「あなた、誰なの?」
家に帰ってからテレビをつけたら、さっきの事件をニュースでやっていた。
だけど、事件は警察と自衛隊爆発物処理班
が解決した事になっていて内調の「な」の字
も出ない。どうなってるの?
「しょうがないよ。内調のやっている事は極秘事項だ」
「でも……」
「俺達がやった事だって、報道されちゃ困るだろ」
「それはそうだけど」
ニュースではさらにポール達を取り逃がした事が報じられていた。
それと、変態男の素性かわかった。
シーガーディアンの日本人協力者で、名前は緑埜潤一。
会社員だそうだけど、たぶんこんな事件に関わったんだからクビだろうな。
それはともかく……
「結局、何もわからなかったね」
「え? なにが」
「リアルの記憶」
「ああ!! あんまりいろんな事があって忘れていた」
「ふふ。でも、記憶が戻ったら人間にも戻れるのかな?」
「俺が人間に戻ったからって、惚れちゃいけないぜ」
「馬鹿」
その夜、あたしは疲れ切って泥のように眠った。眠っている間、真君との夢を見ていた。
一緒に多摩川の土手を自転車で走っている夢を。
夕日で茜色に染まった土手の上であたしは真君と見つめ合っている。
「瑠璃華」
「なに」
「目を覚ませ」
「え?」
突然、真君はあたしにでこピンをしてきた。
ちょっと痛い。やめてよ。
「瑠璃華。起きろよ」
目を開けると、リアルがあたしの額に猫パンチをしていた。
「ちょっと、やめてよ。リアル。痛いよ」
「あ、ごめん」
だいたい、今何時なのよ。え!? 十時!?
「なんで、もっと早く起こさないのよ!! 学校に遅れちゃう」
「今日は日曜だぞ」
「あ! そうだった」
「それより、さっきから、玄関のブザーが鳴っているぞ」
「え?」
本当だ。ブザーが鳴ってる。
外を見ようと思ってカーテンを開いた。
え?
目の前の柿の木にサルがいた。
サルはあたしと目が合うと即座に逃げていく。
まあ、このあたりは山も近いしサルぐらいいるかな。
それはそうと肝心の客の姿は見えない。
大急ぎで着替えて階下に降りた。
扉を開く前にモニターでチェック。
え? パパ? どうしたんだろう?
今は九州にいるはずなのに……
それに鍵は?
ドアを開いた。
「パパ! どうしたの?」
「予定が変わって、早く帰って来たんだ」
「でも、車はどうしたの?」
ガレージには車が無かった。
「酒を飲んでしまったので車は置いてきた。ところで猫は元気か?」
「うん。元気だよ」
「実は客を連れてきたんだが」
「客?」
「猫の飼い主だというんだが」
「ええ!! 猫って……リアルの事?」
「家に他にも猫がいるのか?」
だって、リアルは……そうだ。パパはリアルが内調から逃げ出したという事を知らないんだ。
じゃあ、飼い主というのは?
パパの背後から、一人の外人が入ってきた。
三十代ぐらいの身なりの良い白人男性。
「初めまして。お嬢さん。ジョージ・ハミルトンと申します」
よかった。日本語は通じるみたい。
「一ヶ月前、僕の猫、車の窓から飛び出して行方不明です。ずっと探してました」
「話を聞いて見ると、瑠璃華が拾った猫と特徴が似ているんだ」
「違うと思います。リアルはハミルトンさんの猫じゃありません」
あたしは断言した。
「瑠璃華。なぜそう言い切れる?」
「それは……とにかく違うんです」
「お嬢さん。とにかく、猫を見せていただけませんか? その上で判断します」
あたしは二人を階下に残して二階の部屋へ向かった。
絶対に違う。リアルは内調から逃げ出してきたのよ。ハミルトンさんの猫のはずが……
まさか?
あの人、実は内調のエージェント?
