかく、魔法の知識がある彼女にはバレバレの嘘だというのは分かっちゃいるだろうが、見つかった事と、その肌の色の事もあって今は黙っていてくれている。コレが切り抜けられれば彼女はまた旅立てる。


「ファミリアってのは、言ってしまえばお手伝いさんだ。契約の内容は少し特殊だけどな」


…ん?


「そうだ、そうしよう」

「ほぇ?」

「…?」


俺は工房に戻って比較的小さいマグを掴み取り、蓋を溶鉱炉に突っ込みもう一度型に流し込む。その状態で少し形が固まるのを待ち、特製ペンチで其奴を掴んで水の中へ、多少形は曲がるが気にせずに印を刻む。


当然この印に意味などなく、見せかけで刻んでいるだけだ。出来上がったそれに革製のベルトを取り付け、部屋に突入する。


「あ、おかえりー」

「?…?!」


…こいつがアホでホントに助かった。


青い肌っていうのが見えてる癖に、怯えるどころか楽しそうに話しかけていた。


「コレ、ちょっと着けてみてくれ。手首でいい」


彼女の腕がおずおずと差し出され、その手首にベルトを巻く。


…やべぇ、緩い。二重に巻くにしては短過ぎる。まるでサイズを気にせず作った結果、どこにもつけられない代物が出来上がってしまった。


「…ここ」


それを察したのか、彼女はそれを自分の首に持っていった。


ってちょっと待て、それって…。


「………、ラック、ちょっとすけべだよこれは」

「待って、俺のせいじゃ…いや作ったの俺だけど待って、それは想定してない」


首輪。


少女の外見も相まって、どうあがいても犯罪臭しかしない。流石にアホの子代表エマも感じ取った様で、じっとりとこちらを見てくる。いや、ホントに、わざとじゃ無いんだ。


「この印に、誓います。ラックを主人とし、持ちうる限りの忠誠と、親愛を捧げます」

「あ、おい! それはホントに不味いって!」


半透明だったマグが見る見るうちに色濃く染まり、その印は意味を持ってしまった。


そう、持ってしまったのだ。


そんなつもりはなかった、と言ってももう遅い。彼女はもうその契約を結んでしまった。俺の印と、彼女の魔力によってマグは満たされ、その契約は結ばれてしまった。


「…マジかよ」

「うん、まじ」

「え?え?どういうこと?」


一人事態が飲み込めてないエマを除いて、俺とその子は奇妙な縁が結ばれてしまった。


兎に角だ、俺はベッドの縁に腰掛けて尋ねる。


「ここを出るんじゃなかったのか?」

「そのつもりだった…けど」


不意に上を指差す。俺とエマが釣られて上を見るが、天井しか見受けられない。


「啓示…だと思う。ここに来れたのも、あなたに助けてもらえたのも、神さまのお導きで、あなたが言ってくれた言葉も、作ってくれたこれも、きっと、ここにいなさいっていう神さまのお言葉だと思う。だから、ここにいることに決めた」

「神さま? エンヴィちゃんってヤーカム教の人なの?」

「うん、私を拾ってくれた人達は司教様だから」

「そうなんだ!じゃあラックと一緒だね!」

「一緒じゃあねえだろ。って事はアレか、君は…孤児院の出なのか」

「孤児院じゃなくて、元々教会に捨てられたみたいで…」

「あー、いや、そこまででいい。そうか、君も辛い思いをしたんだな。俺はラック、改めてよろしく」

「エマだよー!」

「うん、さっきも聞いた。私は、エンヴィ」


神さま、か。


また気になることが増えちまった、が、先ずはやる事があるな。


「よし、飯にしよう」

「あ、お母さんが家に来てって言ってたよ!」


思い出した様にエマが手を挙げる。お世話になりたいのは山々なんだが…。エンヴィをちらりと見てから少し考える。俺にはエンヴィをうまく説明する事が出来ない。魔種じゃ無いのは確かだ。魔物除けが今も鳴っていないのがその証拠だ。


