あたしのクラスメートは猫ストーカー
「瑠璃華。瑠璃華」
誰? 暗闇の中で、あたしを呼ぶのは……
「瑠璃華。俺だよ」
その声は?
真君?
暗闇が突然明かりに包まれた。
あたしの目の前に現れたのは、爽やかな笑顔の背の高い少年。
「真君!? やっぱり生きてたのね」
「瑠璃華」
あたしは真君に抱きついた。
もう放さない。放したくない。
ん? 真君ってこんなに毛深かったっけ?
あれ? 真君の姿が薄れて消えていく。
目を開けるとそこは見慣れたあたしの部屋。あたしはベッドで布団にくるまれていた。
なんだ夢か。
しかし、真君を抱きしめている感触がまだ残ってるのはなぜ?
布団をまくるとあたしが抱きしめていたのは……
なに? この黒い毛の塊は……
「にゃあにゃあにゃあ」
黒猫? なあんだリアルか。
「にゃあにゃあ。瑠璃華。いい加減放せよ」
「リアル。だめじゃない乙女のベッドに潜り込むなんて」
「おまえが引きずり込んだんだろうが」
「え?」
「起こしに来た俺を、おまえがむりやり引きずり込んだんだよ」
「そうなんだ。ところで、今何時?」
「午前六時」
「おやすみなさい」
「寝直すな!! てか、俺を放せよ」
「だってリアル抱いてると暖かいんだもん」
「とにかく、起きろよ」
「今日は日曜よ」
「家の前に変な奴がいるんだよ」
「え? 変な奴?」
喋る猫というこれ以上ないくらい変な奴から「変な奴」呼ばわりされるって、どんな奴?
あたしはカーテンを少しだけめくり、外の様子をうかがった。
あたりはまだうす暗い。
住宅街を通るせまい道路に人影はなかった。
「誰もいないよ」
「ここからじゃ見えないよ。曲がり角の向こうにいるんだ」
「やっぱり。リアルの言う追っ手なの?」
リアルが家へ来て早三日。
もう、ここを嗅ぎつけたのだろうか?
「まだ、わからない。ただの変質者かもしれないし」
「いや、それはそれで怖いけど。まあ、内調じゃないなら家の中にいれば安全ね」
「そうだな。内調じゃないなら迂闊に外に出ない方が……え? 内調」
リアルは驚いたような顔であたしを見る。
「やっぱりそうなんだ」
「え?」
「こんな事やるのって内閣情報調査室かなって思ってかまかけてみたのよ」
「おまえなあ、なんでそんな事……」
「教えてくれないリアルが悪い」
「あのなあ、俺は瑠璃華を危険にさらしたくないから、なるべくよけい事は……」
「何か動いた」
「え?」
一瞬だったけど、曲がり角から人の姿が見えた。
雨合羽のような物を着てフードをすっぽり被っていたので、顔はわからなかったけど確かに怪しい。
*
「さぶ」
玄関の扉をひらくと、切り裂くような寒気が襲いかかる。
あたしはスエットの上に羽織ったコートの前をピタっと閉じた。
「リアル。苦しくない?」
コートの中にあたしは声をかけた。
コートの内側にリアルがしがみついてる。
もし、内調ならリアルの姿を見られちゃいけないと思ってこういうことをしたのだ。
「平気だよ。それより、玄関は閉めるなよ」
「どうして?」
「いざというとき、すぐに逃げ込めるだろ」
「そっか」
家の中から暖かい空気が逃げていくが仕方がない。
襲われるよりマシ。でも、今月の電気代が……いや、今は考えないでおこう。
昨日まで玄関の前に車が止まっていたが、今はない。
パパが仕事に出てしまったからだ。
いま家には、あたしとリアルしかいない。
やっぱコワいな。
つい好奇心から様子を見に行こうと出てきちゃったけど、引き返そうかな……
「あいつに聞いてみよう」
弱気な事を考えていると、コートのすきまからリアルが前足を出して門柱の方を指す。
門柱の下に一匹の三毛猫がうずくまっていた。
あの猫、横山さん家のぺぺだわ。
「ぺぺ」
あたしが声をかけるとぺぺは猛然とこっちへ駆けよってくる。
「にゃーにゃー」
あたしはしゃがみ込んで、足下で鳴いているぺぺをなでようとした。
ところがぺぺはあたしの手をさける。
いつもなら、ねだってくるのに。
「にゃあにゃあ」
何か言いたそうだけど。
「そんな事してる場合じゃないって」
コートの隙間からリアルが顔を出す。
「にゃあにゃあ」
「にゃにゃにゃ」
しばらく二匹の猫が何か話していた。
「リアル。ぺぺはなんて言ってるの?」
「コワい人が来たから、逃げろって言ってる」
「コワい人って?」
「ちょっと待って。にゃにゃあにゃあ」
「にゃにゃにゃ」
「にゃあ。この当たりで有名な変質者だって」
「変質者?」
とりあえず、内調でないなら、もう外にいなくてもいいか。暖かい家の中へ……
「んにゃあ!!」
突然、大声を上げてぺぺが逃げ出した。
どうしたんだろう?
