南氷洋波高し その二
エンジン、発電機、通信機、操舵室。俺達は次々と爆弾を仕掛けていく。どこに爆弾を仕掛けるかは、航海中にトロンが決めていた。爆弾の威力はそれほど大きくないが、デリケートな機械を修復不能にするには十分。
船ごと沈めてしまえば楽なのだが、そうもいかないらしい。殺人は人道上許可できないというのが総理大臣からのお達しだ。ようするに作戦が万が一発覚した時に責任を取りたくないからだろうけど。
まあ、俺としてもできれば人殺しはしたくない。猫のくせに変な奴と思うかもしれないが…… 今回の作戦はシー・ガーディアンの高速船をシャチ達が沈めて、その後で母船を俺とトロンで動けなくした後、海上保安庁の巡視船が救助するという手筈だ。なぜ、こいつらを救助するかと言えば、南氷洋は公海なので日本の海上保安庁に逮捕権はない。だが、遭難者を救助する義務はある。だから、巡視船はあくまでも救助という名目で奴らを巡視船に乗り込ませた後、改めて逮捕するという寸法。
人間て本当、ややっこしい事するね。
「おい、リアル。様子がおかしいぞ」
トロンがそう言ったのは、レーダー塔の上で俺がレーダーの配線に爆弾を張り付けた時だった。振り向くとトロンが不安げにiPhoneを操作している。
俺達の頭上でレーダーのアンテナがクルクル回っていた。下では甲板で騒いでいる人間達の様子がよく見える。何か、口論しているようだ。
よく聞き取れないが、どうやらシャチをどうするかで揉めてるらしい。
まあ、当然だろう。
いやしくも、動物保護を旗印に上げてる団体がシャチを撃ったりしたら大事だ。それこそ、日本政府の思う壺。しかし動物が好きで集まってきた奴らが本当にシャチを撃ったりはしないだろう。
それはともかく、トロンは何を不安げiPhoneを見ているんだ?
「様子がおかしいって、何が?」
「奴ら、動画配信を止めたぞ」
「動画配信?」
「ほら、あいつらいつも捕鯨船を妨害する時は何台ものカメラを設置して、その様子をネットで世界中に流しているだろ」
「ああ」
自分たちの正当性を訴えるために、捕鯨船と戦う時はその映像を常に流していると聞いていた。俺は実際にそれを見たことはない。俺が見たのは奴らが資金調達のために販売するDVD用に編集した映像だけだ。
それはともかく、リアルタイムでの動画配信を止めたらしいが何でだろう?
「故障じゃないの?」
「違うよ。ほら、見て」
トロンはiPhoneを俺に見せる。
あれ? 動画止まってないじゃないか?
iPhoneの画面では、シー・ガーディアン達が高速艇にから捕鯨船に向かって薬品入りの瓶を投げつけている。
「止まってないじゃない?」
「よく見ろよ。こんな事が実際に起きてるか?」
俺達はちょうどレーダー塔にいるので遠くの様子がよく見える。
俺は双眼鏡を当てて、〈朝日丸〉の方を見た。
なるほど。高速船は〈朝日丸〉を攻撃するどころかシャチに威嚇されて逃げ回っていた。すでに五隻のうち、二隻は転覆している。
残った三隻はシャチから逃げ回る一方、海に投げ出された仲間を救助するのに精一杯で、とても〈朝日丸〉を攻撃するどころではない。
見ている間にまた一隻転覆した。
「動画と全然違うじゃないか」
「分かったろ。今、動画配信しているのはリアルタイムの実況じゃない。過去の録画だ」
「何のために?」
「しばらく、この船に乗り込んでいたおかげで、奴らの手口が分かったんだが、やつら都合が悪くなると、実況をやめて録画に切り替える手筈になっているんだ」
「きったねえ。それで世界を騙していたのか」
「とにかく、爆弾はもう仕掛けたし、俺はコンピュータールームに行って、もう一度実況中継を再開させてやる。奴らの無様な様子を世界中に見せてやるんだ」