それに、別の問題もある。


エマに言われなけりゃわからなかった事、それは色だ。


俺の目は、色がわからない。元からわからなかったわけじゃ無いから、言われればその色は想像がつく。けれど、言われない限りは、俺の目はモノクロで、濃淡ぐらいしか判別ができない。


だからエンヴィの事も、少し肌が暗いもんだぐらいにしか思ってなかった。


「置いてくよー?」

「…ちょっと待て!勝手に連れてくな!」

「えー、なんでよー、食べるんでしょ?」

「食べる! けどちょっと待て!」


エンヴィを引っ張っていた手を剥がして、工房の方へ。


「君の姿が人目につく事になるけど、いいのか?」

「うん、ここにいるなら、ご挨拶しなくちゃ」

「…それもそうか」

「それより、ラック」

ちょいちょいと手招きされて、耳を寄せる。

「色がわからないんでしょ? 隠してる?」


鋭い…。でも

「隠しちゃいない。時々自分でも忘れるくらいだ。エマの両親はもう知ってる」


勿論エマも知ってはいるはずだが、覚えていないだろう。そういう奴だし、そうやって接してくれる方が俺は嬉しいし助かる。


「よし、じゃあ行こうか。エマー、おまたせー」

「むぅ、なんだか二人が仲良くてエマさんちょっとやきもきするー。エンヴィちゃん私とも仲良く!」

「うん、勿論」

「いぇーい!ぎゅー!!」


エンヴィに抱きついて頬ずりをするエマ。少し苦しそうだが、やはり嬉しそうなエンヴィを見ると、エマがいてくれて良かったと思う。


風通しの良い玄関を抜けて、全員が外に出た所で入口を塞ぐ。帰ったらガラス張りなおさねえとな。この村に物を盗む様な人は居ないだろうし、疑いたくも無いが、家としてはちょっと成立しない。工房から村へと繋がる一本道を下って、人気の多い道に出る。俺とエマに挟まれて歩くエンヴィがやはり珍しいのか、方々から声がかかる。


「ラック、その…その子? はなんだい? 昨日入ってきた魔種か?」

「あー…」


説明の仕方が難しい。確かに昨日入ってきたけど、魔種では無いし…。俺の目がうろうろしているのを見かねたのか、エンヴィ本人が助け船を出す。


「私はラックのファミリア」

「ファミリア…、へぇ? ラックさんってこういう子が好みなの?」

「いや、好みっていう訳じゃ…」

「なんだラック、二人も侍らせやがって、ファミリア結んだったって?」

「待って広がり方半端ねえ」


アレよアレよと言う間に村人に囲まれる。エンヴィの肌の色の事もあって、視線はやはりエンヴィに集まっている。ただ、エンヴィもここまで注目を集めるとは思っていなかったのか、俺の背後に隠れてしまう。


その中で一際少し遠くから土煙を上げて走りこんでくる影があった。


「らぁぁあっくッッッ!!!」


…エマの父親だった。エマがヤッホーと手を振るのを無視して、俺の胸ぐらを摑みあげる。


「ファミリーになったってどう言う事だッ!」

「なってない!なってないから!伝言ゲーム失敗だよ!」

「そうだよお父さん。ふぁみりーじゃなくてふぁみりあだよ!」

「ファミリア…? っ!テメェまさかエマを…!」


と、そこで俺の背後に隠れていたエンヴィを見つけたのか、胸ぐらを掴む力が弱まる。首が閉まるほどではなかったものの、革で出来た服が伸びるほど掴めるその力強さには恐れ入る。コレがエマにも引き継がれてるんだからタチが悪い。