だとすると、逃げる準備をした方がいいかな? あと、武器の準備も。武器と言っても、痴漢よけの催涙スプレーしかないけど、ないよりマシか。
あたしが部屋に入ると、リアルはグッキーとじゃれあっていた。
「リアル。あんたの飼い主だという人が来ている」
「にゃ? 飼い主? まさか」
「たぶん、勘違いだと思うけど」
あたしは机の引き出しを開け、催涙スプレーを取り出してポケットに忍ばせた。
「おい、そんなもんどうするんだ?」
「もしかすると内調かも」
リアルはパッと窓に飛びついて外の様子を窺った。
「やられた。囲まれてる」
「え?」
あたしも窓の外を見た。でも、人がいるように見えないけど。
「茂みの陰、塀の向こう、外に止まっている車の中に隠れている奴らがいる」
「どうしてわかるの?」
「姿は見えないけど、気配でわかる」
「リアル。窓から逃げて」
「窓から飛び出したところを、ネットランチャーで狙われたらひとたまりもない」
「ネットランチャーって何?」
「この前、俺達が学校帰りに襲われただろう。あの時、網を打ち出す装置を使った奴がいたのを覚えているか?」
「うん」
「あの装置をネットランチャーって言うんだ。学校でも防犯用具として用意しているぞ」
「そういえば、あのとき糸魚川君も『ネットランチャー』とか言ってた」
「癪だけど、あの時あいつに助けてもらわなかったら俺はネットをよけられなかった」
「え? あの時、糸魚川君が何かしたの?」
「気がつかなかったのか? 糸魚川は男にぶつかりながら、ネットランチャーの向きをそらしていたんだ」
「ええ!? あたしはてっきり、あの時は何も考えないでぶつかっていったのかと」
「おおい!! 瑠璃華。猫はまだか!?」
階下からパパの声が聞こえる。
どうしよう?
パパにこっそり事情をしらせて何とか逃がせられないかな。
不意にメールの着信音が鳴った。
このメールは!?
あたしはリアルを抱いて階段を下り、リビングに入った。
長椅子に腰かけていた二人が振り向く。
「遅かったじゃないか。瑠璃華。何をしていた?」
「メールが来たのよ。熊本から」
「熊本?」
「熊本で仕事中のパパから」
あたしはパパを……いや、パパそっくりの男を睨みつける。
「あなた、誰なの?」
ハミルトンの顔がひきつった。
しかしパパに化けた男の顔はまったく動揺が見られない。
感情を隠しているんじゃない。感情を表現できないのだ。作り物の顔だから。
「お嬢さん」
ハミルトンは苦笑を浮かべた。
「ばれてしまっては仕方ない。女の子に手荒なまねをしたくないので、こういう手を使ったのです。おとなしくその猫を渡してもらえませんか。そうすれば危害は加えません」
「わかったわ」
あたしはリアルを男達に差し出した。
「受け取って」
あたしはリアルを放り投げた。天井に向けて。予想外の行動に男達は対応が遅れる。
リアルは天井を蹴ってハミルトンに襲いかかった。
「おわ!!」
ハミルトンは顔を引っかかれて蹲る。次にリアルはパパに化けている男に飛びかかった。
「ギャン!!」
え? リアルが払いとばされた。
壁にぶつかりそうなリアルを、あたしは飛びついてキャッチ。
「よくも、リアルを!!」
あたしは催涙スプレーを男に向けた。
ガツ!!
え? 男は一瞬にして間合い詰め、あたしの手からスプレー缶を蹴り飛ばした。
うそ!!
