リュックから、ちょこんと顔を覗かせる猫って萌える
どこかのサッカー場のようね。
晴れわたる空の下、サッカーのユニフォームを来た男の子達が走り回っている。
年齢は小学校高学年から中学生ぐらい。でも、男の子達の顔は、はっきりと見えない。
画面は地面を転がるサッカーボールを追っていた。ボールとの距離は少しずつ縮まり、やがてボールを上から見下ろしている画面になる。
不意に画面の下から、人の足が現れてボールを蹴飛ばした。
ボールはまっすぐゴールへ飛んでいく。
しかし、ゴールキーパーに弾かれる。
そこへ別方向から走ってきた男の子が、弾かれたボールを身体ごと受け止めゴールに向けてシュート。
キーパーは防ぎ切れず、ボールはゴールのネットに食い込んだ。
「思い出したのは、この映像なんだ」
パソコンの画面に映っていた映像が消えた。
「今のは確かに俺が体験したことなんだ。でも、ボールを蹴飛ばした足は明らかに人間だ」
「でも……首輪メモリーの映像って、リアルが実際に見聞きした事なんでしょ?」
「俺が教えられた限りでは……」
「じゃあ、この首輪には、リアルが知らない機能もあるって事?」
「わからない」
リアルは人間だったの? でも、人間が猫になるなんてことってあるの?
は! もしかすると……
あたしはリアルを抱き上げた。
「にゃ? 瑠璃華。なにを?」
あたしはそうっとリアルに顔を近づけた。
「にゃにゃ?」
チュウ!!
「にゃあぁぁぁぁ!! な……何するにゃあ!?」
「いや……キスすれば、悪い魔法使いにかけられた魔法が解けるかなって……」
「そんなファンタジー展開あってたまるか!!」
うーん、やっぱり無理か?
「悪い魔法使いじゃないとしたら、悪い陰陽師に呪いをかけられたのかな?」
「ファンタジー発想から抜けられないのか?」
「じゃあ悪い宇宙人に改造された」
「ファンタジーがサイエンスフィクションになっただけだろ」
「ていうか、リアルが喋れるのは遺伝子操作されたからでしょ。なんで今更、人間だったなんて思うわけ?」
「その遺伝子操作も、俺は後から聞かされたわけだから、本当なのかわからない」
「じゃあ、本当は人間を猫に改造したのに騙していたというの?」
「ううん」
リアルは考え込んでしまった。
あたしはもう一度パソコンに目を向けた。
「この画像ってもっと鮮明にならないの?」
「内調のコンピューターで画像処理すればできるけど……こんな安物のパソコンじゃな」
「安物で悪かったわね。これでも最新型よ」
あたしはパソコンに取り込んだ画像をもう一度再生した。
ううん。人物は全部顔がぼやけてる。
ユニフォームもありふれた物だし、チーム名も不鮮明で読みとれない。
周囲の景色はどうかな?
ぼやけているけど、塀のような物があって、その向こうに建物が……
塀に囲まれたサッカー場?
いや、塀があるのは一方だけで、後の三方は何もない。
あれ? 塀の上に何かあるよ。
画像を拡大して見た。
自転車?
「ねえ、リアル。これ何だと思う」
「にゃにゃ? どれ?」
あたしは画面に映っている自転車みたいなものを指さした。
「自転車のようだな」
やっぱり自転車か。でも、こんな狭いところを自転車で走るなんてできるの?
違う!!
画像がぼやけているから塀だと思ったけど。これ、塀じゃない!!