俺は一息ついて、エンヴィの背中に手を添える。


「この子だよ。俺のファミリアは」

「…随分と小せえじゃねえか。然も…魔種か?いやちょっと待て」


エマの父親は片膝をついてエンヴィと視線を合わせると、腰につけていたポーチからゴム手袋を取り出して手にはめ、エンヴィの顔をむんず、と掴む。


あぁ、そうか、この人は心得があるんだったか。

エンヴィの父親、マーズさんは自警団の団長だ。魔種は他の村人よりも多く見てきているし、前線に立つ分応急手当ての心得もある。つまりは、少しは医学の知識がある。目をじーっと見つめた後、唇をぐいっと持ち上げる。「ひぃっ」ごめん、ちょっと我慢して。


きっと、この人なら分かってくれる。


「お前、契約を結んだのはいつだ」

「さっき」

「…お前はそれでいいのか」


唇を持ち上げられたまま、こくこく、と頷いたエンヴィに、マーズさんは手を離して立ち上がった。


「うちに来い、飯はまだだろ。かみさんが待ってるぞ」


俺たちを囲んでいた村人達が神妙な面持ちのマーズさんを避けていく。その後ろに続いて俺たちも歩く。エマはその光景が面白かったのか、ルンルンで歩いていく。エンヴィは流石に驚いたのもあって、俺の背後空はなかなか出てこなかったものの、人混みを抜けたあとはとなりに並んできた。


エマの実家でもあるマーズさん宅では、エマの母親のミールさんが最後の盛り付けを終えたところだった。彩り鮮やかな朝食が並んでいる。今日も気合い入ってんなぁ。ただ、流石に一人増えるのは想定外だったようで、エンヴィを見て目を丸くした。


「あら、ホントにファミリアになったのね」

「ちょっと話がしたい。とりあえず座ってくれ」


ミールさんがマーズさんの隣に座り、俺はエマの隣にエンヴィを座らせた。椅子を取ってこようとしたミールさんを止めて、マーズさんは口火を切る。


「嬢ちゃん、六道だな?」

「…うん。六道になった」


六道…この歳でか。いや、正確な年齢は知らないけど、でもエンヴィはそう思えるほどに幼い。そんな幼い子が、六道まで習得するのはかなりキツかったはずだ。


六道というのは、この国の魔法使いの中でも最上位に当たる熟練度の事を指している。火、水、風、土の四属を習得し終えた後に、光と闇の両方を習得する必要がある。ただ、この光と闇が曲者で、この二つの力は反発し合う。さらに言うと、人にはそれぞれに光を習得しやすい体質、闇を習得しやすい体質とがあり、その特徴がどこにでるかは定かではない。使おうと思ってパッと使えた方に素質がある。と言うことしか分かっていないのだ。


だが、六道までいくにはこの二つを乗り越えなければならず、乗り越えた先に待っているのは、苦痛だ。体質も、反発し合う魔法も御することができたときに、人はなにかを失う。人によっては、感覚を失うこともあれば、感情を失うこともある。人としての身体的な特徴が欠ける事もある。この国の王は六道になった代わりに「怒り」の感情を失くした。かの有名な賢者マーリンは、人としての耳を失い、長耳になった。


そうしてなにかを失い、それでも人として生きている彼らを、亜人と呼ぶことになっている。蔑称でもなんでもない。人が高みに到達した事を示す一つの指標として、亜人と言う言葉が生まれた。


ただそれだけの話だ。


そして、エンヴィはその亜人と言うことになる。


「その見た目じゃあ苦労したろう。もう知ってるかもしれねえが、そいつは色がわからねえ。だからお前さんを何も気にせず助けたんだろうさ。だがな、俺は少しばかり事情が違う」


マーズさんは真剣に俺の方を見て、言った。


「この子は命を狙われてる。違うか」

「…いつから探偵になったんだ、おじさん」

「茶化すな。この歳で六道になるだなんてのは、よっぽどの才能と、その才能を開かせるだけの環境が必要だ。この国でそんなことが出来るのは首都近郊しかねえ。それにだ、この子の着てる服、死刑囚の服だろう」