顔を上げると、門柱のところにそれはいた。
ピンクのウインドブレーカーをまとい、大きなデジタルカメラを構えている人物が。
目深に被ったフードの奥にある顔は大きなマスクとスキー用ゴーグルで隠れて見えない。
標準的な変質者スタイル。
なんてのんきに考えてる場合じゃない。逃げなきゃ。
「あわわわ」
あれ? 足に力が入らない。
「何してる!? 瑠璃華。早く逃げろ」
「わかってるけど。わ!!」
足がもつれてあたしは地面に倒れ込んだ。
「バカ!! 早く起きろ」
「そんな事言ったって」
「大丈夫ですか?」
誰かが差し伸べてくれた手をあたしは思わず握りしめた。
手の主はあたしを引き起こしてくれたのだが。
「ひい!!」
手の主は変質者さんだった。
「いやあ!! 放して!!」
あたしは強引に手をふりほどく。
「ああ、待って。けっして怪しい者じゃないんです」
あたしは変質者を指さす。
「その姿のどこが怪しくないと言うのよ!!」
「ううん、やっぱり怪しいですか?」
あれ? よく聞くと女の子の声。
それにこの人、あまり背が高くない。
身長百五十センチのあたしと大して変わらない。
「ごめんなさい。美樹本さん。別に脅かすつもりはなかったの」
え? この人、あたしの知ってる人なの?
変質者さんはフードを上げて、ゴーグルとマスクを外した。
「星野さん?」
あたしの中学のクラスメートで、学級委員長もやってる星野雲母さんだった。
しかし、なんだってこんな格好で……
ぺぺは変質者と言っていたけど、中学生の女の子が変質者なわけないし……
「おい。瑠璃華。知ってる人か?」
コートの中からリアルが小声で訪ねる。
「あたしのクラスメート」
「美樹本さん。誰と話してるの?」
「え? ああ!! ひとりごとよ。ひとりごと……それより、なんなの? その格好」
「いや、これには深いわけが」
そりゃ、まじめな星野さんがこんな格好するなんてよほどの事情だと思うけど……実は
まじめなフリして裏で何かトンでもない事をしていたのかな?
「美樹本さん、実は私……」
「なに?」
「猫ちゃんが大好きなんです」
「はあ?」
「あのプリチーでラブリーな生き物が好きで好きでたまらないのです」
「そうなの?」
「美樹本さんもそう思いません」
「そう思うって?」
「猫ちゃん可愛いって」
「そりゃあ、あたしも猫好きだけど……」
星野さんはあたしの両手を握りしめる。
「そうでしょう。そう思うでしょう。あのモフモフした生き物はきっと、神様が人間の心
を癒すため地上に使わした天使なのよ」
いや……ちょっと大げさでは……
は! そういう事か。ぺぺが言ってた変質者というのは……
「おい。瑠璃華。どうなってるんだ?」
やばい!!
あたしは慌ててコートの裾を押さえてリアルが顔を出すのを防いだ。
今、星野さんにリアルを見られるわけにはいかにない。
ぺぺの言ってた変質者というのは人間に対しての変質者じゃなくて、猫に対してのという意味だったんだ。
「美樹本さん。今の声、誰?」
「こ……これは……その」
なんていいわけしよう?
