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3章 後前編

 ディアボロス。そう呼ばれた男は、黒々とした霧の中からゆっくりと現れた。


「呼んだか」


 太く、ズッシリとした声が腹の底に響く。顔面は蒼白だが、漂う気配は身が竦む。実際、両端の麒麟達が一歩二歩と後ずさるのを見ながら、少年と男のやり取りを注視する。


「呼んだよ。あの人達を殺してほしい」

「…ほう、そんな些事の為に私を呼んだか。まぁ良かろう。贄は十分すぎる程だ。その程度の不遜は許してやろう」


 視線がこちらに向く。


 今にも暴れそうな麒麟たちの肌をさすりながら、警戒を解かない。霧に包まれた身体は、どこまでが身体なのかの境を隠している。ふ、と前に伸ばされたのが指だと理解するのにも、少し遅れるほどだ。


「死ね」

「ッ」

 ヂッ!


 黒い光線が指先から放たれるのを見逃さない。間一髪頰を掠め背後に抜けていく。つー、と頰を流れていく感触を感じながら、ぞわりと身体を走る悪寒に身が強張る。


「なんだ、貴様人間ではないな」


 そいつの言葉に、キャメロンの視線が俺に向くのを感じた。


「どうしてそうなる。どっからどう見ても人間だろ」

「今の光線には猛毒が仕込んである。並の人間なら二秒で絶命するものだ。だがお前は死なん。当たろうがかすろうが死ぬ毒に当たって、お前はまだ生きている。つまり貴様は人間ではない」


 男は顎に手を添えて、少し逡巡すると、思いついた様に顔を上げると、俺の目の前に立った。


(っ、一瞬で…)


 ドチュッ!


 腹から何か別の感触が身体に入り込んでいる。

 喉の奥から、熱い何かがせり上がってくる。

 身体が…重い…。

 視線を下ろすと、男の手は、俺の腹と繋がっていた。


「こふ…」


 せり上がってきたそれを吐き出して、男の手を掴む。


「て…めぇ…!」

「ふむ、頑丈だな。成る程、貴様の中身は空っぽだな」

ガリバーの絶望(パッケージ)!!!」

 ギュルルルル…!


 黒い水の糸が男を縛り付ける。だが、男は意に介さず、俺の腹の中をまさぐった。

 違和感、ただ違和感だけが身体を支配している。痛覚が麻痺してるとかそんなレベルではなく、ありとあらゆる感覚が遠ざかっていくのを感じる。実際、男を掴んでる手も、力が入っているのかどうか怪しいレベルだ。


「あぁあああああぁ!!」


 縛り付けられていた男の腕が叩き斬られる。が、男の体から切り離された腕は、なおも俺の腹の中を蠢き続けている。膝が折れる、地面に小さな水溜りが出来ていく。


「ラック!ラックしっかりしろ!エンヴィ治癒魔法は?!」

「初級までしか…その大きさは無理…!」


 俺の目の前で慌てふためく二人を見ながら、逆にはっきりして来た意識を手繰り寄せ、腹に力を込める。


 そろそろ赤が切れる。


「大丈夫、大丈夫だ」


 そういいながら、男の手を引き抜いた。気色の悪い感触はまだ残ったままだが、少なくとも、今はどうにかなる。


 ぎゅっ、と穴の埋まった腹に、二人からは声が出ない。口の中に残った液体を吐きつけて、口許を拭う。薄い色の血が手についた。やっぱり、もう赤が無い。普段なら黒黒と見えるはずの液体は今は白かった。


「やはり人間ではないか。いや、魂はヒトだが器が違う」

「よくわかってんじゃねえか」


 お互い一歩踏み出す。俺はふらつく足を押さえながら、身体を起こした。やはりエンヴィの拘束は無意味な様で、水の糸を身をよじっただけで解いてしまった。


「どーする?俺は無駄に頑丈だぜ。殺すのは骨が折れるぞ」

「その様だな。だが、対価は払われた。殺さぬ選択肢は持ち合わせていない」

「なら仕方ねえ、とことんだ」


 俺が拳を合わせた瞬間、影が落ちる。


 いや、影じゃない…、何だこれ…。


 空を見上げる。。薄暗い雲に包まれていたはずの空は、いつのまにか晴れている。晴れて…いるんだが…。


「太陽が…黒い…」

「…ほう、良い魔力だ。人間にもまだ使える者がいるか」

破滅(カタストロフ)…」


 背後から声がする。それと同時に、一筋の光が垂直に降り注ぐ。それは地面に触れた瞬間に沼を焼き、地面を溶かしていく。俺が振り返ると、ルッカが青龍から降りて歩いてくる。長く伸ばした髪が舞い上がり、露わになった彼の右目は、宝石の様に輝く紫の水晶が埋められていた。