トロンはレーダー塔から降りて、窓から船室に入っていった。
さてと。
俺は再び双眼鏡を当てた。
さっきのシャチがこっちへ向かってくる。
背中には、二人の人間を乗せていた。
そうか。高速艇の乗員を救助してこっちへ返そうというつもりだな。三頭のシャチにはそれぞれ紫電、桜花、菊花と名前が付いている。こっちへ向かってくるのは背鰭の付いてる番号から、桜花のようだ。日本から来る途中、時々彼女の背中によく乗せてもらった。
俺はレーダー塔から降りて甲板へ向かう。
人間達は足下に俺がいてもほとんど気が付かない。
「いいからやるんだ。ピーター」
声の方を見ると、見覚えのある男がいた。
モジャモジャの顎髭を生やした中年の白人。直接会ってはいないが、奴は有名人だ。シー・ガーディアンのリーダー、ポール・ニクソン。
ポールはライフル銃を一人の青年に差し出していた。しかし、青年は銃を受け取るのを嫌がっている。
「いやです。僕は鯨を守るためにここへ来たんだ。なんで鯨を撃たなきゃならないんだ」
「いいかよく聞け。俺達が守るべきは、野生の鯨だ。だが、あのシャチは違う。あいつらは日本人の家畜だ。その証拠に俺達を襲ってきた」
「でも、仲間を助けてくれました」
「海に落としたのもあいつらだ」
「だけど、ここでやってることは世界中に動画配信されているんですよ。シャチを撃つところをスポンサー達に見られたら」
「大丈夫だ。今はダミーの映像を流している。誰も見ていない」
「しかし」
「今、海洋生物に対する生態的なホロコーストが行われている。俺達の敵は人間だけじゃない。人間に協力して魚介類を餌としている家畜も地球上の破壊者だ。つまりあのシャチや、魚を主食としている猫も、俺達の敵だ」
なんですとう!? という事は、俺、この船にいるとかなり危ないのでは……
隠れないと。
歓声が上がったのはそのときだった。
桜花に乗せられた二人の人間が縄ばしごで船に上がってきたのだ。
桜花は人間を下ろすと、海に潜っていった。
良かった。これで撃たれ……あれ?
海面が突然盛り上がって桜花がジャンプしてきた。
バ……バカ!! 早く逃げろ!!
桜花は再び海面に飛び込む。
水しぶきが甲板に降り注いだ。
俺も含めて甲板にいた人間達はずぶ濡れだ。
ポールが小刻みにふるえている。
怒っているようだ。
桜花が再び海面から飛び上がる。
「この化け物め!!」
ポールはライフルをシャチに向ける。
その時、俺は考えるより先に身体が動いていた。桜花を助けたいという思いから。
ポールが引き金を引こうとしたまさにそのとき、俺は奴の顔面に猫パンチを見舞った。
パン!!
ライフルは大きく狙いを逸れる。
「なんた!? この猫は」
そうしている間に桜花は再び海面に飛び込んだ。水しぶきが甲板に降り注ぐ。
今のうちに隠れないと。こいつらにとって俺は保護の対象ではないらしいし。
「ポール!! 大変よ!!」
メンバーの中にいた東洋系の若い女がiPhoneを翳して叫んだ。
「今の映像がネットに流れているわ!!」
トロンの奴、やったな。
「何? 今はダミーの映像を流しているはず」
いかん。奴ら一斉に船内に入っていく。
早く、トロンを逃がさないと。
通信機で……やべ!! 電池切れだ!!
俺は窓から船室に飛び込んだ。
ちょうどトロンはコンピューターを操作しているところだった。
「にゃあ!! にゃにゃあ!!(トロン。逃げろ!! 奴らが来る)」
トロンは振り返る。
「うき?」
おい、俺に猿語は……いけね。俺に猿語が分からないように、トロンに猫語は分からない。
「トロン!! 逃げろ!! 奴らが来る」
改めて、人間の言葉で言ってみた。
「ウキー!!」
トロンは俺の背後を指さす。
え? もしかして?