「………、」

「六道になったときに、この子は肌の色を失った。だが国としちゃこの肌の色を表にゃ出したくねえはずだ。だからこの服を着てる。そしてそこから逃げてきたからここにいる」


そうだろ? とエンヴィに問いかける。


エンヴィは、小さく頷いた後、ちょっと鼻をすすった。


「単刀直入に聞くぞラック。この子を守る覚悟はあるか」


ぐ、と腹に重りがのし掛かる。エンヴィが追われているのは昨日の時点でわかっているし、実害、とまではいかないが、これから村に迷惑をかけるのは必然で…。


いや、そんな事は良い。


コレは俺の事を言ってるんだ。ファミリアになった、主人になった俺の事を。


覚悟…覚悟か…。


黙っている俺に、マーズさんはコップの水を呷りながら言った。


「お前は優しいからな、追われていたこの子を後先考えずに助けたんだろう。だがこっからはお前一人の話じゃあ無くなる。追ってるのが国そのものだとわかった以上、この村全員が関係者になる。身の振り方は考えな」


さ、飯にすっぞ。


ミールさんが持ってきてくれた椅子に座って、手を合わせる。


あまり、味はわからなかった。



ギーコ、ギーコ…。


「ねぇ、お父さんが言ってた事って、どう言う事なのかな」


キュルキュルキュルキュル…。


「…多分、私のことを言ってるんだと思う。私を追い出すか、突き出すか…きっとそう」


コンコン。ん、よし。


「そんなのおかしいよ! エンヴィちゃんはなんも悪くない」


「そうだ、とも言い切れないんだよな」


ドアの立て付けを確認して、工房を閉める。それから私室の方に行き、修行に行くときに使っていた大きいリュックの中身を整理する。基本的にはある程度の着替えと、売り物に出来るマグ、それから、一冊の本を中に入れた。


「どうして…? エンヴィちゃんは追われてただけなんでしょ?」


私室に追いかけてきたエマの声は震えている。俺はリュックを持って工房に戻り、机の上に置きっ放しになっていた新聞を手渡した。


「お前が気になってた犯人ってのは、エンヴィのことだ。経緯はどうあれ、街を破壊したことには変わりない」


その分は報いを受けなきゃな。


工具セットの中身を確認する。よし、問題ないな。これだけあれば、修理も問題なく出来る。


「さてと、行こうか」

「え? どこに?」


エマの質問に同調するように、エンヴィもポカンとこちらを見ている。俺は目的地を伝える。


「ヘレンカイト。長旅になるから、暫くここは頼んだぞ」

「ちょっ、ちょっと待って! ラックも出るの?」

「そりゃあそうだろ。エンヴィ一人でほっぽり出せるわけない。だから俺もヘレンカイトに行って、嘆願してくる。なんだかんだ言って、マーズさんが言ってる事は正しい。エンヴィがここにいる事で皆に危険が及ぶかもしれない。それは多分エンヴィとしても目覚めが悪いと思う」


エンヴィの方を見ると、大きく頷いた。


「だったら、方法は一つで、エンヴィがここを出るしかないだろ?でも、さっき言った通り、俺はエンヴィを一人でほっぽり出すつもりは無いからな。エンヴィがヘレンカイトに着くまで、着いて、王の赦しが得られるまで、俺は着いて行くつもりだ」