 一歩、ルッカが足を踏み出すたびに、怪しく輝くその水晶が光を反射する。そして、次の瞬間には、光が降り注いだ。


 最早光線ではなく弾丸、ネフェを中心に幾千もの弾丸が降り注ぐ。


「ネフェ、君はやってはいけない事をした。他の誰が何と言おうが、君は悪い事をしたんだ。僕はそれを許さない。誰の指示だろうが何だろうが関係ない、君が、君が殺したんだ…!」


 舞い上がった土煙が払われる。男の腕の中にはネフェの姿があった。傷はない、あの男が全部防いだのか…。


 いや、それより、


「ルッカは魔法使えるのか?!」

「六道なんだから使えるに決まってるでしょ!それよりラックのお腹どうなってるの!」

「そんなん後だ!キャメロンアイツを一人で前に出すな!殺される!」

「私は君の方が気になるんだけどね!」


 俺は地面を抉りながらルッカの前に出る。


 チカ…!


 間に合え…!

 

 抉った地面を握りしめてプリズムの魔法を掛ける。形は反射レンズ!


 カッッ!!


 黒い光線の目の前に突き出す。光線を受けたレンズは黒々と染まり、明後日の方向に光線が返っていく。


「白!黒!」


 俺の呼び名に応じて、麒麟と黒麒麟が駆け出す、男を挟み込むような布陣を敷く中、天から降り注ぐ光に紛れて、キャメロンが舞う。


「悪いが私もルッカと同意見だ。君は許されない」


 召喚主であるネフェを守るために、男がキャメロンに腕を振り翳す。


「陽炎」


 ザク…


 …咄嗟に、目を背けてた。地面の沼が消えていく。天を覆っていた黒い太陽も、静かに消えていく。


「召喚者を狙うのは良い心がけだ。貴様も、満足そうではないか」

「うん、満足。ルッカ、君は僕を怒ってくれるんだね」

「当たり前だ。友達が踏み外したら、殴ってでも止めないといけないんだからな」

「それ…漫画の…読みすぎ」


 俺が顔を上げると、心臓を刺されたネフェが、ゆっくりと地面に倒れていく様が、いやに目に付いた。


 …俺が甘いのか。


 白と黒が俺に身を寄せ、小さく嘶いた後、俺の手に収まるように頭を下げた。


「あぁ、お疲れ様」


 小さく輝き、二体はマグの姿に戻った。俺の手に収まった二つのマグをかろうじて使えそうな作業着のポケットにしまって、小さく溜め息を吐いた。


「エンヴィ、抑えて」

「わかってる」


 ガリバーの絶望。


「ぅぉっ!」


 俺?!


 唐突に黒い水に捕えられ、地面に縫い付けられる。しこたまケツを打ったが御構いなし、二人が神妙な面持ちで俺の側に寄る。


 ぺた

「っ」


 先程開けられた服の穴から、俺の腹に触れる。冷たくはないが、弄られるとどうしてもくすぐったい。


「私も良いかな」

「キレーネさん?!」

「あぁ、技術者の意見も聞きたい」

「俺の意志は?!」

「無い」


 キャメロンに強い口調で言い切られると、逆にカチンと来る。

 言っていなかった落ち度は俺にあるかもしれないが、説明する時間くらいくれてもいいじゃないか。

 キレーネさんも俺の体に触れる。グッと押してみたり、コンコンと叩いてみたり、実験でもされている気分だ。実際そうかもしれないが。


「うん、わかんない。本人に聞いた方が早いかな」

「最初からそれじゃダメだったか?」

「いや、聞いてる暇はない。ここからは一刻も早く立ち去る必要がある」

「いや、もう遅いかも」


 ルッカが崩れた街の向こうを見る。全員の視線がそちらに向いた。

 揺れる聖十字架、光を模した旗が風に靡く。


「遅かった…、今から逃げるのは無理か」


 キャメロンが大きく溜め息を吐いた。


「良かったなラック、旅をする手間が省けたぞ」


 拘束が解かれ、俺の体が自由になると、俺は身体を起こしてその団体様に目をやる。首都ヘレンカイト直属の騎士団だ。ここまで来るのに結構な距離があったはずだが、魔法で転移でもしてきたんだろう。