「リアル。行ってみよう」
「行くって、どこへ?」
あたしはパソコンを指さす。
「この場所に」
「だって、ここってどこだか」
「一つだけ心当たりがあるのよ」
*
リアルをリュックに入れて背負い、あたしは土手の上のサイクリングロードを自転車でひた走っていた。
切り裂くような冷たい空気が頬を過ぎっていく。
でも、心地よい。
あたしは最近まで自転車に乗れなかった。
『いいもん、自転車なんか乗れなくたって、走ればいいんだから』と思っていたけど、それってブドウが 酸っぱいと決めつけていたキツネと同じね。
こんな楽しいなら、もっと早く練習すればよかったな。
リュックからリアルが這いだしてきた。
「これが多摩川? なんか狭くない」
あたしは川の方に目を向けた。
河原では釣り人が竿を垂らし、その先の川面では水鳥達が優雅に泳いでいる。
「多摩川じゃないよ。これは浅川」
名前に違わず川底が浅いから『浅川』というのか知らないけど、高尾山を水源としている一級河川。この先で多摩川と合流している。
なんで多摩川に行くことになったかというと、あの映像に出てきた塀のような物は川の土手だったから。
つまりサッカー場は河川敷にあるわけ。
もしかすると、多摩川の河川敷かも。
そう思って多摩川に行くことにしたの。
もちろん、河川敷にあるサッカー場なんて日本中にいくらでもあるけど、その中の一つが自転車で行ける場所にあるなら外れだとしても似たような景色を見たら、リアルだって何か思い出すかも……ん?
「リアル。あんた多摩川を見たことあるの?」
「んにゃ? 見たことないよ」
「じゃあ、この川を見てなんで多摩川より小さいと思ったの?」
「あれれ? なんでだろう?」
「それ、人間の時の記憶じゃないのかな?」
「ううんにゃ。そうなのかな?」
「きっと、そうよ! リアルは人間の時に多摩川を見てるんだわ」
これはビンゴかもね。
リアルは人間の時に多摩川を見ていたなら、さっきのサッカー場は多摩川の可能性が高い。
あたしは自転車をこぐ足にいっそう力を込めた。
程なくして、あたし達は浅川と多摩川の合流点を過ぎる。
テニスコートを横目に走っていくと、やが行ってみても損はないじゃない。
てサッカー場が見えてきた。
あたしは土手の上に自転車を止めて、サッカー場の方へ降りる。
どこかの高校の女子チームが練習しているので、邪魔にならない程度の距離に近づいた。
「ねえ、リアル。見覚えある?」
リュックから顔を出しているリアルから良く見えるように、あたしはサッカー場に背中を向けた。
「ううん……あるような、ないような」
無理もないか。サッカー場なんてどこも似たようなもんだし……
「ねえ、そこの人」
不意に背後から声をかけられた。
振り向くと、さっきまで練習していた女子高生のお姉さん達。
「すみません。練習の邪魔でした?」
「ううん。そうじゃないのよ」
「え?」
「かわいいわね」
え? かわいい? あたしが?
「あら、そんな」
「写真撮らしてもらっていいかしら?」
お姉さん達はそれぞれ、携帯やスマホを構えていた。
「え?」
どうしよう。困ったな。可愛いと言われるのは嬉しいけど、知らない人に写真を撮られることの怖さをあたしはパパからよく聞かされていた。
ネットに曝されて酷い目に遭った人の話も。
でも、このお姉さん達は悪い人じゃなさそうだし……
「あの、ネットにUPとかしませんか?」
「そんな事しないわよ。携帯の壁紙にするだけだから」
「私、パソコンの壁紙」
「そういう事なら あ! ちょっと待ってください」
あたしは自分の携帯を出してカメラモードに。画面に自分の顔を映して精一杯の笑顔。
うん!! 我ながら天使の微笑み。
「さあ、どうぞ」
「ありがとう」
あれ? なんでお姉さん達、あたしの背後に回るの?
なんで背後からシャッター音がするの? 天使の微笑みはこっちだよ。
「可愛い!!」「キャー!! 可愛すぎ」「猫ちゃんこっち向いて」
そ……そういう事か。
リアルの写真を撮って満足したお姉さん達は、天使の微笑みをスルーして帰って行く。
うう……なんか悔しい。
「おい。瑠璃華。落ち込むなよ」
「落ち込んでなんかいないわよ。だいたい、相手は女だし……」
「お嬢ちゃん。一枚、いいかな?」
今度、声をかけてきたのはバードウォッチングをしていた若い男の人。
「ええ……でも……どうしようかな?」
やっぱり、知らない人に写真撮られるのは……しかし、ここで写真を撮られないと、あたしのプライドが……別にヌードや下着を撮らせるわけじゃなしいいか。
あたしは再び天使の微笑を浮かべ……
「そんな、一枚と言わず何枚でも……」
「ありがとう」
しかし、お兄さんは天使の微笑みを完全スルーして、あたしの背後に回りリアルの写真を撮っていった。
何よ!!