そういうと、エンヴィは慌てて俺の元へ駆け寄ってきて首を振った。


「あなたがそこまでする事なんてない!元はといえば私が悪いの…!あなたまでここを離れるなんてしなくていい!」

「ううん、ダメ、ラックは一緒に行ってあげるべきだよ」

「エマ…?!」

「だってラックだもんね、そりゃあそうだよ。ほっとけないよね」


俺はリュックを背負い、工具箱を掴む。顔なんて見なくてもわかる。でも、その顔を見たら、俺の決意が揺らいでしまうような気がして、その顔を見る事は出来なかった。


「必ず戻る。だから、頼むぞ」

「…うん、待ってる。ずっと、帰ってくるまでずっと待ってるね」


エンヴィに声をかけて、取り付けたばかりの新しい扉を開けて外に出る。一本しかない道を進むと、何故か広場に人集りが出来ているのに気づいた。その先頭に立っていたのは、マーズさんだった。


俺が立ち止まり、エンヴィがその隣に並ぶと、マーズさんは口を開いた。


「お前は、やっぱりそうでなくっちゃな」

「バレてましたか」


「そりゃあそうだろおめえ、いつからテメエの面倒見てたと思ってやがる。だからここにいんだよ。ほら餞別だ」


ズッシリと何かが詰まった麻袋が手渡される。中からは金属が擦れる音が断続的に響き、受け取るとその重さに腕が落ちる。


「お前が受け取らなかった今までの駄賃だ。お前の腕ならその工具箱一つで稼げるだろうが、お前の事だ、どうせ金を受け取ることなんて無えだろ。だが世の中そんな甘くねえ。貰えるもんは貰え、稼げるんならそれの足しにしておけ」


全部解ってる。解られている。


あぁ。


ここは本当に、最高の村だなぁ…。


マーズさんはにっかり笑って、俺の肩を叩いた。


「そんな顔してんじゃねえよバータレ。ほら、行け行け、どうせ帰ってくんだろ?それまで泣くんじゃねえよ」


そんなに情けねえ顔してんのか。


口に出そうにも、むせ返って上手く口に出せない。ぐっと目元を拭って、リュックの中に麻袋を突っ込む。


「嬢ちゃんも、そんな顔すんじゃねえやぃ。コイツは自分らしさを貫いただけだ。お前さんが負い目を感じることなんざこれっぽっちもありゃしない。だからここを出る時くらい胸をはんな。見送るぜ」


ぞろぞろと道を開けた皆んなの間を、踏みしめながら歩く。


「ラック!!」


スカートだろうがワンピースだろがなんのその、アスリート顔負けの走りで全力疾走してきたエマが、息を切らしながら目の前で声を張り上げる。


「これ!持ってって!」


突き出されたのは、チェーン付きのリングだった。一点の曇りもなく綺麗に磨かれたソレに、俺は首を差し出した。


「………、」


不器用な手つきだが、エマが俺を抱えるようにチェーンを首に着けてくれる。


「持ってくよ、失くさない」

「うん。じゃあ、いってらっしゃい!」


大きく手を振るエマと、村のみんなに見送られ、俺は村の外へ踏み出した。


振り向かず、前を見て進む。舗装されたその道を、ただひたすらに。その行為に、懐かしさがこみ上げて、小さく笑ってしまった。


「…ラック?」

「あぁ、ごめん。ちょっと思い出しちゃってさ」


俺は隣に並ぶエンヴィに軽く手を振る。


こんな風に見送られるのは、二回目だ。マグ職人になると決めた時もこんな風に見送られたっけ。あの時は、俺が手を引かれる側だったけど、今度は俺が手を引く側だ。そう考えるとあの時には無かった不安が込み上げてくる。


何が起こるかわからない旅だ。昨日の様に、また変な輩が襲ってくる可能性だってある。俺が、守らなくちゃな。


幸い、ヘレンカイトに行くのにいくつか街を通る。大きな街に着ければ、馬車も飛行船もある。歩きなのはそれまでだけだ。


「次の街までは歩きで半日くらいかかるから、疲れたら言ってくれ。すぐに休もう」

「ん、大丈夫、体力には自信ある」


両手をぐ、と握った。うん、元気でよろしい。


昨日いっぱい食べてぐっすりと休んだおかげか、足取りは軽いし、心なしか生き生きしている様にも見える。


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