 やがて、代表者と思しき騎士が目の前に現れる。テレポート、光の魔法の最上位にあたる魔法だ。騎士は俺たちを見た後、その奥で倒れているネフェを見て彼の方に駆け寄る。


「…何たる惨状だ」


 ネフェを抱きかかえた騎士に、キャメロンが言う。


「悔やんでいるところ申し訳ないが、その子が主犯だ。我々は被害者だよ」

「なんと…。わかった、話を聞かせてもらう。だが、今の時点では君達もまだ被疑者だ。あまり相応の扱いはされないだろうが、しばらくの辛抱を頼む」


 騎士の言葉通り、騎士団の大隊が到着した後、俺たちは一度拘束され、連行されることとなった。状況を考えるなら妥当な対応だろう。外界から遮断され、明かりも薄い馬車の荷台に詰められた俺たちは、少し重い雰囲気の中、口を閉ざしていた。


 特にルッカは、ずっと隠していた片目を隠すことも忘れ、今にも泣きそうな顔をグッと堪えて座っていた。でも、俺がルッカを慰めるのは、違う気がして、声がかけられない。

 俺はずっと、本人達を見ていなかった。それは、ネフェが言っていた通りで、俺は本人のした事を見ずに、子供がそんなことをって色眼鏡をつけていたんだ。


 ネフェは…叱って欲しかったんだろうか…。


「さぁね、本人に聞きたまえよ。ただ、怒ることも一つの愛情表現ではあると思うよ」


 心の中で呟いたつもりが、漏れていたらしい。キャメロンの言葉を聞いて、思い返す。


 叱られた日々も思えば確かに、愛があったんだなぁ…。


「まぁそう沈むな。なんなら、今回だって君のせいじゃあない。君が気を病むことなんて一つもないさ」

「そう言われてもな…」

「それでも気にしてしまうところは、私は君の美徳だとは思うが、あまり気を落としている人間が多いと空気も重い。見たまえ、今回一番の被害者が縮こまっているぞ」


 そうか、今回の被害者は、確かに俺たちじゃあないのか。


「すみませんキレーネさん、俺ばっか落ち込んじゃって…。キレーネさんは…その…大丈夫ですか?」


 俺がそう尋ねると、キレーネさんは少し噴き出してから、やれやれと首を振った。


「気を使うのが下手だね君は。大丈夫だよ、街の人たちがいなくなっちゃったのは寂しいけど、命あっての物種さ。私は生きながらえただけ幸運だと思うよ」


 それより、とキレーネさんは俺を指差して言った。


「君の身体の秘密の方が知りたいね。技術者として、未来の伴侶としてね」

「だから結婚はしませんって」


 俺はため息を吐きながら、視線を逸らす。その俺のそばにエンヴィが寄ってくる。ぴったりと俺にくっ付いて、目を輝かせた。


「進展しそう?」

「しねえっつってんだろ。お前は俺をどうさせたいんだ」

「んー…ハーレム?」

「どうしてそうなる…」

「私はほら、ラックのファミリアだから、考えがご主人様の趣向に…」

「合ってないから今すぐ修正しろその思考。あとそんなこと考えるような制約なんて一度もかけてねえからな」


 もう一度深く溜め息を吐いて、俺の言葉を待っている二人に言った。


「俺の職人修業はトリマニアでやったんです。ただ、一人前になって外で職人と名乗るには卒業試験を受ける必要があって、俺はその過程でできた産物なんですよ」

「試験の内容と関係があるのかい?」

「卒業試験の内容は、オリジナルを交えたマグナイトの製作。俺は流体金属でマグナイトを作った」

「まさか…」

「卒業製作は、俺自身です」


 キャメロンが信じられないと言った顔で、俺の事を見る。でも事実は変わらない。


「流体金属の器に、マグナイトを自分の意のままにする『現し身(うつしみ)』という魔法を使って、俺の魂をこの身体に移してる」

「なんでそんな事を…」


 キレーネさんの問いに俺が答える前に、キャメロンが答えた。


「トリマニアは技術者が外に行く事を嫌う」

「そう、つまりはそこに集約されるんです。俺は国外からの流入者で、特例で学ばせてもらえた。けど、結局習得しきってしまったが故に、俺は国から出られなくなってしまった」