こんな可愛い少女をスルーして失礼な。
「ありがとう。可愛く撮れたよ」
そう言ってお兄さんはデジカメのディスプレイを見せてくれた。
う!! 確かに可愛いかも……リュックから、ちょこんと顔を覗かせる猫って萌える。
ええい!! こんな事してる場合か!!
「どうリアル、何か思いだせた?」
お兄さんが遠くに行くの待ってあたしはリアルに話しかけた。
「それがさっぱり」
「そう」
やっぱ、無駄だったかな。
「お嬢さん。写真撮っていいですか?」
また来たか。
「はいはい。どうぞどうぞ」
あたしは振り向きもしないで、リアルの入ってるリュックを声の方へ差し出した。
「いや、猫じゃなくて君なんだけど」
え? やっと……やっとあたしの美しさを理解してくれる人が現れたの……
「あたしでいいんですか?」
あたしは振り向いた。そして硬直。
「じゃあ、笑って」
そこにいたのは、体重が二百キロはありそうな中年の男。
ハ! いけない。人を見かけで判断するなんて……でもキモい。
「ど……どうぞ」
男はあたしに向かってデジカメを向ける。
「じゃあ撮るよ」
今更『キモいからヤダ』なんで言えないし。
男は連続でシャッターを切りだした。
「いいね、君、かわいいよ」
「ど……どうも」
二十枚くらい撮ったところでようやく男は撮影をやめた。
終わりかな? と思ったら、ボケットから財布を取り出す。
「ねえ、お嬢さん。お小遣い上げるから」
「な……なんですか?」
「パンツ撮らして……」
「ひいいい!!」
本物の変態だ!!
あたしは踵を返して走り出そうとした。
しかし、腕を掴まれる。
「いやあ!! 放して!!」
「いいじゃないか。減るものじゃなし」
周囲を見回したけど、女子サッカーチームのお姉さん達もバードウオッチャーのお兄さんも近くに見あたらない。
撮影を長引かせたのは、人がいなくなるのを待ってたんだ。
でも、人がいなくたって、あたしには……
「ふぎゃあああ!!」
黒猫の騎士がついてるんだから。
男は掴んでいた手を放した。振り向くと変態男は右手を左手で押さえている。
「ふうううう!!」
その正面でリアルが男を威嚇していた。
「な……なんだ、この猫は……」
「あたしのボディガードよ」
「なんだと。こいつ僕の手をひっかいたぞ。うわわ!! 血が出てる。傷害罪で訴えてやる」
自分が悪いくせに。
突然……パトカーのサイレンが鳴り出した。
「うわわ!! なんでこんなに早くくるんだ!!」男はその巨体からは信じられないような早さで逃げ出した。
でも、誰がパトカーを?
サイレンの方を見るとパトカーではなく、男の子の乗った自転車が土手の上に止まって
いた。
男の子は自転車にまたがったままリュックの中を手さぐりしている。
やがて、リュックからスマホを取り出して操作した。
「もしもし」
その途端、パトカーのサイレンが鳴りやむ。
という事は今のサイレンて……最近はああいう着信音が流行っているの?
んなわけない。なんで糸魚川君がここに?
「ええ!? 今から桜ケ丘に?」
糸魚川君はあたしが近づいてきたのにも気がつかないで電話の相手と話している。
「そうですか。わかりました」
電話を切るのを待ってあたしは話しかけた。
「糸魚川君」
「わ!? 美樹本さん。なんでこんな所に?」
「サイクリングだけど。糸魚川君は?」
「え? 僕もサイクリングだよ」
「今の着信音てわざと……?」
「え? いや、切り替えるの忘れてたんだけど。わざとって?」
「ううん。なんでもないの」
気がついてなかったのかな?