「おい。瑠璃華」
「あんたは、ちょっと黙ってなさい!!」
思わずコートの内側に怒鳴ってしまった。
「美樹本さん。コートの中に小人でもいるの?」
「いや……そうじゃなくて……携帯よ。今の」
「そうなの? それにしては音が大きくない?」
「スピーカーモードよ。それより、猫が好きなことと、その格好となんの関係があるの?」
「私ね、毎朝こうやってキャットウオッチングをしてるんだけど」
言い方を変えるなら猫ストーカーね。
「私の母と弟が猫アレルギーなのよ」
「え?」
「だから、家の中に猫の毛を持ち込むわけにはいかなくて」
「それは大変ね」
「でしょ。だからキャットウオッチングに行くとき、こうして全身をおおう服を着て、家
に入るときに毛を払わなきゃいけないの」
まあ、あたしも猫好きだけど、さすがそこまでは……
「ところで美樹本さん」
星野さんはポケットから写真を取りだした。
「この猫知らないかしら?」
「え?」
写真にはブロック塀の上を歩く一匹の黒猫が写っていた。
あたしはその猫を知っている。
たぶん、世界中の誰よりも。
だってその猫は、今あたしのコートの内側にしがみついているんだから……
「さ……さあ。この町に黒猫なんていっぱいいるから」
「そうね。でも、同じ黒猫でも一匹一匹違うわ。自慢じゃないけど私は町内の猫は全部見
分けられるわ」
ううん……自慢できることなのか、できないことなのかわからんが……凄いことだというのは確かね。
それにしても、リアルはいつこんな写真撮られたんだろう?
あたしの家に来てからほとんど外へ出てないはずだけど……
「でも、この猫がどうかしたの?」
「迷い猫なの。私の猫ブログを見た人が、見つけたら知らせてって送って来たの」
「へえ、星野さん。猫ブログもって……ん?」
「どうしたの?」
「ひょっとして、またたびさん?」
星野さんの顔がぱっと輝いた。
「やだ!! 美樹本さんも見ててくれたの。嬉しい」
あの猫ブログの管理人がクラスメートだったとは……もっと年輩の人だと思ってた。
*
「見られなくて良かったよ」
温かい部屋の中に入るなり、リアルはコートから飛び出してきてそう言った。
「何が?」
あたしはストーブに手をかざしながらたずねる。
おお!! ぬくぬく。手がすかっり冷えちゃったわ。
あれから三十分、あたしは寒い路上で星野さんから猫談義を聞かされていたのだ。
隣の家のアメリカンショートヘアが可愛いとか、猫にフルモッフされるなら死んでもいいとか。
「さっきの女に俺の姿見られなくて」
「そうね。猫好きのあたしでも、あれはちょっと引くわ」
「そうじゃない。あいつなんで俺の写真持っていたと思う?」
「なんでって? ブログを見た人が探してくれって……あれ?」
「さて、ここで問題。俺を探している人は?」
「内調」
「あたり」
「ええ? じゃあ星野さんが内調のエージェント?」
「そんなわけないだろ」
「じゃあどうして?」
「内調が俺を探すとしたらどうやると思う?」
「ええっと?」
ネコジャラシとか、またたびとか、カツオブシを持ったエージェントが何百人も町中を草の根分けて探している様子を想像したけど、それはないよね。
「どうすんだろ?」
「最初にネットを使って目撃情報を集めるだろうな。あの女みたいに猫ブログを持ってる人に片っ端から俺の写真を送ったんだろう。ただし、迷い猫だという事にして」
「じゃあ、星野さんは何も知らないで、利用されていたってわけ?」
「そういう事さ」
ううん、という事はかなりやばい状況なのでは……
最初、街中に紛れ込んだ猫なんて見つけられるわけないと思っていたけど、こんな方法
に出られたんじゃいつか見つかってしまう。
「どうしよう?」
「あの女を味方にできないかな?」
「え?」
「あの女はこの町の猫を知り尽くしている。逆にいうなら、そんな人に『この町に該当する猫はいなかった』と言ってもらえたら、内調はこの町を調査対象から外すかもしれない」
「そっか、でもどうやって?」
「それをこれから考える」