 あくまでも、トリマニアから外に出るのは、外交か、技術の売り込みのみだ。各地のマグ点検や行商としての動きは、技術の売り込みが主であり、アーカイブトルムのように技術者の少ない国を中心に回ることが多い。

 だからこそ俺はその技術を見ることができて、その技を磨くことができた。


「で、俺は外に出るために、『現し身』が使えて、かつ人間に近づけるマグナイトを作った」

「なるほどね…。マグナイトで外に出ることは許されたのかい?」

「まぁ…、結果的に…だけどな。俺の本来の体をトリマニアに人質として置いておくことで、俺は外に出る許可を貰ったのさ」

「どうしてそこまでして外に出たかったの? 身体がどうなってるか怖くない?」

「師匠を信頼してますから、身体は心配してません。外に出たかったのは、俺が世話になった幼馴染の家族がいて…、その人達に帰ってくるって言ったんです。だから、俺は帰るための手段として、この方法を選んだ」


 俺がそこまで言い切ると、キャメロンは俺の隣に席を移し、俺と腕を組んで言った。


「まったく、いい男だよ、君は。そういうまっすぐなところが、私は好きだね」

「また直球な…」


 キレーネさんは俺の両隣を挟む二人を交互に見て、何か思い付いたのか席を立ち、俺の目の前にやって来ると、スッと俺の膝の上に座った。


「お、良い座り心地」

「ちょっ、キレーネさん?!」

「む…」

「ほら、ルッカくんだっけ?君もこっちおいで」


 名前を呼ばれたルッカは、ぼんやりとした目でこっちを見ながら、取り敢えず呼ばれたから来た、という感じでキレーネさんの目の前に立つ。キレーネさんは力づくでルッカの向きを変え、自分の膝に座らせた。

 ハッとしたルッカがバタバタと逃げようとするのを抱きとめて、キレーネさんが言う。


「君は一人じゃないよ。私達もいるんだから、泣きたい時はちゃんと泣きなさい」


 ね。


 そう言いながら頭を撫でる。膝の上に乗るキレーネさんから、小さく揺れが伝わってくる。それから少しして、ルッカの鼻のすする音が聞こえて来た。声を噛みしめているのはルッカなりの強がりなのだろう。キレーネさんの肩越しから、ルッカが手をぎゅっと握りしめ、肩を震わせるルッカの姿が見える。

 子供をあやすような優しい声で、キレーネさんが頑張ったね、とその頭を撫でる。


 母親って…こんな感じなのかな…。


「なぁ、ラック」

「ん?」


 キャメロンが俺の肩に頭を乗せる。


「私でも、母親になれるだろうか」


 キャメロンももしかしたら同じような事を考えていたのかもしれない。


「なれるんじゃないか」


 キャメロンは俺の顔を見上げると、ニヤリと笑った。


「…ん?」


 なんかまずった?


「じゃあ、子作りしないとな」

「こっ…!バカ野郎するわけねえだろ!二度とゴメンだ!」

「そういうな、何処まで本物か知らないが、感覚は魂に刻み込んでやるから」

「服に手を突っ込むな!」

「ラック」

「なんだエンヴィ!」

「頑張って♪」

「イヤです!」

「とかなんとか言って、もう一回くらいしたいんじゃないか?」

「んなわけねぇだろっ」

「あ…」


 キレーネさんが拍子の抜けた声を上げて、ルッカを解放する。ルッカはルッカで、キャメロンの話のせいで涙が引っ込んだのか、キレーネさんの膝から立ち上がり、何も聞かなかったことにしますからー、と荷台の隅に寄った。


「ぎ…技術の進歩って凄いよねー」


 ………、


「どいてもらっても…?」

「あー…、あはは」

「ぅごかないで貰えませんかね…!」

「進展?進展?!」

「一気にマセたなぁお前なぁっ!」


 いかん、八方塞りだ…。


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