「おてんばが過ぎるぜ。嬢ちゃん」
男は低い声で言うと、自分の首に手を当てた。何か、スイッチを切るような音がしたとたんにパパの顔にノイズが走る。テレビの画面が消えるようにパパの顔が消え、代わりに日焼けした精悍な顔つきの男が現れた。
「な……何よ、あんた? 魔法使い!?」
「落ち着け、瑠璃華」
あたしの腕の中でリアルが苦しそうに言う。
「あれは立体映像を使った変装用具だ」
「え?」
「ほう」
男は感心したような顔で、あたしの腕の中でぐったりしているリアルに視線を向けた。
「猫のくせに物知りだな。ホロマスクを知っているとは」
「知っているさ。すごく高価でCIAでも数台しかないって聞いてるぞ。よくそんな予算がおりたな」
「入手経路は教えてやらん。それより猫よ。嬢ちゃんに怪我をさせたくなかったら、大人しく俺達についてこい」
「瑠璃華には絶対に手を出さないか?」
「ああ。約束する」
「わかった。瑠璃華、俺をおろせ」
「いや」
あたしはリアルをぎゅっと抱きしめた。
「おい、瑠璃華。約束しただろ」
「リアルが喋れる事を知らなかったふりをする約束はしたけど、大人しく手放すなんて約束はしていない」
「よせ。瑠璃華」
「嬢ちゃん。隙を見て逃げ出そうなんて考えても無駄だぞ。この家は俺達の仲間が包囲している。猫の子一匹逃がさないぜ。おっと……そいつは猫だったな」
「いや!! リアルは渡さない!!」
「そうかい。じゃあ痛い目を見てもらうか。俺は女の子だからって手加減はしないぜ」
あたしは恐怖のあまり身体が硬直した。
でも、リアルを渡すなんて死んでもいや。
男があたしに向かって一歩踏み出す。
「おい、村井。女の子にあんまり手荒な事は」
ハミルトンは顔を押さえながら男に声をかける。この男、村井って言うんだ。
村井は立ち止まりハミルトンを睨む。
「俺のやり方に口を挟むな……む!!」
不意に村井は後ろを振り向いた。
庭に面した大きな窓をにらみつける。
突然、窓ガラスが粉々に砕け散り、人が飛び込んできた。
カーキ色のボディスーツに覆面をかぶり、忍者刀を構えている。
昨日の忍者!?
カキン!!
金属と金属がぶつかり合う音が響く。
忍者の刀と村井のサバイバルナイフがぶつかり合う音だった。
「テメエ!! 何者!?」
村井の問いに忍者は無言で刃をふるう。
どういう事? どっちも内調なのに。
両者は数合渡り合った。
不意に村井のナイフが折れる。
だが、村井は折れたナイフの刃先をつかみ、忍者に切りかかった。
同時に忍者も刀を村井の首筋に振り下ろす。
血は出なかったけど、村井はそのままゆっくりと床に倒れた。
「あわわわ」
床にへたり込んでいたハミルトンが蒼白になる。
「安心しろ。峰打ちだ」
峰打ちって……本当にあったんだ。
あれ?
忍者の覆面がはがれかかっている。
さっき、村井に切りつけられた時に裂けたんだ。
「大丈夫か? 怪我はないか?」
忍者があたしの方を振り向いたそのとき、はがれかかっていた覆面が落ちた。
その下から現れた顔は!!
「糸魚川君!!」
大きなメガネはないけど、その顔は間違えなく糸魚川君だった。
そんな!? 糸魚川君が内調だったなんて。
「え?」
糸魚川君は慌てて顔に手をやった。
覆面がはがれた事に、今気がついたんだ。
「美樹本さん。逃げるんだ。リアルを連れて」
「え?」
あっという間なく、あたしはリアルを抱いたまま糸魚川君に手を引かれ家の外へかけだしていた。
門柱のところまで来たとき、三人の男があたし達につかみかかってくる。
だけど、糸魚川君は目にもとまらぬ動きで、三人の男達を打ち倒した。
アスファルトの上で呻いている男達に向かって糸魚川君は言う。
「父さんに伝えてくれ。僕は国を敵に回しても、美樹本さんとリアルを守る」
国を敵に?
糸魚川君、内調を裏切るって言うの?
あたし達のために。
作中に出てきた変装用具「ホロマスク」は怪盗ミルフィーユも使っています。
なお、これを変装ではなくお化粧用具として使われている世界を描いたショートショートがSFマガジン2001年12月のリーダーズストーリーに載っていますが盗作ではありません。
作者名は違うけど同一人物です。