俺はそうっと振り返った。
部屋の入り口にポールをはじめ、数名の人間が呆然と俺達を見ている。
「ピーター。おまえ、この猿にコンピューターの使い方を教えたのか?」
ピーターは慌ててポールに向かって首を横に振る。
「とんでもない!! 頭のいい猿だと思っていたが、まさかコンピューターを操れるなんて……」
「それとこの猫、今変な鳴き方しなかったか?」
「人間の声みたいな……」
しめた。こいつら、日本語が分からないようだ。これなら、変な鳴き方をする猫と思われるだけで済むかも……
「人間の言葉よ」
さっきの東洋系の女が進み出る。
「本当か? モモコ」
モモコ? こいつ日本人か。
「今の間違えなく日本語よ。『逃げろ。奴らが来る』って言ってたわ」
「なに!? おまえら、逃げ道を塞げ!!」
ヤバい。こうなったら予定より少し早いけど……
俺は前足を首輪に当てた。首輪に付いてるスイッチを探り当てる。
爪を立ててスイッチを押しこんだ。
ズガーン!! 船内に爆音が轟いた。
「なんだ!? 何が起きた?」
さっき俺達が船内に仕掛けた爆弾が一斉に爆発したのだ。同時に発電機が止まったので室内の照明が消える。
トロンはその隙に窓から外へ。
俺は奴らの足下をすり抜け通路へ逃げた。
甲板へ出たとき、トロンは桜花の背中に乗って海上へ逃げ出していた。
ほっとするのもつかの間。ポール達が船内から出てくる。海上にいるトロンと桜花はすぐに見つかってしまった。
ポールがさっきのライフルでトロンを狙う。
何が動物愛護だ!! この偽善者め!!
俺はポールに向かってジャンプ。今度はさっきの肉球ぷにぷに猫パンチとは違うぞ。
爪を出して思いっきりポールの顔をひっかいた。
「うわわ!!」
ポールはライフルを落とす。ライフルは甲板の上を滑っていき海に落ちた。
「このクソ猫が!!」
ポールは俺に捕まえようと飛びかかる。
猫の素早さを甘く見るなよ。
俺はひらりひらりとポールの手をかわし続ける。
「まて!! このクソ猫!!」
「にゃあお(ここまでおいで)」
俺はポールの頭の上に乗った。
「やめろ!! 頭に乗るな」
やーだよ。
ポールは俺を捕まえようと頭に手を伸ばした。しかし、俺はすでにそこにはいない。
上空から急降下してきたサムがポールの頭の上にいた俺の首輪を掴んで空に舞い上がっていたのだ。
あれ? 足に何か引っかかってる。
なんだ? この毛の塊みたいなのは?
下を見るとポールの頭が妙に光っている。あれ、あいつの髪の毛は……もしかして、これはズラ!?
あいつ禿だったのか。
下でポールが何かを叫んでいる。
武士の情け。これは返してやろう。
甲板に落ちたズラを拾ったポールは恨みがましい目でこっちをにらんでいる。
怖ええ……
「サム!! フルスピードで八雲へ逃げるぞ」
「ガッテン!!」
こうして俺達の作戦は終わった。
だが、この後、俺達に過酷な運命が待ってるなんて、この時は想像すらしていなかった。
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『捕鯨船船橋にて』(三人称)
「なんだこれは?」
フリーカメラマンの美樹本光一が思わず声を上げたのは捕鯨船の船橋でのこと。
迫りくる環境テロリスト達の様子を撮影しているときだった。
「どうしました? 美樹本さん」
美樹本はカメラのファインダーから目を離して、船長の方に顔を向ける。
「船長さん。……今、妙なものが……」
「ははは! うちのシャチたちに驚きましたか」
「いや……そっちじゃなくて……」
もちろん、シャチの活躍にも驚いていたが、そっちは予備知識があった。訓練されたシャチが捕鯨船を守るという事になっていたのは、捕鯨船に同乗したときから聞いていたのだ。
問題はシャチが銃撃されそうになった時の事……
望遠レンズでその様子を見ていると、黒い小さな塊が銃を構えているポール・ニクソンに体当たりしてきたのだ。
シャッターを切るのも忘れて見ていると、それが一匹の黒猫だと分かった。
最後に猫はポールの頭に飛び乗った後、忽然と姿を消した。
ポールのカツラと一緒に……
実際は鷹壱号が連れ去ったのだが、速すぎてわからなかったのだ。
「猫が……? 見間違えでは?」
「しかし、船長……」
会話は着信音で中断される。
美樹本はスマホを取り出した。
娘からのメールだった。
メール添付されている写真には、中学校の制服を着た女の子が車椅子を押している様子が写っていた。
車椅子には女の子と同じ年頃の少年が座っている。しかし、少年は目も虚ろで酷く衰弱していた。
「可愛いお嬢さんですね。車椅子の子は?」
「娘の幼馴染です。可哀そうに、交通事故に遭ってずっと意識が戻らないそうです」
「そうでしたか。何か緊急の用事ですか? 必要ならニュージーランドの空港までヘリを出しますが……」
「いえ。単なる近況ですよ。今日は天気が良かったから真君を車いすで散歩に連れ出したと……まさか? 医者に内緒で連れ出したんじゃないだろうな?」