「ところで美樹本さん。今の聞いてた?」
「桜ケ丘がどうとか」
「そうなんだ。父さんから買い物頼まれたんだけど、桜ケ丘えすしーってどこかな?」
「えすしー? ああ! SC……桜ヶ丘ショッピングセンターね」
電話の相手お父さんだったんだ。
「それなら知ってる」
「どこなの?」
「案内してあげるわ」
「え? いや、いいよ。場所だけ教えてくれれば」
「あたしと一緒に行くのが嫌なの?」
「そ……そんな事ないって。そりゃあ美樹本さんと一緒に行きたいのは山々だが、巻き込み……いや、リアルが僕を睨むし」
あたしはリアルを抱きあげた。
「リアル。糸魚川君と一緒に行こう」
「にゃにゃにゃ」
リアルは思いっきり首を横に振った。
「そっかあ。あそこで美味しい猫缶買って上げようと思ったのになあ」
「にゃあ?」
「一緒に行っていいよね?」
「にゃん」
リアルは首を縦に振った。
*
桜ケ丘SCはこの近くを通る私鉄の駅ビル。
中にはデパートや本屋、電気店、各種専門店、レストランが入っている。さっきのサッカー場から自転 車で五分ぐらいの距離だった。
「なんだ、こんな近くにあったのか」
「でも、中は結構広いから、初めての人は迷うよ」
「美樹本さんはよくここへ来るの?」
「何度かね」
ママが生きていた頃、よくここへ連れてきてもらった事がある。もう何年も前の話だけど……
去年も一回来た。
真君の自転車の後ろに乗せてもらって。
あたしが自転車に乗れるようになったら、もう一度来ようと約束していたけど、もうそれは叶わなくなってしまった。
薄暗い駐輪場の中に自転車を押して入っていく途中、不意にリアルがあたしの頬をペチペチ叩いた。
「どうしたの?」
あたしが振り向くとリアルはあたしの耳元に囁く。
「駐車場にあいつがいる」
「え? あいつって……」
そこまで言って、あたしは気がついた。
駐輪場に隣接している広い駐車場に、さっきの変態男がいたのだ。
「ひ!!」
「どうしたの?」
あたしは思わず糸魚川君の背後に隠れた。
「しばらく、こうさせてて」
「え? 大丈夫? 震えてるよ」
言われてから気がつく。
あたしはブルブル震えていた。
今になって怖くなってきたのだ。
変態男は一人じゃなかった。
数名の外国人と話をしながら歩いている。
英語なので何を言ってるのかわからないけど、あの外人達も変態仲間なのかな?
でも、女の人もいるし……
不意に変態男と目が合った。
すると男は慌てて、外人達をせかすように建物の中に入っていく。
どうやら、変態仲間じゃなかったみたい。
「ねえ。あいつと何かあったの?」
「その……さっき……河原で……痴漢されそうに……」
「なにい!? それはゆるせん!!」
普段の落ち着いた雰囲気からは想像できないような激高ぶりで、糸魚川君が男を追いかけようとするのをあたしは慌てて止めた。
「やめて!! 怖い人かもしれないし」
「ダメだよ。泣き寝入りは。ああいう男には痴漢が犯罪だって事をわからせないと」
「でも、糸魚川君が怪我でもしたら」
「君のために怪我をするなら……ん?」
不意に糸魚川君は怪訝な顔をした。
「美樹本さん。リアルは?」
「え?」
あれ? リュックが軽い。
リュックを下ろしてみるとそこにリアルの姿はなかった。
「手分けして探そう」
「あ……でも」
「一時間後にここで落ち合うんだ」
「あ! 待って……そんな事しなくても」
携帯の番号を交換すれば済む事と言う前に糸魚川君は行ってしまった。
もう!! リアルったら、どこに行ったのよ。